2007年12月08日
PISA 2006
とうとう出ましたねーっ。結果の概要はこちら。
その他詳細情報のダウンロードリンク等はこちら。
特筆すべき(?)と勝手に思っているのは、独自のリーディング指数「リード指数」を導入した韓国(あけんのエントリ参照)が読解力でトップに躍進。
のきなみ順位を落とす日本、相変わらずぶっちぎりの香港などなど。サイエンスの詳細な分析を見ていると、日本の教育の偏向っぶりが伺えてしまう。
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2006年08月27日
10,030,000円
我が家計の瞬間最大風速は2015年に吹く。
この年、ストレートに行けば、3人の大学生と1人の高校生が我が家に居る。
教育費をExcelで概算してみたところ、全員公立に行けた場合であれば、その教育費はその年約500万円。私立または海外を含めて親元を離れてということになれば、年間の負担額はおよそ
1003万円です。
さらりと書いてみました。食費入っておりません、もちろん。
この年をピンポイントに見れば何とかなりますが、前後の年もすごいでございます。最低で350万円、最高で700万円というオーダーでございます。もちろん、医学系は却下(というか目指せるレベルになくって逆に良かったわいっ(笑))。留学もアメリカは(経済的に)アウトでございます。行くならもっと安い国があるやろが。私のコドモが奨学金頂ける程優秀であるわけないだろうなーっ。
ということで我が家計に余裕はございません。
貯金できるものは1円でも多く貯金しとうございます。
よって、我が家では、
塾や家庭教師禁止令。
が出ております。一社までの通信教育のみ許可中。
さて、現在私立に通う4名のコドモたち。
今年度からハッキーが大学を卒業する(はずの)2021年までの教育費概算は、総額最低でも3690万。最大で
7186万円
再度さらりと書いてみました。
誰が払うんでしょうかーっ。
家計簿をレビューしてみたところ、毎月の食費は外食費込みで4000ドルから7000ドルの間で推移。平均5000ドル(7万5千円)といったところ。気持ちとしてはもうこれを絞る気はなく、それよりも自宅で仕事をしている関係上、一日中オンであるエアコン&5台のマシンと周辺機器を含めた電気代を見直す必要があるのみ、って本音では見直せない。
もちろん教育費以外にもいろいろとお金はかかることでありましょう。
まっ、明るくいきまっしょ(笑)。
Posted by akemi at 07:31 | Comments (2)
2004年06月01日
「渇望」
日本の子供たちに、今なにが欠けているのか
長い間、子育てエッセイなどを書いてきた。自分なりに書いておきたいことが色々とあった。それは、私にとっては、のどまで出掛かっているのに出てこない何か、わかっているようで、わかっていない、でも絶対答えはあるのだ、というものを探す旅でもあった。今、私はメルボルンで大学院生として苦しい時間を過ごしている。やらなければならないことは山積み。でもこれだけは書いておかないと。そう、私なりの答えを見つけたのだと。
長い間の私の命題はこれだ。中学しか卒業していない私の両親が、あれほどまでに逞しく、そして地頭の良さを見ケることができたのは何故か。どこでそういう物の考え方を習得したのか。日本の学校教育では得られないものなのだろうか。そして、戦後の日本は、本当にゼロからの出発だったにもかかわらず、優秀な創業者がどんどん出て(それも高学歴な人ではなく)、世界に名だたる会社になったのは何故か。今現在、高学歴時代になったにもかかわらず、政治も社会もめちゃくちゃになっていったのは何故か。司馬遼太郎氏の命題、昔の日本人は立派だったのに、どこで日本人はおかしくなったのか、ということも気になることだった。なにが欠けているのか。教育制度なのか、人間の価値観なのか。なにより、子供がおかしくなっているのは何故か。
モンテッソーリもシュタイナーも、何故か違うと思っていた。何故か表面的な美しさばかりを見てしまって、私の求める解はここにはないと思ってしまった。ビジネスについても方法論を先に見るのがイヤだった。何故か"現場叩き上げ"みたいな感覚を信じたかった。私が知りたかったのは、自分を成長させる(それこそが教育の目的であると思っているのだが)ために必要なものは何かということだった。美しい環境なのか、愛情豊かな人間関係だろうか、満ち足りた知育玩具なのだろうか。
その全てが違う、人間を成長させるには、この一つだけがあればいいのだ、ということがわかったのは、ほぼ1年ほど前のことだった。メルボルンに来て、うちの子供たちのとった行動が、私にとっては信じられないほどのショックと感動を与えたのだ。
ご存知の通り、うちの子供たちはABCも読めない書けない知らない、という状況の中で現地の公立小学校にぶち込まれてしまった。オーストラリアでは、もちろん日本のテレビ番組が放映されているわけではない。子供たちは、学校に行っても、何も判らない。家に帰ってきて、テレビを見てもわからない。好奇心旺盛な3年生、1年生、幼稚園年長、という年頃の子供たちは、知識を習得したくてウズウズしているにもかかわらず、インプットが全くないという状態が数週間続いたであろうか。その間、私は庭で遊ぶ子供たちを見て、のびのびしていていいわね、とは思っていたが、彼らの知的欲求が満たされていないということを知る由もなかった。
本当に私は何も気づいていなかった。彼らが自分たちの部屋で深夜に何をしていたのか、ということを。寝不足が続いているなということだけはわかったのだが、何をしているのか、と思って部屋に入ってみて驚いた。カオルもタカシも、国語辞典を読んでいたのだ!
聞いてみると、既に家の中にあった本で読めるものは、何度も何度も読んでしまって、もう読むものがないから、国語辞典を1頁ずつめくっては読んでいたというのだ! 私はうちの子供たちが、これほど読書好きだとは思ったこともなかったので、家にはそれほどの蔵書があるわけではない。それを知ったダンナが、日本から数冊本を取り寄せてくれたのだが、それが届いた日のことは、一生忘れられない。
学校から帰ってきた子供たちは、テーブルに新しい本が積まれているのを発見して、最初に手にしたその格好のまま、数時間をそこで過ごしてしまった。タカシに至っては、靴はいたまま、帽子かぶったまま、カバン背負ったまま、そして立ったままでずっと読みふけっていた。その数冊を二人で交互に読んでいたかと思っていたら、今度はカオルが涙をポロポロ流してこう言ったのだ。
「もったいない。どうしよう、全部読んじゃったー」
彼女はしばらく、「もったいない、もったいない」と大騒ぎだった。その本も、当然のことながら、そこから数日間何度も読まれていったのは言うまでもない。その後、船便も届き、本やら算数ドリルやらも届いた。子供たちは狂喜乱舞、そして、貴重なドリルを数時間で一冊まるまる回答してしまったのだ! そこで、私は激怒!「なんてもったいないことするのー!」この勿体ないというのは、ドリル1冊を一日でやっちゃうなー、ということと、下の兄弟が使える様に、直接書き込むなー!!ということであった。それ以来、我が家では、ドリルをするのにコピーをとってからというルールができ、しかも、我が家ではコピー代A4一枚につき10セントとっているので、彼らは私のところに、ドリルをもってきて、しかも自腹を切ってコピー代を支払わなければ、ドリルができないことになっている。それでも、彼らは私にお願いに来るのだ。
子供たちの目にする本は、たとえば、ことわざだったり、四字熟語だったり、ということもある。そのせいで、メルボルンに居ながら、妙に難しい日本語を知っていたりするのだ。それから、何冊も本が届く様になっても、何度も何度も読み直す習慣は変わらず、カオルに至っては、私の料理の本なども、読みつくしている。面白いのは、時々、お友達から「こどもチャレンジ」などの教材本を頂いたりするのだが、ママさん向けの小冊子に至るまで読みつくしている。
私は彼らの姿に、とっても感動したのだ。人間っていうのは、ここまで知的欲求というものが備わっているんだな、と思ったのだ。だが、私が日本にいたとき、たとえば本が大好き、という子供さんを何人か見たが、それでも、ここまで何度も何度も同じ本を読みこんでいる人は見たことなかった。そこで、私は、あっと気づいたのだった。今の日本に足りないもの、それは、「渇望」ではないかと。全て何となく、物理的に満たされていて、何でも手に届くところにあって、ちょっと欲しいなと思えば手に入る。渇望と呼ばれるほどの欲求になる前に、全てが与えられてしまう。自分が今、なにがほしいのか。自分にないものはなにか、そういうものに対する感覚が、なくなっているんじゃないかと思ったのだ。
戦後の人たちの心の中は、渇望だらけであっただろう。自分にはないものばかりだった。夜中に涙で枕を濡らすほどに欲しい何かがあったのだ。そこがエネルギーになったのだろう。一般的に言われる「ハングリー精神」というものかもしれない。ただ、その欲しいものが、目に見える何か、ゲームソフトが欲しいとか、自転車が欲しいとか、そういうものではなくって、自分の内面にない何かに対する、強烈な欲求が、常識では考えられない様なエネルギーを生み出し、自分の持てる力全てを総動員することが出来る様になるのではないだろうか。
毎日学校に行けば、先生がこちらの欲求にかかわらず、丁寧に色々と教えてくださる。どんどん先回りして、色々なものが用意されている。自分でエネルギーを絞り出すほどの欲求なんて、持てるはずもない。色々な細かい物欲だけはどんどん増幅していって、それも簡単に充足される。ものを与えられても得られない満足感。とことんまで渇望したことがないから、自分の感情の深さがわからなくても無理はないだろう。自分で自分がわからなくなる。何をしたいかわからない。
私も同じ様なものだった。主婦としてこの10年を生きて、自分がやりたいことがわからなかった。焦る気持ちばかりが募る。子供を4人生んで、毎日忙しくすごして、経済的には恵まれていて、でもどうして良いのかわからなかった。何かが足りない、でもそれが渇望になるほどの欲求ではなかったのだ。それが、メルボルンに来て、毎日をポロポロと泣いて過ごして、英語を自由に操れる人になれたら、どんなに素晴らしいかと思う様になっていった。そうして思い出した昔の幻影。英語の世界でビジネスをする自分の姿を想像して、涙がまたポロポロと流れた。七転八倒するほどに手に入れたい自分の姿。普通に考えたらマトモな話ではないとわかっていても、猛烈になりたい自分を見つけてしまった。1年前は、多分一度も受けたけたことはないが、TOEICだったら400点くらいしか取れてなかっただろう私が、今は大学院生だ。私を突き動かしたもの、子供たちを動かしたものは、頭の中に大きく広がった「渇望」のエネルギーだったに他ならない。
だから、私は今の日本の教育の議論の中で、「子供たちになにを与えるか(教えるか)」という話をするよりも、与えないことによって「気づく何か」について考えてみるのも一案かもしれないと思っている。
私は、子供たちのゴールが有名校に入学することだ、とは一度も思ったことがない。とにかく、どうやってでも生きていかなきゃいけない。学校で何点とるかとか、私には全く関心のないことだ。ただただ思うことは、自分が必要と認めたときに、エネルギーを傾けてそれをやり遂げる、その力だけは備えて欲しいのだ。大学行かなくってもいい。だけど、私みたいに、40近くなって、必要と認めたら、周りがどうだとか、年食っているだとか、自分に言い訳せずに、苦しくともやってみることができれば、生きていけるだろう、と思うのだ。
具体的な方法論のアイデアが私にあるわけではない。だが、今の日本の子供たちの歪みは、「渇望」といえるほどの強烈な自分に対する欲求を、一度も感じることなく成長することにあるのではないか、そういう気がする。渇望。そう、人間には、自分を成長させたいという渇望が、誰にでも備わっているはずなのに、ある程度の物欲を満たされていることで、気づくチャンスを失っているのではないか。それが、私が10年かかって考えたことの、一つの解であった。ここで、私の子育てエッセイは、一段落させようと思う。これからは、ちょっと自分の専門分野のことについて、考えていきたいと思っている。
長い間、お付き合い頂き、ありがとうございました!
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2003年02月01日
落第という素晴らしいシステム
最初に子供たちが小学校に入った時、それぞれの子供たちの担任の先生は、それはそれは素晴らしいベテランの先生ばかりだった。
公立の小学校といっても、学校によって先生の質にバラツキがあって、若くて経験の少ない先生がごろごろいる学校もある中、うちの子供たちの行っている学校は、その地域でも良い先生がそろっているという評判の学校であった。
特にタツミの担任の先生は、ものすごい強烈な個性を持っている先生だった。大柄のおばぁちゃん先生で、話すときは、大きな低い声で、ゆっくりと話をして下さるのだが、初めて見た時には、そのあまりの個性に、「プ激bプの先生のイメージと違う」と思ったものだ。日本的な感覚で言うと、まだ幼稚園児にあたる子供の先生は、子供たちが声をかけやすい様な優しい雰囲気がただよう様な先生の方がいいのじゃないかなー、なんて思ったりもした。しかし、私はどんどんとその先生の魅力にとりつかれて行った。
私の予想とは裏腹に、内弁慶のタツミがあまりその先生を怖がらなかったのも意外だった。彼女はいつでも自分の周りを自分の雰囲気で満たし、いつでも大げさなジョークで周りを爆笑させた。私もその先生のジョークに涙を流して大笑いしたこともあった。あぁ、もうこの先生大好き!私もどんどんとその先生に夢中になっていった。
ある日、たまたま時間があってプレップの教室をのぞいた時に、先生が中に入れて下さった。彼女は、タツミが一日どのように過ごしているかを詳細に私に伝えた後、クラスの子供たちが書いた作文の山を私に見せてこう言われた。「他の子供たちは、一年かけて、今はこの作文を書けるまでになっている。タツミはまだ、入ってきて間もないから、これはとっても難しいと思う。それで、私は来年もタツミをこのプレップに置こうと思っているのだが、アケミはどう思う?」
いきなり本題をつきつけられた様に感じて戸惑ったのだが、正直言って、ABCも書けないタツミが、このままグレード1に上がれるとは思っていなかった。私は先生に、私たち夫婦も同じことを考えていたので、宜しくお願いします、と伝えてその日は帰った。
後になってよくよく考えてみると、ちょっとタツミが可哀想にも思えてきた。仲良くなった友達は全て1年生になり、自分だけ再度プレップに残る。土曜日に行っている日本語補習校の方では、4月になれば一年生になるのだから、現地校では、とりあえずちょっと英語に慣れれば良いよね、もう一度プレップの方が彼のためよね、と軽く考えようとしても、私自身生まれて初めて遭遇する「落第」に、多少ためらわずにはいられなかった。
新年度になって、タツミは約束通り、プレップに置かれた。大好きだった先生は、突然、退職されていた。(またいつか書きたいと思うのだが、オーストラリアの小学校は、常に財政難で、その先生も、ベテランの自分が退くことで、新年度の予算案をクリアにしたかったのではないか、私は今でもそう思っているのだが)その大好きだった先生の置き土産が、この「落第」なんだと何故か思えた。だから、絶対にタツミには落第がプラスに働くのだ、そう信じられた。
そして、新しく入ってきた子供たちと共に、タツミの新年度が始まった。勿論字が読めない子がほとんどで、自分のカバンをかける位置を示す名札さえも読めず、どこにカバンを置いてよいかわからない子供たちだらけだった。そして、そんな中で、学校内のことを少しばかり知っている彼は、ちょっぴりお兄さん気分だったのだろう。新年度を迎えて4ケ月経た今、彼は、絵を描くのも、字を書くのも読むのも、ミックンとっても上手なんだよ、と自信をつけはじめたのだ。3月生まれの彼は、親から見ると、とても運動能力も発達しているし、頭も悪くないとは思うのだが、字を読めなかったり書けなかったりということもあり、同じ学年の子供たちに比べて、自分はいつでもオシリからくっついていくばかりだと思い込んでいた彼が、すっかりお兄さんきどりで、色々なことに自信をつけている。それを見て、あぁ、やはりタツミは、落第して良かったのだと心から思う様になった。
オーストラリアでは落第は、あまり珍しいことではないらしい。また、あえてリーダーシップを学ばせたいという理由で、親が一学年落として入学させる、なんてこともあるらしい。何でもかんでも横並び、いや実際は、横並びの中で自分の子供だけがちょっぴり上位に居るくらいの位置を心地よく感じる日本的発想とは、完全にベクトルが違う。先日ニュースで、日本にも飛び級や、5歳児から入学を許可する様な議論がなされているというのを知ったのだが、そのコメントで、「日本は横並び意識が強いので、5歳から入学を受け入れると、全員が5歳で入学しようとするのではないか」というのがあって、私は笑ってしまった。ありえることだ。でも実際は、落第することで、自信をつけたタツミの例もある。
周りの親がどう反応するかを子供は見ている。私がもしも、落第して恥ずかしい、と言いまわっていたら、タツミは逆に自信をなくしたかもしれない。でも、私もダンナもタツミに、「良かったね、ABCから丁寧に教えてもらえるんだよ」と喜んだし、カオルなんかは、「いいなー、私だって最初から教えてもらいたい。カオちゃん、大変なんだよ」と言ってくれた。それを聞いて、タツミは自分は本当にラッキーだと思った様だった。落第させてくれて、先生、どうもありがとう!
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2002年12月20日
リーダー(本の音読)
オーストラリアの教育は、それぞれの子供たちの個性を尊重している、とよく言われるのだが、それがどうやって実現できるのか、日本の教育を受けてきた私にとっては、一番興味のある部分であった。
まず最初に驚いたのは、うちのタカシとカオルが、コンバインドクラス(違う学年の子供たちを一緒のクラスにする)に入ったことだった。最初のうちは気がつかなかったのだが、クラスの名前を表す数字、例えばタカシは 1/2Aで、カオルは3/4Tというクラスの意味がよくわからなかった。後になって、それが学年を意味するのだとわかり、当時1年生だったタカシは2年生と合同のクラスに、カオルは4年カと合同のクラスに入っていたことになる。
そこで思ったのは、算数とかはどうやっているのだろうか、ということだった。そろそろ学校にも慣れてきたかな、と思ったある日、タカシが英語で掛け算をとなえているのを聞いて驚いた。日本では小学校1年生で九九はやらない。なのに、彼は、2×12=24、なんてのを英語で言っているのだ!じょ、冗談じゃないわよー、のんびりとオーストラリアでチンタラやればいいわ、と思ったにもかかわらず、ここに来て、一年生のタカシに九九のフォローをやらなきゃいけないのぉー?
頭の中がパニックになりそうになったその日、今度はカオルが持ち帰って来た宿題に、今度は頭が爆発しそうになった。算数。しかも、全てが文章題。もちろん、英語。私は今までの人生で一度もお目にかかったことのない様な英単語を前にして、これをカオルがやるのは不可能だと思った。誰よー、算数は日本が一番進んでて、海外でたら皆、優等生よー、なんて言ったのはー!!!
しかし、タカシの先生は、私に告げた。貴方の子供はインテリジェントだ。どんどん与えれば、どんどん吸収する。だから、私は彼にどんどんと課題を与えているのだ、と。
それを聞いて、私はちょっと待って、と思ったのだ。私は、うちの子には、無理な勉強をさせようと思っていない。好奇心は育てたい。でも上から、これをやりなさいと押し付けられて、それはどうかと思ったのだ。そして、それは算数だけではなかった。
オーストラリアの小学校の子供たちは、毎日「リーダー」と呼ばれる宿題の本を持ち帰る。プレップの時から始まり、最初はママさんに読んでもらっているのだが、そのうちに自分で読む様になる。その持ち帰る本は、その子の読む力によって、レベルが違う。カオルの個人面談の時に先生に、平均的な4年生の読むリーダーのレベルを聞いたところ、先生は、「トップクラスの子供は、これを読んでいる。多くの子供は、このあたりのレベルの本を読んでいる」と教えてくださった。トップの子と平均の子には、ものすごい差があった。本の厚さも全く違った。
リーダーの宿題のやり方はこうだ。フォルダに本のリストが貼り付けてあって、そのリストに書かれてある本の何冊か(通常は、1〜3冊)を持ち帰る。毎日読む度に、家庭でママさんが、そのリストにチェックを入れていく。各レベルの本を順次読んでいくのだが、時々、先生と一緒に読んで、先生が本の内容について質問をして、子供がそれに答えていくと、先生がそれを聞いて、この子はこのレベルをクリアしたと思うと、次のレベルのリーダーが渡されていくのだ。
教育熱心な先生にあたってしまったタカシのリーダーは、私が思わず同情してしまうほど、大変なものであった。毎日の様に4冊くらいの本がどんどん渡されていく。彼は疑うことも知らず、それを毎日毎日読み続けていった。そんなある日、他のクラスの先生が私にこう告げた。「タカシ、すっごいがんばっているのよ。担任の先生に聞いてみなさい」それを聞いて、私は、そんなにがんばらせてどうするのだ、と少々懐疑的になっていった。先生の期待は嬉しいが、彼はそれに応えるのに素直すぎる。
ほどなく彼のリーダーのレベルがどんどん上がって行った。各レベルも、数冊読めば、2段飛ばしで次のレベルに移る、という様になってしまった。実は、彼は学校で一言も英語で話そうとしないらしい。カオルもタツミも友達とそれなりに話をしている様なのに。しかし、そんなタカシだが、リーディング能力だけは、どんどん伸びて行ってしまった。
それを見て、私は色々と考えた。私の手の内にいれば、タカシはのんびりと出来たかもしれない。でも、未だに本もろくに読めずにいただろう。多少、彼は背伸びをしていたかもしれない。しかし、この子はそれに応えると見抜いた先生の眼力を、私は感謝しなければならないと思った。私では見抜けなかった。少なくとも、今では、私は彼のリーダーのお守りをすることはなくなった。彼が毎日自分でどんどん読める様になったからだ。
タカシの担任の先生は、例えば彼が読むことに興味も覚えず、習得に時間がかかりそうだと思えば、それはそれで、ゆっくりとした時間を与えてくれただろうと思う。しかし、能力があると思った子供は、その旬の時期に、どんどんと与えましょうという考え方を知って、あぁ、これが日本の教育に欠けている部分なのだな、と思ったのだ。落ちこぼれがいないのは結構だが、やる気のある子をどんどん伸ばそう、そういう発想を、日本の学校で感じたことは一度もなかった。
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2002年12月19日
大きなカバンの中身は?
日本からメルベンへ引越しする時に、家財道具の全てを持っていけるわけではない。
引越費用は会社負担ではあるが、もちろん制限容量があるので、とりあえず使わないと思われるものはトランクルーム行きとなった。大型家具、大型電化製品、多くの書籍も日本に残してきた。その中に子供たちのランドセルもあった。
どちらにしても現地校だろうから、と置いてきたのだが、これは正解だった。こちらの学校は、制服もカバンも学校のロゴ入りのものがあり(しかし、これは義務ではないので、好きな人は買ってくださいという位置づけである。にもかかわらず、多くの子供たちが制服を着ることをDむ)、それを利用することが多い。といっても、勿論、うちの子供たちだけ日本のランドセルを持たせたかったら、それはそれで全く問題がない。いや、実はちょっとだけ問題がある。大きさだ。
こちらの小学校のカバンを見て驚いた。大人のバックパックくらいあるのだ。プレップの子供たちが背負うと、完全に「カバンが歩いている」という感じなのだ。
最初に学校を訪問した時に「カバンはある?」と聞かれて、いや、実はないんですよ、と言ったところ、先生は、「あら、お弁当はどうやって持ってこればよいかしら」とさぞ困った様におっしゃったので、お弁当入るくらいのカバンならあるけどなー、と不思議に思ったものだ。
最初のうちは、あのでかいカバンの中身は何だろうか、といつも不思議に思っていた。というのは、先生に、初日に持ってくるものとして言われたのは、「お弁当とスナックと飲み物」だけだったからだ。それだけなら、うちにある小さなカバンで大丈夫と思い、小さなカバンを持たせていたのだが、そのうちに、それがどうしようもない不便な代物なのだと気がついたのだ。
こちらでは、お弁当は、日本の様なキレイな二段弁当を持ってくる様なことはありえない。一般的なこちらのお弁当とスナックというのは、両手で抱えなければもてない位の大きなタッパーウェア(しかも深さもなかなかある)に、サンドイッチとスナック(バナナだったり、サラダだったり、ポテトチップスだったり、何でもオーケー)を入れて持ってくるのだ。つまり、その大きなタッパーを入れられるカバンというのは、こちらの小学生が持っている様な大きな大きなリュックタイプのカバンということになる。要するに、カバンの中身は「弁当だけー!」というのが普通なのだ。時には、熱くなって脱いだジャケットも、押し込んでおけるし、もちろん、作った作品なども、ガシャガシャと入れて持ち帰って来るのだが、基本は「でかい弁当箱を入れるために、でかいカバンを持ってくる」ということらしい。
次に疑問に思ったのは筆記用具だ。教科書が無いというのは聞いていたが、筆箱は持たせたら良いのかしら?鉛筆はやはり2Bかしら?と色々と気をもんでいたのだが、先生は必要ないとおっしゃるし、どうやってるんかいな、と思っていたところ、しばらくして、子供たちが、色々なものをポロポロと持ち帰って来ているのに気がついた。時には色鉛筆だったり、サインペンだったり、ものさしもあれば、図書館で借りた本を入れる布袋だったり、そういうのにも、名前がついていたりするので、あぁ、これはうちの子が使って良いのね、ということはわかるのだが、どうしたもんかなと思っていたら、カオルが教えてくれた。
学校で使うもの、鉛筆、ノート、フォルダ、ものさし、サインペンなど、全て学校から支給されるものらしい。もちろん、無くなったりしたら、次々と補充してもらえる。確か、本当に微々たる金額ではあったが、入学した時に支払ったお金が教材費だったのかもしれない。にしても、日本だったら、キャラクターのついたものは禁止です、とか、これとこれを準備してください、とか、色々と細かい注意があって、面倒だなと思っていたのだが、こちらでは、全く気を使うことがない。おまけに、学年末には、子供たちは、使っていた筆記用具、ノート、フォルダの類を、一式持ち帰って来た。新学年になると、また、新しいものを使えるらしい。
つまり、子供たちには基本的に「忘れ物」というのがない。だから、忘れ物チェックシートなんてあるわけもないし、親が持っていくべきかどうか、という論争だってあるわけない。日本では懇談会の度に、先生のお話の中の何パーセントかは占めるであろう「忘れ物への警告」なんてのもない。
もちろん、期日までに持ってくる様に言われるものもある。それは、何かのイベントの参加の返事だったり、備品の支払いだったり、そういうものを忘れる子達はいる。でも、その時は先生が、子供に「明日持ってきてね」と言ったり、毎日、ママさん達がお迎えに行ったりするので、その時に先生が、明日、持たせてね、とか、その場で確認をとって終わり、ということもある。
日本に居た時は、帰宅した子供たちが毎日の様に言う、「今日、算数のノート忘れた」などという話に、ガックリきたり、血圧上げたりしていたものだが、今は、もうオーライ、オーライ、という感じだ。
そして、その大きなカバンの中には、もう一つ、忘れてはならないものが入っている。それは、オーストラリアの小学校での、唯一の宿題「リーダーブック」が入っているのだ。
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2002年12月18日
音楽の授業はダンシングクイーン
日本の様なキッチリとした時間割表を学校からもらうということはないのだが、とりあえず、音楽は何曜日、というくらいは決まっている。
例えば二番目のタカシの学年では、火曜日が音楽で、水曜日がリコーダーということが決まっているので、水曜日だけは欠かさずリコーダーと楽譜のプリントを入れるためのクリアファイルをカバンに入れていく。
学校の校庭にある別棟(ここは学童保育の部屋も兼ねている)で音楽の授業が行われるのだが、ここには特別にピアノがおいてあるわけではない。歌を歌ったりするときは、市販のカセットテープをかけて、それに合わせてフうだけらしい。
初めて音楽の授業の様子を知ったのは、いつもよりも15分ほど早めに学校についた時だった。別棟から流れてくる音楽を聴いて、まさかとは思ったが、それがまさしく小学生の音楽の授業だったらしい。近所中に聞こえわたるほどの大きな子供たちの声。聞こえてくるのは、ABBAのダンシングクイーンだ!それもオリジナルのカセットをガンガンにかけているので、完全にここはディスコかーっ、というノリである。久しぶりに聞くABBAの曲(私も中学生くらいの頃かしら?はまったよなーっ)に、私の心はかき乱されていた。なんなのー、この子たち、まったく楽しそうだわねーっ!!私も乱入したろうかいな、と思うほど子供たちはノリまくっていて、いかにも楽しそうな風景であった。
授業が終わって別棟から走り出てくる子供たちの中にタカシがいた。彼もダンシングクィーンを歌ったのであろうか???
後からカオルに聞くと、当然の様に言う。「え?ママちゃん、ダンシングクィーン知ってるの?こっちの子ってロックンロール好きだもんねーっ!」ちょっとロックンロールとは違う気がするが、これがまさにオーストラリアの音楽の授業そのものなのだ。
他にも「Sing! 2003」というCDと楽譜が市販されているのだが、それを使って授業が行われることも多いらしい。この楽譜集、カオルにせがまれて買ってしまったのだが、教科書のないオーストラリアでは、この本は学校に据え置かれていて、音楽の授業の時になると、生徒が一冊ずつ手にとって、CDに合わせて歌うらしい。中にはいくつかお気に入りの曲があって、私もCDを聞いて驚いたのだが、本当に曲にバラエティがあって、ノリノリの曲から、どうやって歌うのー?と思う様なヘンな曲までいろいろだ。何やら敷居が低くて楽しそうで良い授業だなー、といつも思う。
ところで、オーストラリアの学校にも月曜日には朝礼があって、その日だけは、低学年もすべて高学年棟にあるホールに集合する。日本の朝礼では、炎天下にじーと立たされたまま、面白くもない先生の話を延々聞かせられる、という思い出があったが、こちらでは、先生の話はそれほど長くなくて、子供たちの表彰(表彰された子供たちは前に出て一言ずつ感想を言わなければならない)があったり、生徒たちの演奏を聞いたりと、あくまでも主役は生徒達だ。また立って話を聞くこともなく、子供たちは、時には神妙な顔つきで話に聞き入ったりしたかと思うと、場内が沸き返る様なシーンも時々ある。そこで必ず全員が歌うのが、国歌である「アドバンス オーストラリア フェアー」である。実はラグビーの試合を見に行った時にも、試合前にこの曲が流れたのだが、元気よく歌っているなー、と思ったら、うちの子供たちの声で、死ぬほど驚いたことがある。国歌を意気揚々と歌えるオーストラリアの子供たちが羨ましい。
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2002年12月17日
Newsletter
日本の学校であると、小学校通信の様なものにあたるのが、Newsletterだ。
平均すると月に2〜3回ほど持ち帰ってくるのだが、一般的なお知らせ(各種イベントなど)や、過去のイベントの写真、その際の子供たちの感想文、PTA関連のニュース(選挙、資金稼ぎのためのイベントの告知、お手伝い募集)、また、習い事などの広告も入ることが多い。A4両面印刷で、6〜10枚つづりのことが多い。
その中でも特筆すべきは、
STUDENT OF THE WEEK AWARD
というコーナーだ。子供たちが、本当に色々なことで評価されている。そして、彼らは毎週月曜日のアセンブリ(朝礼)の時に全校生徒の前で表彰さ黷驍フだが、その内容がすごい。これほどまでにほめる言葉にバラエティがあるとは!とこちらも感心させられるほどなのだ。例えばタカシが転入してきた時に、本当にタカシの力になって、いつも面倒をみてくれた男の子は、彼のフレンドシップを表彰された。それ以外にも、ものすごい集中力を発揮した、などから、コンピューターを使ってすばらしいリサーチをした、とかもう色々!下に具体例をあげてみると、
For great participation in class discussions
For beautiful Han
dwriting
For fantastic Maths
For effective use of Maths Strategies
For enthusiastic written responses during science activities
For being a responsible class member
For speedy automatic number response
また、これ以上に素晴らしいのは、表彰された子供たちを見る周りの目だ。みんな、嫉妬のかけらもなく、「良かったねーっ」という雰囲気だ。もし、この表彰を日本でやったりすると、「あんたもがんばんなきゃ、○○ちゃんだって表彰されてるんだし」などと言って子供にハッパをかけたり、こんなことで表彰して、うちの子は何故表彰されないのだ!とクレームをつけてくる輩が出てきそうだ。
他人の存在を認め、評価する、ということが、決して自分をおとしめることにならないということを身をもって知っているのがオージーなのだろう。人それぞれ資質も志向も違い、それは人間の上下を決める基準では決してない。なにが出来る、なにが出来ない、ではなく、自分の求めるイメージ(理想像)を追いかける前向きの姿勢が、人間として評価すべきものなのである、オーストラリアの子供たちは、それを漫然と知っている様に思える。
カオルが転入して2ケ月を過ぎた頃だった。彼女が細々とやっていたESLのワークブックを一人で終わらせて先生に持っていたところ、先生が大声で「素晴らしい!カオル」と叫んだそうだ。そしてクラス全員に向かって、「カオルがこのワークブックを終わらせたんだよ!」と伝えたところ、クラス中の子供たちがかけよって、「見せて!見せて!」と詰め寄られて、口々にすごいだのエクセレントだの言ってくれたらしい。
カオルのやっているワークブックなどは、オージーの子供たちにしてみれば、幼稚園児のそれ程度のものだ。それなのに、みんなが自分のことの様に喜んでくれたのを見て、カオルはきっと驚いたに違いない。なんて、この人たちは。他人のことでこんなに喜べるのか!そして、それを聞いて、ちょっとホロリときてしまったのだ。
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2002年12月15日
小学校の一日
日本の学校と違って、オーストラリアの小学校では、親が送り迎えをしなければならない。
プレップ(幼稚園年長さん)から6年生までが一律で、9時始まりで3時半下校となっている。学期(ターム)の終了日のみ、下校が2時半と一時間早くなる場合を除き、この時間が変わることはない。
学期は4学期制で、約2ケ月余につき2週間の休みがあるという感じだ。特に学年の変わる年末年始は、1ケ月半くらいの休みとなる。親は大変だが、2ケ月過ぎたら2週間の休みがある、というのは、子供にとっては非常に良いサイクルなのではないかと思う。特にうちの子供たちは、慣れない環境に入って、2ケ月で本格的な休みがあったフで、うまい具合に骨休みができたのではないかと思う。
朝は9時に始業ベルが鳴る。それまでは校庭で遊んでいるが、カバンだけは指定の場所に並べておく。私はいつも低学年棟に子供たちを連れていくので、高学年のことはわからないが、そこでは2〜3分、教頭先生や主任の先生によるお知らせがあったりして、それから各教室に並んで入っていく。カバンと帽子を教室外のフックにかけて、それから教室に入る。最初はフロアー(床)といって、先生の前の床に全員が座り、今日の予定を聞くらしい。そして、それぞれの課題にとりかかるといった具合だ。
1、2時間目が終わり、スナックタイムとなる。この時間は果物、スナック、サラダ、ヨーグルトなど、もう何でもオッケーなのだが、食べ物をほおばりながら遊ぶ時間で、それが終わると、3、4時間目となる。
昼食時間は5分ほどしかなく、それから約1時間の本格的な外遊びタイムとなるが、帽子とサンスクリーン(紫外線予防クリーム)は必須。帽子がなければ外遊びは禁止。皮膚がん予防の教育は徹底している様だ。
午後の授業のあと、お帰りとなる。
ウワサには聞いていたが、テキストはなく(ちなみに、私が行っている語学学校にもテキストはない。新聞読んだり、それぞれが図書館で借りてきた本を使ったりするのだ!)、きっちりとした時間割もない(いや、本当はあるらしいんだけど、水曜日が音楽、金曜日が図書館、という程度のものだと子供たちは言っている。それも時々変わったりするらしい。)だから、休んだ日の授業を取り返すのが大変、なんて聞いたことがない。(もちろん、休み中にゴールドコーストに行っていて、そのまま学校を2週間休んだ、なんて言ってももちろん問題ない。おまけに家族で旅行をするのは、良い経験だとポジティブに受け止めてもらえる。そりゃそうだよなーっ!!ちなみにゴールドコーストに行ったのは、我が家ではなく、カオルのクラスのCちゃんなのだけど!)
ただ、これは公立だからなのかもしれない。というのは、駐在員子女のほとんどが私立学校を選択するらしいが、ある私立学校では、ちゃんとテキストもあれば、それぞれの子供に辞書も持たせないといけないらしいし、また宿題も、日本のドリルの様なものを使うらしい。うちの子供たちは、辞書を使うにも、学校据え置きの共通の辞書を使ってよいことになっているので、個人の辞書を持ち込む必要もない。その上に、先日カオルの個人面談に行ったときに彼女の机の中をのぞくと、見知らぬ「和英辞典」なんかがあったので先生に聞いてみると、「他のクラスの先生が貸して下さった」らしい。どうもライティングの時に使っているらしい。知らなかった。彼女、ライティングもやっているのねーっ!!
カオルに言わせると、日本の学校は9割が勉強、1割が給食と遊びだけど、オーストラリアの学校は、半分勉強、半分遊び、という感じがするらしい。勉強の時間でも、作業が中心で、一方的に先生のレクチャーを受けるのみ、というスタイルではないので、あまり机に縛り付けられている印象がない。この「机に向かっている」ことがイコール「勉強」なのだという思い込みが、教育においては、他の日本のママさんに比べて多少はアバンギャルドを自認する私の中にも根強く残っていたのを思い知らさせたことがあった。それは、あるオーストラリアのママさんとの教育論争がきっかけであった。
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2002年12月10日
ESLの授業
後になってわかったことなのだが、通常の学校のESLの授業というのは、週に1回1時間程度のものらしい。
うちの子供たちの学校はESLの量、質ともに別格であった。毎週木曜日、9時から3時半まで、休み時間を除く全ての授業がESLにあてられていた。おまけにESLの生徒は全部で5人。そのうちの3人が我が家の子供たちである。
先生はESLの専門の先生でノウハウはあるし、教材も使い放題、毎週出る宿題の量もハンパではなかったが(最初のうちは、みんな泣いていたなーっ。半年たった今では、宿題もより易しく感じられる様になった!!)、子供たちは、この木曜日を一番楽しみにしていた。カオルは毎日ErLの授業を受けたいと言っていたほどだ。
3ケ月経ち、学年末となった。それぞれの子供たちが学校から成績レポートを持ち帰った。その中に、ESLの成績レポートも含まれていて、その詳細なレポートを見て、私は絶句した。日本のどの学校の先生が、これほどまで一人一人に対して詳細なレポートを書けるというのか!特に高学年にあたるカオルのESLレポートなんて、A4版11枚にも及ぶもので(フォーマットがあって、それに記述していくものであるのだが、どういう質問に対してどう返答があったか、わかっている単語はどれか、など)彼女の英語力の現状を知るには、十分すぎるほどのものであった。
毎週持ち帰ってくる宿題を、私はとても興味深く見ていた。毎回アルファベット一文字をフォーカスして、例えば、初日は「b」のつく単語が、イラストとともに並べられていて、それを真似してスペルを書いていくのだ。最初のうちは、それこそ、ABCの順番もわからず、どれがAで、どれが大文字なのか、全く区別のつかなかった子供たちが、ABCの歌を平気で歌い、私が教える間もなくアルファベットも覚え、知らない間に学校のスペリングテストで、ときどき満点もとるのよーっ、と平気で言う様になってしまった。
半年経って、それこそ私が教える間もなく、子供たちはLとRの発音も完璧になり、thやvなんかも、ちゃんと舌が出てたり、下唇かんだりする様になったのである。現地校に入れたママさん達が一様に言う、「子供を現地校に放り込んだだけで、英語がべらべらしゃべれる様になるわけではない」という台詞を、その通りだと思いつつ、うちの子供たちは、ママちゃんが忙しいために、なかなか宿題も見てもらえず、それぞれ兄弟間で教えあって、何とか乗り越えていた様だ。もちろん、今現在、英語がべらべらになっているとは程遠い。しかし、少なくとも発音においては、私が彼らに教えることなど不可能となったほど(だって、もう子供の方が上手なんだもん!!)、目を見張る様な英語の上達ぶりは、ESLの授業のおかげとしか言い様がない。
公立で、ほんとに授業料はフリーで、こちらとしては申し訳ないほどなのだが、なんと今度は来学期から、毎週金曜日にも別のESLの先生が来てくれる様になるらしい。まぁ、うちの子供たちの出来が悪いから予算がついたのかしら?(そこのところの理由は定かではないが)、とにかく、木曜日のESLの先生からは、「あなた達はなんてラッキーなの!」と言われてしまうほどの、手厚い指導体制であることは否めない。だって相変らずESLの生徒は5人だけなのだから。ほとんどプライベートティーチャーよねっ。
あの時、学校を選ぶのをあきらめないで良かった!しかし、問題ももちろんある。学校でずっと英語漬けの子供たちの、家での日本語がちょっとずつおかしくなってきたのだ。昨日は、カオルが、「これ食べていい?」と飲み物をさして言ったのには、腰をぬかしそうになった。ええ??ちょ、ちょっとそれって問題じゃない??やはり、母国語はきちんと話せねば。これは、また、別の悩みとなりそうだ!
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2002年10月20日
現地校初日!
素晴らしい校長先生に感激して、翌日から当然の様に子供たちが学校に行くことになった。
始業時間の9時に校長室に行くと、うちの3人の子供たちは、それぞれの教室へと導かれて行った。私もそれぞれの教室をのぞきに行ったあと、コンピュータールームや図書館などを案内してもらった。その後は、3時半にお迎えに来てくださいと言われて、私は学校を後にした。ABCもわからないのに現地校に入れられてしまった子供たちが不憫でならなかった。私だったら耐えられない。泣き叫んで登校拒否してしまう。それなのに、子供たちは、それが避けられない道だと知っているかの様に、素直に学校に吸い込まれて行った。9時から3梍シまで、それぞれのクラスで、それぞれの子供たちがどう過ごすのか、それを考えると、こっちが泣きたくなってしまった。
もちろん、私が選んで大丈夫だと思った学校だ。校長先生の計らいで、それぞれ、本当に素晴らしい先生のクラスに入れて頂いた。子供好きでベテランの先生方。私は一目見て、それぞれの三人の先生が尊敬に値する素晴らしい先生だと心から思えた。でも、やっぱり英語だからコミュニケーションがとれるわけがない。家探しで涙を流した私は、大人の私でも大変な道なのに、どうして子供が易々と超えられようか、と心配でたまらなかった。
その日、私はどこでどう過ごしたのか、全く記憶にない。言われるままに3時半に低学年棟に迎えに行くと、高学年棟に居たカオルを先生が連れて来てくださった。子供たちは3人とも、信じられない様な笑顔を見せていて、私が帰宅を促そうとしても、校庭の遊具でいつまでも遊びたいと言い張った。早速、お友達をつくって一緒に遊んでたりしたのには、腰を抜かしそうになった。どうやって明日から連れて行こう、登校拒否には、どうやって対処しよう、色々と思いをめぐらせていたのだが、当の本人たちは、拍子抜けするほどに、エンジョイしていたらしい。
それぞれの先生が、私を見つけてはあれこれ話しかけてくださった。私には理解できたことも、理解できなかったこともあったが、とにかく私たちファミリーを受け入れて下さっているのだという雰囲気だけは私にもわかった。心底ありがたいと思った。そして、早速、私にもママさん友達が出来てしまった。240名ほどの小さな学校。お迎えに行くママさんも、みんな顔見知りという感じだ。子供たちが通っていた公立の幼稚園のお迎え風景の様だ。それぞれのママさん、おじぃちゃん、おばぁちゃんなどが校庭で立ち話をしたり、先生に相談を持ちかけたり、なかなか明るい雰囲気だ。
そして、意外なことがわかった。この学校は、私がずっと探し続けていた、そう「日本人のぜんぜんいない学校」だったのである。一人、ママさんが日本人の女の子がいたのだが、彼女は子供たちとは違う学年であり、我が家の子供たちは、それぞれのクラスで、たった一人の日本人として奮闘しなければならなくなったのである。それなのに何故、子供たちの笑顔が明るかったのか!言葉もわからず、子供たちはどうやって一日を過ごしたのか!子供をこんなシビアな環境にぶちこんでおきながらも、それが不思議でならなかった。そして、カオルは今日一日のことを話してくれた。
あのね、今日ね学校行ったらね、もう何もわからないじゃない。そしたらね、お友達がね、もうバーッと私の前にやってきて、全部説明してくれるの。私、英語わからないじゃない。そうするとね、身振り手振りで教えてくれるの。私、今日一日一瞬も一人になれないくらい、お友達に取り囲まれちゃって、カオちゃん今日一日で人気者になっちゃった!
どうやら物珍しさも手伝って、みんながあれこれ世話をやいてくれたらしい。校長先生によると、お土産に持っていた折り紙を、カオルがみんなに教えていたらしい(どうやって???)。ははーっ、恐れ入った!この日以来、私は我が家の子供たちを尊敬せずにはいられなくなった。だって、私だったら、絶対乗り越えられないであろう高い壁を、いとも簡単に子供たちは越えてしまったのだから。
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2002年10月18日
ESLのある学校ってどこ?
■英語学習編「初めての英語圏!そして...」で書いた様に、家探しに奔走して、疲れ切っていた私は、子供の小学校選びにエネルギーを注げずにいた。
日本人の比較的多い地域に住み、ESLのある小学校へ自動的に入学する。もう、それで良いじゃないか。私がかたくなに「日本人のいない学校!」と言っていても、それは私のエゴでしかないかもしれない。日本人がいても良いじゃないか。そんな感じになっていた。
3学期が始まる初日、入学願書をネットからダウンロードして、エクセルにインプットして、プリントアウトしたものと、パスポートを持って、小学校に行った。今まで家のことに全く手を貸してくれなかったダンナが、私のことを可哀想だと思ったのか、「今日、会社遅れて行ってもかまわないから、ついていってやるよ」と言ってくれた。私はすっかり気が大きくなって、スーツなどを着こんで小学校へと向かった。そして、事務室で願書を提出した途端、とんでもないことが発覚したのである。
うちの家は、その小学校の学区外(実に数十メートルの差!)であり、しかも700名に迫る生徒数があり、完全に定員を超えているので、入学できないということがわかった。そして、あなたの学区ではこちらの学校よ、と紹介された学校に、そのまま向かうこととなった。
いいかげん、早く学校を決めてもらいたいと思っている子供たちは、「え?ここじゃないの?」と不安を隠しきれない。そして、紹介された学校に着いて、私は愕然とした。イメージがまるで違う。その学校も大規模校で、しかもESLなんてないと言うじゃないかー!ダンナはユニフォームはどこで買うのか、と色々と校長先生と話てくれてはいたが、私はもう呆然となって、何も聞き取れなかった。あれほどまでに、苦労して色々な小学校を訪ね歩いて、その結果がこの学校なのか。(その学校の名誉のために言っておくと、決して悪い学校ではないし、校長先生もナイスガイだったのだが、大規模校でESLがない。家からも意外に遠いと、外国人の私たちが通うには、ベストな学校とは思えなかっただけなのだ)
家に帰ってきて落胆を隠せないでいる私にダンナが言った。「もう、今まで3ケ月くらい子供たちは待ってきたんだ。一日二日学校が決まるのが遅れても大して影響はない。だから、今日一日じっくり考えて答えを出してくれ。俺はもう会社へ行く」
またまた家が決まって落ち着いたかの様に見えた私だったが、再び涙をぼとぼととこぼすことになってしまった。私の持てる力を全て出し切って探し出した学校があそこなのかしら?本当に?これで私は納得できる?子供たちが登校拒否をした時に、自信を持って子供を送り出せるかしら?
でも後悔はしたくない。まだ私にはやるべきことがあるはずだ。今は空きがないと言われている私立の学校でも、来年度になれば空きができるかもしれない。コリンウッドというところに英語を専門に教える公立の小学校があるから、子供たちをそこに半年ほど入れて、私はその間に学校を探そうかな。
そう思い、そのコリンウッドの語学学校に電話を入れてみた。すると校長先生は、「こちらの学校に来られる?それともあなたの家に近い学校が良い?」と聞いて来られたのだ。え???うちに近いところに語学学校なんてあったのかしら?と思いつつ、ブライトンなんですけれど、と言うと、彼女は、ある一つの小学校を紹介してくれた。そして彼女は続けた。多分、あなた方のファミリーにとっては、こちらより、家に近いその小学校がベストだと思うわよ。
私はあわててインターネットに接続して、その学校の情報を探した。ホームページもあった。生徒数は240名ほど。表紙のページにあった
Accreditation to host International Students, enquiries most welcome
の文章に涙がこぼれた。ここは絶対入れてくれる。すぐに電話をかけてみた。上品な女性の声がした。そして、私は事情を説明して入学させてもらえるか、とにかく見学させてもらえるか、と問い合わせたところ、二つ返事でOKがもらえた。丁寧な話し振り。こちらにあわせてゆっくりとシンプルな言葉で話してくれたおかげで、彼女の言っていることがパーフェクトにわかった。有難かった。見てはいないが、ここに決めたと心底思った。翌日の2時にアポをとり、私は入学願書の手助けになるかと思い、前述の学校用に用意したエクセル文書を出力するなど、準備におわれた。
まだ車を購入していなかったので、子供4人連れて、電車とトラムを乗り継いで最寄の駅まで行った。そこから10分ほど歩いたのだが、私の心は決まっていた。この通学路、落ち着いた住宅街の雰囲気。緑の色。そして到着した学校は、レンガ造りの小さな落ち着いた学校で、もう、夢に見たんじゃないかと思うほどに、「オーストラリアの自由な公立小学校」のイメージぴったりで、その場で子供たちに大声で叫んだ。
みんな、学校決まったよ、ここの学校に入るの。ママちゃん、もうめちゃくちゃ気に入っちゃった!
私の落ち込みをすぐに悟るカオルは、ママちゃんの顔に笑顔が戻ったのを見て安心した様だった。世話のやけるママちゃんでごめんねっ。
そして電話の主は、実はその学校の校長先生であると知り、また、手続きもてきぱきと、私のつたない英語の質問にもわかりやすく回答してくださるなど、もう涙がちょちょぎれる様な丁寧な対応で、私もすっかり舞い上がっていた。「いつから来られます?うちはいつでも大丈夫です」という質問に、「明日からでも大丈夫ですか?」と即答したのは、もう長い間休み続けた子供たちに、余計な時間はいらないと思ったからだった。
そして突然学校が決まり、その翌日に学校へ通うことになった。もう、ぜーんぶ私が決めちゃったもんねーっ!自信満々でダンナに報告すると、私が以前の元気を取り戻しているのに安心したらしく、「まぁ、あけんがいいと言うならいい学校なんだろう」ということで一件落着。
翌日から9時登校3時半下校、というオーストラリアの学校での生活が待っていた。
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2002年09月20日
公立?それとも私立?
第一子であったカオルを幼稚園に通わせることになった時、私の幼稚園選びは、かなり安易なものだった。
公園で出会った、私と価値観の似てそうなママさんたちの勧める幼稚園に決めたときは、他のしつけ系幼稚園、親へのサービス過剰な幼稚園に比べて、比較的「のびのび系でお弁当持参」だったところが気に入ったのだった。園庭は他の幼稚園よりも広く、特に何がどうとか考えるヒマもなく、願書提出の行列に並び、面接を経て、入園の許可が出たときには、ほっとしたものだった。
実際にカオルが泣き出すまで、私は幼稚園のことを何も知らなかった。のびのび幼稚園とセわれていたのは数年前までのこと。カオルが通った年は、2年保育の入園希望者を全員合格させたために、園舎が手狭になり、一クラス40人超のクラスに入れられて、外遊びの時間は、ものの5分(すべり台を一週したら終わり)という状態になっていた。先生との価値観も全く違う。とにかく自立を声高にかかげるけれども、子供への愛情をみじんも感じない先生に憤りを感じた。子供を取り戻すのだという意気込みで、退園させて、それから幼稚園選びに奔走した日々。でも、そのお陰で、もう今思い出してもすばらしいと思える公立の幼稚園に出会えた。信頼して子供を送り出せるという幸せ。幼稚園、園長先生、担任の先生、保健の先生までもが、すべてパーフェクトな環境だった。そのときに感じたことは、
1、親は、自分が考える教育観を踏まえて、幼稚園や学校を、持てる能力を全て使って選び出し
2、価値観を同じくする信頼できる先生に子供を預け、またそのとき、心のそこから、この場所は、うちの子にとって素晴らしい場所だという思いを持ち続けているという環境の上で
3、もし子供が行きたくないと泣き出しても、自信を持って送り出せるし、きちんと説得できるという確固たる姿勢を貫いていれば
4、親の価値観を踏襲してしまう子供には、自分にはよくわからないが、きっとここはポジティブな場所なのだというイメージが伝わり、先生も信頼することができる様になっていく
というプロセスが大事だということだった。価値観の違う先生のところに子供を送り出す不安、やり切れなさ。もう、そんな思いはしたくない。だから、とにかく、私は自分の持てる能力全てを出し切って、子供の学校を探すのだ、そのためにダンナと時期を同じくしてメルベンにわたってきたのだ、という思いを強く持っていた。実際、カオルが小学校に行くときも、学区制がなんだ、と色々な学校を見学してまわり、校長先生にも時間を割いて頂いて価値観が似ていて、本当に尊敬できる方だと思った学校に、子供を入れることに注力したのだ。A4版2枚にしたためた理由書を添えて教育委員会学事課に行き、越境の手続きをしたりすることも、私にとっては苦にならないことであった。後で後悔して、また、カオルの涙を見たくない。それだけを思いながら。
越境して入った小学校は、公立の学校ながらモデル校であったこともあって、ユニークな学校であった。校舎の造りも開放的で素晴らしかった。そして特筆すべきは、外国籍の子供たちが、カオルのクラスには1割ほどいたことであった。
中でも1年生の時に韓国から転校してきたKくんは、最初は日本語がほとんど話せなかったのだが、週のうち数時間授業を抜けて、他の「日本語の授業」を受けに行ったりしながら、だんだんと日本語を習得して、クラスの人気者になっていったのを、カオルは間近で見ている。そしてカオルはその男の子のことが大好きで、最初は言葉が通じなくてもオープンな彼の人柄は子供たちの心をつかんでいったのを、自分の友達関係の中で体験しているのである。高学年にさしかかろうとしている微妙な年齢のカオルのことを思うと、現地校はどうかと思ったりもしたが、彼女には、「Kくんの成功体験」を見続けていた経緯がある。彼女にとっては、英語圏の学校にぶち込まれる私は、日本の学校にぶち込まれてしまったKくんと重ね合わせて考えても不思議ではない。そして、彼女は意外にも落ち着いていた。
そして、そのKくんのママさんとメルベン出発前に話をしたのだが(余談だが、この時は同じクラスの他の韓国のママさん3人も一緒だったのよー。いいでしょー、国際色豊か〜!!私も時々韓国語を話してご満悦!)、そのママさんに「公立と私立とどっちがいいかな」なんて相談を持ちかけてみた。彼女は子供を日本の公立に入れてよかったと思っていて、お友達と遊んだり、色々な経験が出来るのは公立の方だ。だから公立が良い、という話をしてくれた。そして彼女は続けた。
「私はね、カオルちゃんは、最初は大変だと思うんだけど、日本人が全くいない学校に入れた方が良いと思う。最初の6ケ月、親子ともども苦しいし、ほんとに大変なんだけど、それを過ぎたら、本当に語学も伸びるのよっ!もし日本人が多い学校に入ったら、その日本人に、カオルちゃんは言葉だけじゃなくって、色々な面で頼ってしまうことになるかもしれない。それは、とっても良くないことなのよ。それに、日本人同士でかたまって行動していたんじゃ、何のためにオーストラリアに行ったのか、わからなくなるじゃない。カオルちゃんはね、絶対大丈夫だから、とにかく貴女は日本人の一人もいない様な学校を探して探して探しまくってあげて。」
彼女の言葉には説得力があった。彼女自身努力家で、日本語も日本のラジオ講座の韓国語講座で勉強したというのだ。その中には、日本語のナチュラルな表現がいっぱい載っていて、しかも韓国語訳(!)もあり、日本人の言いたい表現が韓国語で書かれているので、日本人の言い回しなど、韓国で買った日本語学習の本よりも、役に立ったと言うくらいの人で(もう、彼女の日本語は発音にいたるまでパーフェクト!)、彼女の子供であるKくんが前述の通り、日本で素晴らしい成長を見せているのを知っているだけに、彼女の言葉には経験者にしかわからない重みがある様に思えた。だから、これは学校選びの大きなポイントにすべきなのだ、と実感した。
そしてこちらに来てみて日本の人から、「ちょっと消極的なタイプは私立、雑草の様に育てたかったら公立」という話があるというのを聞いて、
あ、やっぱりうちの子は公立タイプね(学費も安いし)
と決断したのであった。
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2002年09月15日
日本人学校?それとも現地校?
私は、自分自身小さい頃に、習い事が少なく、毎日遊んでばかりの生活を送っていたせいで、子供の習い事には、あまり関心がなかった。
だから日本で子供に英会話レッスンを受けさせるなどという発想もゼロであった。特に語学については、本人のモチベーションが大事なことと、あと、大人になってからでも習得できるものだから、子供のうちは「母国語をきっちりと身につける」ということにフォーカスすべし、という自論もあった。母国語で深く考えられないことを、まさか第二外国語で出来るはずがないという気持ちが強く、8歳、6歳、5歳という学齢期、しかも低学年の子供たちが3人もいる我が家としては、まず母国語の確立を第一に考えたいと思っていた。
インターネットでメルボルン日本人学校を閲覧してみた。美しい校舎の写真を見て、うっとりとなっていた。小数先鋭。日本でも受けられなかった小クラスの授業を思い、私の子供たちは、ここでストレスなしに授業を受けていけるのねー。これだったら、登校拒否なんかもなさそうだし、私は英語の学習に専念できるわぁ〜!!そんな、うっとりの私に釘を刺す奴がいた。ダンナだ!
「あけん、何言ってんねん。うちの子は現地校に入れる。」
「達ちゃん、何血迷ってんねん。うちの子、英語なんてしゃべれへんで」
「お前なぁ、こんなチャンス滅多にないで!日本の教育受けんで済むっていうのに、何考えてんねん。ドアホ。オーストラリアに行ってまで、なんで日本の生活を引きずらなあかんねんっ」
「だって、達ちゃん。子供にとっては母国語の確立が大事だって、いっつも言ってるやん。週1回英語レッスンに子供を通わせるのなんて、ナンセンスだって言ってるやん!!」
「あのな、オーストラリアの教育を受けられることの方が、いろんな人間がいて、いろんな考え方があって、せせこましい日本人的な考え方やない人がいっぱいいるところで育つ方が、よっぽど子供の教育にはええで。そら、オーストラリアの教育を日本語で受けることができるんやったら、それがベストや。そやけど、そんなん、ないやんか!英語の習得が目的ではないけど、話せて邪魔なもんでもない。それよりも、オーストラリアの教育で得られるものの方が、ずっと多いと俺は思う。よって、オーストラリアの現地校の情報収集をしなさい。以上」
と言い放って会社に行ってしまったのである。私は、私自身が小さい時に引っ込みじあんで、消極的な子供だったから、転校するだけでも震え上がりそうなのに、しかも言葉が全く通じないところに子供をぶちこんで、子供がノイローゼにならないわけがない!そんなストレスを子供に与えて良いものなのか!おまけに子供が登校拒否にでもなろうもんなら、私の英語学習計画も頓挫してしまうではないかー(と、かなりエゴ)!
それから図書館に行って、オーストラリア関係の本、とりわけ教育に関するものを片っ端から借りてきた。そして、子供にもそろそろ伝えないといけない、と考えはじめた。しかし、何故、自分たちは日本人学校に入れないのか、という疑問にも答えなければいけない。私たちに、その答えはあるが、子供たちが理解できるかどうかは、わからなかった。そして、私は最終的にこう子供たちに伝えた。
「あのね、日本人学校は私立なのよーっ。うちさー、子供が4人もいるから、私立は無理だよねーっ。だって、すっごい、一年間に何百万もかかるのを、3人も行くんだよーっ。そんなとこいけるわけないよねーっ。だから、うちは、日本にいるときと一緒で、公立の現地校に行くしかないのよ。あー、残念ねーっ。うち4人も産んじゃったもんねぇ〜!!」
予てから、子供4人というのは、食費もかかるし、他の家よりも、おやつ代だって2倍くらいかかっているし、というのを体感している子供たちは、「うーん、私立は不可能だよねーっ」という感じで妙に納得している様子。
それでも現地校で不適応を起こした場合、日本人学校への転校も勿論念頭に入れてある。そのための手続きのための書類も、日本で通っていた学校からもらっておいた。後期の教科書も手に入れて、子供が黄信号を出して無理だったら、日本人学校もある、それでもダメだったら自宅学習もある、それもうまくいかなかったら、日本に戻るということも考えた(たぶん、ダンナは考えてなかったと思うが)。種々の可能性を頭の中にリストアップして、その対応法もイメージトレーニングしてみた。とりあえず、トライしてみなければならない。
オーストラリア関連の書籍によると、オーストラリアは移民の国であるからして、大抵どこの学校にもESL(English as second language 英語を第二外国語として学ぶための)授業を持っているらしいということがわかった。それほど移民が多いのと思うと気持ちも和らいできた。何とかなりそうにも思えてきた。
そして日本人学校の生徒数と、日本語補習校(土曜日に日本の国語と算数を補習する学校。主に現地校に通う日本人の子供たちが通う学校)の生徒数を比べてみて驚いた。信じられないことに、圧倒的に現地校に通う子が多いではないか!!ということは、英語を話せない日本人であっても、現地校に通って、何とかやっている人が、これほどに多いわけだから、うちの子だって大丈夫なんじゃないかしら、と思えてきた。
メルベンに着いて、家が決まった時、あぁ、これで子供たちの学校も決まったな、そう考えていた。特に私たちが住んでいるブライトンというサバーブは、日本人が多く住む地域でもあり、どの学校に行ってもESLがありそうだった。見学に行った時も日本人らしき子供を何人も見かけたので、家探しに疲れ果てた私は、もう学校は、あの日本人が多そうな学校でいいわ、そう思い始めていた。私の最初の意気込みは、家探しのストレスで消え去ってしまっていたのである。
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2001年02月18日
「生きる力」と基礎学力
最近、教育の現場で聞かれる言葉に「生きる力」というものがある。
文部省が出してきた言葉だから、あちこちから批判もあって、ママさん達の間には、「また文部省が、よーわからんこと言うてる」という懐疑的なムードさえ漂っている。しかし、私は最近になって、この「生きる力」の大切さをしみじみと感じるのだ。何故、文部省がこんなことを言わねばならないのか、そのあたりも何となく理解できる様な気がしてきた。
日産のカルロス・ゴーン氏。すごい人だなぁと尊敬の念をもっていつも拝見しているのだが、彼が日産に来て最初に言ったことが「まず、言葉の定義からはじめましょう」ということだと何かの雑誌で読んで、ものすごく感動した。特に、日本語というのは定義が曖昧で、暗黙の了解のうちに、ただ何となくわかりあっている様な気がする、ということが多いのだが、これは外国の方にとっては全く理解不能なことであって、彼がそう言ったのは当然のことかも知れない。それでも、きちんと言葉の定義をして、という彼は、本気でこの会社を立て直し、国際競争力に打ち勝とうと思っているのだ、と感じられて素晴らしいと思うのだ。
そう思ったのはネット上のある議論がきっかけだった。「社会性というのは集団生活の中で自然と身に着くものではありません。親のしつけで身につくのです」という内容の発言を読んだ時、私の頭の中は???で一杯になった。その?というのは、この発言者に対する違和感ではなく、「社会性」って何だろう、という事だった。そう考えると、もう「社会性」とは何ぞや?と哲学的なことが頭をよぎり、世の中の言葉全部が、私には理解不能な言葉の様に思えた。どうしてこれで今まで色々な人とコミュニケーションとれていたのだろうか、と思うと、いや、本当には理解しあえてなかったのではないか、という想いがふつふつとわいてきて、「まず言葉の定義を」といったゴーン社長の言葉がすっと脳裏をかすめた。
ネット上の議論で、全く平行線をだどったり、お互い、まず結論ありきで相手の意見を全く聞いていない様に見えることがよくある。お互い、ある単語の定義(というより、その単語の理解)が、違っていることも多い。そんな時に、きっちり定義づけをすると、議論が整理されるのだろうが、そういう展開になることはまずない。お互いを罵倒して、相手は何と頭の悪いヤツかと切り捨ててしまうこともよくある。先の話題に戻るが、「社会性」とは、人とコミュニケーションをする能力だと思う人もいるし、道徳心を身に付け自立する能力だとする人もいる。コミュニケーション能力をイメージする人は、集団とのかかわり合いを重視するだろうし、道徳心をイメージする人は、親のしつけを重視するのは理解できる。そんな時、「社会性」という言葉の定義をきっちりすると、お互い考え方に大きな違いはなかった、ということもきっとあるだろう。言葉の定義をきっちりとすることで、結果的には不必要な対立を生むことのない、幸せなコミュニケーションがとれるのではないか、という気がする。
ところで、「生きる力」と聞いて、皆さんはどういう定義をされるだろうか。私は次の様な定義でとらえている。
「親兄弟を失い、財産もなく、家屋もなくなってしまった」という状況で生きていく力。
そこまでー、という方もいらっしゃるかもしれない。しかし、私は確かに大学時代に「今、親兄弟が死んで、家もなくなって、お金もなくても、私、生きて行ける」という自信を得た瞬間があった。若さもあっただろうが(というのは、今この歳になって逆に、親兄弟に死なれたら、もう生きていけないっ、と思ったりする)、いろいろなアルバイトを重ね、インドやネパールに一人で出かけて、どんなトラブルにもそれなりに乗り越えて、ポジティブに生きてこれたという自負が、確固たる「生きる力」として自分に備わったと感じらえた瞬間があり、その力のおかげて、この歳まで生きてこられたという実感が私にはあるのだ。だから私は、自分の子供にも、この力をつけてもらいたい、そしてそれは、人間が生きる上で必要最低限であり、しかも最高の能力だということを伝えたいと思っている。私の父がいつも言っている「頭の良さというのは生き方の問題だ」という言葉は、有名大学を出ているとかそういうレベルではなく、本当の頭の良さというのは、その人の生き方、つまり逆境に置かれた時に、いかに腐らず、人のせいにせず、ポジティブに考えて判断して行動できるのか、というところに現れるのだ。
文部省の新しい指導要領の批判の中に、「生きる力を求めるあまり、基礎学力をないがしろにしている」というものがある。こういう方の中には、「生きる力」というものは学校で学ぶものなのか?という疑問があるのだと思う。それに対しては、私も似た意見をもっている。「生きる力」というものは、親の後ろ姿を見たり、日々の遊びや生活の中で、少しずつ経験をつんで習得していくしかないだろう。しかし、昨今の子供たちを見ていると、そんな「日々の遊びの中での経験」さえも積めない状況になっているということを感じる。
この「生きる力」の重みを考えた時に、「基礎学力が低下してしまう」「中学受験に遅れをとってしまう」などということは、私に言わせれば、ふけば飛ぶ様な紙切れ一枚程度の重みしかない。話のレベルが全く違うのだ。「生きる力」が、真の頭の良さを子供達に授け、どんな逆境にも、時代の変革にも、乗り越えていける人間へと導くのだ。その能力があれば、自分が必要と認めた時には、自分から勉強もするし、困難な道も乗り越えていくことができるのだ。
今は家庭だけでは「生きる力」をつけられない。文部省の悲痛な叫びにも似た、苦渋の方針なのではないか。私は、その方針は間違っていないのではないかと思う。表面的な批判をする前に、「では、自分の子供に『生きる力』をつけさせるには、自分には何ができるのだろうか」そう自問してみるといい。
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1999年11月08日
モチベーションなき教育
語学でもパソコンでもスポーツでも何でもいいのだが、何かを習得しようとした時に、一番重要なことは「モチベーション(動機づけ)」だと常々感じていた。
高齢者のパソコンサポートをボランティアで始めてから、「どうしてもパソコンやりたいんですっ!」とおっしゃる方で、結局パソコンを使えずに終わった、という人は、今まで一人としてお目にかかったことがない。
逆に、私と同世代で頭も良さそうな人の中に、「パソコン、どうやっても覚えられない」という人が沢山いることも知った。そして、前者と後者の間の大きな違いというのが、この「モチベーション」なのだ。
高齢であチてもパソコ唐やりたいという方の多くは、明確な目的意識をもっていることが多い。例えば、外国に居る娘になかなかコンタクトがとれないので、電子メールを送りたい、とか、以前に習った中国語を使って、中国語のサイトを読んでみたい、とか、株の売買で電話がかかってくるのがうっとおしいから、インターネット株取引をやってみたい、とか、実に具体的で、しかも強い衝動でもって、「パソコンやりたいんです」「インターネットやってみたい」と相談して来られる。しかし、若くても覚えられない人というのは、「パソコンでもやっておかないと時流に遅れる」「就職に有利らしい」「『友達がインターネットでもやろう』といってきた」など、とりあえずムードが漂っていて、こちらとしても面白味がない。そこで、私は、話をする中で、その人の興味などに探りを入れて、そこからパソコンを絡めると、どういう風な展開が考えられるか、そういうことをロマンたっぷりに語ることにしている。格好よく言えば「動機づけ」をカウンセリングしている様なものかもしれない。でも、動機づけというのは、自分の内面から出てくるものなので、他人にちょっと言われたくらいで、「ほほーっ」となるのは稀だ。だからそういう時は、時期尚早なんだろうな、と思って、こちらも深入りしないでおく。
ところで、子供の教育でも、同じことが言える。例えば、英語などの語学を習得するのは、「本人」であって、一方的にレッスンをつけられたって、本人にやる気がなければ、何年アメリカに住んでも話すことなど無理だ。でも、例えば、すんごいベッピンで「ナイスばでぃ」なブロンド女性が、自分に好意を持ってくれている様だ、なんてシチュエーションになれば、大抵の男性は、1ケ月もしないうちに、基礎英会話くらいは話せる様になるはずだ。だから、語学教育なんていうのは、まず、「モチベーションを育てる」だけで、あとは本人が自分から進んで学習するはずだ、ということを、いつも思う。だから、小学生で英語の授業が必要か否か、なんていう議論の前に、外国人(これは英語圏のみならず)と接する機会を作り、例えば片言の英語だけでも通じて、お互いに楽しい雰囲気が味わえたなら、その中の何パーセントかの子供は、外国語でコミュニケーションできることに魅力を感じ、もっともっと話せたらいいのに、と思うことだろう。この時、全員が同じ様に感じるとは限らない。必要ないと思う子供もいるだろうし、はずかしくって死にそうだから、もう二度と英語をやりたくない、と思う子もいるだろう。でも、私はそれでいいと思うのだ。
じゃ、その時、動機づけを得られなかった子供は、どうするか、というと、例えばそれから大人になって、それでも英語などの外国語の必要性を感じなければそれでいいし、60歳を過ぎてから、突然、外国に住む機会に恵まれたりしたら、その時に、猛烈なモチベーションを感じて、それから時間をかけて習得のための努力をすればいい。人間の人生は、今が必死、今が大事、今が一所懸命に生きているのだから、将来の保険のために、大事な若々しい「今」を、モチベーションなく使い捨てなくてもいいと思う。
みんなが自分の人生を大事に思い、考えていれば、行政側に「その人間がとりくむべき課題、学ぶべきもの」を求める必要などないはずだ。「基礎教養」などというと、何か人間として、必要な知識のボーダーがある様に思ったりするが、それは人それぞれに違う。歴史上の人物を知っていることを「基礎教養」と思う人もいるし、今流行のアーティスト名や、最新のニュースがそれだと思う人もいる。人それぞれに、イメージするものが違うということは、万人に共通の「基礎教養の範囲」などというものはない。しいていえば、「生活していくのに困らない程度」というのは言えるかもしれない。でも、そういう知識の習得は、子供にとっても多くの場合、「知りたいという欲求」があるのが普通だ。それを持たないというのは、大人側の勝手な論理を押し付けられ続けてきて、感覚が麻痺しているのではないかと思ってしまう。
私の周りにいる子供達は、みな、時計をよみたくてウズウズしているし、お買い物に困らない様に、たし算や引き算、かけ算ができるようになりたいと思っている。大人が読んでいる様に新聞の漢字も読める様になりたい、みんながみんな、知的好奇心の塊の様に、キラキラと目を輝かせている。
なのに、小学生から落ちこぼれがいるとは何事だろうか。
それは、子供の興味や関心を完全に無視しているからかもしれない。また、実生活に繋がっていると気づかせてもらえなかったからかもしれない。子供自身のモチベーションなく、一方的に大人が教育していく。「将来にきっと役立つから」なんて言葉を、7歳の時の貴方は、理解できたであろうか。環境を整えて、子供の興味・関心をベースにして、何か一つを掘り下げて追究してみるとわかる。そのプロセスにいかに多くの「頭を使う作業」と「実生活に必要な知識の習得」が含まれているかに驚くことだろう。
私は小学校から高校まで、素直に普通の学生として過ごしてきた。自分の中に何が残り、何が消えていったかについては、よくわからない。ただ言えることは、大学の時に、自分の研究テーマをみつけ、そのために膨大な資料にあたり、多くの時間を割き、一つの仮説を追究していった経験が、社会人になった時に、一番役立ったのだ。その時の大学教授はこういった。「みなさん、卒論のテーマは何でも構いません。どんなに小さなことでもいい。あなたたちは、何かを知りたいと思った時に、どこに行って、どんな資料を探せばいいかなど、その方法について、大学で自分のものにして下さい。そうすれば、社会人になった時、その問題解決の手法が役立つはずです」果たして、その通りであった。そして、私にとって、これほど楽しい「学び」の時間はなかった。そして、その時、たった一つのものを追究していった、(そしてそのテーマは、本当に何でもよかったのだ)そのプロセスは、きちんと自分の身に付いている。
自分の興味・関心を中心に学習をすすめるプロジェクト学習・テーマ学習は、小学校にも浸透しつつある。私はそれを歓迎したい。従来の、ただやみくもに、これで「子供を教育するという大人の義務は果たしましたよ」、とでも言いたげな、大人のマスタベーションの様な教育はもうやめだ。モチベーションのないところに、「身に付く学習」などあり得ない。受験対策に、科挙的知識習得のための学習を強いる親もたくさん居る。他人様の価値観など否定するつもりはないが、少なくとも、「少子化世代のイマドキの子供」が大学に入る頃は、大学受験はどういうものになっているか。日本にある大学の数、子供の数、考えてみただけで答えは出る。インターネットの世界を見れば、もっとよくわかる。「東大卒」だからアクセスしたいサイトなんて一つもない。他人の真似が評価されるはずもない世界だ。他の人にない何かをアウトプットできる人間だけが、評価され、存在を歓迎されるのだ。
だからこそ、その子なりの、その人ならではの「モチベーション」を大切にすべきだと思う。「動機が不純」結構、結構!素晴らしいではないか! 動機なく勉強させられ、結果的に何も身につかないよりも、ヨコシマでも動機があった方がいい。だからこそ、教育にあたる大人たちは、そのモチベーション(動機づけ)の部分に、多くの頭を使うべきだな、と今思っている。
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子供が幼くいられるということ
うちの長女「カオル」は、理由あって、幼稚園を転園した。
私立の幼稚園の教育方針にあわなかったのは親の私の方だった。躾に躍起になり、子供ではなく親へのサービス過剰、何かあるとすぐ「自立」を叫ぶ幼稚園。そして何より、担任の先生に「子供への優しく暖かい愛情」を感じず、自分の子供が軽んじられていると思ったら、いてもたっても居られなくなった。
それから色々な幼稚園を探した。途中入園を受け入れてくれる園は、ほとんどなかった。たった一つ、公立の幼稚園のみが見学を許可してくれたので、見に行って驚いた。何と子供たちがのびのびと生き生きとしているのだろうか!!
モンeッソーリやシュタイナー関係の幼稚園の子供達を見て驚いたことがあった。何故だか、子供たちが妙に「幼い」感じがしたのだ。それと同じ印象を、その公立幼稚園の子供たちにも持ったのだが、これは他の私立幼稚園には、全く無いものだった。うちの周りの私立幼稚園に通う子供たちは、いわゆる「子供らしさ」があまり無い。大人のミニチュアみたいな会話が続く。大人社会でしか聞かれない様な言葉がポンポン飛び出し、身なりもコギャル・マゴギャル路線に思えたりする。それが普通と思っていたから、その公立幼稚園の子供達を見て、逆に驚いてしまった。「昭和初期みたいなコドモたち」がそこに居た。今も昔も子供は変わらないんだな。そう思うと嬉しくて涙が出そうになった。
「幼い」つまり、「子供が子供らしくいられる」ということは、どういうことか。これは、常に大人側の都合を押し付けられていない、ということに他ならない。行動基準が大人とは違うということを保証されているのだ。その公立幼稚園の子供たちは、2年間のあいだ、大人側の都合とは関係のないところで、「自分が自分である」ことを尊重されていく。そして自分の「我」を通すことで他の子供たちとぶつかり合うのだが、それをそれぞれ小さいながらも自分なりの地頭を使って、乗り越えていく。その中でどんどん精神的にも強くなっていく。自分の我を通して、相手の我を押し付けられ、トラブルになり、それぞれが考え、行動していく。何度ケンカしても、仲直りをして、受け入れられて、相手を許して、その中で強くなっていく。そんなこんな、日々ドラマチックな関係を続けて、大人の目を気にせず、自分自身の「生きる力」を育て続ける子供達。 「大人ウケする行動様式」を押し付けられずに、幼いことを許されてのびのびと育っているのだ。そしてこれがどれほど大切なことか、多くの親達はきっと気づいていない。頭で考えてはいても、半分本能的に行動できてしまう幼少期の、この多くの体験が、いかに重要かを。
しかし、多くの私立幼稚園では、大人、つまり先生の言う通りに出来る子供が「よい子供」であるため、子供たちは常に、先生の目を気にして行動するクセがついていってしまう。これは、行動規範を外に求める、ということになりがちだ。全員が先生の方を向いて、子供たち同士の横のつながりもなく、トラブルもなく、また、ケンカになれば仲裁が入り、ということばかりをやられていては、子供達の中に、「自分自身で考えて、行動する」という能力が育つわけがない。そういう環境においておきながら、いざという時に「最近の子供は自分で考えて行動できない」などと憤慨したりする親や先生がいる。そういう姿を見る度に、「あなたがそう仕向けたんでしょうが!」とツコミそうになることもある。
子供が幼く、子供らしく振る舞えないということが、いまの日本の病理の根源かもしれないと、ふと思うことがある。日本の社会全体が、「大人のミニチュア的子供」 を求め続ける限り、 自ら判断し、答えを導く子供など育つことはないだろう。
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1999年10月20日
キレる子供とキレない子供
何故、キレてしまう子供とそうならない子供がいるのかについてずっと考えていた。
漫然と家庭環境だとか抑圧されているとそうなるとか、マスコミが色々と言っているが、どうも納得できないことがあった。
自分の経験から言うと「キレない子供」っていうのはいない。じゃ、問題があるのは本当に「キレること」なのか、というとそうじゃないんじゃないかと思えてきた。キレるキレないが問題なんではなく、キレた時に自分でリカバリーできる手段を持っている(知っている)か否か、という部分がキーになるのではないかとふと思ったのだが、それにはキッカケがあったのだ。
昨日フことだったBタカシが時間をかけてブロックで何やら立派なものを作っていたのだが、それを自分で間違ってこわしてしまった。そこで、一瞬爆発して(キレてしまった)のだが、その直後いきなり
「もいっかい、つくろーね」
と独り言を言いながらちゃんともう一度最初から作り始めたのだ。それを見て「ひょえ〜」と死ぬほど驚いてしまったのだ。シチュエ ーションとしては、私が長文のメールを書いてさぁ送信、と思ったところでいきなりブレーカーが落ちてファイルが復帰できない、というのとあまり変わらない。そこで、「しゃぁないなぁ、もいっかい最初から書こっか」となるかどうかを考えてみた。自分でも「やれやれ書き直すか」程度ですむ時と、「もうイヤ!もう絶対何もできない(びぇ〜ん)」と暴れまわって、気持ちの切り替えが全くできない時と色々あるのに気付いた。
どうして、タカシは、自分で「もいっかいやってみよう」と気持ちの切り替えができたのか。というのは、いつもそうやってできるとは限らないからだ。今回は何故そうならなかったのか。実は「大好きなメニューの朝ご飯」をたらふく食べた直後(笑)だったのだ と合点がいった。つまり、いっぱい食べて「満たされている」状態だったのだ。
お腹が減っている時、眠い時、何かの栄養素に欠けている時など、 何でもいいのだが、「何か満たされない感じ」があると、どうもリカバリーできない傾向があるのではないかと思う。で、よくマスコ ミに登場する「(一線を超えて)キレてしまう子供たち」というのは、自分の中で、キレた時にちゃんとリカバリーできた経験というのが極めて少ないんじゃないだろうか、と思えてきたのだ。つまり 「慢性的欲求不満状態」であったのかもしれない。
こういう「やってやろう」という意欲というのは、かなり条件の揃った中でしかできない部分がある。子供が小さい時はなるべく、 そういう「満足感」の中でトライする環境を整えてあげることが大事なんじゃないか、と思えてきたのだ。そういう経験というか「うまいことリカバリーできたイメージ」を沢山もっていると、現在、 自分がなぜリカバリーできずにキレっぱなしなのか、「あぁ、今俺は腹が減ってるんだな」とかその原因を自分で特定して対処できる 様になるんじゃないかとも思う。
こういうことを言うと相当過保護的かとも思うが、「小さい時」 に限定された特殊な過保護状態(親がある程度欲求不満に陥らない様に対処)というのは必要だと思ったのだ。たっぷりの睡眠をとり、毎日美味しいご飯をたらふく食べ、思いっきり外で遊び、そういうストレスのない状態で、少しずつのチャレンジを成功させていく。 大きくなるにつれて、少しずつ「欲求不満」の度合なんて黙っていても増えてきてしまうのだから(人間関係も広がるし)、その中で、 小さい時の「よくわからないが漫然とした(自分はうまく乗り越えられる)という自信」をベースにして、またまた一つずつ成功経験を増やしていった人が、いわゆる「健全に生きられる人」となっていくのではないかと思う。
キレて問題のある中学生というのは、先の「もういっかいやってみようと言ったタカシの心境」というものをあまり感じたことがないんじゃないか、と思ったのだ。これは、難しいおつかいを頼まれたカオルが、「うん、やってみる」と言った時の心境にも通じる。きっと自分はやれる、と信じられる心境になるには、小さい時にはそれなりにいくつかの条件が必要になるのではないか、精神的にも、物質的にも満たされた(客観的に満たしている様にみえるということではなくって、本人が満足している)時を周りが考えてやらないとなぁ、と思ったりもする。
例えば神戸の中学生の場合、自分の中のフツフツという感情が、もう「対処不可能な段階にある」と自分で思ってしまったのではないだろうか。自分ではもうどうすることもできない、対処できない、コントロールできない、という心境だ。
モンテソーリ教育というのが幼児教育であるのは、そこのところじゃないかなとも思えてきた。つまり、小さい時、成功経験を増やして自分がやれると実感できた子供は、そのまま普通の小学校に入っても、それなりに外界と折り合いをつけなければならない状況に陥っても、自ら対処できる芽を持っているのではないか。自分は乗り切れるという自信、それはもうやっぱり小さい時にしかできない (というのは、大きくなったらそういう「満たされた環境」を親が 作り出してあげることができなくなってしまう)のだなぁ、と思っ たところだ。
普通の幼稚園で一番気になるのは、「新しい何かを覚える楽しみとそれをやり遂げた成功経験」は増えると思うのだが、逆に、それを時間内に終わらせることができない子供達にとっては、「新たな欲求不満の種を増やすこと」にもなりえる点だ。私にも経験があるのだが、心の底にいつまでも「あぁあれは納得のいかない作品であった」という感情を残す。それが周りから時間を断たれてしまったことだとか、好きでもないことを延々とやらされた恨みみたいなも の(笑)は、結構残っている。果たしてそれが3、4歳の子供に必要なことなのだろうか。
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1999年01月10日
無くて七癖
最近、癖とは何だろう、と考えるようになった。
枝毛切りが癖になっている、という友人が学生時代何人もいた。自虐癖というのか、自分の手をカッターナイフで切る癖のある友人もいた。貧乏揺すり、なんて単語がある位だから、その癖のある人は、あるパーセンテージで存在するのだろうし、目をパチパチしてしまう人、話をする時、目をつぶる人も結構いた。私は一時、人と目が合うと本能的に小首をかしげるという超ブリッッコムリムリの癖があったし、会話の時に手を抑えつけられると話せなくなる(ジェスチャーが常につく)し、疲れるニ何故か、手を腰にあてて 「体操のお兄さん化」してしまう。
どうしてそういう癖がついたのか、自分でもわからないが、ある種の「自己防衛本能」から出ているのかな、と思ったりする。つまり、それぞれにちゃんと原因があるのではないか、と考えたりする。
私は子育てをしていて、子供の「癖」に一番悩む。「どうしたら治るのかな?」というより、そうさせる何かがあるのだ、と思って悩んでしまうのだ。 子供の毎日を観察して、自分の気持ちを整理して、子供が欲して果たせない何か、つまり欲求不満の原因が何であるかを、日々考え続けるのだ。
今までに何回か経験した。カオルが目をパチパチさせ、一種のチック症状を見せた時期もあった。そして、タカシにも同じ現象が見られた時もあった。 肩をヒクヒクっと頻繁に上下させる時もあれば、タカシの場合は、壁紙をむしりとって食べる、という事にまでなった。その全てを一つ一つクリアしてきたのだ。その時に学んだ事は、「そんな事してはダメ」と口で言っても全く効果はない、という事だ。だって原因が他のところにあり、それが解決していないのに症状だけ消えるわけないのだ。そして何度も何度もそういう波がきては、子供向けのアンテナの感度を三倍くらいに上げて、毎日を送ることになる。原因が「あっ」とわかった瞬間、症状は即おさまる。そして、今度の波はカオルだ。カオルが服を噛むのだ。気がつくと服の端を持って噛んでいる。泣いた時などは、もう服の大部分を口の中に押し込んで噛みまくってワーワー言っている。そしてカオルは、気がつくと、シャツの襟首のところに手をかけてしまうのだ。カオルの服は全て、首のところがノビノビになってしまっている。深層の原因は「欲求不満」なのだろうが、もっと表層部の環境因子としては、「手持ちぶさた」「口がさみしい」「姿勢が悪い」という事が考えられるなぁ、などと思っている。とりあえず、口がさみしい、 を何とか満足させてあげようと、カオルが1歳2ケ月までしていた「おしゃぶり」を渡してみた。すると、喜んでおしゃぶりしているのだ。おお、これ はちょっとマズイかもしれない。しかし、彼女は満足そうにクチュクチュやっている。うぅん、やはり根本原因を探さねばならないなぁ、と思っていた。
そしてカオルのその癖はなくなった。家の手伝いを全面的にお願いするようにしたり、とにかく彼女にとっての「面白くワクワクする時間」を増やしていくうちに、気がついたら泣くことも襟口に手をかけることもしなくなっ た。
そう考えると、子供の癖というのは、私にとって子供の心を探るヒントに 成り得るものだと思える様になった。内面に溜め込む前に察知できる重要な鍵なのだ。
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1998年09月01日
子供からリアリティがなくなっている
ずいぶん前に図書館から借りてきた「折り紙」の本の巻頭に、
「少し前までは、折り紙は子供の想像力の芽を摘むという理由から歓迎されなかったが、最近になって、集中力を養うという観点から見直されてきた」という文を見つけて、
アホかいな
と思った。そう思ったのは文の前半、「想像力の芽を摘むから歓迎されない」というところだ。こういうことを言う専門家の人の頭の中って、一般の人よりもド単純に出来てるんじゃないかと怒りさえ込み上ーてくる。24時間365日、折り紙しかしない人がいたら、そういう事を言えるのかもしれない。いや、tに、それほどまでに「折り紙」に集中できる人、というのはタダ者ではない。子供の遊びの中にひとつ「折り紙」が入るだけのことを、専門家の人があーたらこーたら無責任に言う。折り紙だけに限らず、テレビやファミコン、インターネットなど の弊害を羅列した挙げ句、「これは百害あって一利なし!」と単純に切り捨てていることが結構多い。その根拠に、夜な夜なチャットに耽り体調を崩した主婦の例や、テレビを見ることによって暴力を学習した生徒の例や、電源オンオフで生命をリセットできるバーチャルペットの弊害、などをあげて、「由々しき事態である」とそれらしい解説がつく。そんなマスコミの報道を見るたびに、「ケッ」 と思うのだ。
例えば、チャットやネットワーク対戦ゲームにはまっている主婦の話でいうと、こういう人は、中毒と言わず、「依存症」なのである。対象があるから中毒になるというよりは、実生活の中で果たせない何か、つまり何らかの欲求不満を埋めるために、何かに頼っているだけである。それが人によっては、アルコールであったり、仕事であったり、インターネットのチャットだったりするのだ。問題は、インターネットではなく、その人の内面である。
仮想現実を現実と勘違いしてしまう小学生を例にとると、仮想現実が悪い、という以前に、それ以外の現実を、親や地域社会、学校が見せてくれない、という事があげられる。バーチャルペットがリセットして生き返るからといって、人間も同じ様に生き返ると思っている子供がいたとすれば、それはバーチャルペットが悪いのではなく、人間や他の生物の死から、子供達を隔離してしまった親や社会が悪いのである。ペットの死などを通して、どうしようもない悲しみを経験した子供が、もしバーチャルペットを育てたとしたら、きっとその子は、バーチャ ルペットであっても、その死を悲しむであろうし、リセットして生まれたペットが、「生き返った」のではなく、全く別のペットとして生まれてきただけだ、と思うだろう。つまり以前慈しみ育てていた「あの」バーチャルペットは二度と生まれ返ったりしない、と思うのではないだろうか。
逆に、テレビの暴力シーンを見て暴力を学習した子供が要るからテレビはいけない、という話を見てみると、「子供にテレビを見せっぱなしにしている親の姿」や、「視聴率だけを意識した哲学なき番組製作者の姿」が浮かぶ。テレビが悪いのではなく、テレビの見せ方ひとつコントロールできない親がまずいのだと思う。
最近の子供がオカシイと批判するのであれば、子供からリアリティを奪った現代社会を憂えなければならない。過保護にするとか放任にするとか、そういうことではなく、嘘偽りのない現実、そういうものは見せるべきだと思う。しかし、 それを理解するのには、年齢により段階があって然るべきだと思う。そういうリアリティの見せ方ひとつ、親の哲学が必要になってくる。自分が子供のころに、 何を見て何を学んだか、そういうものがやっぱり育児の指針になるのであろう。
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1998年04月10日
傷は母親の心の中にある
いろいろと悩んだこともあったのだが、育児の王道は「母親が自分の人生を楽しむ」ことしかない、と実感してからは、妙に気持ちがすっきりして、情緒が安定している。
そういう時はすっかり自信満々で、「ママが楽しい毎日を過ごさなきゃ!」なんてちょっと説教こいてみたくなる。こっちがヘラヘラしていると、相手は「それができれば悩まない」とでも言いたげに、それができない理由をあげる。おお!できない理由を探しているうちはダメね、ダメ。なんて結構ドライな考えをしていたのだが、いろいろなことを知れば知る程、私のオリジナルな性格「ウェット」な部分が顔を出してしまう。
私はなぜこれ程までに色々なことを知りたがるのか
自分には関係がないのに、なぜ首をつっこんでしまうのか
そしてまた毎夜毎夜悩み続けてしまうのだ
私は自分の人生を一所懸命生きるだけでよかったのではないのか?
私は何をしようとしているのだろうか
まさか他人を幸せにできるとでも思っているのだろうか?
私は悩みながらも自分の子育てにそれなりの自信を持ち、その育児方法が間違っていたとしても、その時にどの様な行動をとるかは想像できる。子供がどんな罪深いことをしたとしても、親として社会的制裁を受ける覚悟はできている。私にはこれ以上の育児は無理だとわかっているし、それがもとで子供がどうにかなったとしても、それは仕方がないことなのだ。だから、今よりももっと良い子育て方法があるかどうかなんて興味もないし、今私のやり方に真っ向から反対する発達心理学・教育心理学的研究が発表されたとしても、私は自分のスタイルを変える気もない。
これは私は自ら勝ち取ってきた自信に基づいていると思っていた。しかしそれは、私が単にそういう育ち方をしたからかもしれないのだ。つまり、私の母が「無条件の愛情でもって、私を尊重してくれていた」からかもしれないのだ。
子供を虐待寸前だという人から相談を持ちかけられる様になった。彼女は子供が一人しか居ないのにイライラするという。そして三人の子供を抱えながらもヘラヘラしている私が不思議だったらしい。何か秘訣でもあるのかしら、と思ったのだろう、時々話かけてくれるようになった。彼女を見ていると本当に素敵なママさんなのだ。虐待の一歩手前なんて言われてもニワカには信じがたい。何でそんなに穏やかでいられるの?と聞かれても困る。「子供を生んだ時も、愛情なんて感じなかった」という彼女を見ているうちに、ふっと考えたことは、彼女自身、お母さんに愛されていたのだろうか、という事だった。これは本人には聞けないなと思った。
愛情に枯渇する人は、人からの愛情にも懐疑的になる
というのは皮肉だ。無条件の愛情を与えられた人間が、子供に無条件の愛情を与える、というのは普通のことかも知れない。その人にとって、「親の愛情」というのはイコール自分の受けた愛情を指す。先日読んだ本の中に、「ほめられて育った人は子供をほめるのも上手」というフレーズがあった。 私は「ほめて育てる」を持論としているが、子供を全くほめることのできないママさんも多く存在して、「何でこんな簡単なことができないのかなぁ」と不思議に思っていたところがある。それと同じ事で、無条件の愛情を注がれなかった人が、子供に無条件の愛情を与えるというのは、ものすごくパワ ーのいることなのだと気がついた。
公園のママさんを見ていると、自分の子育てに自信がもてないという人が多いことに驚く。世の中のどこかに「子育てに関する伝家の宝刀」が存在して、それを一日でもはやく教えて欲しい、といった印象を受けるママさんもいる。そして自分が思った様にできなかった場合、あれが悪いこれが悪いと人や物のせいにばかりしているのだ。あぁ、あれさえなければ、私はちゃんと子育てできるのに、と言いたげなのだ。そんな人達を見ていて思うのは、事の本質は「育児の問題」ではなく、母親自身の心の問題であろう、という事だった。自分の子供が少し暴力的だったりすると、どうしてこの子はこんなに手がかかるのか、どうしようもない子供を持った私はアンラッキーだと思うらしい。しかしその子は、暴力に訴える以外に自己主張する方法がない程、母親が追い詰めているのかもしれない。
そして最近、子供の問題というのは母親、父親、そして家族としての問題の投影でしかないと思う様になってきた。
前述の彼女は、きっと母親から充分に一人の人間として尊重されてこなかったのかもしれない。しかし、その彼女は、「何とかして現状から脱出したい」と必死なのだ。彼女は無意識のうちに「悪の循環」を自分の代で断ち切ろうとしているのかもしれない。そんな彼女を見ていると、私の今いる場所は、とてつもなく苦労のないところの様な気がしてきた。彼女を見ていると、 人間としての「徳」は、私より彼女の方が上だな、と思ったりするのだ。
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1998年02月10日
ママは先生
「学校の先生」って一種特殊な職業だよなぁ、と思い始めて怒り噴出、 ちょっと何とかならんやろか、と考えると夜も寝られなくなった。
このハタチそこそこで「先生」と呼ばれてしまう職業を、もっとプロ意識のあるものにしてもらえないだろうか。と、あれやこれやの方法論を考えていた。一般企業に数年勤めることを採用条件に加えればいいのではないかとか、父兄が毎日順番に参観して授業内容をチェックするとか、年に一度、知識等が陳腐化していないかテストしてみるとか、ものすごく精巧な心理テストを課して、偏りがないか調べる必要があるのではないか、いやいや、この際だから、思想チェックも必要かも......、とどんどんアブノーマルな発想が出てきてしまう。
大学を卒業してすぐに教師になる人が大多数だろう。
ハタチそこそこで「先生」と呼ばれてしまうのは仕方がないかもしれない。
だけど、教室の中は完全なる密室だ。
「先生」と呼ばれる人が、すべてのルールブックになるのだ。
機嫌が悪い時にどなり散らそうが、 気に入らない子供を殴りつけようが、
自分の説明が悪くて子供が理解できない時に、「何も聞いてなかったお前が悪い」と子供のせいにしようが、
誰のおとがめを受けるワケでもない。
子供同士のトラブルには常に裁判官として君臨し、
そのくせ自分自身は公明正大とは言い難い。
問題のあるクラスと批判されれば、「子供が悪い」と思い、
反対に、「いいクラスだね」と言われれば、全て自分の手柄だと思う。
あぁ、そんな先生になんて、子供を任せられない。自分自身は、誰のチェックも受けないことを知っていて、子供の行動を逐一チェックする調査官となり、検事となり、裁判官となる。 そして子供には弁護士がいない。あぁ、センセイって職業は最低かもしれない。
とここまで憤りが込み上げたところで、ハタッと頭に浮かんだことがあった。それを知って、鳥肌が立つ程ガクゼンとしてしまった。
これって、「ママ」という職業そのまんまやんか。
子供を生んだ瞬間から、「ママ」と呼ばれ、
自分自身、母親としての資質を問われることもなく、
もちろん、チェックを受けることなどなく、
常に子供の行動をチェックして、裁判官となる。
子供の気に入らない行動を見ると、「誰に似たんや」と思い、
のびのび育てば、「私がうまいこと育てた」と思い上がる。
ちょっと機嫌が悪くて子供に当たったりしても、
密室の中の行動は誰にも知られない。
子供の言い訳の方が正論だったとしても、「だめなものはダメ!」と無理を通す。
あぁ、コワイ。本当にこわいのだ。
先生の中にも徹底したプロ意識を持つ素晴らしい方も数多くいる。
母親の中にも、芸術的なまでの子育てを実践している方もたくさんいる。
しかし
私は、仕事をしている時の様な厳しさで、自分を律しているだろうか。
自分が裁判官であるということを理解しているだろうか。
子供の言い訳をちゃんときいてあげているだろうか。
私は、
自分自身の24時間を 世界中の誰に見られても恥ずかしくない生き方で送っているだろうか。
子供にとって屈辱的な、後々にまでトラウマとして傷を残してしまうようなとんでもない一瞬を与えてはいないだろうか。
私は、
学校の先生を批判できる立場にいない。
ママだって、先生みたいなものやんか。
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1998年01月22日
結果を急ぐ母親達
公園でのママさんの叱り方を見ていると、何やら即効性を期待しているのではないか、と思ったりする。
今日言ったことは、明日には言わずに済むのではないかという様な短絡的な響きを感じる時もある。そしてそれは子供が自分自身で判断できる様な材料を与えているというよりは、知識としてでも何でも良いから「その行動を今後しないでもらいたい」という気持ちがありありと伝わってくる。気持ちが判らないでもない。でもこれは対処療法でしかない。子供が将来きちんと社会のルールの中で自分自身を腐らせることなく生ォていくためのコツを学んでいることにはならないのである。子供に本当に理解させたいと思えば、もっと低いレベルの事だけで良いから、一貫して言い聞かせることしかないと思う。後は自分自身で試行錯誤をくりかえし、その中で親の言っていることが、「あぁ、このことか!」と理解できる瞬間が必ず来ると信じて、多くを語らないでおくほうが良いと思っている。
ここで思い出すのは「少年法」だ。神戸の事件以来、子供の責任能力云々について色々と言われているが、少年法の中に、「子供の間は試行錯誤をくりかえして構わない。だけどある年齢が来た時には、ちゃんとルールを身につけておこうね」という思想を私は読み取っていて、それを現役のママさんに実感してもらいたい、と強く思う様になった。つまり、3歳で完成品である必要はないのだ。幼稚園に行っても、小学校に行っても、ある程度ハメをはずしたっていいと法律にまで明文化されている。だから周りの誰に「躾がなっていない」と言われても、「この子の20歳の姿を見てちょ 〜だいっ!!」と思っていればいいのだ。
それでもママさん達は、例えば「小学校に上がる前に」とか、「幼稚園に行かせるまでに」などと勝手に線を引いて、その目標に向かって子供を抑圧していく。どうしてこんなに必死に叱りまくるのか。
大家族で子供を育てている場合、子供の育ち方に対する責任感というものはほどよく分散されていたのかもしれない。しかし、核家族で、しかも父親の仕事が忙しかったりすると、育児の責任というものが、100%母親の肩にかかっているという思いで押しつぶされそうになる。何かあると全て母親が責められる。だから子供は少しでも、 一日でも早く「よい子」になってもらいたいのだ。そしてその事で評価されたいと思う。よほど、「誰に何を言われたって気にしないもん。私は自分の育児をするだけだわ。」と腹をくくらない限り、手段を選ばず子供の望ましくない行動を押さえ込むことに目が行ってしまう。
どうすれば、彼女達を解放してあげられるのか。それは父親だけができることかもしれない。
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1997年10月05日
「拒否」しない育児
私自身のことなのだが、私は
1、とても親に愛されて育った
2、一人の人格として生まれた瞬間から尊重されていた
という思いがしみついているのだ。それで、私は子供にもそう思ってもらいたい、逆に言えば、そういう思いさえ抱かせることができれば、育児は100%成功したも同然、と思っている。それで、そのためには「たっぷりの愛情を注ぐ」ことが基本だと思い続けて、結構ベタベタした事もあったのだが、祖母に不幸があった時に実家に帰り、母の孫への接し方を観察しているうちに、ある法則があることを発見して、ポンと膝をたたいてしまった。
これだ!これぞ育児の極意!!!
うちの母はベタベタしたタイプではない。どちらかと言うとアッサリした感じなのだが非常に愛情深い。私は自分が小さかった時のことを一気に思い出してしまった。
母は孫の後ろから追いかけて「遊ぼ、遊ぼ」と言ったりしない。特にヒマそうにしていない限り、「何かを提案する」という事もない。しかし、孫が何か話しかけてきたら、その時何をしてても必ず聞くのだ。家事をしていてもちゃんと聞いている。その時できなくても、 手が空いたら忘れずに、ちゃんと約束を果たす。私は何の脈絡もなしに母から説教をされる事などなかったが、私が話しかける時は必ず聞いてくれたし、自宅で仕事をしていたため、 忙しい時は「後でね」と言われるのだが、それが何時間後になっても、「さっきの話何だっ たの?」と忘れずに聞いてくれた。私が母から受けた教育は 決して子供を「拒否」しない育児だった。
子供の言葉といっても決して軽んじない。目の前の友人に対してするのと同じ様に誠実な態度だったと思う。泣いている時も、ずっと愚痴を聞いてくれて同調してくれる。私が辛かったと言えば、「そんな事辛くないっ」と言うまえに、「とっても辛かったのよね」とまず受け入れてくれる。そんな母だったと思い出した。私は無節操なベタベタの愛情ではなく、ポイントだけを押さえた、しかも無条件の愛情で支えられて生きてきた。そして、今、自分の存在が有難いものだと心底思うし、ちょっとミテクレは悪いオババながらも、自分を惚れ込んでいる部分もある。
タツミが生まれてまもない頃、カオルへの愛情が不足しているのではないかと思い、泣くカオルに向かって「カオちゃんゴメンね。ママちゃん忙しすぎて抱っこもできへんかったね。でもママちゃんはカオちゃんのこと大好きやからね」などとコンコンと話して聞かせたことがあった。それを見ていた母が言った言葉は強烈だった。「何か子供に言い訳してるみたい。 愛情なんて『好き』なんてイチイチ言わなくても、通りすがりに頭をちょっとなでるとか、 寝ている時に跳ねたお布団を直してあげるとか、そんなことで子供はちゃんとわかっているの。朱美さんのやっていることはちょっと空回りしてるんとちゃう」
などと言われて足腰立たなくなる位ショックを受けた。確かに言い訳しているに過ぎない。 そんな事聞かせられてもねぇ、という母の言葉は図星だけにキツかったのだが、得ることも多かった。要は「想い」で、その想いは隠そうとしても端々に自然と出てしまう。そういうもので充分伝わるはずなのだ。
最近、近所に住む小学5年生の女の子がよく遊びに来て、彼女と一緒にピクニックに行った時のことだった。彼女のお母さんは、ずっと仕事をしている人で、日中は彼女一人なのだ。 夏休みの間は毎日、お弁当を準備してくれているらしいので、その日もそのお弁当を持参して公園に行った。少し遊んでランチタイムになって彼女のお弁当を見て驚いた。「今日のは手抜き」と言いながら、愛情のこもったお弁当を見て絶句した。あぁ、母の言っていたことはこの事だったのか、と心の底から思った。お母さんが働きに行って、寂しい思いをしているのではないか、なんて思い込んでいた私は自分の事を恥じた。
お弁当を見ただけで愛情を感じるのだ。
自分の母は、働きに行っている。それだけでも大変なのに、朝早起きしてこれだけのお弁当を作ってくれる。それだけではなく、お弁当を包むハンカチも奇麗にアイロンがけしている。彼女の着ている服も、毎日清潔に洗濯されている。そんなこんなの直接ではなくても、間接的に子供のために割いた時間、そんなものは必ず子供に伝わる。それ以上に何が必要か。 そんな気持ちがふつふつとわいてきた。
自分の事を考えてみると、それがいかに自分勝手に育児していたかが理解できた。ちょっと余裕ができた時にだけベタベタして、カオルが言ってきたことに対して、「あ、後でね」と生返事する。しばらくしてカオルが忘れているのをいいことに、その話を持ち出さないでいることがよくある。彼女はもっともっと尊重されたがっている。
今の私は、自分が子供だった時の母の背中をありありと思い出すことができる。仕事中の母に話しかけるのをためらった気持ち、話しかければ忙しくても返事をしてくれるのを知っていて、だから話しかけないでおこうと決めたあの時の気持ち。私は決して母から拒否されることはなかった。
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1997年09月01日
けんかもできない
最近、タカシがケンカをするようになった。家の中での姉弟ゲンカで慣らされているせいか、公園に行っても、おもちゃの取り合いでケンカになる。いや、正確に言うと「ケンカになりそうになって止められる」という状況が続いているのだ。そして私はとても残念に思ってしまう。どうしてケンカの一つも充分にさせてやれないのか。
2、3歳の子供のケンカなんてたかが知れている。おもちゃを取ったの取らないの、 あれは俺のだ、いや僕が見つけた、そんな些細なことで取り合いになりケンカが始まる。私はそれをいつ燉」れたところで傍観しているのだが、即、相手のママさんに制止され、中途半端に終わる。お互い蜍モォするのだが、私は「また、何の学びもなかった」とがっかりしながらも、相手のママさんに謝ってしまう。
少し前、タカシよりも1歳程大きな男の子とケンカになりかけた時は、相手が大きいこともあってケンカさせてもらうようにお願いした。相手のママさんに「うちの子は構わないですから」と言って暗にケンカさせても良いことを伝えると、そのママさんは子供さんの持っているスコップを取り上げて「やるなら素手でおやり!」と言いはなった途端、そのお兄ちゃんは大泣きになってケンカにならなくなった。それでも、 砂場で泣き叫びながら掴み合いをする姿は、生きるのに必死な感じがして、少し目頭が熱くなった。そして、マトモにぶつかることができたのはこれ1回限りであった。
公園でのタカシの評価はハッキリわかれる。「たくましい」などと評価してくれるママさんもあるが、虫などを好んで見つけては見せまわっている姿を一部のママさん達に毛嫌いされている。滑り台などは、子供は二人、三人と繋がって同時に滑ったり、 先に降りた子の後ろから追突してみたりと、色々と子供なりに遊びを開発するのだが、 そんな中にもママさんが入り込んでくるのだ。
「あ、ごめ〜ん、ちょっと通してぇ〜、うちの子、一人ですべれないの〜」
と言いながら、滑り台の上で立ち往生している子供のところへママさんがかけつける。子供2、3人をとびこえて行くのだ。そして子供と一緒に滑り降りてくる。そういう光景を見ると、「放っておいたら、そのうち後ろから誰かに突つかれて滑ってくるし、それが無理だと思えば自分で階段から降りてくるだろうに」などと思う。ちょっとくらい後ろの子に迷惑をかけたっていいじゃないか、そんなのお互い様だ、と思うのだが、そうはいかないらしい。そんな事を考えている間に、間の悪いことにそのママさんにタカシが追突した。
「いたぁ〜い!!!!」
タカシを毛嫌いするグループの一員であるママさんの声が公園に響きわたった。まずい。私は「子供の領域に入り込むなぁ!」などと思いながらもそのママさんに謝りに行ってしまう。
そして子供が追い越そうとすると、
「順番よっ、順番」
などと声を荒げる。あなたさっき、順番抜かしといてよう言うわ。と心の中でいつも突っ込んでしまう。
子供が他の子とおもちゃの取り合いになる。好きなだけ取り合いしたらいい、と思うが、またママさんがかけつけて「そんなことしないの」「貸してあげたらいいじゃない、ケチ」などと子供に言っておきながら、「ごめんね、そのブーブー、この子のお気に入りだから」とママさんが取り返しにくるのだ。そして子供達は何かあると相手に言わずに自分のママや、相手のママに訴えに来るようになる。おもちゃの取り合いをして、それを咎めたところ子供が大泣きして、それ以降ずっと泣きやまずに困り果てたママさんが、友人達に話しているのを聞いた。
「大泣きした後だと、ちょっとした事でも泣きだして困る」
「わかるよ、とまんなくなっちゃうのよね。いいかげんにしてって言いたくなる」
子供達の涙は叱られたからではない様な気がする。もしかすると思いをとげることができなかった欲求不満の涙かも知れない。おもちゃを取られた涙でも、取り返せなかった涙でもなく、取り合いの状況で「思いっきり感情をぶつけることができなかった」という行き場のない涙だったかも知れない。そしてそれは、他の子供ではなく、 子供の社会に存在するはずのない「大人の手」によって常に制止されてしまうのだ。 自分があのおもちゃでどれほど遊びたかったという事、自分のおもちゃを人にとられるのがどれほど不愉快なことかは、誰にも理解されず、「仲良く遊びなさい」」「いじわるしないの」「いつまで泣いてんの」と言葉だけで冷ややかに言われ、挙句の果てには鉄拳さえ飛ぶ。私はそういう姿を一日のうちに何度も見て、何度も目を背けてしまう。公園にこだまする子供達の泣き声だけがほんの少しの救いとさえ思う。せめて思いっきり泣くことだけは許してあげて欲しい。
公園には子供の社会というものは存在しないのだ。常にお砂場の周りをママさん達が取り囲み、そのママさん全員が裁判官として目を光らせている。少しでも不穏な動きがあると、ママさん達が介入してくるのだ。まるで毎日が授業参観の様だ。私はそんな息苦しい遊び方をしてもらいたくないと思っているので、最近は少し離れたところで本を読んだりしている。時々、視線だけは子供達に向けるのだが、よっぽどがない限り彼等には近づかない。用事があれば子供の方から寄ってくる。その時だけ全身全霊で子供の声に耳を傾ける様にしている。私の背中から「私は、俺は、信頼されている」と感じ取ってもらえれば、と思う。
幼稚園に入れば、小学校、中学校に入れば、それぞれ先生の目が光っている。子供達はいつケンカすればいいのだろうか。折角、試行錯誤が許される期間なのに、既に 「失敗は許されない」という圧力をママ達がかけている様な気がして、何とかならないかといつも思う。そして一番気になるのは、「子供の躾のため」との名目で叱りつけるその本音の部分は、「周りのママさんから浮きたくない」という大人側の勝手な価値観がベースになっているという事だ。
公園、ここはけんかもできない場所なのだ。
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1997年08月25日
青春
これは「青春」としか言いようがない。
答えの出ない事について何時間も話し合った。
恋の悩みを打ち明けられて、くさい台詞を真顔で吐いた。
死にそうに泣きたい気持ちをこらえて、笑顔をつくった事もあった。
自分に酔いしれていたかもしれないが、毎日が哲学の日々であった。
これは「青春」としか言いようがない。
「となりのトトロ」のビデオで「耳をすませば」の予告編を見ているうちに、どうしてもこのビデオが見たくて見たくてたまらなくなった。雨のやんだちょっとの時間を利用して、子供達を連れてレンタルビデオ屋さんノ出かけていった。 カオルは「ティモンとプンバ」「くまのプーさん」を借りた。タカシは最後まで「ウルトラマン」の列から離れようとしなかったが、「借りる?プーさん借りたけど」と聞くと、「そっちでいいや」とでも言いたげに、その場を離れた。私は今日ばかりはディズニーの事を忘れて、すぐにでも「耳をすませば」のビデオを 見ようと、黙ってビデオをセットしたところ、カオルとタカシのブーイングにあい、残念に思いながら夕食準備にとりかかった。最近、外遊びが過ぎていたので、 ビデオを真剣に見るのは久しぶりだった。
夕食準備が整い、ビデオの前に腰を降ろした時には、既に2本のビデオを見終わっていた。残るは「耳をすませば」だけであったので、タカシが早速セットをした。二人を横に置いて、私も本腰を入れて見ることにした。見ている間、私の胸はずっとドキドキだった。時々、「キューン」と胸が鳴り、その度に一人赤面して、そんな自分が恥ずかしくて、それを打ち消すために「ったくもぅ〜」と叫んでは膝を手で叩いたり、ほっぺに手をやって「きゃぁ、やだぁ、これだから、もう」と全く意味のない言葉を吐いたりした。その度にカオルとタカシが不審そ うな目で私の方を見た。これは「青春」としか言いようがない。切なくて仕方がない。人生すべてが青春だ、と言い切る人もいるが、中学生の青春と、中高年の青春は、全く質が違う様な気がしてならないのだ。見えない中で色々模索する自分自身は、人生の中でも最も「感受性の豊かな時期」に置かれている。それが中学生の青春なのだ。人間には何かを考える「旬」の時期があり、その時期でしか味わえない感情があることを思い出した。「多感な時期」と書くと単なる普通名詞で終わってしまいそうだが、もっともっと深くて輝かしい何かがあったなぁ。 「青春」といういかにも「コッパズカシイ」言葉がふさわしい。
図書館、自転車、駅、お弁当、放課後、団地、夕焼け
貸出カード、蔵書印
そんなものが全て「あぁ、わかる」の青春のヒトコマだ。「耳をすませば」の中に出てくるアイテム全てが切ない。
主人公の「雫(しずく)」とバイオリン職人を目指すクラスの違う同級生「聖司」とのシンプルなラブストーリーの中に出てくる台詞のひとつひとつが、肉声で迫ってくる。ユーミンの歌の様に、誰もが一つや二つ持っている思い出とシンクロしてしまう。あの時期、どうしてあんなに純粋になれたのか。どうしてあんなに必死になり、思いきり泣けたのか。どうしてあんなに疑うこともせずに、人を信じ、素直な言葉を言えたのか。
ラストシーン近く、少しでも早く雫に会いたいと思った聖司が、雫の家の下で「雫、 出てこぉい」と心で念じる。すると早朝にもかかわらず、雫が窓から顔を出す。聖司 はそのことを
「奇蹟だ。すごいよ、俺達」
と言う。私はもうどうしようもなくなって