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2007年10月20日
cristal medicine? - the power of stones
とにかく私はショッピングが苦手である。
私が先日行ったこのお店も、香港に二年半以上住んでいて初めて行ったのであーる。
ほとんどの香港在住日本人が一度は行ったことがあるであろう有名なお店(気功パワーの入った水晶を扱っている貿易会社)なので、今更私がご紹介するほどのもんではなかろう。
が。
気功師の方が凄かったでございます。
ちょっと、ちょっといい?などと言われて、彼女は私の腕をしばらく触っていたかと思うと、突然、
「あ、あら、ちょっとあるわね、ちょっと霊感体質。」
と切り出した。
きょえーっ、なんじゃそりゃ?私には霊など何にも見えないわよ。それから彼女は私について色々と語り始めたのであーる。
若干冷え性 (私の人生で、冷え性だと思ったことは一度たりともないぞ)。
完ぺき主義、仕事優先で家庭が二の次になる傾向あり。
首から背中にかけて気が止まっている (といって彼女はその気をせっせと流してくれた)。
何をやるにしても「雑巾を絞り上げたような力を入れる傾向」があり、それはちょっと前の日本によく見られたワーカホリック系の人にありがち。遊べと言われると、力を入れて「遊ばなくっちゃ」という感じになる。(ここで彼女よりリラックスの方法について具体的に伝授して頂く)。
これを機会とばかり、すっかり彼女に色々なことをご相談してしまった。
ただ、上記のことは、もしかすると特別な能力がなくても、外見から受ける印象などから想像できちゃうかもと思うのだけれども、彼女が指摘した次の件については、私自身も自覚していなかったにも関らず、すっごくその通りだと思ってしまったのである。
彼女曰く、「あなたはね、結果が良ければそれで良し、結果オーライ、とはならないのよね。そこに至るプロセスにおいても、自分好みの方法があって、それでなければ満足しない、良いと思えないの。そんなことない?」
正におっしゃる通りで。
今現在進行形なのだが、プロジェクトの進め方が気に入らなくって、どうしたら改善できるのか、どうしたらプラスの方向に持っていくべく説得できるのか、その件で結構イライラしていたのだ。プロセスが美しくなくって我慢ならないのだ。現実を見れば、クライアントの要求とコストと時間を考えれば、妥協点を見つけて結果オーライとせねばならず、それが結局は大人の対応なんだろうなと思う。しかし、それに納得できずに何故だか悔し涙まで出ちゃう。
気を入れて頂いたパワーストーンのプレスレット、招き猫、そしてネックレスを購入。もうわくわくが止まらなくって早速身にじゃらじゃらつけて1日過ごしてみたのだが、もう大変でありました。
思わず、googleで「水晶 副作用」なんて検索かけてみたわよっ。
ダンナに絶対やめてくれと言われつつ、「女性の出世」「事業に成功」「聡明」系のパワーストーンをつけていたのだけれど、本人のワクワク感に反して、身体が異常反応。イライラが募り、眠くなるわ、自己暗示にかけられたのか、何故だか足がすっごく冷えてきて(生まれて初めて冷え性を自覚?)立っていられなくなったのだ。水晶はとにかく自然のものであり、何も悪くはないだろうと何度も思い直したのだが、あまりにも辛いので外してしまった。で、その代わりに「愛情」「情緒安定」系のものに変えたら、症状がなくなったのである。
不思議すぎる。
なんか最初のやつには、他の人の変な気でも入ってたんとちゃうか?と思うほどダメであった。
自己分析なのだけど、常に根性系の私に更に根性を強いるようなもんは必要なくって、要するにリラックスせーよ、ということであったのであろう。
ただ大きな進展だったのは、私の仕事のやり方も考え方も生き方も、一所懸命がんばっているのだから良いのだと思ってきたのだけれど、客観的に見たらかなり異常なのではないか、と気づいたことであろう。要するに「異常」というのは「治す必要アリ」の域であり、いまここで気づかなければ膨大な時間を無駄にするのかもしれない、そういうところに私はいる、ということなのだ。
あらゆる場面で私に必要なのはリラックスなのだというメッセージを得ているのは、きっと本当に私にとって必要なことがそこに隠されているんだろうな、なんて思っちゃう。
これから嵐のPVでも見ます。和みそーっ(笑)。
Posted by akemi at 01:32 | Comments (0)
2007年10月09日
He wanted to die a Natural Death and made it.
実は、私、出世したかったんだ、パパさんよりもね。
そう言うと父は「こいつおもろいこと言い出すやんか」と言いたげにニヤッと笑った。
私はやりかけの仕事を持ち込み、暗い病室の中でPCのキーボードをカチカチと叩いていた。慢性寝不足の私は深夜3時半に仕事を納めてから、床にスノーピークの寝袋を敷いて横になった。爆睡中の私の腕を父が叩いた。ハッと飛び起きた私に父は「おい、水とってくれ。冷たい水。悪いな」と言った。
私はこんな状況でも爆睡できる自分の軽さが恨めしかったが、そんな私を見て父は笑った。「お兄ちゃん(私の兄)はワシが寝返りをうっただけでも目を覚ますから悪いなと思うて。お前は気遣わんでええからエエワ」などと言った。
私は慌てて冷蔵庫から冷たい水を取り出し父の口に運んだ。
その日が近いことは、家族だけではなく本人も知っていた。会いたい親戚全員を病院に呼び、話したいことを全て話し、託したいことをきちんと託していた。その時の父は絶好調で口も滑らかであり、もしや危ないのではないかと心配した親戚全員を思いっきり安堵させたほどだ。
私も父とこんなに長いこと話したことないな、というほど語り合った夜を4晩過ごした。今まで聞いたことのなかった昔の話をしてくれた。彼の亡くなった父親のこと、継父のこと、悲しい淋しい子供時代のこと、仕事をしていたこと、妻であった母のこと、そして自分の人生は色々あったけど、まぁいい人生なんじゃないかと思う。感謝している、こんなありがたいことはないと言った。子供たちが折ってくれた千羽鶴に手をやっては、「力になってます。ホンマに有難いと思うてます」などと涙を流すこともあった。
日本へ向けて発つ前にダンナが私に言った。「言うべきことを伝えるだけだよ。後悔のないようにな。貴方の娘で良かった、幸せだったって言えよ。」彼は彼自身の父親を6月に亡くしていて、それに付き添っていた私も同じ口惜しさを感じていた。突然に倒れて、心臓外科手術を受けて、一度も目を覚ますこともなく一ヶ月後に亡くなってしまった彼の父親のことを思えば、今の自分がどれほど幸せなところにいるのかは容易に想像できた。
そして私はそれ以上のことさえも色々と話せた。もう父に対して、これ以上素直に話せることもない、というほど色々なことを話した。
末期の癌ではあったが西洋医学を否定してはいなかったので、放射線治療、抗がん剤投与なども行っていたが、延命治療は自ら拒否していた。そして彼はそれを成就した。
言いたいことが言えて、聞きたかったことが聞けて、彼がどうして欲しいかについて事前に聞けた。病院の先生、看護士さん、そして母と兄と私で最期を看取ったのだが、涙は無かった。むしろ彼の希望を最期まで叶えるべくチーム一丸となって取り組んできたことが成就できた安堵感みたいなものさえあった。
父の顔は、生前は難波のオッサン最後の珍種みたいな豪快なオヤジだったのだが、誰よりも崇高な表情を湛えているように見えて、娘バカながら「うちの父ってもしや人徳があったんちゃうか。あの世でええセンいけそやな」と思ってしまうほどであった。
父の望むお葬式は、喪主である兄がしっかりと取り仕切り見事だった。父がおどけたポーズで「オッケー」を出しているのが見えるようだった。
叔母の時(I wanna die a Natural Death.)にできなかったことが、やっとできたと思えた。そう思うと、あの悲しい悲しい経験も私には必要だったのかも知れないと思える。
追記:
今年はこの本にとても助けられました。感謝します。
「エンディングノート」があれば、遺された家族の気持ちはずっと軽くなる、私はそう思います。その通りにすれば、故人はきっと納得してくれる、そう信じられるからです。
「天国への手紙」江原啓之著
Posted by akemi at 15:23 | Comments (0)