2005年05月12日

どの英語を学ぶべきか

これから英語を勉強したいのだが、米英語を勉強するべきか、英英語を学ぶべきか、どちらが(就職、転職に)有利なのか、という声を耳にすることがある。実は私もメルベンの自宅でコソコソと勉強をしていた時に、同じことを考えたことがあるのだ。日本から持ち込んだ教材は、ほとんどがアメリカ英語。オーストラリアで話されているのは、ブリティッシュ英語のオージー訛り。やはりイギリス英語を学ぶべきだよなー、とか思いながらも聞いているCDはアメリカン。うーん。今になっての私なりの結論を書こうと思う。

今日も普通語(Mandarin)の勉強に出かけた。ノルウェー人が休みだったので、イタリア人とカナダ人、私だけというさらにインテンシブクラスになってしまったのだが、休み時間になって、私がカナダ人の女の子に、「実はうちの子供たち、カナディアンスクールに通うことになったのよ。でもカナディアンイングリッシュはオージーのと違うわよねー。だってオージーイングリッシュは、グダイ マイト(G’day, mate)でトゥダァイ(today)だからねー」と言ったところ、大ウケであった。どうやら、このテの話題は彼らにしてみれば格好のネタだったらしく、そこから彼らの口は大爆走。イタリア人のビジネスマンは

「イギリス人に、この前ライタはあるか、ライタ持ってるかと聞かれて、は?何なんだライタって、て聞き返しても説明もしてくれなくて、ただただ、お前ライタ知らないのかって言うから何かと思って聞いてみたら、(手でライターの火をつけるマネをして)「ライター(rrrr 舌を巻く!!)」だったんだぜーっ。じぇんじぇん、わかんなかったよー」

とか

「俺はアメリカに5年もいたんだけど、やつらはアメリカンイングリッシュ以外は、全く理解しないんだ。だから俺、1年かかってアメリカンイングリッシュになおしたんだけど、それからイギリスに移った時には、今度はイギリス人の言っていることが、ちっともわからなくって苦労したよ、全く」

と口角泡飛ばしながら大声でまくし立てる。それを聞いていたカナダ人

「アメリカ人の英語は好きじゃないわ(カナダ英語とどこが違うのだぁー!!)。English(この場合、イギリス英語を指す)はOKだな。でもスコティッシュはだめよ、絶対!!!」

それを聞いていた私。「アメリカンとスコティッシュって、カントニーズとマンダリンくらい違うの?」とトンチンカンな質問を投げかけるも

「って言うよりね、アクセントが、もーショッキングよ」

と話している彼らの英語は、私にはぜーんぶアメリカンイングリッシュに聞こえるがな。一緒やがな。どこが違うんやー。

家に帰って子供たちに聞いてみる。先生の英語はオーストラリアの先生の英語と違う?と聞くとカオルもタツミも(タカシは除外。英語まともに聞いているとは思えんがな。タツミは結局ESLの授業いらないでー、と学校から電話が入りESL費はリファンド!)、違うけど100%わかるよ、という。単語に違うはある?と聞くと、カオルの年齢レベルの話だと、全く同じなどと言う。タツミに言わせると、カナダの学校の方が英語がライト(軽い)で、オーストラリアの方が濃いらしい。わかった様なわからん様な。

しかし。

ここで結論なのであるが、「英語」は「英語」なんである。もちろん、最初のうちは、わかりにくいなー、Rが耳につくよなー、とかそういう違いはあるかもしれない。でも、理解できる範囲内にあるのだ。例えば私だって、冗談で、オージーイングリッシュとアメリカンイングリッシュの違いについて、例をあげることができる。Rの時に思いっきり舌を巻いて単語を出来るだけ繋げる様にしてみると、それっぽく聞こえる。抑揚も多少大げさにしてみる。完璧。イタリア人の彼が言った様に、アメリカ人っぽくプリテンドするっていうことは、やろうと思えばやれる。英語力があれば、なのである。だから、どの英語が有利かどうかなんて議論は、日本人がセカンドランゲージとして英語を学ぶレベルにおいては、全く意味を成さないと思うのだ。自分に縁のあった英語を、それを王道だと信じて思い切り勉強すればいい。だって英語は、アメリカ人とイギリス人だけのものではない。世界の多くの人をつなぐ、メインツールなのである。たった一つの国の人のものではない。大切なことは、「コミュニケートできる」という事実だけなのである。相手の言っていることがわかって、こちらの言いたいことも伝わる。そこにどこの英語がメインストリームか、なんてことは、どうでもいいのだ。

うーん。でも私のブロークンジャパニウーズイングリッシュだけは、ちょっと食えない気がするなー。この歳になれば仕方がないか、と歳のせいにしてみる。

Posted by akemi at 00:24 | Comments (4)

2005年01月18日

子供たちの勉強法

実は、高校生の頃、うちの母に、「いろんな問題集に手を出すよりも、一冊の問題集を何度もやる方が身につく」と言われ、その通りに愚直に一冊を丁寧にやった結果、それが点数に反映されたという経験があるため、子供の教材についても、色々なものを手当たりしだいとは考えていない。

子供たちの勉強に使っている教材は、漢字に関してはこれだけ。オーストラリアに来る直前に、本屋さんでとりあえず買ったという、「漢字リピート習熟プリント」(フォーラム・A 発行)だけである。この本をコピーして、二人の子供に使っている。あれこれ手を出しても、どっちつかずであると判断、とりあえず、ここに出てくる漢字は必要最低限と割り切って、徹底習得を目指している。カオルは自分なりの方法論を確立して、一度目に書けなかった漢字はカードに書き写して覚えて、それから再度、見直しのテストをしている(ので、彼女は同じページを2枚使っている)。タツミは、そのプリントを一日数枚と、同じく、「算数習熟プリント 小学二年生」(清風堂書店出版部)だけを集中してやっている。これで、基礎学力と少しばかりの自信がつくはず。彼には、作文、その他、課題が山積みなのだが、全てを焦ってやろうとするのは、得策ではないと思っている。とにかく、自分で勉強するコツをつかむのだ。全てはそこからだ。

で、問題はタカシである。文法についてはこちらの問題集をやっているのだが(ちなみに、
Round-Up English Grammar Practiceというやつである)、もう一つの彼の弱点、ボキャブラリー(これが変なことに、スペリングテストなどでは結構良い点をとってくるのだが、要するに意味がわかっていない。文もキレイな発音で読むのだが、何が書いてあるのかと聞くと???という感じ。しかし、AIMテストといわれる、全豪一斉テストにおいては、リーディングの点も悪くないのだが….)を増やすために、どうすればよいかということになり、普段から、テストの点は良くても地頭が悪すぎる彼は、与えられたことをコツコツすることには長けている。よって、彼には何も考えずにただひたすらワークブックをこなすというスタイルが良いだろうという結論に達した。しかし、私の持っている、例えば、「TOEFLテスト英単語3800」だとか、そういうものをさせるわけにはいかず、教材に困っていたところで、良いサイトを見つけた。有料サイトであるが、膨大なワークシート教材があり、我が家にとってはパーフェクトなのである。abctechも面白そうで、例えば、日本に居ながら、少し英語の勉強でも、という方には、うってつけのサイトではないかと思う。我が家では、edHelperの8年生までの1年間(約20ドル)で契約して、教材をダウンロードしている。タカシに対しては、Grade3のボキャブラリーのシートを順番にやっているのだが、とってもよく出来たサイトだ。ただ、プリントにかかるコスト(インク、用紙)は気になるところなのだが、一学期につき3000枚近く印刷しちゃう私にしてみれば、カワイイもんよね、全く。

EdHelper.com
http://www.edhelper.com/

ABCtech
http://abcteach.com/

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2004年11月24日

発音練習開始!

オーストラリアンアイドルのファイナルに残った二人は、シドニーオペラハウスで行われたファイナル後のために、ともに同じ楽曲を同じ様にレコーディングしていた。もちろん、ミュージッククリップの撮影も、同じ条件、同じセットで行われている。カオルが勘違いして、二人ともシングル出せるんだよ、と言っていたのだが、そこはプロの世界、結果的に、陽の目を見たのは、優勝者ケイシーただ一人だった。

すごいなと思ったのは、そのショーの直後から、世の中がケイシー一色になった。ラジオは翌日から、視聴者からのリクエストに応えつつ、彼女のシングル「Listen With Your Heart」がガンガンとかかっている。当然、トップ10入り間違いなしの勢い。私も早速エアチェックしてしまった。みんな、彼女が勝ち残る過程を見てきているので、この曲がかかるだけで泣けてしまうのは、私だけではないだろうなー。

ところで、毎日、ヒマにしているかというとそうでもなくって、今まで手付かずだった部屋の隅々の掃除に忙しい毎日である。と同時に、今までおざなりになっていた、スピーキングとリスニングの強化練習をしているのである。その一環として、洗濯物たたみながらテレビだってみちゃう。そこでびっくり。じぇんじぇんわからない(涙)。私ってほんとに大学院生???と思うほどに、笑えない。話が早すぎるんだよーっ!!とつっこみつつ、これが世間のレベルだと思い知らされながら、でもこの3ヶ月間に、何とかスピーキングとリスニングを人並みにすべく、がんばるぞと決意するのであった。

ということで、今は時々、英語の家庭教師の先生に来て頂いて、「徹底的な発音矯正」をしていただいている。というのは、試験勉強中に、家事しながら覚えようと思って自分で吹き込んだ自分自身の英語の発音に絶句してしまったからなのだ。要するに、自分で聞いていて、「このヒトいったい何言っているの???」というくらい、聞き取りにくかったのだ。覚えるどころが、そのヒドい英語が気になって気になって、とてもじゃないが用語の記憶の助けになどならなかった。そこで、英語の先生に泣きついたというわけだ。ところで、100%ムリだと思っていたのが、本気で発音を直そうと思うと、結構ましになっていくということがわかった。使っているのは、例のKH法のテキストで、先生に、単語一音一音を録音して頂き、私との発音矯正レッスンもすべて録音、どこが違うのかを客観的に聞きわける様にしている。つまり、要は、ヒトの英語がなまっているとか、聞きにくいという判断ができるのならば、自分のも客観的に聞いて、どこがネイティブと違うのか(明らかに違うのだ!!)というのを、本当に重箱の隅をつつくかのごとく聞き分ける訓練をしているのだ。例えば、really という単語一つとっても、口の中で「R」と「L」の切り替えをするということを、この単語を話す瞬間、いつも念頭におきながらゆっくりと話すのだ。先生いわく、いそいで話してしまうと流れてしまうものが、面倒でも都度、「り(舌まく)」と「りー(舌は上あごにつける)」を極端に言えば区切るくらいの気持ちで、つねにスピークする。そうしているうちにある日突然、ナチュラルに口の中で切り替えができる様になるそうなのだ。また、value という単語になると、「ヴァル」と「ウー」を分けてきっちり発音しないといけないらしい(もちろん、練習段階ね)。最後のSやDなどをきっちりと発音しないといけないのも注意された。そんなことをやっているうちに、他の単語にも応用が効く様になってくる気がした。ということで、とりあえずこの休み中は、発音練習と家の中に転がっている表現を片っ端から覚えて込んでみようかと思っている。あぁ、まだまだ道のりは険しいなー。

Posted by akemi at 00:53 | Comments (0)

2004年10月08日

英語教師、その実態に迫る

昨日、サプライチェーン関連の本を借りるためにモナシュ大学に出かけたのだが、そこで前々から気になっていた大学の構内にあるジムをのぞきに行ってしまった。

月55ドルでジムが使い放題。私は他の大学の学生なので、モナシュの学生よりは高いのだが、それでも55ドルはリーズナブルだと(ダンナに相談もせずに)メンバーズカードを作ってしまった。血圧などを測っているときに、そこのマッチョなインストラクターのお兄ちゃんが、どこから来たの?なんて話をしてきたので、日本からよ、ビクトリア大学で勉強してるのよ。うちの大学のシティキャンパスはちっちゃくて図書館もいまいちだから、よく本を借りに来るの。そのついでにエクササイズしちゃおうかなって、いいアイデアでしょー。などと言っていたら、実は俺、来年日本に行くんだー、と嬉しそうに話すので、「エクササイズしに行くのぉ?」と尋ねたら、英語を教えに行くんだよー、俺の兄ちゃんは、コーディネーターしてるんだ。だから、すっげー楽しみだぜっ。と言っていた。私は、「そーねー、きっとビッグマネー稼げるわよーっ」と言ったものの、帰り道では何やら、納得行かねーぞ、全く、という気持ちがふつふつと沸き起こってきた。

 みなさんご存知の様に、日本には多数の英語学校があるのだが、その先生たちの何パーセントが、ちゃんとした英語教授法などを学んだ人なのであろうか!!実はいま、レポートを時々チェックしてもらう先生がいらっしゃるのだが、彼女はちゃんと指導の資格を持っている優秀な先生で、発音なども丁寧に直して下さる。レポートの添削も素晴らしい。大学院のレポートのチェックなんて、誰にでもできるものではないのだが、彼女は門外漢のビジネス分野の私のレポートでも、的確に添削して下さるのだ。ただ、適当に日常会話を話しているだけで、がっぽがっぽ丸儲けだぜ全く、という人ではないのだ、決して。しかし、日本に行っている英語の先生のほとんどは、知性的なのか、はたまた英語を教えるための充分な知識を持っているのかどうかは、甚だ疑わしいのだ。だけど、それでもすんごい稼げるのだ。あー、腹立たしい腹立たしい。ということで、日本の皆様、英語の先生の質に関しては、しっかりとチェックしてみて下さいね。あなたはお金を払っているお客様なのだから、文句はきちんと言わないと、質の悪い英語教師をいつまでものさばらせることになってしまうのだ!WASTE OFTIME&MONEY!! 

Posted by akemi at 00:40 | Comments (0)

2004年04月05日

苦労せずに英語ができるようになる!

わけはない。

そんなわけはない。絶対、聞き流すだけ、だとか、知らないうちに、とかそういうことで英語が出来るようになるわけない。たとえばそれが、「今まで英語がぜんぜんできなかったのだけど、ちょっと聞けるようになった」とか、「まったくしゃべれなかったのが、お店で違うサイズの服をだしてもらう様にたのめた!」とか、そういう変化ならあるかもしれない。だけど、まさか、お店やレストランで注文ができれば「英会話バッチリ」というのだろうか。 正直言って、日本人のスピーキング能力は、多分、国際的に見ても最低レベルではないかと思う。確かに底上げはできていると思う。高校までまともに英語の授業についていけば、辞書をひきひき、英語を読むこともできるだろうし、ライティングも、日本人の書く英語は、比較的基本的な文法の法則に限れば、ましかもしれない。(というのは、諸外国の人たちは、英語をぺらぺらと話している様に思えるが、実は、文法がめちゃくちゃだったり、ということも多々ある) 私はこの1年間、狂うほどに英語を勉強し続けていた。ライティングとリーディングは伸びたと思う。が、スピーキングに関しては、今でも言いたいことの半分も言えてない。リスニングも、まだまだ充分ではない。簡単なことを聞き取れないこともある。一日何時間集中して勉強したか。家事の間ずっと英語を聞いていた。聞き流すだけで話せるようになるなんて、とんでもない。誰が言ったんだ。誇大広告やめろよ、と思う。いろんな人が言っている通り、スピーキング、リスニングなんてものは、完全に運動能力と同じ、訓練し続けない限り伸びるわけない。聞き流すだけで口から英語がポロっと出てくるわけない。ポロッと出てくるには、何百回も口に出して訓練しなきゃだめなのだ。 日本で小学校から英語教育を導入すると聞いて、やめてくれよ、と思った。吸収力抜群の小学生の耳に、日本人先生の発音する英語を聞かせるな、と思う。耳がダメになる。やめてくれ。それだけはやめてくれ。それだったら、セサミストリートみせてあげるほうがまし。そこで一案。どこで英語を取り入れるか。音楽の授業だ! 英語の音楽を覚えさせる。1年で1曲で充分。ネイティブそっくりにまねしながら歌う。歌詞の意味を充分に理解する。それから歌う。音のつながっているところ、すべてまねして歌う。6年間で6曲、英語の持ち歌が出来る。しかもネイティブそっくりの発音で。小学生の英語の授業は、これで充分。その発音の素地と、基本的な歌詞の英文法が体に叩き込まれる。それから、中学に入って、色々な難しい文法を勉強すればいい。 正直言って、日本ほど英語の教材の充実している国はない。だが、それなのに、この英語力の低さは何だ!それは、「英語できなくても困らない環境」が一番の原因なのだろう。つまり、英語の出来るアジアの学生さんたちは、公教育の現場や、仕事の現場において、英語を求められていることが多い。しかし、日本においては、そういう機会は少ない。でも、日本以外のアジアの学生さんたちは、英語ができることで、早いうちから、グローバルスタンダードを目の当たりにするのだろう。そういう若いアジアの学生さんたちを見るたびに、心が焦る。あぁ、日本はこれからどうなっていくのか、国際競争力がどんどんなくなっていくんだろうな、と思っていくのだ。 たとえば大学教育。オーストラリアでは(というか、西洋社会ではみんなそうなのだろうが)、参考資料(書籍や記事など)を引用符なしで無断引用したり、他人のアイデアを拝借したり、ということは、非常に厳しくとがめなれる。エッセイでそんなことしたら、即刻単位はなしとなる。しかし、私の大学時代の友人たちは、ほぼ全員が、「本のまる写し」みたいな卒論を提出して卒業している。よく、日本の人たちが、中国などでの本やCDの違法コピーを「知的財産権の認識度が低い」などと酷評しているのを見るが、日本の大学生の書く論文なんて、どう考えても国際的に認められるレベルにあるわけない。そのために、税金でどれだけ教育費つぎこんでるか。他人の書籍の丸写しで卒業できる。恥とも思わなかっただろう。世界を見るべきだ。そんな行為は何の役にも立たないのに! 私は正直言って、自分の子供たちを日本の大学へ行かせたくない。最初は現地校に入れるのをためらっていたが、行かせてよかった。英語ができるようになってよかった。日本の大学へ行く必要がないというのは、大きなアドバンテージだ。もちろん、日本にも良い大学は沢山あると思う。(たとえば、最近、慶応藤沢キャンパス略してKFCの講義ノートをネットからダウンロードしてチェックすることが多いが、素晴らしいと思う。学生たちも楽しんでいるんじゃないかな、と思う)だけど、日本の教授たちは、自分たちの研究の方に意識が向いていて、学生への教育に関しては、熱心さが足りない気がする。もっと、学生たちに、真剣に学ぶ楽しさを教えてあげないと、優秀であるはずの日本の学生さんを、つぶしてしまうことになりかねない。英語、大学教育。私は、今、苦労しているこの二つのことを思うと、日本の学生さんが不憫でならない。はやく、一日でも早く、外の世界を見てみなさい、そう言いたいのだが、伝える術を知らない私は、結局、私と同じ苦労をするであろう後世の人たちに対して、何の手助けもできないでいる。

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2004年02月05日

複雑なキモチ

今日は、先週受けたIELTSの結果が発表になる日だ。

RMITのEnglish Worldwide まで出かけて、結果を見に行くことにした。どちらにしても、今日で運命が決まる。Overallで6.5以上、全てのスコアが6以上というハードルは、どう考えても超えられそうにない。というのはリスニングで大失敗をしてしまったからだ。初回のIELTSで6をマークして、前日、自宅でやってみたリスニングの模擬試験では、かなり良い調子だったので、まさかこんな事態になろうとは予測もしていなかったのだが、セクションが4つある問題のうち、セクション2を全て落としてしまったのだ!!!セクション1の答えのスペリングをあれかなこれかな、と悩んでいるうちに、集中力が途切れ、気づいた時にはセクション2の半ば。え???と思っているうちに、セクション3。ここで泣きそうになるのをこらえ、何とか持ち直したものの、どう考えても悲惨な結果は免れないだろう。しかし、ライティングは私の得意分野インターネット絡みの話題だったので(しかも、前日、ヤマはって試験の直前まで、使えそうなフレーズを何度も書きなぐっていたので、もうこれは、ライティング7をマークか!という勢いで書きこんだ。ワード数も充分、明確なトピックセンテンスに具体的なサポーティングアイデアも、色々なセンテンスストラクチャーを織り交ぜながら、自分では、これ以上は書けない!という程のがんばりを見せた。期待できるのはライティングだけだった。 試験結果は、そこに張り出されていた。自分の番号を確認しながらチェックすると、そこに「7」の文字が。やった!ライティングで7かぁーっ!しかし、結果は違った。ライティングは6(トホホ)、7はリーディングであった!そこで、私は自分の目を疑った! リーディングで7???実は3ヶ月前に受けたリーディングは「5」という悲惨な結果であったのだ。う、うれしい!!しかし、リスニングが5.5というどうしようもない結果になり、大学合格ラインである、全スキル6以上、を満たさないということが分かってしまったのだ。 これで合格を逃したかと思うと、涙が込み上げてきそうになるのだが、不得意なはずのリーディングで7がとれたことが嬉しくて、あぁ、もうこれが私の限界だなー、と思うと、もうこれ以上は受験生生活を続けられないと決意したのである。

Posted by akemi at 23:46 | Comments (0)

2003年12月05日

色々な英語学習法を試してみる

 実は、うちのダンナは英語学習オタクである。英語にかけたお金はいくらなのか!?を考えると恐ろしいほどである。

しかし、英語圏に留学経験がなくて、日本の中で自習ベースで勉強していた割には、そこそこ英語が使えていると感心していつも見ている。
 ということで、我が家には、ダンナの英語学習の足跡がありありとわかる様な英語学習用書籍の数々が本棚に並んでいるのだ。CDブックもDVDも、数とりそろえてあるので、私が新たに購入すべきものはなかったのである。とにかく、家の中に転がっているこの教材を、何とか無駄にしまいと、片っ端から目を通しはじめた。

 しかし、英語学習オタクであり、膨大な時間を使っては身につかなかった経験を持つダンナは、数ある英会話本を手にする私に、もうそれはケンカ腰になって否定をし続けるのである。

 「だからぁ、音読だって言ってるだろうがーっ」

 が口癖である。彼はこの7年間、東京でありとあらゆる英語学習を試してきたが、全くTOEICのスコアが変わらなかったらしい。が、転勤前の1年、毎日毎日NHKのビジネス英語を音読し続けて(それはもう、写経の心境じゃないかというほど熱心に、毎日欠かさず愚直に音読し続け、それもCDを聞きながら、声や抑揚全てをコピーする意気込みで音読するという方法なのだが)、過去の7年間の蓄積を遥かに越えるほど、その1年で彼の英語は上達(improve)したのであった。だから、彼の話には説得力がある様に思えた。そして、彼は同じ間違いをおかさないように、私を必死で指導してくれている様にも思えた。が、しかし。私には拭い去れない仮説があった。ダンナには7年間の基礎があるからこそ、音読も生きたのではないかと。

 つまり、私の様に英語に全く関係のない世界で生きていて、英文法の全てが抜け落ちていて、簡単な基礎単語も忘れてしまっている様な人間が、果たして音読だけで英語が話せる様になるのだろうか? それはウソだ。やはり最初は基礎固めをしないといけない。そう思いはじめた。そして、ダンナの見ていないうちに、英文法の分厚い本を1ページ目からめくったりしたのだ。というのにはワケがある。私は、ホームページの「ひと」欄で名前をあげたきり文章を仕上げていないある人の本を読んでしまったからである。

 「TOEIC テスト900点、TOEFLテスト250点の王道」 杉村太郎著 ダイヤモンド社

 が、それである。この杉村氏については、もういつかどこかで書いておかなきゃ、と思うほどに熱い思いを抱いているのだが、それを読んでしまったがために、「もう、私TOEFLで250点とっちゃうもんねっ」というモードに突入してしまったのであ−る。ダンナの語る「音読」の効用は、もう私には全く耳に入らないものになってしまった。そして、私は杉村氏の語る本の中に紹介されていたTOEFL対策本をこっそり購入して、そしてダンナに隠して手荷物の中に入れてメルベンに来て、これまたダンナに隠れて、文法書をしらみつぶしに読み砕いて、カードに例文を書き出し、これまた英単語を(普段は絶対使わない様なアカデミックな単語に至るまで)毎日数百という単位で覚えこもうとしていた。一日8時間くらい勉強した日もあった。こんなに勉強したという自信が、私の中にみなぎっていった。これだけ勉強したら、ぜったい英語は上達するぞ。もう、それは確信に満ち満ちていたのだった。

 週に一回英語の個人レッスンを受けているのだが、そのレッスン中にとんでもない異変がおきてしまったのだ。勉強すればするほど、だんだん話せなくなってくるというアイロニー!!なんと、英語を話そうとする度に、頭の中に日本語がポコポコポコポコと浮かんできて、その通りに話そうとすると、英文法がめちゃくちゃ、常に日本語的な語順となっていって、口から出る言葉の全てが、先生によって「語順が反対」と訂正される様になってしまったのだった。初めは、その原因がわからなかった。だって、私はこんなに勉強しているし、以前には使えなかった難しい単語だってポンポンしゃべっているはずなのに。でも、その先生の指摘は容赦なしだった。

 涙、涙でダンナに相談したところ、彼がその原因を言い当ててくれた。毎日毎日英単語を覚えていたのだが、それは、例えば一つの単語と一つの日本語をつなげる作業でしかなかったのだ。つまり、英語を英語として、直接理解するのではなく、英語を日本語を介して理解するという訓練を、一日数時間に渡ってやっていたのである。英語を英語で考えることができて、口から英語がついて出てくるという域にならないと、現実の英会話のスピードには到底追いつかない。そうダンナは言うのだ。そして、その「英語で考える」というのは、これはもう知識ではなくって、運動能力みたいなもんだから、日々の訓練、トレーニングでしか身につかないのだ、ということを彼は力説したのである。

 私も夢を見たかった、死ぬほどに努力すれば数ケ月でTOEFLの高得点をたたき出すことが可能かもしれない。そしたら、メルベンで大学院にいけるかもしれない。そんな幻想を追いかけたかった。しかし、ダンナは続けて言った。

 TOEFLが何点あるとか、大学院を出ているとか、そういうものは、現実のビジネスの世界では、全く何の役にも立たない。役に立つのは、「本当の英語の実力」なのだ。そんなものはTOEFLやTOEICのスコアが何点だとかで決まるものでもなく、はい、英語でこれだけコミュニケーションできます、仕事ができるレベルです、という結果が全てなんだよ。MBA取得していても、英語が実務レベルでない人間なんて山ほどいる。要は、本当の英語の実力を身につけない限り、大学に行っても講義の内容がわからなかったり、エッセイかけなかったりするんだから。もっと本質的なものの見方をしろよなーっ。頭冷やせーっ!!

 てなもんでー。私は6ケ月かけてたどった自分の足跡を自己否定しなければならなくなったのであった。

 そこで、最初に手をつけたのが、

 「英会話・ぜったい音読 CDブック」講談社

 である。これはCDを聞きながら、まさに真似する様に、毎日愚直に音読するのであるが、私にとっては、この「中学生レベルの英語」さえも、エベレストの山の様に難しく思えた。

 実は、メルベン赴任が決まってから、赴任の日までの間、日本にいる時に、この「絶対音読」を毎日MDウォークマンで聞いていた。音読もしていた。が、その効用が理解できずに(つまり、これで英語が話せる様になるとは、到底思えなかった)、途中でギブアップした教材であった。これを毎日毎日音読し続けたのである。そして、だんだんと内容が簡単に思えてきたある日、

 「英会話・ぜったい音読 挑戦編」

 に変更した。これは高校生レベルらしい。最初の数レッスンだけはまじめにやったものの、これまた途中から、聞いて意味がとれるかしら、と聞くだけになってしまっていった。ダンナが薦めてくれた

 「いつでもラジオ英会話」 マーシャ・クラッカワー編

 も、最初の数レッスンでギブアップ。でも、これは本当に良い教材だと思うので、時々思い出した様に、音読してみたりしているのだが、まだまだ私には難しいと感じられるので、なかなか続けられないでいるのだ。

 そして音読教材と併用しつつ、Uda式DVD「30音トレーニング」も勿論購入して参考にしたし(ちなみにこの教材は、子供にウケタけど....)特に、鼻に抜ける音というのは、今まで意識したことがなくって、それ以来ヒヤリングの際に「あ、ほんとに鼻に抜ける音がたくさんある!」と発見した。アルクのMD、CDパッケージのいくつかも試してみた。文法に関しては、

 「ネイティブスピーカーの英文法」研究者出版
 「ネイティブスピーカーの単語力」
 「ネイティブスピーカーの前置詞」

 なども読んだ。

 「話すための英語構文 最頻出50パターン」SSC
 「「動詞」で英語大革命」 アスカ

 読んで読んで読みまくったが、いまひとつ身につかなかった。

 そして今度は、

 「英語は絶対、勉強するな」 サンマーク出版

 に挑戦することにした。これは、とにかく毎日毎日繰り返し聞くのだが、冠詞の一字に至るまで完璧に聞こえる様になるまで、聞き続けなければならないというものであった。この教材になって、私に少し変化があらわれた。レッスン1だけであるが、ディクテーションをしてみた。つまりCDから流れてくる英文を、そっくりそのまま文字に起こすのである。文字にするためには、本当に冠詞に至るまで完璧に聞き取らなければならない。何度も何度も、CDを聞いているうちに、単語単語を聞き取ろうという姿勢だけは身についてきたのだ。つまり、バーッと聞いて、聞き取ろうと思っていたら、全く聞けなかったものが、一単語も逃さずに聞き取るぞ、という意気込みで集中して聞いていると、だんだん会話そのもののスピードさえもゆっくりに思えてくるという様になってきた。そして、そのCDを毎日毎日聞き続けていて、それこそ、家事をしている間もウォークマンをして、聞きながらアイロンをかけたり、掃除機かけたりしていたのだが、ある日、英語を聞きながら感極まって涙がポトリと落ちてしまったのだ。あるビジネスマンに願い続けてきたビジネスチャンスがやってきた、というくだりなのだが、彼の台詞が日本語抜きで直接理解できた気がしたのである。

 そして、今度は、今まで難しくて絶対出来ないと思っていた、この教材に挑戦することにした。

 「究極の英語学習法 K/Hシステム」

 これこそが、うちのダンナ大絶賛のシャドーイングを中心とした学習法なのである。今も、これを続けてやっているのだが、シャドーイング(聞こえてきた英語を、そっくりそのまま発音してみる。もちろんスクリプトは見ない)というのは、本当に難しいし、でも、これがきちんとできるということは、相当に英語力があるのだ、と思える方法なのだ。それで、今では、ラジオを聴いても、テレビを見ていても、声に出さないまでも、心の中でシャドーイングをしていると、自分が理解できている部分と、全く聞き取れてない部分がはっきりとわかるのである。今は、とにかくこの方法を信じて愚直にトレーニングをしていて、それとプラスして、今度は書く方、例えば日記を書いたり、エッセイを書いたり、ということをしているのである。そして、それを、英語の先生に添削してもらっているのだが、この「書く」という行為が、私にとっては、一番英語力をつけるのに役立っていると感じている。書きたい欲求にかられて、語彙や文法力が少しづつではあるが、自分に備わってきたと思うのである。というのは、文章を書き、添削をしてもらう、と、自分の弱点、例えば私の場合は、簡単な冠詞一つとっても、完璧に理解できていなかった、というのがわかり、それを文法書で確認する、ということをやっているうちに、だんだんと英語のクセの様なものが、わかってきた気がするのだ。もちろん、英会話は、全然話にならないビギナーレベルなのだが、これからの勉強方法の方向性が見えたかな、という感じではある。

 1年後には、もうちょっとimproveしていることを願いつつ、今日もあくなき英語習得の旅は続くのであった。

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2003年06月22日

語学学校で何を学ぶか

 英語は最終的には独学なんだろうと思いながらも、語学学校への憧れが萎えることはなかった。

それは、韓国に居たとき、1年間延世大学の語学堂で習ったことが、私の成功体験になってしまっていたからだ。学校に行けば、韓国に居たときの様に、日常会話も生活に困らないレベルになり、新聞も何なく読める様になるはずだ、そういう考えが頭から離れなかった。

 オーストラリアに来てからの半年、時々個人レッスンを受けてはいたが、私の英語は全く上達しなかった。毎日の様に英語の世界にさらされているにも関わらず、今日も聞けなかった、今日も伝わらなかった、と失敗ばかりが積み重なり、私の焦る気持ちも最高潮に達した時だった。ダメもとでウェイティングを入れていた保育園から、入園許可が出たのだ。

 そしてハッキーが週5日の保育園通いになり、私は決心をした。子供を保育園に預けて、おせんべ食べてテレビ見ているわけにはいかない。その場で家から通える範囲の語学学校を調べた。私が行けるのは、某大学付属の語学学校と、TAFE(高等専門学校)付属の語学学校だった。最初はネームバリューにひかれて、大学付属の学校に行こうかと思ったのだが、授業がとびとびで、日によっては終了時間が5時近くになるということを知り、子供のお迎えに間に合わないことがわかり、断念。そして、TAFE付属の語学学校に通うことにした。

 ここでは朝9時〜1時まで、一日4時間、週5日授業がある。1時に終わってハッキーを迎えに行けば、彼の負担も軽いし、3時半のお迎えまで家事もできる。これは楽勝だと思った。

 韓国に居た時、当時子供はいなかったが、妊婦でもあった私が、続けられないほど授業が大変だと感じたことはなかった。勿論、宿題もあったが、それも余裕に感じられた。だから、子供が4人になったといっても、みんな学校やら保育園やら行っていて、実質フリーな私にとっては、特に無謀な道とも思えなかった。しかし、それが、かなり無謀な道だったのだと、今ではしみじみと思うのだ。

 私はこちらの語学学校でも、韓国語と同じ様に、テキストがあって、そのダイアログを覚えたり、新しい単語を覚えたり、とそういう様に授業が進められると思っていた。しかし、授業は全く私の想像したものと違っていたのだ。

 まず初めに授業は、2時間×2コマとなっている。1時間×4コマではない。かなり長い時間集中しなければならない上に、休み時間は10分間だけ。トイレ行って、おにぎりほおばるくらいが関の山。

 第一、先生の話すスピードは完全にナチュラルスピード!(私は長らく、アルクのCD教材なんかのスピードがナチュラルスピードだと思っていたのだが、ありゃー、完全にお粥英語よねー、と感じられるほど、実際に比べると遅いものが多い)それについていくための集中力だけで、一日ヘトヘトになる。

 第二に、テキストを使わずに、新聞などを利用する。従って、政治欄などの話についていくために、常日頃からニュースやら新聞などを読み込んでおかないと、全くついていけない。ニュース聞けて、新聞読めたら、こんなところに来ーへんがなー、とつっこみつつ、何とかしがみついていっている。

 第三に、2週間に一冊100ページ以上の本を読み、ブックレビュー(ライティング)を完成させて、人前でプレゼンテーションしなければならない。つまり、毎日の宿題に、プラス、毎日10ページ程度の読書をしなければならない。

 第四に、エッセイライティングが毎週最低1本は入る。その他にも、短いプレゼンテーションがあるので、その下準備で図書館に入り浸らなければならなくなる。もしくは、インターネットでネットサーフィンにいそしむ。

 第五に、毎日の様にグループディスカッションがある。時にはディベートもあって、相手を説得しなければならないこともある。そんな英語力があれば、こんなところ来んがなー、と思いながら、言葉少ないながらも、くらいついていく。

 という感じなのだ。誰が文法教えてくれる、どこで新しい言い回しを教えてくれるのだーっ!!と思いつつ、語彙力は新聞で補え、文法はライティングでチェックしろ、ガンガン読め、バリバリ話せーっ、という感じで、ここは、英語地獄の特訓??(そこまでいかないか)みたいな体育会系のノリに、少なくとも私はなっている。(というのは、そのクラスの人たちは、みんな、かなりベラベラしゃべっているので、あまり大変そうに見えないのだ。私一人が大変なのかしら?)

 そんな中、私にとっては一生忘れられない授業を経験した。それは、エッセイを書くための方法論を2時間で学ぶという授業だった。アクティビティの多い授業の中、その2時間だけは、珍しくレクチャー中心だった。そして、その2時間が、私のライティングを根底から変えてくれた。そして、そのスキルは、2時間で学べるものなのだ、ということを知り、私は黙っていられなくなった。今、日本のどこの大学で、英文エッセイの書き方を教えてくれるというのか。授業にすれば2時間で理解できる、その典型的なエッセイのフォーマットを、日本のどこの大学でも教えてはくれないだろう。こんなに役立つスキルを、どうして誰も教えてくれなかったのか。

 子供が手を離れたと感じたからか、私は日本の小学校教育よりも、大学教育を、変革しなければならないと思う様になってしまった。実際、何の勉強もしない大学生に、国は年間いくら使っているのか。それならば、もっと意味のある勉強を、彼らに提供すべきではないか。そしてそれは、生き残りをかけた大学にとって、十分に差別化できる材料の一つであると確信する私がいた。

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2002年11月01日

一に発音、二に発音

 なぜこんなに英語が聞き取れないのか、理解してもらないのか。

それは、学校教育ではあまり重要視されていない英語の「ある要素」が、会話においては非常に重要視されているということに尽きる。

 それに気づいたのは、うちの末っ子ハルキの言動を見てのことだった。彼は、2歳児で、ちょうど言葉を習得しはじめている時期にあたる。彼のことばの習得のしかた、というのを見ていると、色々と考えさせられるものがある。その彼が、あるオモチャを見てこう言った。

「あな あいてる」

 そのオモチャには穴が開いているので、彼はそれを見て「穴開いている」と言ったのだが、その言葉は、私の耳にはパーフェクトな日本語として聞こえた。彼は、あの丸い穴のことを「あな」と知り、また、穴が開いている状態を指して「あいてる」と言ったのか。いや違う。彼は、丸い穴が開いている状態全てをさして、その状態そのものが「あなあいてる」という一語で表現出来ると思ったのだ。そして、その「あなあいてる」という言葉のもつメロディーも、私たちが通常使っている言葉の高低そのまんまだったのだ。つまり、そのメロディーで言われると、例えば「あーあーてう」と言ったとしても、「あなあいてる」と言っているのね、と理解できるメロディだったということなのだ。

 英語も同じで、全ての単語がキレイに辞書通りの発音で言われているかというと、そうでもなくって、私の様に英語圏で生まれ育ってない外国人にしてみれば、「どっからそんな発音になるのぉ?」と疑いたくなる様に、くにゃくにゃとくっついて、アクセントがついて、そんでもってある一つの文として、人々の耳に入ってくるのだ。

 例えば、「初めに」にあたる First of all というフレーズがあるのだが、これ、何度聞いても、「ファースト オブ オール」なんて聞こえない。どう聞いても、「ファーティボー」という感じで聞こえる。First of all を、ファースト オブ オール という発音でしかとらえられないうちは、「書かれたものは読めるが、聞き取れない」となってしまう。

 よく英語の勉強をしていて、何言ってんのこのヒトタチと思ってスクリプトを見てみると、びっくりするほど簡単な会話しかしてなかったりする。こんなことも聞き取れなかったのか、と毎日の様に愕然とする。英語の文を1語ずつ分けて話してもらえたら、それはある程度、私たちにも理解できるかもしれない。でも、現実は、そうじゃないのだ。

 ある一定の長さの文を一息で、しかも繋がりまくって、私たちにとっては、もう弾丸のごとくのスピードでまくし立てられる。それをいちいち日本語に訳していては、会話のスピードについていけない。

 また、こちらが話すことが全く伝わらない、ということが、もう数え上げればキリがないくらいにある。例えば、「delivery(デリバリー)」日本人の不得意な、L、R、Vが入っている。こんな簡単な単語一つが伝わらない。レストランに行って、「plate(お皿)」はあるか?と聞く時に、うかつに舌を巻いてしまうと、Lではなくなって理解してもらえなくなる。美容室で縮毛をcureしたいと言うと、culing(カール?)と聞き返されたこともある。(因みに、縮毛を矯正するという意味で使っていた cure は、意味的にも通じないらしい。こちらでは、straighten(まっすぐに)としか言えないらしい。でもそれじゃ、ストレートパーマにされてしまうのよ。)

 私はオーストラリアに来るまで、例えばブロークンであっても、それなりの英文法を踏襲していれば、それなりに通じるものだと思っていた。でも現実は「じぇんじぇん通じないやんか!」という感じである。毎日毎日、LやらRやらの単語の発音練習を家の中で大声でやっている。ダンナには気持ち悪いからやめろ、と言われるし、既に発音においては私を超えてしまった子供たちに、「ママちゃん、違うよ」と直される始末である。

 また、th の発音は舌をぜーったい出さないとダメだとか、FとVは下唇噛んでる〜??とか、hは喉の奥から声出てるかしら? とか、色々と考えながらしゃべっているので、もう口の周りがワナワナ言いそうなくらいである。で、一所懸命話そう話そうと、頭の中で英作文をせっせと作り上げていると、今度は発音がおざなりになってくる、といった具合で、ナチュラルな英会話を楽しめる様になるのは、もう何年後?と叫びたい気分なのだ。

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2002年09月26日

初めての英語圏!そして...

 私の場合、中学で3年、高校で3年、そして大学で4年の計10年間英語の教育をうけてきた計算になる。

特に高校の時は、大学受験対策と称して選択科目の英語をいくつかとっていたので、その時は週のうち8時間くらい英語の授業があったのではないかと思う。今思えば、一ページの中に知らない単語が数十個もある様な英文をがんがん読ませられていた様な記憶がある。

 就職した会社は米国資本の会社ではあったが、日本での歴史も古く、社内の雰囲気は他の日系企業とそれほど変わらなかったのではないかと思うのだが、それでもエンジニアだった私が目を通さなければならないマニュアルの何割かは、英文で書かれたものであった。

 特に英語が得意なわけでも、興味があるわけでもなかったのだが、そのマニュアルはそれなりに読めていたし、転職先の、これまた米国資本の会社では、時々、アメリカ人から直接レクチャーを受ける機会もあったので、まぁ、死なない程度には、英語はできるのではないかと思っていた。思い込んでいた。そして信じていた。そして現実は、あまりにもシビアであった。

 次は再び韓国か!と思っていた我が家に、英語圏転勤の話が持ち上がったときにも、子供の学校や家探しなど、ダンナに任せられないわっ、と俄然やる気になっていた私。同じく、初の英語圏、しかも仕事で行かなければならないダンナの不安は幾許か!と思い、何とかダンナをサポートしてあげたいという気持ちもあり、普通は、ダンナが先に現地入りして、家探しやら学校選びをするはずのところ、一家6人同時にメルベン入りをしてしまったのである。

 メルベンのホテルに落ち着いた翌日、ダンナは当然の様に会社に初出勤し、私たち5人だけが残された。子供4人を連れての、住むエリア(サバーブ)探し、学校選び。そしてその全てを英語でこなさなければならない苦しみ。ポジティブ思考だった私が、何度涙を流したか。仕事で大変なのがわかっているのに、ダンナに絡む、叫ぶ、泣く、そして落ち込む。そんな日の繰り返しだった。ダンナをサポートしてあげたかった。新しい環境で、ストレスがあるだろうダンナを助けてあげたかった。それなのに、私は完全にお荷物になっていた。こんなことならダンナに全て任せて、後から赴任すれば良かった!

 英語ができないということが、こんなにも辛く苦しいなんて!10年間もの間に受けた英語教育。私は英語に関しては全く優秀な生徒ではなかった。でも、卒業できるレベルだったはずなのに!不動産会社のスタッフの言うことが、全くわからない。少し聞き取れなかったとかいうものではない。もう、まさに100%わからない!それぐらいのショックなのだ。子供の学校を決めなければ、とアポなして校長室に乗り込んだ学校が数校。簡単な質問が聞き取ってもらえない。時間をかけて説明した挙句、校長先生が、彼女の個人的友人だという日本の方に電話をかけて下さって、その日本人の方に通訳をしていただくという様なこともあった。その時は、「あぁ、私の英語力のなさで、こんなにも人に迷惑をかけているんだ」と思い、落ち込み方も相当なものだった。

 韓国在住の時には、思いもしなかったことなのだ。学齢期の子供を抱えての外国での生活が、いかに大変なのかを思い知ったのだ。

 メルベン到着後2週間で、ダンナは1週間の日本出張へと旅立って行った。家はまだ決まっていない。英語が話せない。トラブルに巻き込まれたらどうする?子供がケガでもしたらどうする?もう、誰でもいいから、家を決めて、学校を決めて〜!!誰か助けて〜!!

 そう叫びたかった。でも、ダンナは日本に行ってここにはいない。五感全てに封印をしてホテルの中に閉じこもっていたかった。あまりにも無謀だった。自分一人でのんびりできたバックパッカーではないのだ。

 しかし、泣きつく相手がいなくなって、私はどうしようかと考えた。ダンナが帰って来るまでゆっくり待とうか。でも、既に日本の夏休みから続いて、実に2ケ月近くも学校に通っていない子供たちのことを思うと、早く学校を決めてあげたかった。あまりにも泣いて泣いて、もう泣く涙もないかと思うほどに落ち込みきった私には、もう上を見るしかないという心境になってきた。

 そして決意をしたのだ。私は独立した人間になりたい。ダンナがいないと家も決められないというのは、どう考えても「イイ女」ではない。かっこよくないではないか!よし、この1週間で、死ぬ気で家を探してやる!

 それから、インターネットの不動産サイトに何時間もアクセスして物件を探し、また、不動産会社数社からゲットしたレンタル物件リストから、予算にあうもの、こちらの希望にあうものを、リストアップし、全て地図でチェックした。それから、毎日毎日、その物件の外観を確認すべく、子供たちと一日のうち何キロも歩いた。

 そんな物件の数々の中で、私も子供もとても気に入ったものがあった。内覧(インスペクション)の予約をするため電話を入れなければならない。私は入念に英文を組み立て、何度も何度も音読してみた。そして、電話をかけてみた。そして、その予約の電話は、とりあえず成功をしたのである。

 その後、無事インスペクションを終え、メルベンに戻ってきたダンナが再度物件を確認して、最終的な契約は(それは、あまりにも私では無理)、会社のスタッフの方がパーフェクトにこなしてくださり、やっとこうやって家に落ち着くことができたのである。

 そして、この家は私が決めたのだ、という実感は、何事にも変えがたい喜びであった。しかし、英語が出来ないということは、死活問題なのだ、という思いが消えることはなかった。そして、私の英語習得のための旅が始まったのである。

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2002年09月25日

メルベンって何?

 学生時代、アジア各国を旅するバックパッカーだったころ、色々な国で、色々な人と話をする機会に恵まれた。

私はもともと景色だとか建造物の価値があまりわからない人で、名所旧跡を訪れても、覚えているのは、そこで出会った面白い人達だったり、その時の話の内容だけだったりするのだ。

 そこがアジアだったからなのか、話の内容は時々「歴史」の話に及び、その度に「なんて、私は無知なのだろう。あぁ、恥ずかしい」という思いを強く持った。それだけではない。私を非常に困惑させたものは、「固有名詞の呼び名」である。例えば韓国の人と話をしていると「伊藤博文」という名前があがったりするが、もちろん「いとう ひろふみ」なんて発音してくれないのだ。逆もある。毛沢東を「もうたくとう」と言っても通じない。

 地名もしかり。ホントになんとか統一してくれよと思いながら、未だに日本は北京を「ペキン」と呼び、韓国慶州を「けいしゅう」と呼ぶ。日本の教科書をスタンダードにしていたら、外国に行った時に普通の会話の土俵にも上がれないんじゃないかと、イマから日本の子供たちの未来を危惧するあけんであった。

 オーストラリアの地名も同じだ。シドニーなんて、どっからどう聞いても私には「シンニィー」にしか聞こえない。メルボルンは「メルベン」だ。韓国語の表記によると「メルボン」と書いてあったから、明らかに韓国語の方が実際の発音に近いと言わざるを得ない。「メルベン」をこちらの人に言わせると、これは2音(two sounds)。日本語のメルボルンは5音に聞こえるらしい。お世辞にも「あぁ、Melbourneのことを言っているのね」と思えないと言う。

 だから、あけんのホームページでは頑なにメルボルンのことを「メルベン」と表記し続けることにするのであーる。

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