2006年02月05日
教育のチカラ(III)
シリーズ完結編は、カオルの同級生のLちゃんのお話をしようと思う。
オーストラリアでは日本以上に離婚、再婚などのケースが身近に感じられる。ステップファミリーも沢山居たし、日本では例えば「○○さんのところ離婚したんだって」「後妻さんだって」とかヒソヒソ話で言われそうなことも、普通の会話に「事実」として含めることができる。要するに離婚も再婚も別居中も、ステップファミリーも、何らネガティブなイメージがない。
カオルの友達には別居中の友達も居て、そのお友達を送り届ける時は、ママの家、ダディの家、そして我が家から比較的近いおばぁちゃんの家の3つの送り届け先があって、日によって違っても、それが何の問題をも生まなかった。うちのカオルも、そのおばぁちゃんのお家に遊びに行ったりと、色々と可愛がって頂いた。
カオルにはオーストラリアで本当に一生忘れられないと思う程の仲良し7人組の友達が居て、彼女たちと事あるごとにお互いの家を寝袋かついで泊まり歩くという「Sleep Over Club(お泊りクラブ)」なるものを結成したりと、本当にエンジョイしまくりだったのだ。そのお友達の中にLちゃんが居た。
実は彼女はカオルよりも遅れて学校に転校して来た。私が彼女に始めて会ったのは、訳あってカオルたちをその学校のアフタースクール(学童保育)に預けて迎えに行った時のことだった。
見慣れない美少女系の女の子の存在に気づいたのだが、彼女はあまりにも表情に変化がなく、ぼーっとした感じに見えた。その新しいお友達Lちゃんが居たから今日は楽しかったとカオルは言ったのだが、私には、その表情に乏しい女の子と遊んでカオルは本当に楽しかったのかな?とちょっと思ったりもした。でもそれ以上には何も思わなかった。
カオルは、学校であったことを事細かに話してくれるタイプで、そのLちゃんの話もそれから頻繁に出て来ることになった。
「どうやらお勉強はちょっぴり苦手らしい。
セーフウェイ(スーパー)には行ったことがないらしい。
ママがジャンキーなお菓子を買ってくれない。」
その辺りで、相当なお嬢様なのね、と私は勘違いしていた。
「彼女にはお兄さんが居て、時々会う。
彼女のママは本当のママじゃないらしい。
でもLちゃんはそれ以上のことを言いたくないらしい。」
ふぅんと思った。特に珍しい話でもない。でも彼女の無表情な感じがどこから来るのか、それだけは何となく想像がついた。離婚して、親戚のところにでも預けられたのかもしれない。
そんなこんなの話もLちゃんの口から出ることがあったらしいが、カオルはあまり人のプライベートに首つっこむタイプではなく、また他の友達も根掘り葉掘り本人が言いたくないことを聞く様なことは一切なく、ただただ毎日ギャーギャーワーワーとオテンバに遊んだりしていた。
でもLちゃんだけは一度もお泊りすることができなかった。理由があったらしい。彼女が我が家に遊びに来ると、決まって夕方にママが迎えに来る。一目で子供を赤ちゃんから育てていないことが分かる様な淑女で、人間的に尊敬できる人だった。べたべたの愛情ではなかったが、Lちゃんの表情が生き生きとしてきたのを見ていても、きちんと愛情を込めて大事に大事に育ててきたのだなということがわかった。時々「まだ帰らないっ」と駄々をこねちゃうところも愛らしくて私には感動的な場面でもあった。彼女は子供らしくも振舞えるし、普通の子供として何も問題なく育っている。何よりも出会った頃の無表情さを思い出せないくらい、生き生きとチャーミングな女の子になっていっているのが私には嬉しかった。
彼女のバックグラウンドが分かったのは、それからかなり後になってからだった。
カオルがLちゃんのことを突然話しはじめた。というか、Lちゃんが突然カオルに自分のことを話し始めたらしい。事実は小説よりも奇なり、を地で行くようなストーリーだった。
彼女にはお兄さんが居て家族4人、何の問題もなく生活していたはずだったが、ある日、お父さんが実は
ゲイ
であることが発覚(私だったらあまり驚かないかもしれないが)。それを知ったママが、キャーという感じになり(どうやら精神的なダメージがあったらしい)、とても子供を育てられる状況ではなくなり子供二人は施設へ。結果、お兄さんとLちゃんは別々の家庭に引き取られる事になったそうだ。それで時々お兄さんとは会うこともあったりするし、オーストラリアでは引き取った家族に対してはかなり厳しいルールがあるそうで、お泊りをする時は事前に警察署かどこかに届け出ておかないといけないらしい(届出を出せば良いのだそうだが。それも多分子供の人権を守るという観点からだと思うので素晴らしいシステムだと思う)。それで簡単にお泊りにも来れなかったらしい。
彼女がその学校に編入して来るまで、彼女は学校というものに行ったことがなかったそうだ。表情が乏しかったのも、お勉強が苦手だったのも合点が行った。
カオルのバースデーパーティの時、お友達のリクエストにお答えして、DIY炒飯(自分で具を選んでホットプレート上で自分だけの炒飯を作る)を夕食にしたのだが、Lちゃんはいつもカオルと一緒に食べているオニギリを作りたいと言ったので、オニギリを作ると同時に、オニギリのシーズニング(鮭とワカメのオニギリふりかけみたいなの)を1パックプレゼントした。家でご飯さえあれば、これでオニギリができるのよ、と彼女に渡したら、彼女は、本当に頂いていいの?いいの?とまるで超豪華商品に当たったかの様にじわーっと満面の笑みを浮かべて、遠慮がちに、Thank you so much! と言ってくれた。
彼女のその笑顔は、彼女が心から喜んでくれているのが手にとるように分かる、ピュアでチャーミングな笑顔だった。そう。出会ったあの時には想像もできなかった暖かい笑顔だった。そして彼女もまた、カオルを含め他の気の強い系ギャル6人に引けを取らないオテンバな女の子になっていった。
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2006年02月04日
教育のチカラ(II)
彼は、いや彼のママは、タツミの同級生のお母さんだった。
メルボルンでタツミは3ケ月過ごしたプレップを再度やりなおすことになった。落第というのか留年というのかわからないが、まだまだ英語もビギナーレベルを抜けない彼をグレード1に無理に上げるよりも、再度ABCからきっちりとやった方が彼のためになるという先生の配慮からだった。
2回目のプレップで同じクラスになったのがCクンである。
彼は普通のオージーボーイ。少し線の細い感じがしたけれども、真っ白な肌にクリクリのブロンド、ちょっぴりワガママなところもあるけれども、それも問題視されるレベルではなかった。彼が時々タツミと遊んでいることで、彼のママとも話を交わすようになった。でも、彼女はちょっぴり変わっていた。
オーストラリアのママさん達は、本当に素敵な人ばかりだった。とても優しくて明るくって、私がめっちゃくちゃな英語で話しかけたりしても嫌な顔一つせずに一言一言理解を示してくれたし、向こうからお話してくださる時は、私にも配慮してゆっくりとした英語で話してくれた。しかし、そのCクンのママは不思議なまでに私に対しての何の先入観もなく、あまりにも普通に話しかけて来られるので、こちらが心配してしまうほどなのだ。うまく言えないが、私に対して、全く外国人だとか、英語が話せないとか、そういうバックグラウンドの認識がスコンと抜けていて、ただただ「4人も子供のいるお母さん」という部分だけを見て、色々と話しかけてくれるようになったのだ。
彼女はとても変わっていた。
それは、子供に暴言を吐いたり、子供に対して暴力的だったり、ヒステリックな行動をとるということなのだ。場所が日本だったら、私は特に不思議に思わなかったのかもしれない。でもオーストラリアというのは、子供は天使、うちの子供は世界で最高にカワイイのーっ、と大声で叫んじゃうくらい子供ラブな親ばかりが居るので、子供に対してヒステリックに叫ぶその姿は、周りからかなり浮いていたように思う。それはもちろん、先生にも目撃されていた。
そんなある日、プレップの父兄宛に、あるイベントのお知らせが届いた。それは、もしあなたが子育てに不安や難しさ、疑問などがあったら、是非このイベントで先生を交えて話してみませんか、というカウンセリングもどきイベントのお誘いであった。私は前年度にはそんな案内見たこともなかったので、小さな小さなその学校では、このイベントは彼女のために用意されたものなのだと誰もが思ったに違いない。
彼女は子供に対しては、ヒステリックに叫び続けることがあったが、大人同士の間では非常に丁寧で上品で、私も何か彼女の力になれることはないかと考えてはみたものの、引越しして数ケ月、外国人の私に何もできるはずもなく、でもCくんは我が家をとても気に入ってくれて(子供多いし)、私も彼を車に乗せては家に連れて帰り、彼女が迎えに来ると、決まって素敵な手土産を頂いたりと、そういった関係が続いていた。長期休暇の時にも田舎から私に電話をくれて、いついつ頃にはメルボルンの家に帰るから、そしたら一緒にルナパークに行こうね、とそんなやりとりをする間柄になっていった。
彼女は時々、自分には子供が一人なのに死にそうに大変で、あなたはどうして4人も子供を育てられるの?大変じゃないの?と聞いてきた。Cクンによると、彼女は手が痛いといってランチも時々作ってくれない時があるらしい。うーん、何と答えれば良いのかと思いつつ、そういう時は私は常にカオルをダシに使ってしまう。うちはね、カオルがママみたいなもんだから、私は何にもしなくていいのよ。ドライバーだけ。子供が複数いる方がお互い遊んでくれるから、一人の方が大変なのよ、なんて言ったりもした。
私から見ると、大人だったのはCクンのほうだった。ずっとママと閉じた世界に住んでいたのが、いきなり外の世界で開放されたのかもしれない。ママから離れて過ごしていると、一人で出来ることがだんだん多くなってくる。彼のワガママっぷりが格段に減り、彼女も声を荒げる必要がなくなって来た。子供と離れて自分の時間がとれた事で、彼女自身も余裕ができたのだろう。
ここですごいと思ったのは誰も彼女を非難しなかったことだ。確かに彼女がヒステリックに叫んでいる瞬間は、まわりの子供たちもママも一瞬ひるむ。先生も「ママが呼んでいるからお家に帰ろうね」とママの意向を最優先にしていた。私だったら子供に対してその態度はないだろ、と説教こきそうなシチュエーションでも、誰も彼女を非難したりしない。彼女を指差してヒソヒソなんてことも全くなかった。彼女は孤立もしなかったし、孤独でもなかったと思う。Cクンも誰にも拒否もされず、普通に毎日を過ごしていた。日本だったら父兄会でも開かれそうな場面かも知れなかった。あのママの言動は周りの子供たちに悪い影響を与える、何とかしろ、とかね。でも現実に、事態はただ静かに終息して行った。先生たちの視線は、明らかにそのママの態度を何とかしなければという感じがあったが、直接的に彼女を否定することは一切なかった。もし貴方が困っていれば、私たちはいつでもウェルカムです、そういう態度を通し続けた。立派だった。その姿を見て、私も彼女に対して自信を持って普通に振舞うことができた。
オーストラリアの良いところは、きっとここだろう。Cクンとそのママの周りに、先生や他の子供たち、そのママたちががっしりとフォローするぞとばかりに待ち構えているのだ。非難や否定することで事態が良くなることはない。子供は悪くない。ママの心を穏やかにするしか方法はない、みんながわかっていた。彼女は、休みになるとずっと実家に帰るそうだ。そこではおじぃちゃん、おばぁちゃんの助けを借りて、メルボルンでは学校や周りの大人たちの助けを借りて、それでCクンは何の問題もなく、健やかに育つ環境を与えられた。そして彼女はそんな周りに本当に感謝していた。
そして、私は彼女が笑う声や、上品なジョークを何度も聞くようになった。もちろん、その後、彼女がヒステリックに叫ぶ姿を二度と見ることもなかった。
優しくされると、他の人にも優しくできる。
笑顔を向けられると、自分も笑顔で居たくなる。
目に見えない素敵な連鎖を目の当たりにした様だった。
あの学校で、本当に良かった。
Posted by akemi at 03:47 | Comments (0)
2006年02月01日
教育のチカラ(I)
彼は私が今まで出会ったコドモの中でも、1、2位を争うほどのNaughty Boyだった。
末っ子のハッキーはメルボルンで保育園に行くことになった。その保育園に居たオージーボーイが、私がこれからお話する主人公のBくんである。
彼の悪ガキぶりは常軌を逸しており、泣く、わめく、他の子供とケンカ三昧なんてのは序の口、大きなイスを投げつける、本棚をひっくり返す、その度に保育園の先生は露骨に手を焼いているのがわかった。
見るからに頭が良さそう。大人の浅はかな考えなんて読みつくして、ありとあらゆる手を使って大人を困らせている様に見えた。それでもやはり子供だから、自分のどうしようもない感じを表現するために悪がきっぷりを発揮するしかないのだな、要するに「愛情不足ね」などと私は分かった様なことを思っていた。私がハッキーを連れて行くと、朝早くから保育園に預けられている彼が私のところにやって来ては、ハッキーの嫌がることだとか、私が答えに窮するような質問をしてはニヤリとしていた。
私は彼に興味があったので、色々とカラかったりしていて、それに乗って来るのを見ていても、やはり彼は注目を集めたいのだな、ということが簡単に分かった。彼の頭は悪くない。可哀想に。このままレッテル貼られたらヤンキーになるしかないやん。どこで彼は軌道修正のチャンスを与えられるのか、それはもう不可能かもしれないなとまで私は思っていた。
そんなある日、新しい先生がやって来た。髪はお下げで、私には少し田舎っぽい普通の女の子に見えた。特に先生として素晴らしいオーラがあるとか、そういうことは何も感じず、ただただ若くてカワイイ先生がやって来たのだな、と思っていた。しかも私が迎えに行くと決まってその先生は、そのBくんに(他の先生とは違って)「○○してはいけません」と毅然と注意しているところばかりだったので、結構厳しい部分もあるんだな、などと思ったりもした。
ある日、私はいつもよりも早く迎えに行った。そして私は保育園での光景を見て驚いてしまった。その若いお下げの先生がずーっとそのBくんを抱っこしてあげていたのだ。その甘え方を見ていると、今日初めて抱っこされました、というのではなく、保育園にいる間ずーっと、彼女の手があいている時はずっとそうやってクネクネと甘えてたんじゃないかという感じだったのだ。そしてやはり、いつもよりも早く迎えに行くと、いつもいつもそうやってBくんはその先生の腕の中に居た。
それでもその先生は、そのBくんが悪いことをするとピシッと怒っているというのを何度となく私は目撃した。そして気がついたのだ。その先生の叱り方には「sigh(ため息)」がなかったのだ。
他の先生の叱り方には「ため息」があるのだ。「もういい加減にして頂戴」「またあなたなの」「enough!(もういいでしょ!)」の台詞の後にはハァーという苛立ちを隠せないため息が出てしまう。Bくんは自分に貼られたレッテルを返上する術を持たなかった。子供だもん、できるわけがない。でもそのお下げの先生は、彼に対して「あなたはいい子なのだ。だけど悪いことをしたら叱られるの。それは他の子供たちも同じ。あなたは他の子供たちと変わらず、チューしてハグしたくなるようなカワイイコドモなのよ」というメッセージを数ケ月に渡って送り続けていたのだ。
そんなある日、ハッキーがこんなことを私に言い出した。
「Bってホントはいい子なんだよ」
「本当は」という台詞に私は少し泣けてしまった。子供だって彼に貼られたレッテルを嗅ぎ取っていた。ハッキー自身も被害者になったことがある。それでも彼といい関係になれて、実際の彼はいい子だということをどうしても親に言いたかったのだ。
それからBくんは「あなたは先生の犬?(笑)」とこちらがツッコミを入れたくなるほど、その先生の周りに引っ付きまわっては先生のヘルプをするようになった。そして1年ほど経った頃、彼がトラブルを起こすことは皆無になったのだ。
この事実は、私にかなりの衝撃を与えた。人間こんなに変われるのか、と思う程だった。何より、一人の人間の人生を救ったといっても過言ではない。彼はそのまま「あぁ、あの子可哀想に」と思われながら、どうしようもない大人になって行ってしまう可能性だってあったのだ。それが、たった半年から1年の間に、彼は「明朗活発な健全な男の子」に大変身してしまったのだ。彼の中から全くのNaughtyさが無くなり、クラスの中でもリーダーシップを発揮する、本当にいい子になって行ったのだ。私を見ては、ハッキーが今日こんなことをしていたとか報告してくれたりするようにもなった。ハッキーもその子と仲良くなって大好きな友達の一人になった。彼の人生は今明るい。楽しい。きっと将来に希望を持っているだろう。何よりも自分自身を愛せる自分が嬉しいに決まっている。
あの先生の何が良かったのか。それはもう人間というものの存在に対するリスペクトに尽きるだろう。コドモとか大人とか関係なく、自分の目の前の人間に対して、絶大なるリスペクト(尊敬や大事に思う気持ち)と、強い強い信じる気持ちがあったのだろう。ただただ貴方が、そしてどんな人でも、この世にこの時代に生まれて、それは奇跡のように尊いことで、だからそれだけで十分に愛されて自分を大切にする権利がある、そしてどんな人でも、自分の足で人生を切り開く人間になれるのだという強い信念があったのだろう。
Bクンの自己肯定感に満ちた笑顔を見て、私は彼の将来を心の底から信じることができるのだ。
良き出会いを。
Posted by akemi at 23:45 | Comments (0)
2005年05月01日
支配からの卒業
流行モノに疎い私は、疎い自分が大好きだった。尾崎豊の歌を聞くようになったのは、ほんの数年前のことだった。子育てに必死で感動の涙も出なくなった数年間を経て、35歳で運転免許をとって車の運転をする様になってからだ。車の中で音楽を聴くようになった。学生時代の懐かしい音楽を聴きながら涙がこぼれた。あぁ、私も少し余裕ができたんだと思えた瞬間だった。
CDの選択はもっぱらダンナの趣味で、私は彼が強引にかけるCDを聞かせられていたのだが、その中に尾崎豊の歌もあった。「卒業」を聞いて涙がこぼれたのは、自分が親の世代になったからだった。どうして、親と子供が、敵対するかの様に、支配するものとされるものという構図になってしまうのか。親側は、いつもいつも子供のことを愛してやまないのに、どうして、こういう関係になってしまうのか。支配って何? 先生がか弱き大人の代弁者って何? ざわつく思春期の彼の心の中を想像はできても、共感は出来ない。私には信じられる大人が沢山いたからだ。
TaTuの Not Gonna Get Us のクリップを見ていた時に、尾崎豊を思い出した。痛々しいほどの感受性。日本とロシアは似ているかもしれないなと思った。それを見ていた私はオーストラリアに居た。この国には尾崎豊もタトゥーもおらへんよな、なんて思いながら。(当時、オーストラリアではアンドロイドの、Do It With Madonna っていう「ったくもう(笑)」な歌が流行っていたなー。これがオージーのテンションよーっ)日本でこの歌を聞くたびに、心の中にものすごいエネルギーが沸き起こって、この歌について何か書かなきゃと思い続けていたのだが、一度オーストラリアに行くと、えーっと何を思ったんだっけ?という具合に、熱い想いでもってこの曲についてコメントすることができなくなった。同じ様に「個性の尊重」という文字を見ても、日本に居た時は、もういっぱい言いたいことあんねん、という感じだったのが、オーストラリアでは、「ええと何だっけ」というくらい拍子抜けした感情しか持てなくなってしまった。
何故か。
オーストラリアにおいては、「個性の尊重」などという概念を持ち出すことは、
「1+1は2でーすっ」と大声で演台で唱える
ことくらい、当然すぎることを声高に叫ぶ様な奇異なことに思えるからだ。それくらいオーストラリアでは、個々人があらゆる場面でリスペクトされている。
数年前、日本でミリオンヒットとなった「世界にひとつだけの花」という曲についても、私は聴いてみたくてたまらなくって、兄に頼んで録画してもらったDVDを心待ちにして紅白歌合戦の大トリをつとめる彼らを、ワクワクどきどきモードで見ていたのだが、見た感想は、
「で、何が良いのであらうか」
状態だった。この歌のどこが良いのかサッパリわからん状態で、ダンナと二人、顔を見合わせては、私らは日本人のノリについていけないようになってしまったんやろか、と少し哀しくなった。自分のテーマだと勇気づけられている日本人が多いという事実を知ると、もっともっと哀しくなった。
私が思うに、この歌のテーマは、「自分の価値観を信じて、強くそして悔いのない一所懸命な人生を送れ」ということであろう。オンリーワンと言っているが、槙原クンはナンバーワンを否定していない。横を見るな、周りの言動にビビるな。そんなものにエネルギーを使うな。しっかり前を向いて自分の人生を生きることに必死になるのだ。そう言っているのではないかと思うのだが、どうもこの歌にシンパシーを感じる日本人の共通認識は、「そうよね、私、このまんまでいいんだよね」みたいな部分じゃないのだろうか。
でも、そう思ってしまう素地が日本にはあるのだろう。生まれた時から当然の様に人間としてのリスペクトを受けて育って、だから他人もリスペクトできるという好循環の中で育っている人達とは違って、世間体なんかを気にする親のもと、個性の尊重以前に「たのむから日本人として真ん中の道を生きれるコースからドロップアウトせんとってくれ」というメッセージを受け続けた人は、大人になってからも、自分の存在とは何かについて悩まなければならなくなってしまうのだ。もうそんなレベルの話は、小さいうちにカタをつけてあげて、大人になってからの人生は、自分で選んだ道をGo Aheadするだけでよい様に、大人が支えてあげなきゃと思うのだけど。
尾崎豊がオーストラリアで育ったら、彼はどんな歌を歌ったのだろう。少なくとも支配からの「卒業」なんて歌ってはいなかっただろう。きっと彼は、もっと刺激的なNYへ行くぜ俺は!みたいな歌うたってたんじゃないかしらー?
Posted by akemi at 22:32 | Comments (1)
オーストラリアの教育を検証する(2)― コミュニケーション能力
オーストラリア人のコミュニケーション能力が高いということをここで書いてみようと思ったのだが、さて、コミュニケーション能力の定義というのは何かというと、うーん、自分でも困ってしまうのだ。私自身の定義というのはあるのだが、これが世間一般に言われるコミュニケーション能力の定義と同じなのかと思うと、どうも自信がない。ということで調べてみる。
ご存知の方も多いと思うが、英語版のグーグルで何かの定義を調べたいときは、
www.google.com にて、
define:communication skill
などと、頭にdefine: としたものをキーにして検索をかけると出てくる。何度となく検索をかけているうちに、偶然に見つけたテクだ。(ちなみに、フレーズで調べたいことは、”communication skills” とくくればOK。あまりにも初歩のTipsでごめん)
“Communication skill is the basic trait required in nurturing relationships, building a good business and in every aspect of human interactions” (Wikipedia, 2005).
さて、日本語での定義はというと、色々と探してみたのだが、下記サイトの定義が一番、私にとって的確だと思えるので紹介してみると、
「コミュニケーション能力とは、人間だけが使うことの出来るお互いの共通の記号・象徴 = 普段無意識に使う言葉や身振りなどのメッセージを使ってお互いが理解し、影響を与え、問題を解決する、などの目的を達成したり、健全な対人関係を築き上げたり維持していくための知識や能力をいう」 (江口, 2003)
とのことである。要するに、お互いのインターラクション(影響を与え合うこと)を試みる行動であって、その能力が高いということは、お互いにとっての「ポジティブな結果」を引き出すことができるということであろう。
コミュニケーション能力ということが言われる様になったのは、多分ビジネスをする現場で求められる様になった(というか、明言化されるようになった)からではないかと思うのだが、日本の教育の現場でも重要視される様にはなってきたものの、なかなかそれを身に付けるための方法論が、確立されていない様にも思う。もちろん、人前でスピーチをする、ディベートを取り入れるなど、教育現場の方たちは、色々な工夫をしてらっしゃるのだが、結果はいまひとつ。私も自分自身が、その能力に長けているわけではないので、どうすればいいのかしらと思ったりもしていたのだが、オーストラリアに来てしばらくして、あー、と思ったことがあった。コミュニケーション能力って、何やら難しいことの様に思っていたのだけれど、要するにこの能力のベースにあるものというのは、何も難しいことではない、と気づいたのだ。
ここからの話は、ビジネス上で必須のコミュニケーション能力を身に付けるためのノウハウ、という高度な話ではない。もっと根本的なところ、対人関係に恐怖を抱き、傷ついたり傷つけたり、相手との距離をはかりかねて、結局何のアクションも起こせない、というレベルで悩む人が多い、という日本の現実と、メルベンでの人達の生活を見比べた時に気づく、決定的な違いについて書いてみたいのだ。
英語が話せない一番の理由は、インプットとアウトプットが少なすぎる、ということにつきる。コミュニケーション能力のベースも、これと同じことが言えるんじゃないかと思うのだ。要するに「人なれの度合い」の違いに起因するんじゃないかと思うのだ。というのは、オーストラリアでは、そりゃもー、朝から晩まで、どこに行こうと、誰に会おうと、見ず知らずの人だろうが、隣り合わせた、同じ場所に居合わせたというだけで、あぁこうも話題がつきないわねー、と言うほどにしゃべりまくりなのだ。スーパーに行く。このお客さんは、レジのお姉さんと友達なのねー、と思ってみていたら、結局、どのお客さんに対しても、今日何があったとか、さっきこんなことがあった、とか色々な話をしているのだ。それだけではない。年がら年中、バーベキューやったり何かにつけて家族や親戚が集まっては、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃパーティー三昧。もちろん子供だろうとあちこち登場させられる。レジになれべば子供だって、大人顔負けに世間話をして帰るのだ。チケット売り場に並んでいたら、前後左右で他人同士が世間話。
この現象を客観的に評すならば、娯楽の少ないオーストラリアでは、こういう人間付き合いが最大の娯楽である、と言えるかもしれない。ディズニーランドもない、朝から晩まで刺激的なテレビ番組のオンパレードというわけでもない。コミック雑誌も全然ない。第一、子供たちがテレビの前でじっと座っているより、やんちゃに遊ぶ方が大好き。親の方も勉強なんかせんでもええ、とにかくオージールールのフッティができなきゃあかんで、みたいなお国柄であるからして、朝から晩まで、ありとあらゆる場面で、人間同士があちこちでインターラクションおこしまくっているのである。慣れるはずである。場数が勝負であるからして。
で、片や日本の環境はというと、朝起きて、家族全員におはようと言ったのか言わないのかわからないうちにテレビを見ながら朝ごはんも食べたんだか何だか。気づいたらいないから、あー学校に行ったのね。学校行ったら先生が一方的に話す。帰って来るや否や、塾に行かなきゃ。MP3プレーヤーを耳にして黙って電車に乗る。時々携帯メールを送る。コンビニで立ち読みしながら何も言わずに弁当を差し出して買う。ありがとうも言わずにコンビニを後にして帰路につく。家に帰ったら「ただいま」も言わずに自分の部屋に直行してネットサーフィン。こいつムカつくと激しく汚い言葉をガンガンと掲示板に書き込んでほんの少しの優越感。
って状況で、コミュニケーション能力がつくわけないやんか。場数踏まなすぎ。どこで練習するつもりか、と考えるとかなり哀しくなってきてしまう。そんなんだから、時々まともにコミュニケーションをとろうとして近づいてくるおじさんに、「うっせーんだよ」とか言っていきなり暴行してしまったりんじゃないかしら。小さいうちから、色々な場面で、子供たちも話をさせてあげなきゃと思うんだけど、話もしないで事足りる、という状況があまりにも多すぎて、機会が少なくなってしまっているのが日本の現実なんだろう。
ところで、ここ香港はというと、日本よりも狭い場所に多くの人がいるため、あらゆるインターアクションの機会がある。見たところ、おしゃべりなお国柄なのか、それとも社会のシステムの違いなのか、私みたいな外国人でも、何かと話をさせられる状況が多い。ここ香港に、個人的な友人がいるわけでもないのに、何やらあちこちで声を出しているのだ。何だかすっごーい下町に住んでいる気分で、ワクワクと毎日が楽しいのである。
コミュニケーション能力というと、何やら特殊技能の様に思ってしまうのだが、これも場数の問題で(というのは数をこなすと、相手の反応とかを学ぶ機会が格段に増えて、相手の顔色だとか、言葉尻だとか、そういうものから感じ取る機会も増える)、まずは小さいうちから人なれさせていくということが、日本の教育に必要なんじゃないかと思うのだ。しかしそれができない現実ということも、私は充分にわかっているのだ。ちょっと話しかけただけで、相手に殴られて私は死んじゃうかもしれないという恐怖感が、東京に居た時の私にはあった。そんなリスクをおかしてまで、コミュニケーションをとろうとは思わない。どうして日本はこんな国になってしまったのか。私みたいなただの主婦が、わかるわけもないか。
Reference
江口 恭子. 2003, コミュニケーションについて (2), [Online. Internet.] Available:
http://www.sla.or.jp/seminar/lifeplanseminar22.html, Accessed 30 April, 2005
Wikipedia. 2005, Communication Skill, [Online. Internet.] Available:
http://en.wikipedia.org/wiki/Communication_skill, Accessed 30 April, 2005
Posted by akemi at 00:53 | Comments (0)
2005年04月23日
オーストラリアの教育を検証する(1)― 落下傘を作ろう!
オーストラリアの教育について、色々とエッセイを書きたいと思い続けていたが、それも叶わずの2年半だった。子供たちのこちらでの学校が始まるまでの間、オーストラリアの教育に関して感じたことを、少しずつ記録しておこうと思う。最近、カオルが私のBLOGを読みたがって、それをずっと阻止しているのだが、子供達が大人になった時に、あの時、ママちゃんはこんな事を感じていたのか、と何かを考えるきっかけになってくれればとも思う。
私自身の経験と、子供の学校での状況を見ていて、
社会に出て自立的に働く大人となるために必要なスキルを身につける
という点において、オーストラリアの教育の方が、日本の教育よりも格段に上だというのが私の考えである。
もちろん、日本の教育にも、システム的に良いものは沢山あって、それを一つ一つ天秤にかけるつもりなど毛頭ない。また、この教育というものは、狭義の「学校教育」だけを指すことができないという点も、私が強調したいことなのだ。つまり、社会全体から受け取る子供たちへの無言のメッセージや、経済活動の格好のターゲットにされる度合いだとか、平均的な親御さんから受ける子供たちへの期待の質の違いだとか、そういう「子供をとりまくあらゆる環境」を、「子供を育てるための教育環境」と定義した場合、オーストラリアの方が、自ら考えて行動して、しかも自分自身をハッピーに生かす人間として成長することができるのではないかと思うのだ。
と、漫然としたことを書いていても仕方がないので、これから何回かに分けて、オーストラリアと日本の教育の違いに関するエピソードを紹介しようと思う。そのエピソードの中から、「何だか遊んでいるだけで、本当に勉強してるんだか何だか」と批判されることの多いオーストラリアの教育について、その根本思想を嗅ぎ取って頂ければと思う。
カオルがメルベンの学校に転校してしばらくたった頃、学校で、落下傘を作ろうということになったらしい。彼女は日本の小学校で作ったことがあると言ったところ、明日はカオルに作り方を教えてもらおうということになった。
さて、ここで日本で落下傘を作るということになったとしよう。低学年なので、多分、その1週間くらい前に、教材費のお知らせなどが届いて、タコ糸、ビニール袋、重石など、一括購入致しますので、いついつまでにお金を持たせてください、となるか、又は、当日に、何センチ程度のタコ糸、これくらいの大きさのゴミ袋1枚、重石のための粘土とフィルムケース1個を持ってくる様に、連絡帳に書かせているだろう。
さて、オーストラリアではどうするか。先生は、明日落下傘を作りますので、各自、必要なものを考えて持ってくる様に、としか言われなかったらしい。で、その結果、子供達は何を持ってきたかというと、それぞれ、色々な大きさ、色々な素材を持ち込んできたというのだ。巨大なシートを持ってきた子、毛糸、ロープ、重石にぬいぐるみ、(カオルが爆笑していたのは、トイストーリー1に出てくる、落下傘で落ちてくる役柄だったソルジャーのおもちゃを持って来た子がいて、そのセンスに皆、大喜び!)もうそれはバラエティに富んでいたらしい。で、それだけだったら、ただのお遊びなのだが、ここからがすごい。
大きなシートを持ってきてしまった子は、それを地上から落とすのが困難で、距離が必要と判断、3階から落としてみたり、大きな重石を持ってきてしまった子は、そのために大きなビニールが必要だとわかり、みんなで大きな落下傘を作ってみたり、長さを調節、素材を変更、もう考えられる限りの工夫を凝らして、何とかゆっくりと落ちる落下傘を作ろうと必死だったそうだ。それだけではない。家の中の素材を持ち出すために、親と交渉しなければならなかった子たちも何人かいて、その交渉がどれほど大変だったか、という話も出たらしい。
このエピソードをカオルが面白おかしく話すのを聞いていて、私の方は「ははーっ」とうなってしまったのだ。これを読んでいる日本の方達は、ちょっと焦った方が良いかも(笑)。日本の子供たちが、当然の様に思考停止させて、単なる教科学習、この学習のねらいはこれだから、これさえ理解しておけば大丈夫、と思っている時に、オーストラリアの子供たちは、朝から晩まで地頭を鍛えられているのだ。日本の学校で、1年に1回のプロジェクト学習、とか、そういう頻度ではなく、いついかなる時でも、どんな教科でも、物事の処理能力が試されている。また、オーストラリアの宿題は、「明日までにこれをやっておきなさい」なんて簡単なものではない。ほとんどの宿題は、プロジェクト形式で、大きな提出日だけ決まっていて、あとは自分で時間配分して、自分自身で同時進行のプロジェクトを整理していかなければならない。それが、日々の課題なのだ。
でも、要するにオーストラリアでの子供たちのやっていることは、自分達の、与えられた又は自分で作り出した課題に対して、どの様な手順で、どの様な時間配分で、どの様な資料にあたり、どの程度の力加減でとりくめば良いのか、そういうものを含めた「生きた=社会人になった時に活きる」学習なのである。
私自身がエンジニアとして、要するにサラリーマンとして働いた経験からすると、与えられた課題をきちんとこなすことは、社会人として最低限必要なスキルである。だから、日本の学校教育では、ここが重要視されるのであろう。しかし、実際の仕事の現場を考えてみると、まさかワークブックを日々消化するだけの仕事なんてあるはずもなく、どんな知識、技術、資料が必要かを瞬時に嗅ぎ分け、時間と力配分を考えつつ、自分の仕事を整理することが、実際の仕事においては必要なスキルである。また「トイストーリーのソルジャー」を持っていくという様なセンスは、与えられた課題のみならず、こういうことをすれば、お客様により喜んで頂けるんじゃないか、という様な付加価値を生み出す可能性を秘めている。何より、どんな仕事でも楽しくやろうじゃないか、というメッセージを、子供たちは常に受け取っているのだ。そう、人生は楽しい、と。
Posted by akemi at 23:58 | Comments (2)
2005年01月18日
Usborneの本を読もう!
うちの子たちがハマって(というか、私が気に入って)いる出版社がある。USBORNE(ユズボーン)だ。
Usborne (英)
http://www.usborne.com/
この出版社はイマドキのものではなくって、どうやら80年〜90年代あたりに多く読まれた本らしい。
この出版社の本は、遊び心満載! すぐに気に入って、一気に日本に向けて宣伝したろかと思ったのだけれども、内容がかなり難しい。要するに、こちらの小学生が喜んで読みそうなのだが、とてもじゃないけど、日本の小学生が読めるレベルではない。かといって、中学生なら読めるかというと、よっぽど英語が出来る子でないと、スラスラとは読めないだろうなー、と思う(つまり、語彙力の問題がある)し、スラスラ読める子たちは、結局、言語に興味があるのだから、文学に走るだろう。ということで、日本向けには、市場がなさそうなのだが、それでも紹介したくてたまらない。私は、妹尾河童さんが(小説家としてではなくって、例の「河童の覗いた….」シリーズが)大好きなのだが、そういったテイストがあるのだ。
特にお勧めは、パズルアドベンチャーブックだ。
http://www.usborne.com/puzzle_books/puzzle_adventures/puzzle_adventures.asp
このシリーズは、イラストや文章から謎解きをしていくものなのだが、それが面白くって難しい単語でも必死で読もうという気にさせるものだ。
中身をちらっと見てみたい方はこちら
http://www.usborne.com/sample_pages.asp?Primary=229&PageRange=24-25
この出版社の本は、とても教育的であり(サイエンス系のものも多い)、遊びの要素もあって楽しめると思う。全ての人に勧められるものでもないが、子供向けの英会話教室なんかをやっている人たちは、ちょっと揃えてみても良いのではないかと思う。そのために、安く仕入れるシステムもある様だ。私は、このディスカウントを私的購入にも使えるか(要するにバルクで買うつもりで)という問い合わせをしているのが、返信がない(ということは、使えないのか、やっぱり)。
Usborne books at home(ユズボーンの本を自宅で売りませんか?)
http://www.usborne.com/misc_pages/usbah.asp
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2005年01月16日
私はディレクター
ダンナがG5を買ってからというもの、長年の夢だった「写真の一元管理」が実現しつつある我が家である。
ダンナはiLife(マックのソフト)ってすごいっ、と毎晩喜んで使っている。ダンナはiPhoto専門なのだが、私はiMovie & iDVD専門で、毎日の様に子供たちの映像を撮っては、音楽つけたりテロップ流したりと、深夜にゴソゴソと編集作業にいそしんでいる。目的は、日本に住むおじぃちゃんとおばぁちゃんに、DVD映像を届けるためなのだが、すんごく楽しいのである。時々、自分で作った作品に自ら感動の涙を流しているところをダンナに見つかって、後頭部こつかれたりしているのだが、今回のは傑作だった。というのは、ダンナが子供たちに「自主制作映画をつくれ」なんて注文を出したのがキッカケで、子供たちが悪乗り。私は単なる一カメラマンとして撮影だけをまかされたのだが、役者揃いで結構笑える。悪乗りついでに私は、その短編映画とそのメイキング、およびNG集も作成してしまった。いろんな友人たちのDVDも作成してプレゼントしてあげようかと目論んで、すっかり本職(ERPの学生よっ)忘れそうな勢いで困った困った。でも、カメラを通して見ると、みんなホントに可愛いなー。
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2005年01月11日
いきなり教育ママゴンのあけん
メルベンに来てからというもの、毎日、英語、英語と大騒ぎの私は、子供のことなど全く眼中にないわという感じでここまで来てしまった。
もしも、私の子供が一人だったら、もっと早く自分の失敗に気づいたかもしれないが、なまじっか四人も居るため、何となく、毎日がつつがなく問題なく過ぎていっている様に思えてしまっていた。友達関係も良好、ストレス性の仮病のケの字もなく、毎日喜んで学校に行き、病欠もほとんどなく、という2年を過ごしてきたが、私自身、初めてのんびりと過ごせるホリデーとなり、視線を子供にうつしてみてびっくり。勝手に子供が育つなんて、誰が言ったんや!(私か!)という感じ。
まず、カオルとタツミは完全に漢字力が欠落。カオルに至っては、2年生の漢字をチェックしてみたところ、8割くらい書けない!のだ。ちなみに彼女は小学5年生。どこに2年生の漢字のほとんどを書けない5年生がいるのだ!!(読書好きのカオルは、漢字の読みはすんごく出来るのだが、書けない上に、平気で漢字を創作してしまうっ)タツミは2年生だが、漢字はおろか、カタカナも書けない!! 算数は出来ると思っていたのだが、なんと文章題の日本語が読めてなかった! 日本語の「タチツテト」が、ネイティブの様な、Tの発音になって、正確な日本語の発音が出来ない!!!
その反面、未だに、漢字も算数もすんごくよく出来る本の虫のタカシは、実は英語の文法と単語が全く出来てなかった!!ということが判明。お前、2年もここにいて、meet(会う)の意味がわからない。They is student. なんて文章を平気で書く。冠詞も複数形も、人称も時制も、なーんにも判っていなかったのだぁ〜!!
カオルが日本語補習校の宿題として「ママちゃん大爆発!」という作文を書いている様だが、ある日突然、教育ママゴン宣言をしてしまった私は、子供達4人を前に、人生計画のグラフを書きなぐった。小学生でトップになってもなんぼのもんや、人間の目標は80歳の成功!大人になるために必要なことは、お金の計算と文書の読み書き。後は必要な時に勉強すればよろし。同級生から遅れているなんてことは気にするな。100点とることが何ぼのもんや、でも漢字は書けなあかん。どんな仕事でも、重要なことは書面で記されているから、読めんかったらあかんし、お金の勘定できへんかったら騙される。
ということで、徹底的な漢字の習得に乗り出したのであった。しかし、子供というのは、こんなにも素直に勉強するものなのねー。毎朝、時間だよー、とか言うと、みんな、イソイソと勉強道具を持ってくるのだ。ハッキーも同じテーブルで、彼はハサミちょきちょきの練習などをしている。また、漢字の練習というのは、単なる訓練のものなので、やればやるだけ必ず出来る。タカシは横で、英文法のくそ面白くもない練習問題を解かせられているのだが、毎日やっているうちに、それも着実にこなせる様になってきている。ということで、とりあえず、その子なりの弱点項目をしっかりと克服しつつある夏休みなのであった。
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2004年07月27日
Detention Room
授業が終わって、夕食を家族で一緒に食べられる様になった。いつもちゃんと夕食を準備しておいたつもりだったのだが、カオルに「今日は、まともな食事だよねーっ」と感慨深げに言われた。ショック。
ショックなことはさらに続く。うちのタカシが友達とケンカして、一方的にタカシが悪いということになり(というのは、彼は何か聞かれても全然答えない!!)、明日15分間、隔離部屋(detention room)に入れます、という学校からの電話が何故かダンナの会社にあったらしい。
要はこういうことらしい。普段からちょっかいを出してくるRくんに、今回ばかりはタカシは反撃したらしい。蹴りを入れて腕を噛んだそうだ。それを聞いて全身の血が逆流。タカシは何も理由がなく人を殴る様なヤツではない、とダンナはその時、電話口で言ったそうだが、やはりきっかけは向こうだった。が、だからといって、蹴ってはいけない。横で聞いていたタツミが、「噛んじゃいけないよねーっ」と言っている。タツミ、今日から貴方がタカシのお兄さんになりなさい、と思いつつ、「タカシー、口で言えよ、嫌だからやめろって、ちゃんと言わなきゃいけないのよーっ。手出して、相手が怪我したら、理由はどうであれ、手出した方が悪いことになるの!!!」おまけに相手が一方的にタカシが悪いと言ったときに、彼はそれにagree(同意)してsorryと言ったそうだ。で、一方的に悪いタカシが隔離部屋に入れられる。でも、自分で自分のことをきちんと伝えられなかった、そのことは全面的にタカシが悪い。彼には、長い時間をかけてそれを学んでもらわなきゃ。自分を守ることも大事。反論せずにこのまま過ごせば事は終わると思っているフシがある。冗談じゃねーぞっ、タカシ!!甘ったれんじゃねーっ!!!
という感じで、タカシの前に立ちはだかる私。タカシはへなちょこの性格そのままで、はい、わかりました、と力なく答える。ほんまにわかってんのかいな。
とりあえず、相手のママに電話してみる。相手は泣いてもいなかったらしいから、大怪我で入院、なんてことにはなっていないと思いつつ、日本人的発想なのかもしれないが、とりあえず電話をかけようと思い立つ。彼女は元気よく答えてくれた。「アケミ、それは子供のやったことで、あなたのせいじゃないの。子供って、ケンカするの。そういうものなのよ。タカシ、また、うちの子と遊んでくれるかしら?OK?よかった。」明るい声で彼女はそう言ってくれた。タカシは先生から一枚の白紙の紙をもらってきた。相手の子への手紙を書けと言われたらしい。意図はわからないが、察するに、何も言えないタカシへの配慮だったのかもしれない。先生からの電話も、本当のところはどうだったのか、親御さんから聞いてみてほしい、ということだった様だ。先生も、きっとわかってくださっているのだと思う。理由もなくタカシが、相手につっかかったりすることなんてないと。だけど、それを自分で言える様にならなければ。自分のことは自分で守らなければ。彼は将来、自分の家族も守らなければならないのに。それは男だからじゃなくって、女でも男でも、親になったら、あらゆる面で強く子供たちを守らなければならないのだから。それが強さであり、家族への優しさでもある。
自分のことばかりにかまけていては駄目なんだよ、とお天道様がどこかでおっしゃっているのかなーっ、と思いつつ、それでもやっぱり子供が寝た後は、必死でアサイメントをこなす私であった。でも、子供を見捨てたわけじゃない、そう自分で自分を慰めてもいる。悪いママだよなーっ。本当はわかっているんだけど。
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2004年07月25日
竜田揚げ旋風が吹く
うちの子供たちの通う学校では、うちのファミリーは唯一の純日本人家庭。ということで、彼らの友人たちにとっては、唯一の日本人情報源であったりもする。
我が家の子供たちの友人家庭の間では、「播磨屋さんの大入御やきもち」というのは、一種伝説の様になっていて、それを持っていくたびに、「これがあのウワサの超美味ビスケットねーっ」と感激され、その日のうちに電話がなる。信じられないくらい美味しかった、どこで買ったの、こっちで買えないの、あー、残念。という感じになるのだ。
実は、昨日、学校から帰ってすぐ、うちのカオルは引越してしまう友人のサプライズパーティに呼ばれていた。一人一品ずつ持ち寄りだったのだが、私は例のごとくコンフィギュレーションと授業のため何もできず、近所にある日本食グロッサリー兼テイクアウェイ(テイクアウト)のお店であるオムロ(御室)というお店で、一皿作っていただこうと目論んだ。その辺にあるパック詰めの巻寿司を切って盛り付けてもらったのだが、竜田揚げは、要するにフライドチキンだから受けるかな、と思いつつ、それもパックしてもらった。自分では、お店で竜田揚げを買うことなど一度もなかったので、その味がどうなのかは知るよしもない。が、そんなことはどうでもいいや、とりあえず一品。カオルの友人のリクエストは、ライスボール(おにぎり)であったらしいが、そんな余裕は私にはなかった。
カオルはその寿司&竜田揚げ持参で参加、で、お迎えの時間にそのお宅にお邪魔すると、もう、とにかくあのフライドチキンは何?日本食なの?信じられないくらいに美味しかった、どこで買ったのだ、お店の住所を教えろ、と場内騒然といった感じだった。住所なんてわかんないよーっ、あとで教えてあげるね、と言いつつ帰ろうとすると、奥からパパさんが登場して、アケミ、彼女から聞かれたと思うけど、あのフライドチキンのお店の住所、教えてくれよ、と念をおされた。やっぱり、美味しいに日本食は、日本の方に聞かないとねーっ、という感じだったのだ。やばい、実はその竜田揚げ、私はまだ食べたことがない。カオルに聞いたら、うん、美味しかったよーっ、と言っていた。ママちゃんが作るのより?と聞くと、うーん、おんなじくらいかなーっ、と言っていた。(ママちゃんの作るのより美味しいと同義語)一度、味をチェックしてみないとねーっ。
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2004年06月23日
あけん39歳の誕生日であった。誰も気づかん
大学が休みになったら部屋がきれいになると思い込んでいたダンナは不満を隠しきれない。毎日なにやってんねん、というチェックが入る。おまけに夜は9時に就眠したかと思うと、7時になっても起きてこない私に蹴りを入れたい気持ちもわかる。
お前なー、試験中は俺、協力してやったやろー、子供の面倒みてやったやろーっ、と畳み掛ける様に言い放ったので、こっちは11年間も子供の面倒みてたんやけどーっ、とふんぞり返ってみたが聞いちゃいない模様。正直言って、ダンナにはものすごーく感謝しているのだ。毎週月曜日の夜間の講義の日は早めに帰宅してくれたし、アサイメントでぼろぼろになっているときは、手抜きの夕食を文句を言いつつ食べてくれた。高い学費を出してやった出してやったと毎日言われているが一応払ってくれた。何かというと、「あ、俺にそういう態度とっていいの?????」と来学期の学費の話を持ち出すが、きっと出してくれるだろう(なぜなら先行投資、今後回収できると見込んでいる)。自分のことがひと段落ついたところで、やっとのことで子供に関心が向く。ここに来て、コドモに問題があったと気づき焦るあけん。性格的なことではなくって、お勉強のこと。正直言って、日本語補習校も現地校も、宿題その他を見てあげたことがほとんどなかったのだ。私自身が親に勉強しなさいといわれたこともなければ、親に勉強を見てもらったこともない。私の中には、勉強というのは自分自身のことであるので、人に介入されたくない部分だとも思って、あえて見るべきではいとも思っていた。私は強制されて勉強した経験がまったくないので、いまだに勉強に対するイメージがすこぶる良い。楽しい。この歳になっても勉強は楽しい。だから、私は子供にもそう思ってもらいたかった。上の二人は読書好きで、特に勉強面で問題があるとは思えなかった。もちろん得手不得手はあるだろうが、それも理解できる範囲だと思っていた。で、その下にいるタツミも、もちろん、そんな兄弟にもまれて、同じ様に育っていると思っていた。私は上の子にひらがなやカタカナを教えたことはなかったが、それで困ったことなどなかった。しかし、タツミについては、こちらに来た時期も彼にとっては悪かった(日本語での読み書きを確立していない5歳のときに来た)のだろうが、彼の言語能力が、上の二人とは違っていたのだ、ということにやっと気づいたのだ。完全にセミリンガル状態。私は、彼に関しては、もっと時間を割いて本を読んであげたりとか(上の子たちには読んでなかったのよーっ)、一緒にライティングをしてみるとか、そういう努力が必要なのだと悟ってしまった。それから、教育ママに大変身しつつある。毎夕食後、コドモたちを集めて、宿題やらドリルやらをすることにした。正直言って、タツミはうれしそうだった。でも、やっぱり思うのだ。これやれといわれてやって、楽しいのかなーって。苦しいだけだよな。勉強きらいにならないかな、といろいろと思う。実は彼は文章を書いたりということは苦手なのだが、芸術には才がある。美的感覚が非常に研ぎ澄まされている。色使いも大胆。ジミーちゃんの様だ。絵は本当に大きく力強く、生き生きとした色使いで、すばらしい。コドモたちはいま、ずっと陶芸を習っているのだが、彼の作るものに時々感動して涙流してしまうこともある。すごい才能。でも、国語は苦手。英語のライティングも苦手。文法がめちゃくちゃ。語彙が貧弱。ダンナは、私立お受験させようと思ってやるわけじゃないんだが、読み書きそろばんっていうのは基本やからな、やっぱり大事やろ、という。我が家があまりにも、日本のスタンダードからかけ離れて、異常に野放しであったのは認める。どうみても平成生まれに見えない。昭和初期系とよく言われる。よく言えばたくましい、でも正直言って、ただの野ザルよねーっ。よく私みたいなのから、こんな野ザルでてきたわねーっ、と誰かに責任転嫁させたい衝動にかられる。(そのまんまやんか、という気もしないではない。私も確かにアジアサバイバル系だったもんなーっ)ほんまにコドモって、こんなにも兄弟でいろいろと性格のみならず、能力までも差があるのねーっ。タカシはタカシで、国語めちゃくちゃできる(漢字やことわざ大好きですんごい覚えている)けど、運動神経ゼロ。信じられないほど、運動できない。かたやタツミは走る姿もカッコよすぎ。カオルはカオルで、漢字はもう面倒くさいとひらがなばっかりの作文を書いてくれるが、現地校で折り紙先生として前に出て生徒たちを指導したりということを平気でしてくれる。先生には、英語すんごい上手とほめられまくり。ハッキーは幼稚園で、いっつもランチをお替りしてたらふく食べて帰って来ては、金髪美人には英語、大和撫子には日本語でときっちり使い分けているすごいヒトだけど、ママと一緒じゃないと寝れないというすんごい甘えただし、あぁ、もうバランスとるなんて不可能。私だってこの歳になっても、「何でもかんでもバランスも考えず、ただただ全力疾走」というクセは治らないしなーっ。しゃーないか。
Posted by akemi at 00:25 | Comments (0)
2004年06月01日
「渇望」
日本の子供たちに、今なにが欠けているのか
長い間、子育てエッセイなどを書いてきた。自分なりに書いておきたいことが色々とあった。それは、私にとっては、のどまで出掛かっているのに出てこない何か、わかっているようで、わかっていない、でも絶対答えはあるのだ、というものを探す旅でもあった。今、私はメルボルンで大学院生として苦しい時間を過ごしている。やらなければならないことは山積み。でもこれだけは書いておかないと。そう、私なりの答えを見つけたのだと。
長い間の私の命題はこれだ。中学しか卒業していない私の両親が、あれほどまでに逞しく、そして地頭の良さを見ケることができたのは何故か。どこでそういう物の考え方を習得したのか。日本の学校教育では得られないものなのだろうか。そして、戦後の日本は、本当にゼロからの出発だったにもかかわらず、優秀な創業者がどんどん出て(それも高学歴な人ではなく)、世界に名だたる会社になったのは何故か。今現在、高学歴時代になったにもかかわらず、政治も社会もめちゃくちゃになっていったのは何故か。司馬遼太郎氏の命題、昔の日本人は立派だったのに、どこで日本人はおかしくなったのか、ということも気になることだった。なにが欠けているのか。教育制度なのか、人間の価値観なのか。なにより、子供がおかしくなっているのは何故か。
モンテッソーリもシュタイナーも、何故か違うと思っていた。何故か表面的な美しさばかりを見てしまって、私の求める解はここにはないと思ってしまった。ビジネスについても方法論を先に見るのがイヤだった。何故か"現場叩き上げ"みたいな感覚を信じたかった。私が知りたかったのは、自分を成長させる(それこそが教育の目的であると思っているのだが)ために必要なものは何かということだった。美しい環境なのか、愛情豊かな人間関係だろうか、満ち足りた知育玩具なのだろうか。
その全てが違う、人間を成長させるには、この一つだけがあればいいのだ、ということがわかったのは、ほぼ1年ほど前のことだった。メルボルンに来て、うちの子供たちのとった行動が、私にとっては信じられないほどのショックと感動を与えたのだ。
ご存知の通り、うちの子供たちはABCも読めない書けない知らない、という状況の中で現地の公立小学校にぶち込まれてしまった。オーストラリアでは、もちろん日本のテレビ番組が放映されているわけではない。子供たちは、学校に行っても、何も判らない。家に帰ってきて、テレビを見てもわからない。好奇心旺盛な3年生、1年生、幼稚園年長、という年頃の子供たちは、知識を習得したくてウズウズしているにもかかわらず、インプットが全くないという状態が数週間続いたであろうか。その間、私は庭で遊ぶ子供たちを見て、のびのびしていていいわね、とは思っていたが、彼らの知的欲求が満たされていないということを知る由もなかった。
本当に私は何も気づいていなかった。彼らが自分たちの部屋で深夜に何をしていたのか、ということを。寝不足が続いているなということだけはわかったのだが、何をしているのか、と思って部屋に入ってみて驚いた。カオルもタカシも、国語辞典を読んでいたのだ!
聞いてみると、既に家の中にあった本で読めるものは、何度も何度も読んでしまって、もう読むものがないから、国語辞典を1頁ずつめくっては読んでいたというのだ! 私はうちの子供たちが、これほど読書好きだとは思ったこともなかったので、家にはそれほどの蔵書があるわけではない。それを知ったダンナが、日本から数冊本を取り寄せてくれたのだが、それが届いた日のことは、一生忘れられない。
学校から帰ってきた子供たちは、テーブルに新しい本が積まれているのを発見して、最初に手にしたその格好のまま、数時間をそこで過ごしてしまった。タカシに至っては、靴はいたまま、帽子かぶったまま、カバン背負ったまま、そして立ったままでずっと読みふけっていた。その数冊を二人で交互に読んでいたかと思っていたら、今度はカオルが涙をポロポロ流してこう言ったのだ。
「もったいない。どうしよう、全部読んじゃったー」
彼女はしばらく、「もったいない、もったいない」と大騒ぎだった。その本も、当然のことながら、そこから数日間何度も読まれていったのは言うまでもない。その後、船便も届き、本やら算数ドリルやらも届いた。子供たちは狂喜乱舞、そして、貴重なドリルを数時間で一冊まるまる回答してしまったのだ! そこで、私は激怒!「なんてもったいないことするのー!」この勿体ないというのは、ドリル1冊を一日でやっちゃうなー、ということと、下の兄弟が使える様に、直接書き込むなー!!ということであった。それ以来、我が家では、ドリルをするのにコピーをとってからというルールができ、しかも、我が家ではコピー代A4一枚につき10セントとっているので、彼らは私のところに、ドリルをもってきて、しかも自腹を切ってコピー代を支払わなければ、ドリルができないことになっている。それでも、彼らは私にお願いに来るのだ。
子供たちの目にする本は、たとえば、ことわざだったり、四字熟語だったり、ということもある。そのせいで、メルボルンに居ながら、妙に難しい日本語を知っていたりするのだ。それから、何冊も本が届く様になっても、何度も何度も読み直す習慣は変わらず、カオルに至っては、私の料理の本なども、読みつくしている。面白いのは、時々、お友達から「こどもチャレンジ」などの教材本を頂いたりするのだが、ママさん向けの小冊子に至るまで読みつくしている。
私は彼らの姿に、とっても感動したのだ。人間っていうのは、ここまで知的欲求というものが備わっているんだな、と思ったのだ。だが、私が日本にいたとき、たとえば本が大好き、という子供さんを何人か見たが、それでも、ここまで何度も何度も同じ本を読みこんでいる人は見たことなかった。そこで、私は、あっと気づいたのだった。今の日本に足りないもの、それは、「渇望」ではないかと。全て何となく、物理的に満たされていて、何でも手に届くところにあって、ちょっと欲しいなと思えば手に入る。渇望と呼ばれるほどの欲求になる前に、全てが与えられてしまう。自分が今、なにがほしいのか。自分にないものはなにか、そういうものに対する感覚が、なくなっているんじゃないかと思ったのだ。
戦後の人たちの心の中は、渇望だらけであっただろう。自分にはないものばかりだった。夜中に涙で枕を濡らすほどに欲しい何かがあったのだ。そこがエネルギーになったのだろう。一般的に言われる「ハングリー精神」というものかもしれない。ただ、その欲しいものが、目に見える何か、ゲームソフトが欲しいとか、自転車が欲しいとか、そういうものではなくって、自分の内面にない何かに対する、強烈な欲求が、常識では考えられない様なエネルギーを生み出し、自分の持てる力全てを総動員することが出来る様になるのではないだろうか。
毎日学校に行けば、先生がこちらの欲求にかかわらず、丁寧に色々と教えてくださる。どんどん先回りして、色々なものが用意されている。自分でエネルギーを絞り出すほどの欲求なんて、持てるはずもない。色々な細かい物欲だけはどんどん増幅していって、それも簡単に充足される。ものを与えられても得られない満足感。とことんまで渇望したことがないから、自分の感情の深さがわからなくても無理はないだろう。自分で自分がわからなくなる。何をしたいかわからない。
私も同じ様なものだった。主婦としてこの10年を生きて、自分がやりたいことがわからなかった。焦る気持ちばかりが募る。子供を4人生んで、毎日忙しくすごして、経済的には恵まれていて、でもどうして良いのかわからなかった。何かが足りない、でもそれが渇望になるほどの欲求ではなかったのだ。それが、メルボルンに来て、毎日をポロポロと泣いて過ごして、英語を自由に操れる人になれたら、どんなに素晴らしいかと思う様になっていった。そうして思い出した昔の幻影。英語の世界でビジネスをする自分の姿を想像して、涙がまたポロポロと流れた。七転八倒するほどに手に入れたい自分の姿。普通に考えたらマトモな話ではないとわかっていても、猛烈になりたい自分を見つけてしまった。1年前は、多分一度も受けたけたことはないが、TOEICだったら400点くらいしか取れてなかっただろう私が、今は大学院生だ。私を突き動かしたもの、子供たちを動かしたものは、頭の中に大きく広がった「渇望」のエネルギーだったに他ならない。
だから、私は今の日本の教育の議論の中で、「子供たちになにを与えるか(教えるか)」という話をするよりも、与えないことによって「気づく何か」について考えてみるのも一案かもしれないと思っている。
私は、子供たちのゴールが有名校に入学することだ、とは一度も思ったことがない。とにかく、どうやってでも生きていかなきゃいけない。学校で何点とるかとか、私には全く関心のないことだ。ただただ思うことは、自分が必要と認めたときに、エネルギーを傾けてそれをやり遂げる、その力だけは備えて欲しいのだ。大学行かなくってもいい。だけど、私みたいに、40近くなって、必要と認めたら、周りがどうだとか、年食っているだとか、自分に言い訳せずに、苦しくともやってみることができれば、生きていけるだろう、と思うのだ。
具体的な方法論のアイデアが私にあるわけではない。だが、今の日本の子供たちの歪みは、「渇望」といえるほどの強烈な自分に対する欲求を、一度も感じることなく成長することにあるのではないか、そういう気がする。渇望。そう、人間には、自分を成長させたいという渇望が、誰にでも備わっているはずなのに、ある程度の物欲を満たされていることで、気づくチャンスを失っているのではないか。それが、私が10年かかって考えたことの、一つの解であった。ここで、私の子育てエッセイは、一段落させようと思う。これからは、ちょっと自分の専門分野のことについて、考えていきたいと思っている。
長い間、お付き合い頂き、ありがとうございました!
Posted by akemi at 18:42 | Comments (2) | TrackBack
2004年05月19日
アロマなミスト
起床が夜中の12時という生活にも慣れた。朝6時からは普通のママさんと同じく忙しい朝の風景が待っているのだ。
バタバタと家中を走り回り、朝ごはん食べなさーいっ、ランチボックス入れなさーいっ、制服着替えなさーいっ、靴はいて車乗ってーっ、と叫びながら、あちこちに散らばっている服を拾い集めて洗濯機に突っ込む。ちょっとのヒマをみつけて朝から掃除機もかける。あー、私、着替えてない、お化粧してない、と気づいてバタバタと自分の身支度。子供たちを送って、家に戻る。リンゴ一個と自分のランチボックスをカバンにつめる。ミルクたっぷりコーヒーをドリンクボトルに詰める。完璧。
これまたいつもと同じ様に、何故か駅まで走ってしまう。十分に間に合う時間でもだ。駅について電車待ちの時間にもリーディングとハイライトペン片手にリンゴをかじる。これが私の朝食。電車の中でもひたすらリーディング。時々ポストイットも貼ったり、ペンで書き込んだりと忙しい。
気づいたらフリンダースストリート駅。
あわてて資料をカバンにつっこみ、電車からあわただしく降りる。走る。何故かいつも走ってしまう私。ホームから改札までの地下通路にさしかかった時に、あーっ!!今日は水曜日だったんだー、と気づく。遅い、遅すぎる。いつものことなのに、何故か忘れてしまう。今日は水曜日。稲垣吾郎ちゃんの日なのに!
私が稲垣吾郎ちゃんと呼ぶその人は、いつも水曜日の朝に、駅地下でアコーディオンを演奏している。この場所は、常にアマチュアミュージシャンの誰かが演奏する場所として有名なのだが、この水曜日だけは、いつもと違う雰囲気が漂う。そのアコーディオンを奏でる稲垣クンは、アメリカとかそういうパーっとした国の人ではなく、多分、落ち着いたヨーロッパの方の出身の人ではないかと思うのだが、彼の奏でるアコーディオンがたまらなく切ない音色を奏でているのだ。彼はリッチマンではないのだろうが、いつもきちんとした服装をしている。コーデュロイのジャケットを脱ぐこともせず、通りすがる人たちに視線を合わせることなく、ただただそこでアコーディオンを演奏しているのだ。
彼は、ミュージシャンというよりアーティストで、世俗のどーたらこーたらとは関係のなく、まさに数百年前からそこにいるんではないかという様な、普遍的な芸術家としての美しさを保っているのだ。簡単に言ってしまえば、私はその稲垣クンの大ファンなのであるが、ファンとして、何とか彼の音楽を評価していると告げたいのだが、それを示す方法は一つしかない、ドネーション(お金)だ。彼の周辺には、いくらかの小銭があつまっている。もちろん、そのためにあそこで演奏しているのだと思う。だから、いくらかでもお渡ししたいなと思う。しかし、しかしだ。私は常に忙しくして、何振りかまわずリンゴ齧りながらペンとリーディングと戦い、バタバタしつつ通りすぎる毎日で、小銭を用意している精神的時間的余裕がない。彼の前で立ち止まって、お財布を取り出せば良いのだろうが、何故かそれができない。
私も彼に視線を合わせない様に、全身耳になったかの様に、私ももてる感覚器官全てを彼の方向に集中させつつ、その場を通り過ぎる。周りに居るメルベンの人たちの様に、今日もいつもと同じ様に、私は特に何も変わらず、といった風に彼の横を通りすぎる。でも心のでは必死で、いつでも涙が出そうになるのをこらえながら地下から地上への階段を上がる。目の前に広がるメルベンシティのスクランブル交差点。いつもの様に元気よくかけぬける。来週こそと思う。でも毎週何もできないでいる。
大学で勉強していると、だんだんと頭の中がドライアップしていくのがわかる。もともとウェットな性格の私は、その乾いていく感覚が快感でたまらない。いまにもパキパキと音をたてそうなくらい乾いている思考空間が、水曜日の朝だけは、なぜか香りを伴ったミストでうめつくされていく様な感覚に陥る。大学につくころには、いつもの乾きを取り戻す程度の湿り気なのだが、時々、あちら側にいる人たちに対して(ビジネスをする人たちとは、また違うベクトルにあるのだが)、何とも言えない渇望感を抱いてしまうことも少なくない。
私は人一倍、ウェットな感受性を持っていると自分でわかっているので、外界と一線を隠すほどのエネルギーでもって芸術する人たちに引き寄せられてはならないのだ、と小さい頃から自分自身にブレーキをかけてきた。実は映画も見れない。映画を見たら、どんな映画でもフラフラになってしまう。現実との区別がつかなくなって実生活に支障をきたすほどに感情に影響を与えてしまうのだ。小説の類も大学生の時から読むのをやめた。「20歳の原点」(小説ではないが)を読んでフラフラになって自分でもダメだと思ったのだ。それ以来、ビジネス書などを読むことはあっても、小説はぜんぜん読んでいない。
以前、教育に関するメールマガジンを発行していたことがあった。月1回で当時はずっと続けたいと思っていた。休刊したのはこのフラフラが原因なのだ。毎回毎回、色んな人にインタビューを試みた。MDに録音して編集、発行、というプロセスを経るのだが、その編集の段階で、どんどんとフラフラになっていってしまうのだ。相手の言っていることの意味がわからない、これはどういうことなのか、もっと深い意味があるのではないか、と思いだして、自分の中で消化できなくなってきてしまった。消化できないうちに次のインタビューにとりかかれない、でも知りたい、あの言葉の本当の意味を、と一日中四六時中何をしても考えてしまう。実生活に支障、リタイヤ。最悪。私はやはり書くことを自分の生業にはできない、と結論を出した。だから今、パキパキと乾ききったビジネスやらITの世界で、その中においてのウェットな部分を引き受ける覚悟ができたのだ。芸術家や文筆家ほどにはどっぷりと深みにはまれない(ビジネスというのは、常に現実との兼ね合いがベースであるからして)、しかし、その中の人間の軋轢やら拒否感やらを直視することに対してポジティブでいられるのだ。そして、ビジネスの世界でも時々得られる「感動」みたいなものを、もう一度感じてみたいと心底思うのだ。周りを感動させるほどの仕事を、いつの日かできるようになるのかなぁ。
Posted by akemi at 00:17 | Comments (0) | TrackBack
2004年02月21日
楽しかった夏
うちのカオルは日本では全く泳げないコだった。習い事に興味のないママは、子供をスイミングに通わせるなどという発想もなかった。かといって、子供4人連れて毎日の様にプールに連れて行くこともできなかった。私自身が、学校の水泳指導だけで泳げる様になったので、カオルだって、そのうち泳げる様になるだろうと思っていたのだ。
しかし現実は厳しいものだった。ほとんどの子供がスイミングに通っているということは、泳げない子なんて皆無で、小学校1年生から、いきなり当然の様にクロールでスイスイ泳ぎまわるクラスメートを横目に、顔を水につけることさえできなかった彼女は、プールのある日は朝からメソメソとして、完全にコンプレックスの塊と化していた。 ところが、縁あってプールつきの家に住むことになり(しかも深い)、毎日の様に水でジャボジャボやっているうちに、うちの子供たちはみんな、人魚の様に素潜りの名人になっていってしまった。メルベンですごす二度目の夏の現在、毎日の様にお友達が遊びに来ては、みんなでドボン、バッシャーンと庭で大騒ぎ、そんな姿を横目で見ながら、私は今日も入学前の不安を払拭できる材料はないかと、ネットサーフィンばかりしている。アメリカの大学院に留学している方の日記などを読んでは、「あぁ、この人は少なくとも私の数倍も英語力があるから何とかなっているのだ」と落ち込むばかり。その間に音読でもやればいいのに。自分ではわかっているのに。自信というのは、地道な訓練に裏打ちされて初めて獲得できるものなのだから。 でも、そんな夏も、そろそろ終わりかな。3月に入れば、子供たちにも負担を強いることになる。週に1回は夜間に講義がある。土曜日の何日かは、一日中大学に行きっ放しだ。今まで土曜校のお友達と遊ぶのを楽しみにしていた子供たちは、それも出来なくなってしまうのだ。ダンナの出張と重なれば、ベビーシッターさんにお願いしなければならず、その経済的負担も相当なものだ。それでも、今始めなければ、私は絶対後悔する。その後悔を、子供やダンナのせいにしたくない。この一年は、自分にプラスになると信じて、周りの迷惑帰りみず、ゴーしてしまう私がいた。
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2004年02月19日
隠れた流行
実家の親から送られてきた荷物の中にボンタンアメがあった。「わぁっ、懐かしいねーっ」とつぶやくタカシ。あんた一体、何歳やねんっ! それとともに、注文してあったハイチュウも届く。
オーストラリアでは、お弁当とおやつの時間があるので、そのおやつの時間のために、ボンタンアメを入れてみた。案の定、コドモたちは、オージーのクラスメートにお裾分けしてみた様なのだが、これが、意外な大ヒットとなったのだ。 「Vが、ワンボックス欲しいって言ってるからいい?」 タツミのクラスメートの男の子が一箱まるまる欲しいと言っているらしい。ふうん、オージーも、この手の味が好きなのね。ということは‥ 「皆さーん、今日はハイチュウです。みんなに分けてあげてねーっ」 とマーケティングリサーチを依頼する。当然、全員二つ返事でオッケー。いいわねー、朝からノリノリの我が家。 学校にお迎えに行くや否や、タツミの友達が近づいて来た。例のボンタンアメファンの彼だ。 「ボク、ハイチュウの方が好き」 ををを、ボンタンアメ一箱プレゼントしたところなのに、実はハイチュウファンでもあったのか!! そして、これは他の二人のクラスでもファンが急増中らしい。明日も絶対、ハイチュウ持って来て、と頼まれるカオル。未だにおにぎり(ライスボール)をランチに沢山持っていく(ライスボールファンも多い)。そして、ハイチュウはどこで買えるのか?と聞かれたらしい。アジアングロッサリーに行けばどこでも買えるよーっ、ここから一番近いところだったら、東京デリかなーっ、とお返事。 先日は、月曜日のケーキラッフル(子供たちが一枚20セントで買う宝くじの様なもの。学校の資金集めの一環なのだけど、ママの有志が順番で色々なケーキを焼いて、それを賞品として提供するのだ)に、「播磨屋さんの大入豆焼餅」を提供したところ、とっても喜ばれた。これは、オージーに大うけ! 去年、公園に置き忘れたサッカーボールを届けて下さった殊勝な方に、この焼餅をお裾分けしたところ、数日後にお電話を頂いたのだ。あのライスクラッカーは、どこで買ったの?もう、信じられない位、美味しかった! というお話だったのだ。でしょー! ということで、オーストラリアへのお土産を考えている方は、日本の高級煎餅(播磨屋さんとか、もち吉さんとか)や、ハイチュウ系がウケると思いますよっ。
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2003年02月01日
落第という素晴らしいシステム
最初に子供たちが小学校に入った時、それぞれの子供たちの担任の先生は、それはそれは素晴らしいベテランの先生ばかりだった。
公立の小学校といっても、学校によって先生の質にバラツキがあって、若くて経験の少ない先生がごろごろいる学校もある中、うちの子供たちの行っている学校は、その地域でも良い先生がそろっているという評判の学校であった。
特にタツミの担任の先生は、ものすごい強烈な個性を持っている先生だった。大柄のおばぁちゃん先生で、話すときは、大きな低い声で、ゆっくりと話をして下さるのだが、初めて見た時には、そのあまりの個性に、「プ激bプの先生のイメージと違う」と思ったものだ。日本的な感覚で言うと、まだ幼稚園児にあたる子供の先生は、子供たちが声をかけやすい様な優しい雰囲気がただよう様な先生の方がいいのじゃないかなー、なんて思ったりもした。しかし、私はどんどんとその先生の魅力にとりつかれて行った。
私の予想とは裏腹に、内弁慶のタツミがあまりその先生を怖がらなかったのも意外だった。彼女はいつでも自分の周りを自分の雰囲気で満たし、いつでも大げさなジョークで周りを爆笑させた。私もその先生のジョークに涙を流して大笑いしたこともあった。あぁ、もうこの先生大好き!私もどんどんとその先生に夢中になっていった。
ある日、たまたま時間があってプレップの教室をのぞいた時に、先生が中に入れて下さった。彼女は、タツミが一日どのように過ごしているかを詳細に私に伝えた後、クラスの子供たちが書いた作文の山を私に見せてこう言われた。「他の子供たちは、一年かけて、今はこの作文を書けるまでになっている。タツミはまだ、入ってきて間もないから、これはとっても難しいと思う。それで、私は来年もタツミをこのプレップに置こうと思っているのだが、アケミはどう思う?」
いきなり本題をつきつけられた様に感じて戸惑ったのだが、正直言って、ABCも書けないタツミが、このままグレード1に上がれるとは思っていなかった。私は先生に、私たち夫婦も同じことを考えていたので、宜しくお願いします、と伝えてその日は帰った。
後になってよくよく考えてみると、ちょっとタツミが可哀想にも思えてきた。仲良くなった友達は全て1年生になり、自分だけ再度プレップに残る。土曜日に行っている日本語補習校の方では、4月になれば一年生になるのだから、現地校では、とりあえずちょっと英語に慣れれば良いよね、もう一度プレップの方が彼のためよね、と軽く考えようとしても、私自身生まれて初めて遭遇する「落第」に、多少ためらわずにはいられなかった。
新年度になって、タツミは約束通り、プレップに置かれた。大好きだった先生は、突然、退職されていた。(またいつか書きたいと思うのだが、オーストラリアの小学校は、常に財政難で、その先生も、ベテランの自分が退くことで、新年度の予算案をクリアにしたかったのではないか、私は今でもそう思っているのだが)その大好きだった先生の置き土産が、この「落第」なんだと何故か思えた。だから、絶対にタツミには落第がプラスに働くのだ、そう信じられた。
そして、新しく入ってきた子供たちと共に、タツミの新年度が始まった。勿論字が読めない子がほとんどで、自分のカバンをかける位置を示す名札さえも読めず、どこにカバンを置いてよいかわからない子供たちだらけだった。そして、そんな中で、学校内のことを少しばかり知っている彼は、ちょっぴりお兄さん気分だったのだろう。新年度を迎えて4ケ月経た今、彼は、絵を描くのも、字を書くのも読むのも、ミックンとっても上手なんだよ、と自信をつけはじめたのだ。3月生まれの彼は、親から見ると、とても運動能力も発達しているし、頭も悪くないとは思うのだが、字を読めなかったり書けなかったりということもあり、同じ学年の子供たちに比べて、自分はいつでもオシリからくっついていくばかりだと思い込んでいた彼が、すっかりお兄さんきどりで、色々なことに自信をつけている。それを見て、あぁ、やはりタツミは、落第して良かったのだと心から思う様になった。
オーストラリアでは落第は、あまり珍しいことではないらしい。また、あえてリーダーシップを学ばせたいという理由で、親が一学年落として入学させる、なんてこともあるらしい。何でもかんでも横並び、いや実際は、横並びの中で自分の子供だけがちょっぴり上位に居るくらいの位置を心地よく感じる日本的発想とは、完全にベクトルが違う。先日ニュースで、日本にも飛び級や、5歳児から入学を許可する様な議論がなされているというのを知ったのだが、そのコメントで、「日本は横並び意識が強いので、5歳から入学を受け入れると、全員が5歳で入学しようとするのではないか」というのがあって、私は笑ってしまった。ありえることだ。でも実際は、落第することで、自信をつけたタツミの例もある。
周りの親がどう反応するかを子供は見ている。私がもしも、落第して恥ずかしい、と言いまわっていたら、タツミは逆に自信をなくしたかもしれない。でも、私もダンナもタツミに、「良かったね、ABCから丁寧に教えてもらえるんだよ」と喜んだし、カオルなんかは、「いいなー、私だって最初から教えてもらいたい。カオちゃん、大変なんだよ」と言ってくれた。それを聞いて、タツミは自分は本当にラッキーだと思った様だった。落第させてくれて、先生、どうもありがとう!
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2002年12月20日
リーダー(本の音読)
オーストラリアの教育は、それぞれの子供たちの個性を尊重している、とよく言われるのだが、それがどうやって実現できるのか、日本の教育を受けてきた私にとっては、一番興味のある部分であった。
まず最初に驚いたのは、うちのタカシとカオルが、コンバインドクラス(違う学年の子供たちを一緒のクラスにする)に入ったことだった。最初のうちは気がつかなかったのだが、クラスの名前を表す数字、例えばタカシは 1/2Aで、カオルは3/4Tというクラスの意味がよくわからなかった。後になって、それが学年を意味するのだとわかり、当時1年生だったタカシは2年生と合同のクラスに、カオルは4年カと合同のクラスに入っていたことになる。
そこで思ったのは、算数とかはどうやっているのだろうか、ということだった。そろそろ学校にも慣れてきたかな、と思ったある日、タカシが英語で掛け算をとなえているのを聞いて驚いた。日本では小学校1年生で九九はやらない。なのに、彼は、2×12=24、なんてのを英語で言っているのだ!じょ、冗談じゃないわよー、のんびりとオーストラリアでチンタラやればいいわ、と思ったにもかかわらず、ここに来て、一年生のタカシに九九のフォローをやらなきゃいけないのぉー?
頭の中がパニックになりそうになったその日、今度はカオルが持ち帰って来た宿題に、今度は頭が爆発しそうになった。算数。しかも、全てが文章題。もちろん、英語。私は今までの人生で一度もお目にかかったことのない様な英単語を前にして、これをカオルがやるのは不可能だと思った。誰よー、算数は日本が一番進んでて、海外でたら皆、優等生よー、なんて言ったのはー!!!
しかし、タカシの先生は、私に告げた。貴方の子供はインテリジェントだ。どんどん与えれば、どんどん吸収する。だから、私は彼にどんどんと課題を与えているのだ、と。
それを聞いて、私はちょっと待って、と思ったのだ。私は、うちの子には、無理な勉強をさせようと思っていない。好奇心は育てたい。でも上から、これをやりなさいと押し付けられて、それはどうかと思ったのだ。そして、それは算数だけではなかった。
オーストラリアの小学校の子供たちは、毎日「リーダー」と呼ばれる宿題の本を持ち帰る。プレップの時から始まり、最初はママさんに読んでもらっているのだが、そのうちに自分で読む様になる。その持ち帰る本は、その子の読む力によって、レベルが違う。カオルの個人面談の時に先生に、平均的な4年生の読むリーダーのレベルを聞いたところ、先生は、「トップクラスの子供は、これを読んでいる。多くの子供は、このあたりのレベルの本を読んでいる」と教えてくださった。トップの子と平均の子には、ものすごい差があった。本の厚さも全く違った。
リーダーの宿題のやり方はこうだ。フォルダに本のリストが貼り付けてあって、そのリストに書かれてある本の何冊か(通常は、1〜3冊)を持ち帰る。毎日読む度に、家庭でママさんが、そのリストにチェックを入れていく。各レベルの本を順次読んでいくのだが、時々、先生と一緒に読んで、先生が本の内容について質問をして、子供がそれに答えていくと、先生がそれを聞いて、この子はこのレベルをクリアしたと思うと、次のレベルのリーダーが渡されていくのだ。
教育熱心な先生にあたってしまったタカシのリーダーは、私が思わず同情してしまうほど、大変なものであった。毎日の様に4冊くらいの本がどんどん渡されていく。彼は疑うことも知らず、それを毎日毎日読み続けていった。そんなある日、他のクラスの先生が私にこう告げた。「タカシ、すっごいがんばっているのよ。担任の先生に聞いてみなさい」それを聞いて、私は、そんなにがんばらせてどうするのだ、と少々懐疑的になっていった。先生の期待は嬉しいが、彼はそれに応えるのに素直すぎる。
ほどなく彼のリーダーのレベルがどんどん上がって行った。各レベルも、数冊読めば、2段飛ばしで次のレベルに移る、という様になってしまった。実は、彼は学校で一言も英語で話そうとしないらしい。カオルもタツミも友達とそれなりに話をしている様なのに。しかし、そんなタカシだが、リーディング能力だけは、どんどん伸びて行ってしまった。
それを見て、私は色々と考えた。私の手の内にいれば、タカシはのんびりと出来たかもしれない。でも、未だに本もろくに読めずにいただろう。多少、彼は背伸びをしていたかもしれない。しかし、この子はそれに応えると見抜いた先生の眼力を、私は感謝しなければならないと思った。私では見抜けなかった。少なくとも、今では、私は彼のリーダーのお守りをすることはなくなった。彼が毎日自分でどんどん読める様になったからだ。
タカシの担任の先生は、例えば彼が読むことに興味も覚えず、習得に時間がかかりそうだと思えば、それはそれで、ゆっくりとした時間を与えてくれただろうと思う。しかし、能力があると思った子供は、その旬の時期に、どんどんと与えましょうという考え方を知って、あぁ、これが日本の教育に欠けている部分なのだな、と思ったのだ。落ちこぼれがいないのは結構だが、やる気のある子をどんどん伸ばそう、そういう発想を、日本の学校で感じたことは一度もなかった。
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2002年12月18日
音楽の授業はダンシングクイーン
日本の様なキッチリとした時間割表を学校からもらうということはないのだが、とりあえず、音楽は何曜日、というくらいは決まっている。
例えば二番目のタカシの学年では、火曜日が音楽で、水曜日がリコーダーということが決まっているので、水曜日だけは欠かさずリコーダーと楽譜のプリントを入れるためのクリアファイルをカバンに入れていく。
学校の校庭にある別棟(ここは学童保育の部屋も兼ねている)で音楽の授業が行われるのだが、ここには特別にピアノがおいてあるわけではない。歌を歌ったりするときは、市販のカセットテープをかけて、それに合わせてフうだけらしい。
初めて音楽の授業の様子を知ったのは、いつもよりも15分ほど早めに学校についた時だった。別棟から流れてくる音楽を聴いて、まさかとは思ったが、それがまさしく小学生の音楽の授業だったらしい。近所中に聞こえわたるほどの大きな子供たちの声。聞こえてくるのは、ABBAのダンシングクイーンだ!それもオリジナルのカセットをガンガンにかけているので、完全にここはディスコかーっ、というノリである。久しぶりに聞くABBAの曲(私も中学生くらいの頃かしら?はまったよなーっ)に、私の心はかき乱されていた。なんなのー、この子たち、まったく楽しそうだわねーっ!!私も乱入したろうかいな、と思うほど子供たちはノリまくっていて、いかにも楽しそうな風景であった。
授業が終わって別棟から走り出てくる子供たちの中にタカシがいた。彼もダンシングクィーンを歌ったのであろうか???
後からカオルに聞くと、当然の様に言う。「え?ママちゃん、ダンシングクィーン知ってるの?こっちの子ってロックンロール好きだもんねーっ!」ちょっとロックンロールとは違う気がするが、これがまさにオーストラリアの音楽の授業そのものなのだ。
他にも「Sing! 2003」というCDと楽譜が市販されているのだが、それを使って授業が行われることも多いらしい。この楽譜集、カオルにせがまれて買ってしまったのだが、教科書のないオーストラリアでは、この本は学校に据え置かれていて、音楽の授業の時になると、生徒が一冊ずつ手にとって、CDに合わせて歌うらしい。中にはいくつかお気に入りの曲があって、私もCDを聞いて驚いたのだが、本当に曲にバラエティがあって、ノリノリの曲から、どうやって歌うのー?と思う様なヘンな曲までいろいろだ。何やら敷居が低くて楽しそうで良い授業だなー、といつも思う。
ところで、オーストラリアの学校にも月曜日には朝礼があって、その日だけは、低学年もすべて高学年棟にあるホールに集合する。日本の朝礼では、炎天下にじーと立たされたまま、面白くもない先生の話を延々聞かせられる、という思い出があったが、こちらでは、先生の話はそれほど長くなくて、子供たちの表彰(表彰された子供たちは前に出て一言ずつ感想を言わなければならない)があったり、生徒たちの演奏を聞いたりと、あくまでも主役は生徒達だ。また立って話を聞くこともなく、子供たちは、時には神妙な顔つきで話に聞き入ったりしたかと思うと、場内が沸き返る様なシーンも時々ある。そこで必ず全員が歌うのが、国歌である「アドバンス オーストラリア フェアー」である。実はラグビーの試合を見に行った時にも、試合前にこの曲が流れたのだが、元気よく歌っているなー、と思ったら、うちの子供たちの声で、死ぬほど驚いたことがある。国歌を意気揚々と歌えるオーストラリアの子供たちが羨ましい。
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2002年12月17日
Newsletter
日本の学校であると、小学校通信の様なものにあたるのが、Newsletterだ。
平均すると月に2〜3回ほど持ち帰ってくるのだが、一般的なお知らせ(各種イベントなど)や、過去のイベントの写真、その際の子供たちの感想文、PTA関連のニュース(選挙、資金稼ぎのためのイベントの告知、お手伝い募集)、また、習い事などの広告も入ることが多い。A4両面印刷で、6〜10枚つづりのことが多い。
その中でも特筆すべきは、
STUDENT OF THE WEEK AWARD
というコーナーだ。子供たちが、本当に色々なことで評価されている。そして、彼らは毎週月曜日のアセンブリ(朝礼)の時に全校生徒の前で表彰さ黷驍フだが、その内容がすごい。これほどまでにほめる言葉にバラエティがあるとは!とこちらも感心させられるほどなのだ。例えばタカシが転入してきた時に、本当にタカシの力になって、いつも面倒をみてくれた男の子は、彼のフレンドシップを表彰された。それ以外にも、ものすごい集中力を発揮した、などから、コンピューターを使ってすばらしいリサーチをした、とかもう色々!下に具体例をあげてみると、
For great participation in class discussions
For beautiful Han
dwriting
For fantastic Maths
For effective use of Maths Strategies
For enthusiastic written responses during science activities
For being a responsible class member
For speedy automatic number response
また、これ以上に素晴らしいのは、表彰された子供たちを見る周りの目だ。みんな、嫉妬のかけらもなく、「良かったねーっ」という雰囲気だ。もし、この表彰を日本でやったりすると、「あんたもがんばんなきゃ、○○ちゃんだって表彰されてるんだし」などと言って子供にハッパをかけたり、こんなことで表彰して、うちの子は何故表彰されないのだ!とクレームをつけてくる輩が出てきそうだ。
他人の存在を認め、評価する、ということが、決して自分をおとしめることにならないということを身をもって知っているのがオージーなのだろう。人それぞれ資質も志向も違い、それは人間の上下を決める基準では決してない。なにが出来る、なにが出来ない、ではなく、自分の求めるイメージ(理想像)を追いかける前向きの姿勢が、人間として評価すべきものなのである、オーストラリアの子供たちは、それを漫然と知っている様に思える。
カオルが転入して2ケ月を過ぎた頃だった。彼女が細々とやっていたESLのワークブックを一人で終わらせて先生に持っていたところ、先生が大声で「素晴らしい!カオル」と叫んだそうだ。そしてクラス全員に向かって、「カオルがこのワークブックを終わらせたんだよ!」と伝えたところ、クラス中の子供たちがかけよって、「見せて!見せて!」と詰め寄られて、口々にすごいだのエクセレントだの言ってくれたらしい。
カオルのやっているワークブックなどは、オージーの子供たちにしてみれば、幼稚園児のそれ程度のものだ。それなのに、みんなが自分のことの様に喜んでくれたのを見て、カオルはきっと驚いたに違いない。なんて、この人たちは。他人のことでこんなに喜べるのか!そして、それを聞いて、ちょっとホロリときてしまったのだ。
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2002年12月15日
小学校の一日
日本の学校と違って、オーストラリアの小学校では、親が送り迎えをしなければならない。
プレップ(幼稚園年長さん)から6年生までが一律で、9時始まりで3時半下校となっている。学期(ターム)の終了日のみ、下校が2時半と一時間早くなる場合を除き、この時間が変わることはない。
学期は4学期制で、約2ケ月余につき2週間の休みがあるという感じだ。特に学年の変わる年末年始は、1ケ月半くらいの休みとなる。親は大変だが、2ケ月過ぎたら2週間の休みがある、というのは、子供にとっては非常に良いサイクルなのではないかと思う。特にうちの子供たちは、慣れない環境に入って、2ケ月で本格的な休みがあったフで、うまい具合に骨休みができたのではないかと思う。
朝は9時に始業ベルが鳴る。それまでは校庭で遊んでいるが、カバンだけは指定の場所に並べておく。私はいつも低学年棟に子供たちを連れていくので、高学年のことはわからないが、そこでは2〜3分、教頭先生や主任の先生によるお知らせがあったりして、それから各教室に並んで入っていく。カバンと帽子を教室外のフックにかけて、それから教室に入る。最初はフロアー(床)といって、先生の前の床に全員が座り、今日の予定を聞くらしい。そして、それぞれの課題にとりかかるといった具合だ。
1、2時間目が終わり、スナックタイムとなる。この時間は果物、スナック、サラダ、ヨーグルトなど、もう何でもオッケーなのだが、食べ物をほおばりながら遊ぶ時間で、それが終わると、3、4時間目となる。
昼食時間は5分ほどしかなく、それから約1時間の本格的な外遊びタイムとなるが、帽子とサンスクリーン(紫外線予防クリーム)は必須。帽子がなければ外遊びは禁止。皮膚がん予防の教育は徹底している様だ。
午後の授業のあと、お帰りとなる。
ウワサには聞いていたが、テキストはなく(ちなみに、私が行っている語学学校にもテキストはない。新聞読んだり、それぞれが図書館で借りてきた本を使ったりするのだ!)、きっちりとした時間割もない(いや、本当はあるらしいんだけど、水曜日が音楽、金曜日が図書館、という程度のものだと子供たちは言っている。それも時々変わったりするらしい。)だから、休んだ日の授業を取り返すのが大変、なんて聞いたことがない。(もちろん、休み中にゴールドコーストに行っていて、そのまま学校を2週間休んだ、なんて言ってももちろん問題ない。おまけに家族で旅行をするのは、良い経験だとポジティブに受け止めてもらえる。そりゃそうだよなーっ!!ちなみにゴールドコーストに行ったのは、我が家ではなく、カオルのクラスのCちゃんなのだけど!)
ただ、これは公立だからなのかもしれない。というのは、駐在員子女のほとんどが私立学校を選択するらしいが、ある私立学校では、ちゃんとテキストもあれば、それぞれの子供に辞書も持たせないといけないらしいし、また宿題も、日本のドリルの様なものを使うらしい。うちの子供たちは、辞書を使うにも、学校据え置きの共通の辞書を使ってよいことになっているので、個人の辞書を持ち込む必要もない。その上に、先日カオルの個人面談に行ったときに彼女の机の中をのぞくと、見知らぬ「和英辞典」なんかがあったので先生に聞いてみると、「他のクラスの先生が貸して下さった」らしい。どうもライティングの時に使っているらしい。知らなかった。彼女、ライティングもやっているのねーっ!!
カオルに言わせると、日本の学校は9割が勉強、1割が給食と遊びだけど、オーストラリアの学校は、半分勉強、半分遊び、という感じがするらしい。勉強の時間でも、作業が中心で、一方的に先生のレクチャーを受けるのみ、というスタイルではないので、あまり机に縛り付けられている印象がない。この「机に向かっている」ことがイコール「勉強」なのだという思い込みが、教育においては、他の日本のママさんに比べて多少はアバンギャルドを自認する私の中にも根強く残っていたのを思い知らさせたことがあった。それは、あるオーストラリアのママさんとの教育論争がきっかけであった。
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2002年12月10日
ESLの授業
後になってわかったことなのだが、通常の学校のESLの授業というのは、週に1回1時間程度のものらしい。
うちの子供たちの学校はESLの量、質ともに別格であった。毎週木曜日、9時から3時半まで、休み時間を除く全ての授業がESLにあてられていた。おまけにESLの生徒は全部で5人。そのうちの3人が我が家の子供たちである。
先生はESLの専門の先生でノウハウはあるし、教材も使い放題、毎週出る宿題の量もハンパではなかったが(最初のうちは、みんな泣いていたなーっ。半年たった今では、宿題もより易しく感じられる様になった!!)、子供たちは、この木曜日を一番楽しみにしていた。カオルは毎日ErLの授業を受けたいと言っていたほどだ。
3ケ月経ち、学年末となった。それぞれの子供たちが学校から成績レポートを持ち帰った。その中に、ESLの成績レポートも含まれていて、その詳細なレポートを見て、私は絶句した。日本のどの学校の先生が、これほどまで一人一人に対して詳細なレポートを書けるというのか!特に高学年にあたるカオルのESLレポートなんて、A4版11枚にも及ぶもので(フォーマットがあって、それに記述していくものであるのだが、どういう質問に対してどう返答があったか、わかっている単語はどれか、など)彼女の英語力の現状を知るには、十分すぎるほどのものであった。
毎週持ち帰ってくる宿題を、私はとても興味深く見ていた。毎回アルファベット一文字をフォーカスして、例えば、初日は「b」のつく単語が、イラストとともに並べられていて、それを真似してスペルを書いていくのだ。最初のうちは、それこそ、ABCの順番もわからず、どれがAで、どれが大文字なのか、全く区別のつかなかった子供たちが、ABCの歌を平気で歌い、私が教える間もなくアルファベットも覚え、知らない間に学校のスペリングテストで、ときどき満点もとるのよーっ、と平気で言う様になってしまった。
半年経って、それこそ私が教える間もなく、子供たちはLとRの発音も完璧になり、thやvなんかも、ちゃんと舌が出てたり、下唇かんだりする様になったのである。現地校に入れたママさん達が一様に言う、「子供を現地校に放り込んだだけで、英語がべらべらしゃべれる様になるわけではない」という台詞を、その通りだと思いつつ、うちの子供たちは、ママちゃんが忙しいために、なかなか宿題も見てもらえず、それぞれ兄弟間で教えあって、何とか乗り越えていた様だ。もちろん、今現在、英語がべらべらになっているとは程遠い。しかし、少なくとも発音においては、私が彼らに教えることなど不可能となったほど(だって、もう子供の方が上手なんだもん!!)、目を見張る様な英語の上達ぶりは、ESLの授業のおかげとしか言い様がない。
公立で、ほんとに授業料はフリーで、こちらとしては申し訳ないほどなのだが、なんと今度は来学期から、毎週金曜日にも別のESLの先生が来てくれる様になるらしい。まぁ、うちの子供たちの出来が悪いから予算がついたのかしら?(そこのところの理由は定かではないが)、とにかく、木曜日のESLの先生からは、「あなた達はなんてラッキーなの!」と言われてしまうほどの、手厚い指導体制であることは否めない。だって相変らずESLの生徒は5人だけなのだから。ほとんどプライベートティーチャーよねっ。
あの時、学校を選ぶのをあきらめないで良かった!しかし、問題ももちろんある。学校でずっと英語漬けの子供たちの、家での日本語がちょっとずつおかしくなってきたのだ。昨日は、カオルが、「これ食べていい?」と飲み物をさして言ったのには、腰をぬかしそうになった。ええ??ちょ、ちょっとそれって問題じゃない??やはり、母国語はきちんと話せねば。これは、また、別の悩みとなりそうだ!
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2002年10月20日
現地校初日!
素晴らしい校長先生に感激して、翌日から当然の様に子供たちが学校に行くことになった。
始業時間の9時に校長室に行くと、うちの3人の子供たちは、それぞれの教室へと導かれて行った。私もそれぞれの教室をのぞきに行ったあと、コンピュータールームや図書館などを案内してもらった。その後は、3時半にお迎えに来てくださいと言われて、私は学校を後にした。ABCもわからないのに現地校に入れられてしまった子供たちが不憫でならなかった。私だったら耐えられない。泣き叫んで登校拒否してしまう。それなのに、子供たちは、それが避けられない道だと知っているかの様に、素直に学校に吸い込まれて行った。9時から3梍シまで、それぞれのクラスで、それぞれの子供たちがどう過ごすのか、それを考えると、こっちが泣きたくなってしまった。
もちろん、私が選んで大丈夫だと思った学校だ。校長先生の計らいで、それぞれ、本当に素晴らしい先生のクラスに入れて頂いた。子供好きでベテランの先生方。私は一目見て、それぞれの三人の先生が尊敬に値する素晴らしい先生だと心から思えた。でも、やっぱり英語だからコミュニケーションがとれるわけがない。家探しで涙を流した私は、大人の私でも大変な道なのに、どうして子供が易々と超えられようか、と心配でたまらなかった。
その日、私はどこでどう過ごしたのか、全く記憶にない。言われるままに3時半に低学年棟に迎えに行くと、高学年棟に居たカオルを先生が連れて来てくださった。子供たちは3人とも、信じられない様な笑顔を見せていて、私が帰宅を促そうとしても、校庭の遊具でいつまでも遊びたいと言い張った。早速、お友達をつくって一緒に遊んでたりしたのには、腰を抜かしそうになった。どうやって明日から連れて行こう、登校拒否には、どうやって対処しよう、色々と思いをめぐらせていたのだが、当の本人たちは、拍子抜けするほどに、エンジョイしていたらしい。
それぞれの先生が、私を見つけてはあれこれ話しかけてくださった。私には理解できたことも、理解できなかったこともあったが、とにかく私たちファミリーを受け入れて下さっているのだという雰囲気だけは私にもわかった。心底ありがたいと思った。そして、早速、私にもママさん友達が出来てしまった。240名ほどの小さな学校。お迎えに行くママさんも、みんな顔見知りという感じだ。子供たちが通っていた公立の幼稚園のお迎え風景の様だ。それぞれのママさん、おじぃちゃん、おばぁちゃんなどが校庭で立ち話をしたり、先生に相談を持ちかけたり、なかなか明るい雰囲気だ。
そして、意外なことがわかった。この学校は、私がずっと探し続けていた、そう「日本人のぜんぜんいない学校」だったのである。一人、ママさんが日本人の女の子がいたのだが、彼女は子供たちとは違う学年であり、我が家の子供たちは、それぞれのクラスで、たった一人の日本人として奮闘しなければならなくなったのである。それなのに何故、子供たちの笑顔が明るかったのか!言葉もわからず、子供たちはどうやって一日を過ごしたのか!子供をこんなシビアな環境にぶちこんでおきながらも、それが不思議でならなかった。そして、カオルは今日一日のことを話してくれた。
あのね、今日ね学校行ったらね、もう何もわからないじゃない。そしたらね、お友達がね、もうバーッと私の前にやってきて、全部説明してくれるの。私、英語わからないじゃない。そうするとね、身振り手振りで教えてくれるの。私、今日一日一瞬も一人になれないくらい、お友達に取り囲まれちゃって、カオちゃん今日一日で人気者になっちゃった!
どうやら物珍しさも手伝って、みんながあれこれ世話をやいてくれたらしい。校長先生によると、お土産に持っていた折り紙を、カオルがみんなに教えていたらしい(どうやって???)。ははーっ、恐れ入った!この日以来、私は我が家の子供たちを尊敬せずにはいられなくなった。だって、私だったら、絶対乗り越えられないであろう高い壁を、いとも簡単に子供たちは越えてしまったのだから。
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2002年10月18日
ESLのある学校ってどこ?
■英語学習編「初めての英語圏!そして...」で書いた様に、家探しに奔走して、疲れ切っていた私は、子供の小学校選びにエネルギーを注げずにいた。
日本人の比較的多い地域に住み、ESLのある小学校へ自動的に入学する。もう、それで良いじゃないか。私がかたくなに「日本人のいない学校!」と言っていても、それは私のエゴでしかないかもしれない。日本人がいても良いじゃないか。そんな感じになっていた。
3学期が始まる初日、入学願書をネットからダウンロードして、エクセルにインプットして、プリントアウトしたものと、パスポートを持って、小学校に行った。今まで家のことに全く手を貸してくれなかったダンナが、私のことを可哀想だと思ったのか、「今日、会社遅れて行ってもかまわないから、ついていってやるよ」と言ってくれた。私はすっかり気が大きくなって、スーツなどを着こんで小学校へと向かった。そして、事務室で願書を提出した途端、とんでもないことが発覚したのである。
うちの家は、その小学校の学区外(実に数十メートルの差!)であり、しかも700名に迫る生徒数があり、完全に定員を超えているので、入学できないということがわかった。そして、あなたの学区ではこちらの学校よ、と紹介された学校に、そのまま向かうこととなった。
いいかげん、早く学校を決めてもらいたいと思っている子供たちは、「え?ここじゃないの?」と不安を隠しきれない。そして、紹介された学校に着いて、私は愕然とした。イメージがまるで違う。その学校も大規模校で、しかもESLなんてないと言うじゃないかー!ダンナはユニフォームはどこで買うのか、と色々と校長先生と話てくれてはいたが、私はもう呆然となって、何も聞き取れなかった。あれほどまでに、苦労して色々な小学校を訪ね歩いて、その結果がこの学校なのか。(その学校の名誉のために言っておくと、決して悪い学校ではないし、校長先生もナイスガイだったのだが、大規模校でESLがない。家からも意外に遠いと、外国人の私たちが通うには、ベストな学校とは思えなかっただけなのだ)
家に帰ってきて落胆を隠せないでいる私にダンナが言った。「もう、今まで3ケ月くらい子供たちは待ってきたんだ。一日二日学校が決まるのが遅れても大して影響はない。だから、今日一日じっくり考えて答えを出してくれ。俺はもう会社へ行く」
またまた家が決まって落ち着いたかの様に見えた私だったが、再び涙をぼとぼととこぼすことになってしまった。私の持てる力を全て出し切って探し出した学校があそこなのかしら?本当に?これで私は納得できる?子供たちが登校拒否をした時に、自信を持って子供を送り出せるかしら?
でも後悔はしたくない。まだ私にはやるべきことがあるはずだ。今は空きがないと言われている私立の学校でも、来年度になれば空きができるかもしれない。コリンウッドというところに英語を専門に教える公立の小学校があるから、子供たちをそこに半年ほど入れて、私はその間に学校を探そうかな。
そう思い、そのコリンウッドの語学学校に電話を入れてみた。すると校長先生は、「こちらの学校に来られる?それともあなたの家に近い学校が良い?」と聞いて来られたのだ。え???うちに近いところに語学学校なんてあったのかしら?と思いつつ、ブライトンなんですけれど、と言うと、彼女は、ある一つの小学校を紹介してくれた。そして彼女は続けた。多分、あなた方のファミリーにとっては、こちらより、家に近いその小学校がベストだと思うわよ。
私はあわててインターネットに接続して、その学校の情報を探した。ホームページもあった。生徒数は240名ほど。表紙のページにあった
Accreditation to host International Students, enquiries most welcome
の文章に涙がこぼれた。ここは絶対入れてくれる。すぐに電話をかけてみた。上品な女性の声がした。そして、私は事情を説明して入学させてもらえるか、とにかく見学させてもらえるか、と問い合わせたところ、二つ返事でOKがもらえた。丁寧な話し振り。こちらにあわせてゆっくりとシンプルな言葉で話してくれたおかげで、彼女の言っていることがパーフェクトにわかった。有難かった。見てはいないが、ここに決めたと心底思った。翌日の2時にアポをとり、私は入学願書の手助けになるかと思い、前述の学校用に用意したエクセル文書を出力するなど、準備におわれた。
まだ車を購入していなかったので、子供4人連れて、電車とトラムを乗り継いで最寄の駅まで行った。そこから10分ほど歩いたのだが、私の心は決まっていた。この通学路、落ち着いた住宅街の雰囲気。緑の色。そして到着した学校は、レンガ造りの小さな落ち着いた学校で、もう、夢に見たんじゃないかと思うほどに、「オーストラリアの自由な公立小学校」のイメージぴったりで、その場で子供たちに大声で叫んだ。
みんな、学校決まったよ、ここの学校に入るの。ママちゃん、もうめちゃくちゃ気に入っちゃった!
私の落ち込みをすぐに悟るカオルは、ママちゃんの顔に笑顔が戻ったのを見て安心した様だった。世話のやけるママちゃんでごめんねっ。
そして電話の主は、実はその学校の校長先生であると知り、また、手続きもてきぱきと、私のつたない英語の質問にもわかりやすく回答してくださるなど、もう涙がちょちょぎれる様な丁寧な対応で、私もすっかり舞い上がっていた。「いつから来られます?うちはいつでも大丈夫です」という質問に、「明日からでも大丈夫ですか?」と即答したのは、もう長い間休み続けた子供たちに、余計な時間はいらないと思ったからだった。
そして突然学校が決まり、その翌日に学校へ通うことになった。もう、ぜーんぶ私が決めちゃったもんねーっ!自信満々でダンナに報告すると、私が以前の元気を取り戻しているのに安心したらしく、「まぁ、あけんがいいと言うならいい学校なんだろう」ということで一件落着。
翌日から9時登校3時半下校、というオーストラリアの学校での生活が待っていた。
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2002年09月20日
公立?それとも私立?
第一子であったカオルを幼稚園に通わせることになった時、私の幼稚園選びは、かなり安易なものだった。
公園で出会った、私と価値観の似てそうなママさんたちの勧める幼稚園に決めたときは、他のしつけ系幼稚園、親へのサービス過剰な幼稚園に比べて、比較的「のびのび系でお弁当持参」だったところが気に入ったのだった。園庭は他の幼稚園よりも広く、特に何がどうとか考えるヒマもなく、願書提出の行列に並び、面接を経て、入園の許可が出たときには、ほっとしたものだった。
実際にカオルが泣き出すまで、私は幼稚園のことを何も知らなかった。のびのび幼稚園とセわれていたのは数年前までのこと。カオルが通った年は、2年保育の入園希望者を全員合格させたために、園舎が手狭になり、一クラス40人超のクラスに入れられて、外遊びの時間は、ものの5分(すべり台を一週したら終わり)という状態になっていた。先生との価値観も全く違う。とにかく自立を声高にかかげるけれども、子供への愛情をみじんも感じない先生に憤りを感じた。子供を取り戻すのだという意気込みで、退園させて、それから幼稚園選びに奔走した日々。でも、そのお陰で、もう今思い出してもすばらしいと思える公立の幼稚園に出会えた。信頼して子供を送り出せるという幸せ。幼稚園、園長先生、担任の先生、保健の先生までもが、すべてパーフェクトな環境だった。そのときに感じたことは、
1、親は、自分が考える教育観を踏まえて、幼稚園や学校を、持てる能力を全て使って選び出し
2、価値観を同じくする信頼できる先生に子供を預け、またそのとき、心のそこから、この場所は、うちの子にとって素晴らしい場所だという思いを持ち続けているという環境の上で
3、もし子供が行きたくないと泣き出しても、自信を持って送り出せるし、きちんと説得できるという確固たる姿勢を貫いていれば
4、親の価値観を踏襲してしまう子供には、自分にはよくわからないが、きっとここはポジティブな場所なのだというイメージが伝わり、先生も信頼することができる様になっていく
というプロセスが大事だということだった。価値観の違う先生のところに子供を送り出す不安、やり切れなさ。もう、そんな思いはしたくない。だから、とにかく、私は自分の持てる能力全てを出し切って、子供の学校を探すのだ、そのためにダンナと時期を同じくしてメルベンにわたってきたのだ、という思いを強く持っていた。実際、カオルが小学校に行くときも、学区制がなんだ、と色々な学校を見学してまわり、校長先生にも時間を割いて頂いて価値観が似ていて、本当に尊敬できる方だと思った学校に、子供を入れることに注力したのだ。A4版2枚にしたためた理由書を添えて教育委員会学事課に行き、越境の手続きをしたりすることも、私にとっては苦にならないことであった。後で後悔して、また、カオルの涙を見たくない。それだけを思いながら。
越境して入った小学校は、公立の学校ながらモデル校であったこともあって、ユニークな学校であった。校舎の造りも開放的で素晴らしかった。そして特筆すべきは、外国籍の子供たちが、カオルのクラスには1割ほどいたことであった。
中でも1年生の時に韓国から転校してきたKくんは、最初は日本語がほとんど話せなかったのだが、週のうち数時間授業を抜けて、他の「日本語の授業」を受けに行ったりしながら、だんだんと日本語を習得して、クラスの人気者になっていったのを、カオルは間近で見ている。そしてカオルはその男の子のことが大好きで、最初は言葉が通じなくてもオープンな彼の人柄は子供たちの心をつかんでいったのを、自分の友達関係の中で体験しているのである。高学年にさしかかろうとしている微妙な年齢のカオルのことを思うと、現地校はどうかと思ったりもしたが、彼女には、「Kくんの成功体験」を見続けていた経緯がある。彼女にとっては、英語圏の学校にぶち込まれる私は、日本の学校にぶち込まれてしまったKくんと重ね合わせて考えても不思議ではない。そして、彼女は意外にも落ち着いていた。
そして、そのKくんのママさんとメルベン出発前に話をしたのだが(余談だが、この時は同じクラスの他の韓国のママさん3人も一緒だったのよー。いいでしょー、国際色豊か〜!!私も時々韓国語を話してご満悦!)、そのママさんに「公立と私立とどっちがいいかな」なんて相談を持ちかけてみた。彼女は子供を日本の公立に入れてよかったと思っていて、お友達と遊んだり、色々な経験が出来るのは公立の方だ。だから公立が良い、という話をしてくれた。そして彼女は続けた。
「私はね、カオルちゃんは、最初は大変だと思うんだけど、日本人が全くいない学校に入れた方が良いと思う。最初の6ケ月、親子ともども苦しいし、ほんとに大変なんだけど、それを過ぎたら、本当に語学も伸びるのよっ!もし日本人が多い学校に入ったら、その日本人に、カオルちゃんは言葉だけじゃなくって、色々な面で頼ってしまうことになるかもしれない。それは、とっても良くないことなのよ。それに、日本人同士でかたまって行動していたんじゃ、何のためにオーストラリアに行ったのか、わからなくなるじゃない。カオルちゃんはね、絶対大丈夫だから、とにかく貴女は日本人の一人もいない様な学校を探して探して探しまくってあげて。」
彼女の言葉には説得力があった。彼女自身努力家で、日本語も日本のラジオ講座の韓国語講座で勉強したというのだ。その中には、日本語のナチュラルな表現がいっぱい載っていて、しかも韓国語訳(!)もあり、日本人の言いたい表現が韓国語で書かれているので、日本人の言い回しなど、韓国で買った日本語学習の本よりも、役に立ったと言うくらいの人で(もう、彼女の日本語は発音にいたるまでパーフェクト!)、彼女の子供であるKくんが前述の通り、日本で素晴らしい成長を見せているのを知っているだけに、彼女の言葉には経験者にしかわからない重みがある様に思えた。だから、これは学校選びの大きなポイントにすべきなのだ、と実感した。
そしてこちらに来てみて日本の人から、「ちょっと消極的なタイプは私立、雑草の様に育てたかったら公立」という話があるというのを聞いて、
あ、やっぱりうちの子は公立タイプね(学費も安いし)
と決断したのであった。
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2002年09月15日
日本人学校?それとも現地校?
私は、自分自身小さい頃に、習い事が少なく、毎日遊んでばかりの生活を送っていたせいで、子供の習い事には、あまり関心がなかった。
だから日本で子供に英会話レッスンを受けさせるなどという発想もゼロであった。特に語学については、本人のモチベーションが大事なことと、あと、大人になってからでも習得できるものだから、子供のうちは「母国語をきっちりと身につける」ということにフォーカスすべし、という自論もあった。母国語で深く考えられないことを、まさか第二外国語で出来るはずがないという気持ちが強く、8歳、6歳、5歳という学齢期、しかも低学年の子供たちが3人もいる我が家としては、まず母国語の確立を第一に考えたいと思っていた。
インターネットでメルボルン日本人学校を閲覧してみた。美しい校舎の写真を見て、うっとりとなっていた。小数先鋭。日本でも受けられなかった小クラスの授業を思い、私の子供たちは、ここでストレスなしに授業を受けていけるのねー。これだったら、登校拒否なんかもなさそうだし、私は英語の学習に専念できるわぁ〜!!そんな、うっとりの私に釘を刺す奴がいた。ダンナだ!
「あけん、何言ってんねん。うちの子は現地校に入れる。」
「達ちゃん、何血迷ってんねん。うちの子、英語なんてしゃべれへんで」
「お前なぁ、こんなチャンス滅多にないで!日本の教育受けんで済むっていうのに、何考えてんねん。ドアホ。オーストラリアに行ってまで、なんで日本の生活を引きずらなあかんねんっ」
「だって、達ちゃん。子供にとっては母国語の確立が大事だって、いっつも言ってるやん。週1回英語レッスンに子供を通わせるのなんて、ナンセンスだって言ってるやん!!」
「あのな、オーストラリアの教育を受けられることの方が、いろんな人間がいて、いろんな考え方があって、せせこましい日本人的な考え方やない人がいっぱいいるところで育つ方が、よっぽど子供の教育にはええで。そら、オーストラリアの教育を日本語で受けることができるんやったら、それがベストや。そやけど、そんなん、ないやんか!英語の習得が目的ではないけど、話せて邪魔なもんでもない。それよりも、オーストラリアの教育で得られるものの方が、ずっと多いと俺は思う。よって、オーストラリアの現地校の情報収集をしなさい。以上」
と言い放って会社に行ってしまったのである。私は、私自身が小さい時に引っ込みじあんで、消極的な子供だったから、転校するだけでも震え上がりそうなのに、しかも言葉が全く通じないところに子供をぶちこんで、子供がノイローゼにならないわけがない!そんなストレスを子供に与えて良いものなのか!おまけに子供が登校拒否にでもなろうもんなら、私の英語学習計画も頓挫してしまうではないかー(と、かなりエゴ)!
それから図書館に行って、オーストラリア関係の本、とりわけ教育に関するものを片っ端から借りてきた。そして、子供にもそろそろ伝えないといけない、と考えはじめた。しかし、何故、自分たちは日本人学校に入れないのか、という疑問にも答えなければいけない。私たちに、その答えはあるが、子供たちが理解できるかどうかは、わからなかった。そして、私は最終的にこう子供たちに伝えた。
「あのね、日本人学校は私立なのよーっ。うちさー、子供が4人もいるから、私立は無理だよねーっ。だって、すっごい、一年間に何百万もかかるのを、3人も行くんだよーっ。そんなとこいけるわけないよねーっ。だから、うちは、日本にいるときと一緒で、公立の現地校に行くしかないのよ。あー、残念ねーっ。うち4人も産んじゃったもんねぇ〜!!」
予てから、子供4人というのは、食費もかかるし、他の家よりも、おやつ代だって2倍くらいかかっているし、というのを体感している子供たちは、「うーん、私立は不可能だよねーっ」という感じで妙に納得している様子。
それでも現地校で不適応を起こした場合、日本人学校への転校も勿論念頭に入れてある。そのための手続きのための書類も、日本で通っていた学校からもらっておいた。後期の教科書も手に入れて、子供が黄信号を出して無理だったら、日本人学校もある、それでもダメだったら自宅学習もある、それもうまくいかなかったら、日本に戻るということも考えた(たぶん、ダンナは考えてなかったと思うが)。種々の可能性を頭の中にリストアップして、その対応法もイメージトレーニングしてみた。とりあえず、トライしてみなければならない。
オーストラリア関連の書籍によると、オーストラリアは移民の国であるからして、大抵どこの学校にもESL(English as second language 英語を第二外国語として学ぶための)授業を持っているらしいということがわかった。それほど移民が多いのと思うと気持ちも和らいできた。何とかなりそうにも思えてきた。
そして日本人学校の生徒数と、日本語補習校(土曜日に日本の国語と算数を補習する学校。主に現地校に通う日本人の子供たちが通う学校)の生徒数を比べてみて驚いた。信じられないことに、圧倒的に現地校に通う子が多いではないか!!ということは、英語を話せない日本人であっても、現地校に通って、何とかやっている人が、これほどに多いわけだから、うちの子だって大丈夫なんじゃないかしら、と思えてきた。
メルベンに着いて、家が決まった時、あぁ、これで子供たちの学校も決まったな、そう考えていた。特に私たちが住んでいるブライトンというサバーブは、日本人が多く住む地域でもあり、どの学校に行ってもESLがありそうだった。見学に行った時も日本人らしき子供を何人も見かけたので、家探しに疲れ果てた私は、もう学校は、あの日本人が多そうな学校でいいわ、そう思い始めていた。私の最初の意気込みは、家探しのストレスで消え去ってしまっていたのである。
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