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2006年12月22日
ニッポン、チャ、チャ、チャ
確か昨年末の一時帰国では、佐伯チヅさんの本に感銘を受けた記憶が。
今回は実家の母が購入したDVDを見て絶句。そう、田中宥久子さんの「造顔マッサージ」を見てしまい、実験の結果、効果アリを実感。みんなにお勧めしちゃいたいのであります。かなりの圧力をかけつつすべてのマッサージを首元にあるリンパに流すという動きをするのですが、今までの常識を覆すっ、という表現がぴったりかも。結構力を入れつつやるのです。
ところで今回の一時帰国での日本の感想は。
中国人の知人によると「Too much」と表現されていた日本のサービスだが、確かに「やりすぎ」の感はある。それでもやはりすごい。ありとあらゆる場面でサービス業に従事している人たちの意識の高さには、やはり感心させられてしまった。それは勿論教育の賜物。
またまた驚いたのは、創業以来じぇったい味変わってへんやろーっ、とつっこみたくなる愛すべき「阪神のイカ焼き」だが、ここにも進化が!以前は常に長蛇の列だったのが、「イカ焼き10枚」と言った瞬間に「はい、10枚ねっ」と商品が目の前にドンと置かれたこと。このスピード、人間業とは思えないっ。私の脳の中を誰か読んでいた?とつっこみたくなるほど。
おまけに。
日本の商品開発力には脱帽。
同じ目的を果たす商品にも各社から複数の商品が出ている。顧客側から見ると、どうやって選べば良いのか迷ってしまうのが逆に悩ましいところだが、朝から晩までこの商品開発のために心血を注いで来たのだな、と思わず研究室に思いをはせてしまうほどにすごい。それがあらゆる分野で起こっている。
書店で気づいたことは。
スピリチュアルコーナーにかなりのスペースが!これはもうトレンドとしてはしばらく続きそう。
語学のコーナーで立ち読みしてたら、私の後ろで若手サラリーマン二人が留学準備コーナーで立ち話。「杉村太郎ってどこや」
私が思いっきり反応してブンっと後ろを振り返ったら、タロちゃんの「王道」本がそこに。そこや、そこにあるやろ、君たち、その本買ったほうがええよ、英語の勉強したいんだったら。
「俺、同時に二人の人に進められてん」とそのうちの一人が言った。
うんうん。私その本のおかげで大学院行けてん、っと言おうかと思いつつも、昨今の日本の状況を考えると他人から突然話しかけることなど気色悪がられるだろうと思い黙っていた。そして彼らは結局、その本を買わずに出て行ってしまった。
言うべきだったかも。ヘンなオバサンと思われても良かったのに。
そう。神様って人間にとってその時にとても大事な台詞を突然通りすがりの人に言わせることがある。私は何度もそういう機会にあっては、「神様、焦ったな」と思いつつも、その言葉を有難いと思う。彼らにとって、私がその通りすがりの人だったのかも、と思うと、今日すべきことの一つを遣り残したみたいで、少し惜しい気持ち。
スピリチュアル系で江原さんの本も読んでみた。スピリチュアルワーキングブック(文庫)というやつ。特に「適職」「天職」のあたりに感銘を受けた。そこで私はかなり腑に落ちたことがあったのだが、私の苦しみの多くは、仕事に天職を求めていたこと。何をやっても違うという感覚があったのだが、適職で生活の糧を得て、天職はまた別の部分に求めても良いということ。
長女は、日本の和製カタカナ英語にのけぞりつつ反応。確かに久しぶりに見ると結構衝撃的。大阪市営地下鉄の中の広告「メイアイヘルプユー?」
日本語って重い。
「大声失敗談」要するに電車内では他者の迷惑になるので、大声での会話はやめましょう、というエチケット広告なのだけど、ありとあらゆる場面でチェックが入る日本らしいと言うべきか。
まだまだ色々とありそうで楽しみ。
Posted by akemi at 22:41 | Comments (0)
2006年12月19日
self-educated person
ユダヤ人の商売に対する考え方は、大阪人のそれと近いと感じることがある。
彼らの生活習慣というのは、私達日本人とはかけ離れているのだが、モノの考え方には学ぶべきものが多くあると思う。
彼らの教育に対する考え方も、私にはとてもしっくり来るのである。
「本当の教育は、独立独学する姿勢と、一人で問題解決できる能力の獲得にある」(ユダヤ最強の成功ノート 手島佑郎著 イースト・プレス)
これ以上端的に教育の目的を表現した一文を、私は他に見たことがない。この本の中には、「困ったことがあるとすぐに他人に教えを請う人は、独学の人に勝てない」というフレーズも出てくる。知識の詰め込みには何の意味もなく、独学し実践する中で、真に問題解決する力を獲得することができるとこの本は説いている。
「知識管理」の中では、くどいほどに「データ」「情報」「知識」「知恵」を明確に分ける。有機的な連鎖を含み、内面化されたものを「知識」と呼ぶのだが、日本で言われている「知識偏重」というのは、厳密には「情報偏重」としか言えないだろう。「知識」とは、自分の経験を通して、情報と情報をリンクして、新たに自分自身で意味を持たせたものであるため、それが内面に備わっているというのであれば、それは素晴らしいことである。
意味のある「学び」とは、「能動的アクション」を伴って初めて「知識」として獲得することができるのだろうと思う。モチベーションのない受容スタイルの「学び」は、多分時間の無駄なのではないかと思う。
では、ユダヤ人的な思考が現代においてベストなのであらうか、というと別のベクトルも存在する。
ここ数年「日本人とは何か」という問いに対する答えとして、鈴木大拙氏の本を時々読んだりするのだが、この中に「ユダヤ人の霊性は低い云々」という表現を見つけたことがあった(具体的にどの本かわからないですっ)。要するに彼らは頭で考えて理解しようとする、だけど禅というのはそういうものではないと、そういった類の話だったと思う。
まだまだ答えはでない私である。
Posted by akemi at 01:53 | Comments (0)
2006年12月17日
Wiiで汗かくWeekend
この感覚は、旅館でエアーホッケーをやっているのと似ている。結構オモロイ。
米国仕様版に遅れて、香港にも日本仕様版が入荷。オークション並の金額だが香港だから仕方がない、ということで定番ソフト3つを含め本体購入(トイザラス)。
私がトライしてみたのは、WiiSports(全年齢対象)のテニス。
ゲームセットの頃には思わず汗ばむ私。
何やら子供の居ない昼間に、カーテン閉めて一人遊んでしまいそうでコワイ。
チビから大人まで同じ様に対戦できるのが良いねーっ。
ということは、孫からお祖父ちゃんまで同じように対戦できるってことだ。
これって画期的。
コドモが寝言で「Wiiおもしろかったな」と言っているのを偶然聞いちゃったよん。ちょっと感動。
おまけ:Wiiソフトの売れ方は“異常”
Posted by akemi at 23:20 | Comments (0)
2006年12月16日
年末高齢の(ナイスっ誤変換)、もとい恒例の
えーっと、年末オセオセでございます。
ということで今年の総括をば、
と思ったのですが。
ここ数年参考にしている占いサイトがあって(自分としてはめちゃくちゃ当たっている&心構えができるので重宝)、今年と来年が2年連続の下積み期間となっておりまして、その1年目が終わろうとしているだけでございます。どうも来年もこのまま1年が過ぎるであろうという予感アリアリで新鮮味ゼロ。とりあえず仕事しかしなかった感アリの今年よりは、中断していた普通語を始め、狙い定めた知識の習得にもうちょっとウェートをかけたいのでございます。そして引き続き「人間の知」を哲学しちゃうのであーる。そして、
来年こそめっちゃくっちゃ遊ぶぞーっ!!
(注:この場合の「遊ぶ」は、飲み歩く、とかそういうことではなく、子供と一緒に体動かして遊ぶぞー、Wiiで筋肉痛になるぞーっ、週末にはガンガンBBQするぞーっ、ということでございます。)
追記:えーっと下積み二年の後、2008年には私は大笑いのハズ(笑)。そう思うと下積みも楽しいわん。
Posted by akemi at 00:06 | Comments (0)
2006年12月14日
ヒューヒュー 夏木マリさん
この着こなし、めっちゃカッコイイよなーっ。やはり目指すならここだわな。
40歳を過ぎてなお、365日中300日以上ジーンズという生活もそろそろやめねば、と思ってはいたが、
「年齢は記号」か。
あそこまでカッコ良ければいいのだがな。
Posted by akemi at 23:13 | Comments (0)
2006年12月12日
Diligent Students
オーストラリアの大学院と香港のオープンカレッジでの生徒の授業態度を比較してみる。
有意差があると述べたい場合は、すべての環境を同じにして変数は一つにすべきである。
因子が相当数ある場合は、どれがその結果を導き出したのか(しかも一つとは限らない)を特定できない場合は、うかつに結論をだせない、
がな。
変数多すぎだから何がこの結果を導き出したが言えないのだが、主観に基づいて勝手に書いちゃう(BLOGだからよし)。
オーストラリア(学生のほとんどが留学生。つまりオーストラリア人の特性ではない):
まず授業は1科目につき週3時間、2時間が講義で1時間がチュートリアル(ゼミ)。
講義(出席をとらない)の出席率は恐ろしく低い。
遅刻しないで講義に最初から着席する人の数が恐ろしく少ない。
チュートリアルも出席をとらない場合、アサイメントに関係のない場合の出席率は悪い。
学生の半分くらいは授業料を負担しているのは親御さんと思われる。
最初の数回で既に脱落者が続出。
受講の最終目的は「学位」(ひいては「永住権」)だと思われる。
香港(私以外全員香港人):
授業は週1回3時間。少人数だが5分の休憩を除きぶっ通しの講義+チュートリアル。
出席をとっているが、ほぼ全員皆勤(so far)。
遅刻も各週1名程度(同じ人ではない。多分仕事の関係)。
授業料は全て自分持ち(と思われる)。
シニアマネジャー以上。過去に類似講座を受けた経験を持つのに何故か再度受講しちゃっている人が数名(すごい向学心!)。
受講の最終目的は「知識や技術の取得」と思われる。
勝手に結論書いてしまいますが、モチベーションの問題でございましょう。
授業のレベルについて話すと、やはり「大学院の学位(豪)」とオープンカレッジの認定証(香)、というのは、そのまんまの差があります。でもそれは関係ない。自分がどれくらいの深さでコミットメントするか、自分自身を何処まで高めようとするかで大きく変わるので、それを問題にすべきではないと思っているのであーる。
だた私は感動をしているのである。
全員仕事を持つ人たちであるのに、この出席率の良さは何?この授業への食いつきの良さは?寝てる人など、アクビをする人など皆無だ!すごい向上心、向学心。なんて勉強が好きな人たちなんだ!
おまけに。
香港の女性達はいい。
徒党を組んで甘ったれた声を出したりなんかしない。
席も一人ずつ点在。独立心旺盛で、ネトネト感がゼロ。
これだけ女性が居るのに圧迫感がない。
私の前世は上海人だと勝手に言っていたけど、最近「前世香港人説」に変えようかと本気で思っているくらい私みたなタイプばっかりが居る(笑)。
やる気のある多くの日本女性達が香港を目指した時代があった。
その気持ち、めちゃくちゃよく分かるわ。
Posted by akemi at 02:41 | Comments (0)
2006年12月08日
Cultural Diversity
子供の教育について、周りも色々と動き始めている。
うちのお隣さんの香港人ファミリーは、子供二人が今年からオーストラリア(シドニー)留学となり、専業主婦であったママも一緒に行ってしまい、パパ一人が香港単身居残り。子供の教育を真剣に考えた上での結論なのだろう。そういう姿を見て、私も親としてこれでいいのかと、時々グラッときてしまうことがある。子供の将来を考えてあげるのが母親として第一義なのであろうが、私は大学とかの情報を見るとすぐ、子供ではなくて「私が行く」という発想になってしまう。私はまだ18歳か。
同じアパートに住むインド人ママさんからは、もっと強烈なメッセージをもらう。先日、テニスの個人コーチを紹介してもらった時に、彼女は熱弁をふるってくれた。
貴女に紹介するのに変な人を紹介するわけないじゃない。信じて。すっごいプロフェッショナルな指導をしてくれるから。
あ、プロフェッショナルでなくていいんですけど、うちは。
あら、なーに言ってるの!USの州トップの大学に行くんだったら、勉強がトップレベルっていうだけじゃだめなのよ、貴女知っているわよね。例えば、音楽とか、またはスポーツなどが得意で、それも大会で優勝したとかそういうレベルで優秀じゃなきゃだめなの。本当は以前スケートをさせていたのだけど香港に引越してきて環境がないからテニスにスイッチしたの(テニスを彼女の入試の武器にしようとしている)。貴女も何か一つか二つ、子供たちに考えてあげてる?TOEFLとかSATとかの準備もさせなきゃいけないし、あーインドに戻ったら思った通りの教育を受けさせることができるのに、ここは情報が少なすぎる。でもねUSから資料を取り寄せる手配をしたから、まだ時間はあるわ。考えることが一杯すぎて頭がバクハツしちゃいそうっ。
ちなみに彼女の子供は一人である。ちなみにまだ小学生である。
TOEFLとかって、コドモの教育の話題なのかーっ。私のTOEFL対策本をコドモが読む日が来るのかいな?捨てないでおこう。
私は答えた。
ゲッ。うちはダメよ、アメリカ行きたいって言っても行かせられないわよ、高すぎ。うちはもう州トップの大学なんて行けるレベルにないし、だいたい大学に行くかどうかもわからないじゃない。
と言ったあたりで地雷をふみかけた。いかん。彼女に「中卒でもいい。働け」メンタリティを理解してもらうのは、三泊四日強化合宿徹夜討論でも無理だろう。そりゃーこのままp.h.d.までノンストップでいってもらいましょうか、さぁさぁ、っていうテンションの彼女に、私の弛緩しきった教育ポリシーはショッキングですらあろう。
本当、インド人の中の頭の良い人たちというのは、ちょっと普通の勉強できますレベルではなくて、天才と呼ぶに相応しい程のぶっちぎりな高さを誇る。よく長女と「インド人すごいっ」という話題が出る。このインド人すごい説は、私の普通語の先生の持論でもある。彼女の生徒さんの中にも、信じられないスピードで言語を習得していくインド人がいるらしい。すごいとしか言えない。彼女は普段はかなり客観的に物事を判断する成熟した頭脳の持ち主であるが、何故かインド人のことに関しては理性が働かなくなる模様。私が「でも、インド人全てが頭いいわけではないわよ。個人によるわよ、個人に(実際、オーストラリアでITエンジニア出身の学生を沢山見たが、半分はめっちゃすっげー、でも残りの半分は舐めとんかワレ状態であった。)と言っても彼女は首をぶんぶんと横に振って。
「インド人は全員、ぜーんぶめっちゃ頭いいのーっ」
と文化人類学的比較考察をぶちまけ譲らない。
片やご近所に引っ越して来られた某中華圏の教育ライター女史は、以前の私そっくりである。
「宿題がない学校がいい学校。子供は遊んでナンボ。何なのこの学校(我が家の子供と同じ)すっごい宿題ばっかりで、これアカンで。なんで小学生がこんなに勉強せなあかんねん。え?○○○は宿題ないの?リーディングだけ?そっち行こ、そっち(笑)」
みたいな(注:大阪弁ではない)。
わー、これぞ文化的多様性と言えよう。
しかし、例えばすっごい優秀な子供達を持てば、思わず教育熱も上がっちゃうかもしれないけれど、うちの子たちなんか、もう朝から晩まで下ネタばっかりで、最近見たDVD「ピンポン」に影響されて、ピンポンばっかりしてる。しかも、めちゃくちゃな変則スマッシュとか開発していて(完全に吉本ピンポン部劇場みたいな)、もう全身脱力しちゃうほどのアホっぷり。進学以前に無事単位落とさず進級できるか心配というレベル。これ「ドラゴン桜」とか見せたら良かったのかな?(笑)。
Posted by akemi at 23:59 | Comments (0)
2006年12月05日
子育てを科学する - II
さてここで私の個人的チャレンジである。
私自身の暗黙知を形式知に変換してみる。
4人の子供をどうやって公平に扱うか、ということを取り上げてみる。「公平という概念を教授する」のではない。目的は「公平に扱われているという想いを、4人の子供それぞれに抱かせること」である。
さて子供たちがケーキを4人に分ける、という状況を考えてみる。
同じ大きさで4等分することが公平なのか(6歳から13歳までいる)。
大きさを変えるのであれば、どのように変えるのか(年齢による増分比はどうやって算出するのか?)。
実はこれ、我が家の場合は4等分で、末っ子が残す場合などは、それを他の3人がじゃんけんで勝者を決めて、その勝者が残りを獲得する、みたいな感じである。
これは当エントリーの本題ではない。
彼らが常に「親によって公平に扱われている」という想いを抱いている場合、あまり物質的な部分で揉め事は起こらない。不満を抱えていると、その不満が物質的なものへの欲求に反映されたりしてしまう。だからこの物質的なものの分配手法というのは、あまり考える必要はない。子育ての本質ではないのだ。おまけに親が介入せずとも、子供たちの間で解決できる範囲の問題である。
「子供自身の中での公平に扱われているという想い」は、「親側が公平に扱っているという想い」とは全く何ら因果関係、相関関係がない。また物理的な因子としての時間など(例えば、それぞれの子供に同じだけの時間接する、ということなど)も、実は全く関係がない。1時間話し続けても「ママちゃん何も聞いてくれてない」と思う子もいれば、一日一言二言しか話していなくても「自分のことを理解してくれている」と満足する子もいる。かくも子育ては難しいことなのである。
今度は「公平に扱われているという想い」の本質に迫る。「公平に扱われている想い」というのは、要するに「親に対して不満を言う必要がない」状態であるとも言える。実は「公平さ」が大事なのではなくて、他の子供に対して「公平でない(ずるい)」を発する時の心理状態は、「不満」が存在している。
つまり、こうなる。
「公平に扱われて、兄弟平等に育ててもらった」と思うに至るには、育って来る年月の中に「不満」を残さないことではないかというのが私の得た結論である。
次にどうやって「不満を残さないようにするか」である。
そこで私は自分自身のことを考えてみた。
ダンナに対して「満足」「自分は大事にされている」と感じる時はどんな時か、数日間考え続けてみた。
- 仕事で忙しい時に横からちょっかいを出されて好き好きと連発されても鬱陶しいだけである。
- 私が怒っている時に自分の立場が悪くなるのを避けるために神妙に謝られても保身にまわっているだけだと思う。
- 今日あったおもしろい事をダンナに話したら、顔も向けずに返事もしない。思わず「ねー」と大声を出しつつ話を続けていたら、「ふーん」の一言で片付けられてしまった時などは、もう絶対に私のこと愛してないのねっ、と確信してしまう。
- テレビを見ているダンナにお茶を淹れたら、私の顔を見ながら「おっ、気がきくねー、ありがとう!」と言ってもらったりすると、かなりポイントが高い。
- PCに向かっているダンナに話しかけたら、「ほい、なになに」とこちら側を向き、私の話を興味深そうに聞いてくれて、時々ツボにきちんと爆笑したりすると、もうバッチリである。
でね、これで私は膝をポンと叩いた。
ビジネスと同じである。
子供は顧客である。
顧客の満足度を高めるには、顧客の要求に応えることである。
顧客の要求とは何か。
欲しいものを、欲しいときに、こちらが望む方法で(適正な価格で)。
先に述べたように、子供の本当の欲求というのは、実は物質的なものは後手に来る。精神的な満足が第一義なのである。しからば、子供の精神的な満足を得るために、親がすべきことの一番は何か?
いくよ、結論言うよーっ。
子供から話かけてきた時(その瞬間に)、とにかく何をしていてもその子の顔を見ながら全身全霊をその子に傾けてその話を聞く。そしてその子の要求を聞く。
これだけである。実は。
これだけで、子供はコロッといっちゃう(笑)。
その要求というのは、実はものすごく簡単なことだったりする。
高いところにあるものをとってだとか、宿題教えてだとか、私の話を聞いてだとか、工具を使いたいだとか。
それをその瞬間にエプロンで手をふきふき、ハイハイ、わかりました。これね、これでいいかしら、そう、面白いね、なんて頭をなでつつ言うこと聞き続けた暁にゃー、もう子供たちは私の犬も同然(笑)。当然、兄弟間の関係も良くなる。それぞれに不満がないからね。
親側からは、逆に全く働きかける必要がない。鬱陶しがられるだけである。
難しいのは、その実践である。
理論はいい。しかし、これを実践するのが結構難しい。ついつい「後でね」と言ったり、「えーっ」と拒否したり、生返事をしてしまったり。
ということで、暗黙知を明文化したところで、その情報を100%活用(共有)できるかというのは、また別の課題であり、やはり知識管理というものはかくも難しいものなのであーる。
Posted by akemi at 00:30 | Comments (0)
2006年12月04日
子育てを科学する - I
壮大なタイトルを書いてしまう。
現在またまたパートタイムで学んでいるのは「知識管理」なるものであるが、その中で色々と考えて来たことを、子育てのメカニズムに適用してみるとどうなるのか、子育てというのはアートの部分が多く、そこにサイエンスがどこまで迫れるのか、それが今回のエントリーのチャレンジである。
まず何故私が知識管理を勉強しているかというと、最初のモチベーションは「IT技術情報の集積」にあった。で、その技術情報というのは、時には暗黙知(tacit knowledge)と呼ばれるもの(明文化されていない、または明文化できない経験則的なもの)もあり、そういうものを含めての「知識の管理」とその問題点を学ぶというところにあったのである。元々は「暗黙知」を「形式知(explicit knowledge)―明文化された知識」に変換する具体的な方法論などがあれば、それを手っ取り早く習得したいと、そういう狙いもあった。
勉強を始めてみると、「日本人の発想」みたいな部分にどうしても目がいってしまうようになった。実はもともと「知識管理」なる概念は、日本発(野中郁次郎氏が日本的経営の強みを欧米に紹介したのが発端)で、それが欧米でブレークして、現在では日本はこの分野では大きく遅れをとっている。「ビジネス現場における(良い意味での)日本特有の何か」の存在、そしてトヨタのカイゼンなどの経営手法が、なぜ現場の津々浦々まで浸透できたのか、それらを説明するのに、この知識管理という概念が使えないか、現在模索しているところなのである。
「日本人特有の」ということを少し考えてみる。
行間を読む
空気を読む
さじ加減
塩梅
これらの言葉は日本人が好んで使う言葉であるが、これらを明確に定義することはかなり難しいであろう。
例えば、「その場の空気を読んで行動しろ」という言葉を考えてみる。もちろんこれは「状況に応じて判断をし、周囲の誰もが納得し得る行動をとる」ということに他ならない。でも、その状況に応じての好ましいリアクションを考えてみた時に(ある1シーンを切り取って、その状況を例にあげてみても)、「空気を読むのが非常にうまい人」が、そのアクションをとるまでのメカニズムを科学的に分析して、しかもその手法を明文化して残そうとした時に、それがどれほど難しいことか、というのは容易に理解できるだろう。
そこで、子供を育てる母親として、子供に対して私自身がとるアクションを考えてみた時に、それぞれの子供によって対応が違い、それはもう各種各様の状況に応じた「さじ加減」が勝負と思ったりするのである。それを何とか形式知に変換できないかと頭をひねってみたのだが、もう想像を絶する様な情報量であろうと思ってしまうのだ。
例えば子育てハウツー本と言われるものは、その想像を絶する情報量の中の、ほんの一部を紹介したにすぎないのだな、と最近つくづく感じるのである。
例えば、思春期に異常行動を起こす子供に対して、親は「全てを受け入れること」をカウンセラーから指導されたとしよう。このアドバイスがうまくいかない場合がある。何故か。
「全てを受け入れる」という情報が、全てを伝えていないからだと私は思う。
子供がやりたいこと、欲求を全て受け入れる。
子供が誰かを殺したいと言いました。
お店のものを盗みました。
俺のために1億円用意しろと叫びました。
あの女とヤラセロと言い、それを止めませんでした。
「全てを受け入れる」ことの中にも、さじ加減があり、暗黙知を必要とされるのだ。
さじ加減の中には、その時の子供の状況や、親側の心理や、親子関係や、家庭内の事情、他の兄弟との関係、もうありとあらゆる因子が絡み合っていて、それを前提にした上での好ましい「受容」であって、そこまでカウンセラーの先生は、相談に来る親御さんに伝えられるわけではないのである。
「地頭の良さ」というものは、この「暗黙知」の宝庫みたいなもので、昔であれば、その「暗黙知」は比較的うまく伝承されていたのではないかと思う。ところが、例えば子育てのように、従来アートとして扱われるような部分にまで、形式知(明文化されたマニュアル類など)が重要視されるようになり、膨大な暗黙知が放置された形になっているのが現代なのではないかとも思う。
これらの暗黙知の伝承をどうするか。
過去の日本のように、前後左右の人間関係が濃く、伝承の機会がとてつもなく多かった以前のような関係に戻してみる、というのが一つの方法。暗黙知を、人から人へ伝えるという方法である。
もう過去へは戻れないだろう。
そこで、暗黙知をできるだけ形式知に変換する、というチャレンジが考えられる。
ということで、私のチャレンジが続く。
Posted by akemi at 23:55 | Comments (0)
2006年12月03日
Cost related to Allergy
アレルギーを発症したことによる、我が家への経済的インパクトを算出してみる。
元々HK$4000台であった我が家の1ケ月の食費であるが、アレルギー対策と称して試行錯誤の末に色々な食材を買い揃えた結果、9月の食費はHK$8000台へとジャンプ。そして10月と11月でようやくHK$7000まで落としたものの、これって日本円に直すと10万円超え(涙)。来月こそup to HK$6000を目指すべく食費のスリム化を計画しているところであーる。
前提:うちの長男は以下のものが食べられない。
米、麦、オート麦、卵、豚、貝類、カニ、りんご、バナナ、ぶどう、ごま、MSG。
上記の食材を含む加工品として、更に食べられないものとして注意すべき代表的なものには以下のものがある。
調味料類全般:醤油(麦)、酒(米)、みりん(米)、味噌(米)、酢(米、リンゴ、ぶどう)、ソース類(リンゴ)、その他加工品(MSG)。
スナック菓子類全般:小麦粉、卵、MSG等がいっぱい。
ということで、主食から行きましょうか。
何度か書いたのだが、我が家の月間のお米消費量は40キロ(約HK$270)であった。それが現在なんと全盛期の半分、20キロで足りるようになってしまった。しかし、その分、彼は朝にはコーンフレーク、昼食夕食には、ヒエ、キヌア、豆ヌードル、はるさめ、なんてものを大量に消費した後に、更にコーンフレークやポップコーンを食べてお腹をふくらませているのである。
算出してみる。
ヒエ・キヌア(その他とうもろこし粉、タピオカ粉、コーンスターチ、じゃがいも粉、フラックスシード粉などなど) 約400ドル
コーンフレーク(他の子も食べる) 約500ドル
Pura牛乳(コーンフレークにかける、ココアを飲む)約1500ドル
という感じになる(涙)
特に我が長男は元々は牛乳が大嫌いで、今まで全く口にしようとしなかったのに(ココア飲む程度だった)、ヒエ食べるよりはコーンフレーク食べる方が良いらしく、一日に大量の「コーンフレーク牛乳がけ」を食べるようになってしまった。少しぽっちゃり気味だった彼がこの3ケ月で少し締まってきて良かったなと思っていたら、実はこの短期間に5センチも身長が伸びてしまっていて、死ぬほど驚いた。きっとこの大量牛乳消費のせいっ。そのうち牛乳アレルギーとか出てきそうで怖い。
次に野菜である。
無農薬有機栽培の野菜のデリバリーが月960ドル(西洋野菜+アジア野菜6キロ240ドルを4回)、これに根野菜(じゃがいも、にんじん、玉ねぎ)などをスーパーからデリバリー。それに加えてSOGOなどに行く度にさつまいも大量購入(重い)。
野菜に関してこれ以上節約する気も余地もない。次。
肉類、魚介類。
これは全体の購入量が実は最盛期の3分の1くらいになっている(笑)。単価の高いものを買っているので、コストとしては同じか若干減少気味。ミートソースなんぞは、肉類が全体固形物の1割くらいしか入っておりませんが、誰も気づいておりません(9割は各種野菜とマッシュルーム)。次っ。
調味料類。
以前は2ケ月に一回ジャスコに行き、醤油、みりん、酒類を棚買いしていたが、もう行っていない。過去の貯蔵分がまだ残っている状態。醤油の代用として、Liquid Aminoという豆からできた調味料を使う。常に、塩、コショウ、砂糖、レモン、ライム、カレー粉などに、ニンニク、しょうがも必須。特筆すべきは、オーガニックバター。普通の倍くらいの値段がするが、コクと旨みが桁違い。ということで、味付けには、バター、塩、こしょう、ガーリック、というのが現在我が家の一番人気。その他必須なのは、Organic Vegetable Stock Cubes、いわゆるオーガニックコンソメの類。これで何とか中華風のものも作れる。このコンソメだけで月100ドル越えしてしまう。その他ポレンタ(とうもろこし粉でできたドロリとした主食)もそのままでは食べないがチーズを乗せてオーブンベイクすると食べるので、じゃがいもグラタンとともに頻出献立になり、チーズ代が月に400ドル前後(涙)。
菓子類。
これがもう一番頭を悩ませるところなのである。
基本的には、とうもろこし、じゃがいも、さつまいも、などを蒸かしたり、大学イモつくったり、ベークドポテト、じゃがいも餅やチップスつくったりしている。ポップコーンは安いから問題なし。今まではパンやらマフィンなどを頻繁に焼いていたが、それも不可。おにぎり不可。お菓子を与えないという選択肢もあるが、我が家はお菓子タイムのお陰で、何とか夕食までの時間稼ぎをしているため、ここでしっかり食べておいてもらわないと私が苦しいのであーる。
ということで、もう背に腹は変えられない、お金ですむなら、もういいやっ。
ということで単価の高いTerraのチップスやオーガニックコーンチップも買う。もちろん美味しい。だから他の子供たちも食べたがる。もういいや、みんなで食べようっ、となると一回に2袋があっという間に無くなる(というか足りない)。2袋50ドルup也。緊急用にこのチップスは常備してあるので、ついついそれを出してきては皆で食べてしまう。こんな調子でお菓子代だけで1000ドルUP!!(大涙)。豆類、ナッツ類も大好物。豆は良いがナッツは高い!
ということで、節約の余地があるのは、お菓子代と牛乳代くらいかしらん。生乳に匹敵するくらい美味しいミルクパウダーがあれば!!!しかし、我が家の次男はロングライフミルクさえも不味いと言って飲まない(ふざけんなーっ)。もちろん豆乳を喜んで飲むのはダンナと私のみ。
実は一時、これは必要経費だから仕方がないと腹もくくったのだ。でも年間に直すと50万円近く違う!やはり手綱を締めなおさねば。
因みに、ダニ、カビ、ホコリ対策の、毎日の掃除機、布団乾燥機、除湿に関る電気代は、特に問題視されるレベルにないことが判明(真夏のエアコンつけっ放しの方が高い)。
My Labor Cost should be ignored, Anyway...
Posted by akemi at 02:21 | Comments (0)