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2007年08月13日

ゆめ

その日の夜、私は夢を2つ見た。

1つは、水の中で溺れている様な夢で、苦しくて苦しくて死にそうなんだけど、あと数秒で死ぬかもという瞬間に何故か水面に出てカパッと一息だけを吸って(死なない程度に息は吸えるという感じ)、でもまた水の中で引き戻される、そういうことをただただ繰り返していて苦しさだけが残る夢だった。

二部構成の二つ目は、私がどこかの国の鉄道に乗っていて、私の子供たち4人が何故かある駅で降りてしまい、私だけが電車の中に取り残されるという夢だった。4人はそれこそ振り返りもせずに、まさに自分たちで自分の道をしっかりと踏みしめながら歩いていくという感じで、しかも子供たちはとても楽しそうにお互い話をしていて、一緒にいた私のことなど頭の片鱗にもなさそうな感じであった。それにもかかわらず、私はその電車の中で今までの人生で感じたこともないようなパニック状態になって、何度も「降りる」ボタンをガチガチと押すのだが電車は発車してしまい、私は必死で「あの子たちは私がいないと生きていけないのよーっ。今すぐ下ろして、子供たちが行ってしまうーっ」と絶叫している。次の駅になっても電車の扉は開かず私はただただ愚かにも「降りる」ボタンを押して、子供たちをただただ心配している、そのうち子供たちがしっかりと足を踏みしめて歩いていく後姿だけが私の脳裏に焼きついて、段々と気が狂いそうなほどの喪失感と寂しさを感じてしまう、という夢だった。

そして私は真夜中にハッと目を覚ました途端、天井から大木がバキッと折れるような大きな音を聞いた。

義父はダンナの隣で静かに横になっていた。
私と子供たちも祭壇の隣の部屋で眠っていた。

心臓外科手術を受けて、ちょうど1ヶ月くらいたった頃だった。
術後には肺機能がなかなか回復せず、金魚の様に口をパクパクさせて息をしていたこともあったらしい。

普段、私はほとんど夢を見ない、というか覚えていないのだが、しっかりと覚えているような夢を見る場合は(ほんっとに数ヶ月に1回程度しかない)、その時の自分に与えられた強いメッセージであることが多い。

私は義父の苦しみを疑似体験したかのようだった。

残される側の気持ちは当事者だから勿論わかる。

だけど逝く側の気持ちが、もし私が夢見たようなものであったのであれば、「自分が居なくなっても世の中は前と変わらず動いていて、自分をとりまく周りの人間も、自分が居なくても何の問題もなく人生を歩んで行くのだ」という当然のことを受け入れることがどれほど苦しく淋しいのか、自分だけが、たった一人自分だけが引き剥がされていく恐怖、本当に弱かったのは、自分が今まで守ってきた子供たちではなく、自分自身であったということに気づく瞬間、認めたくない事実をつきつけられて、でもただ確実に時間だけは過ぎて、物理的な距離も引き離されていく恐怖、そんなものを感じた。

義父の亡骸の前でダンナが首をうなだれて言った。
書いてくれよ、親父のこと、何でもいいからさ。

四十九日法要も終わったし、少しずつ書こうか。

Posted by akemi at 2007年08月13日 00:25

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