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2006年11月14日
Identity – I (自我同一性)
Needs(必要)の裏には「喪失」という概念が隠れている。
「無い」から必要だと思うのであって、既に自分自身の中にあるものであれば、あえてそれに「気づく」必要もないのかもしれない。
例えば失って初めて知る「健康の有難さ」。病気になれば健康を熱望するが、当たり前の様に健康であれば、その大切さを知ることもない。
私はずっと「アイデンティティ」なる用語の持つ意味がよくわかっておらず、口にすることもない(使うとすれば、Corporate Identityくらいか(笑))。でもそれが、自分自身の中に既に存在しているために気づかなかったのかもしれない。
と思ったのは、香港に来てからほんの短期間の間に、この「アイデンティティ」という言葉を、全く別の二人の口から聞いたからなのだ。
このエントリーを開始しようと思っている今でも、私はこの「アイデンティティ」という言葉をどこから料理すれば良いかがわからない。でもいつか何かに気づくかもしれないと信じて、少しずつ記しておこうと思う。
現在、香港で米資本のコンサルティングファームに勤める台湾系アメリカ人女性と話をしていた時のことだった。
彼女は一瞬言葉を飲み込んだ。
何の話からか忘れたが、流れる様なアメリカンイングリッシュを必死の形相で聞き入りながらも、洒落た話の一つでもと頭の中で話題を探していた時だった。彼女は飲み込んだ言葉を出そうかどうか迷っている風で、私は好奇心旺盛ではあっても、ゴシップ好きではない。彼女が言いたくもない言葉を無理に言わせることもない。話題を変えようと思った時に、意を決した彼女はこう切り出した。
彼女は、アイデンティティに問題を抱えている、と。
いきなりサビ、である。
彼女の話の要旨はこうである。
アメリカの教育では、瞬間瞬間で自分の意見が求められるらしい。熟考して論理的な結論を言葉を選びつつ出すというよりは、頭によぎった言葉全て(それは時には全く意味を持たない様な言葉であっても)、とにかく何らかの言葉を瞬間的に出すことを求められるそうだ。クイックレスポンス。指をパチンと鳴らす様なタイミングで、即自分の意見を言わなければならない。誰の指示も受けない、自分だけの価値観で自分の意見を正々堂々と表明する。アメリカ人の家庭に育ち、アメリカの学校で学んできた学友たちは、それが自然にできる。でも、彼女にはそれができない。
何故ならば彼女の家庭内は、台湾の価値観で動いているからだ。
彼女は、幼い頃から「子供というものは親に従わなければならない」という価値観のもと教育されてきたそうだ。親に反抗したり、批判したりは許されない。黙って親の言うことを聞くことが即ち正しく良い子供であると言い聞かされてきた。
家庭内では黙って従え、外に出れば自分自身の意見を言えと。
そんな中、彼女は自分が誰なのか、自分の国籍はアメリカだけれども、純粋なアメリカ人とは違う、でも台湾人とも違う。離す言葉はアメリカンイングリッシュで、家庭内の会話程度なら台湾語で困らない。だけどどちらにも所属してない感じがして、彼女は自分のアイデンティティが崩壊していて、自分でもどうして良いかわからないと言うのだ。
ねえ、それって決めなきゃいけないことなの?台湾人として、とか、アメリカ人として、とか、そんなのどうだっていいじゃない。私の目の前に居る貴女は、二つのバックグラウンドを持つ、それこそユニークな個人であって、それの何処に問題があるのかが全くわからない。
とは、言えなかった。
私は、うんうん、とだけ頷いて、でも気の利いた台詞の一つも言えぬまま、多分、それが貴女の魅力なんじゃない?とか、彼女の欲しかった何らかのヒント、とはかけ離れたカラッ滑りな言葉を吐いて、一まずその場を離れたような記憶がある。
その日から既に1年ほどの月日が流れた。
彼女が強く強く感じ入って、片時も離れないであろう「アイデンティティ」の重みを、私は未だによく理解できないでいる。
Posted by akemi at 2006年11月14日 01:14
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