« Have a lover? | Main | はじめての西貢 »

2006年07月29日

夢で会えたら

運転免許証を取得。セダンから8人乗りの中古車に買い替え。ドライブが楽しくなってきたある日のことだった。

私は自宅すぐ前に停めた車に颯爽と乗り込みアクセルを踏んだ。自宅から出て左折。横断歩道に人影が見えた。その人と目が合った瞬間。

私は叫び声をあげながらブレーキを踏んだ。

が、

間に合わなかった。

という夢を見た。

昔から私の見る夢には、色、音、温度、味や匂い、生々しい手の感触など全ての感覚がある。慢性的な睡眠不足で寝床に入った瞬間に朝、という日々を数年続けているので、夢を見るのは、時々まとめてたっぷり眠れた日の朝方に多く、そしてそんな時には、誰かが私に何かを伝えようとしているのではないか、そんなことを強く感じる夢を見ることがある。

ドライブに慣れてきた私への警鐘だったのだろうが、私はその夢の中で、人を轢くときの車のものすごい衝撃、直前に目があってしまった被害者の人のこと、そしてその時、叫び声を上げながらブレーキを踏んだにもかかわらず、無常にも数メートル私の車が進んでしまったという事実。そんなもの全てを疑似体験してしまった。そして。

その時の私自身の感情も。

今でもありありと思いだすことができる。

一人の人間の鼓動を止めてしまうというその瞬間、私は、被害者の方のことなど少しも考えてなかった。気が狂いそうに叫びながら私の脳裏をかすめた言葉。

私の人生これで終わりーーーーーー

私はそう思った。確かにそう思っていた。

夢からはっと目が覚めて、夢だとわかり、私は誰も殺していないと気がつき安心した。と同時に、冷静になった私の脳裏から離れない、私自身の冷酷な感情を思い出し身震いがした。私って結局は自分のことしか考えていない非情な人間だったのだ。


そして1週間ほど前、もっともっと哀しい夢を見てしまった。

私は子供たちの運動会を見に行っており、何故かそこには私の子供のうち3人しか居ない。その場にいない一人は、昨年の運動会には居たのに何故今年はここに居ないのかな、寂しいな、もう一度会いたいなと、何度も何度も思っていた。そこへ携帯電話が鳴り出てみると、その場に居ない、そう、何故か亡くなってしまっていた私の子供からの電話だった。

私は驚いて、今何処にいるの?どうしてここにいないの?会いたいからすぐ来てと何度も懇願するのだが、電話に出たその子は、もうそんなことはどうでもいいから連絡したいことがあるから、それだけを言うために電話をかけてきたのだから、それを言わせてと言いたげだった。

私は何とか会話を引き伸ばそうと必死になって何度も問いかけた。その子供は、とても面倒くさそうに、言いたいことだけ言うからちゃんと聞いてね、と言うのだ。私は、わかった、わかったから何なの?と聞いてみた。夢の中でその子が言った言葉に、私は愕然とした。

あのね、ママちゃん。目の前に居る子供を見ていないっていうことは、その子を殺しているのと同じことなのよ。

情けないママをたしなめるように、その子はもう世話がやけるんだからと言いたげに電話を切った。

残された私は、夢の中でも目が覚めてからも、その言葉がどこからやって来たのか、誰が夢の中でその子に言わせたのか、亡くなった大好きだったおばちゃんが、私に何かを伝えに、私の子供を使って言わせたのかな、と色々と考えてしまった。

目が覚めてからも、私がちゃんと見ていなかった子供は誰だろうかと、一人一人の最近の言動を色々と考えてみた。全員かも知れないし、その中の一人かも、二人かも知れないし。わからない。私はどうすべきなのかがわからない。

それから数日間、忙しい中でもふとその台詞が蘇り、今までよりも今年は、子供たちの方にも気持ちが向いているし、私は子供を受験などに駆り立てることもしないし、その子その子の良い部分を見て、必死で目の前の子供たちを見ているつもりなのに、それでも足りないのかと思うと絶望的な気分にさえなった。

答えがどこにあるのか見当もつかない、そんな気持ちで数日間を過ごしていたのだが、先日、何故か「あっ」と自分なりの答えが見つかってしまった。

私が見ていないのは、私自身。私が殺しているのは現在の私。
私はいつも、自分自身の内面をフィルターにしつつも、見ているのはいつも将来の私。もう物心が着いた頃から、私が見ているのは未来の自分しか居なかった。

今の自分自身の生活をエンジョイしよう。

そんな甘っちょろいことに気づいたのではない。
私は自分の中に無いものを獲得しようと毎日必死。ある程度獲得したと思ったら、次なる標的がどんどんと増幅していっている。目の前にはTo Do Listや目標やスケジュールがびっしり。それを消化することで、確実に過去の自分との差分を認識し、成長を実感する。でもその次には新たなリストが増えて、私の人生にはゴールがない。私は自分の足元を見たことがない。過去を振り返ることもない。ゆっくりとソファーにすわってぼーっとすることもない。常に2つ以上のことを同時進行させる。子供にまで、ママちゃんは普通の人の何倍もの人生を生きてる、なんて言われていい気になっていたが、実際のところは、私は一人分の人生もしっかりと生きていない。

私は常に幽体離脱するかの様に、意識をふわふわと将来に浮かべ、自分自身を見ていなかった。現在の自分を見ていない人が、目の前の子供たちのことを本当に見れていたわけがない。もちろん、子供たちと過ごす時間を楽しいとか、カワイイとか思っていて、全くないがしろにしているわけではない。でも、私は子供に何かを期待することなど何もない。私は自分の将来にだけ期待をして、子供の人生は別物だと思っている。それは私自身としては子供の人生を私物化してはならない、という表面的には立派な思想をバックにしているつもりだったが、それは同時に、地に足ついた日々の生活の中に人生がある、という考えとは交じり合わっていなかった気がする。

ある日、子供たちと夜道を歩いている時のことだった。何かの話のひょうしに、

人間はいつか死んじゃうのにね、今やっていること全てが無になっちゃうのにね、じゃーなんでこんなに必死になって生きてるんだろうね、生きてても死んじゃうのに、なんで人は生まれてくるのかな。

ちょっと自嘲気味に言ってみたが、子供の一人がこんなことを言った。

ママちゃん、僕思うんだけどね。人はね、楽しむために生まれてくるんだよ。だからいいんだよ。いつか死んじゃってもね、意味ないことないんだよ。

人間の命は尊い。彼はどこでそんなことを思う様になったのか。こんなべっぴんでも無い、料理だって掃除だって手抜きして、毎日毎日忙しいばかりの私のところに生まれてきて、楽しむために生まれてくるだなんて、そんなキラキラした瞳で言ってくれちゃって。

泣けちゃう。この子たちと過ごせる時間は限られているのに。

だからと言って手を緩めないよ。夢があるからね。でもそんな中でも今の自分自身を受け入れる方法があるはず。どこかに何かのヒントがあるはず。毎日毎日そうやって考えていたら、いつかまた夢で誰かが教えてくれるかな。

Posted by akemi at 2006年07月29日 03:52

Comments

Post a comment

Thanks for signing in, . Now you can comment. (sign out)

(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)


Remember me?