« 2005年12月 | Main | 2006年02月 »

2006年01月25日

The hottest Topic for me - not Horie-mon, but JOBS!!

イマ一番熱いオトコと言えば永遠のスーパーヒーロー、ジョブズ!ここまで来たか!

Posted by akemi at 11:26 | Comments (0)

2006年01月21日

現実逃避はまだまだ続く

「5センチ。」今日からフルストリーミング開始やんかーっ。

二人仲良すぎよーっ。

Posted by akemi at 00:37 | Comments (0)

2006年01月19日

オレオレTea au lait

今現在H-tea-Oのカップでコーヒーを飲んでおる。

Admiraltyにあるのだけれど、思わずフラフラーと吸い寄せられるように入ってしまったティーオーレのお店。スタバの紅茶版といったところ。

とりあえずスタンダードなティーオーレをtake awayで頼む。

OK、TO GO!

ををっ、このお店はアメリカ資本なのねーっ。

お店の人のリアクションに驚きつつ、口にしたそのティーオーレであるが。

ナイスッ。

ストレスたっぷりの御貴兄。是非ともお試しをば。カモミールティのようなハーブテイストたっぷり。私なんざ一口飲んで一気にFeeling Better & Calm Downしてしまいましたがな。(ちなみに子供4人に飲ませたら4人ともうっげーっとか言って首ふってました。なんでーっ?)

で驚いたのがそのカップ。思わず「Take Awayって言ったんですけどーっ」と言いにいこうかと思うほどのしっかりしたカワイイカップ。実はこれ3ドルデポジットらしい。次回このカップを持っていくと3ドル割引になるのだろう、多分。(日本のスタバでは常にマイカップ持参組だったが香港では初めて!)

確かにAdmiralty にオフィスがあるならともかく、何でも自分で作ってしまう私がこのカップ持参で再度このお店に行くということは考えられない。

でもこのカップ、かわいいのだ。自宅で飲むにはデカくて普通のコーヒー2杯分くらい入るし、ロゴもエコロジー色で気に入って使っている(しかし色に染まり易いのだ!)

IKEA(私は未だにこの名前の香港での呼び方が分からないのーっ。漢字4文字なのよ?どう読むのーっ?因みにオージーたちはアキアと呼ぶ。最初のアはイとアの間のアよ)で安いカップを買っているのだけれど、すっごい割れ易いのだ。でもこれは同じくらいの値段で割れないから重宝。

で結局カップだけかいっ。


追記:豆乳その後

1リットル分の豆乳をローションに加工した残りは、豆乳鍋として一気に消化(知らなかったわーっ激旨やんか。日本で流行ってたのねーっ。まだご存知のない方は是非お試しを。豆乳とその半量分の濃い目に味付けしたダシで割ります。

Posted by akemi at 15:11 | Comments (0)

2006年01月17日

打倒!盛田屋!SoyBean Lovers

最近のカオルは豆乳、豆乳、とウルサイ。毛深いことにちょっぴり悩んでいる彼女は、豆乳ローションを作りたくって仕方がないのである。

オーストラリアで作った時にかなり調子がよかったらしい。そこで、私も時々思い出したように豆乳を購入するのだが、それを使って彼女がローション作りに何度挑戦してもうまく分離しない。そこで発見。香港の豆乳ってみんな「糖」が入っているのよーっ。成分無調整でないと出来ないと分かったのはかなり経ってから。

たしか某高級スーパーでオーストラリアで使っていたのと同じ豆乳を見かけたような気がするので、それを買うのが確実なんだろうけれど。

高級スーパー行って買うという趣味がない。何度か行ったことがあるのだけど、結局何も買わずに出てきちゃうのだ。だって同じものがウェルカムにいくともっと安い(しかもそこから赤札ついているのしか買わない)のに、なんでこんなところで買うねん。

とかブチブチ言っている間に買いに走った方がええんちゃうかと思っているとカオルがまさかの一言(というか彼女の性格からすると当然予想できた発言なのだけれど)。

もう、豆乳も自分で作っちゃう?

と言うが早いか、ちょっと行って来るわ、とオバサン的イントネーションの言葉だけを残し彼女は出て行った。

しばらくして帰宅した彼女は、

もー、こんな小さな袋(300グラム)しかなかったわよーっ。

と少々憤慨していた。キロ買いが常の我が家、300グラムが御不満の様子。で、結局彼女はそれを6袋買ってきた。2キロ弱。

敵が敵なら私も私。

あー、もう1キロ余分に買ってきてもらえばよかったーっ、お味噌作ろうと思ってたんだー。

ふふふ。日本から「米こうじ」持込済み。早く味噌漬け込まないと甘酒にしてしまいそうで自分が怖い。しかしこれも今回は「四川省の塩」で漬け込んでみようという壮大な計画が持ち上がっており、次回のダンナの四川省出張に期待がかかっておる。はよ行ってくれ。バスソルトも無くなって来てるんやから。

ということで1キロはそのまま納豆に直行。600グラムを豆乳作成に使おうと計画。そのまま両者はたっぷりの水の中で一昼夜。

翌日。

この手の作業はすべてカオル担当なのだが、彼女は宿題満載。「宿題終わったらやるから置いといてーっ」という言葉を聞きつつも、早くおからを取りたい私は作業開始してしまった。水ごとミキサーにゴーっ。水を足して焦る私。

我が家で一番大きな鍋ギリギリの大量な呉汁。

レシピ通り1カップにすれば良かったと思いつつも作業を続行。その呉汁を温めるのだが結局30分くらい鍋をまぜまぜ(ホンマは忙しいんやーっ!こんなことしてる時間ないんやーっ)。その間脳裏に色々な思いがよぎる。

私、豆腐屋に嫁がないでよかった。

つまんなさすぎる。この混ぜ混ぜ。放って置くと焦げ付きそうだし、混ぜても感触が変わるわけでもなく、ただただ混ぜ混ぜ。混ぜた後には布袋で濾す。

手造り豆腐っていうのはどの工程を「手造り」しているのだろうか。

そんな疑問も湧く。ミキサーで潰す工程だったらすごすぎる。いや、それはないだろう。やはりこの混ぜ混ぜが手混ぜなんだらうか。でもここを機械でやったからといってテイストが変わるとは思えない。しかも豆腐屋さんの呉汁の量って、この100倍くらいあるんだろうし、そんなの人間で混ぜ混ぜして何のメリットがあるのかーっ。きっと絞る工程だらうか。手絞りって言うくらいだし(それは胡麻油)、手絞りがつまり手造りなんだろう、いや、絞るのって大変なのだ。もう力はいるしね、熱いしね。豆腐作りで一番やっかいなのが絞り。そこを手絞りだったらすごすぎる。価格に反映しても仕方があるまい、この作業量。

で結果。3リットルの豆乳と、1キロ以上のおからが生成。おからは乾煎りしてそのまま冷凍庫行き(卯の花とおからクッキー作成用。その日に作成する気力がもうない)。

使った調理器具をガシャガシャとお風呂に持ち込みお湯で濯ぎ洗い。ふふふ、そうよそのまま豆乳風呂として利用(せこすぎるっ。ちなみに手っ取り早くすべすべのお肌をゲットしたい場合は豆乳風呂に限るのよ)。

で、豆乳である。

もう3リットルも化粧水作りたくないよーっ、カオ。仕方がないから急遽豆乳石けんも作る。しかし既に主婦湿疹がすーっかり完治ですべすべの手に戻った私は、石けん作りにもモチベーション低下中。因みにローズローズ石けんが我が家では大好評。漢方石けんは臭いでアウト。結局、キッチンで使っている。洗濯用スティックはバッチリ、でも減りが早すぎなので次を作成せねばならないのだけど。

豆腐作るのも面倒だしーっ、ということでニガリを入れて電子レンジでふわふわ豆腐作成。出来た湯葉を思わずストレート食い。今度は深底ホットプレートに豆乳注いで子供たちとアツアツDIY湯葉パーティでもやろうかとか、どうでもいい計画だけ持ち上がる。

誰が止めてくれ。

ニガリも日本から持ち込んだのだけど、我が家の子供達の間では「香港の海水からニガリを作成する実験」計画も持ち上がっており収拾がついておりません。

カオは豆乳ローションが好きみたいなのだけど、私は佐伯チヅさんに戦いを挑んでしまいオリジナル化粧水を既に作成、現在使っている。美肌なんとかシリーズを日本で読んで感化され、そのまま実行しようと試みるも、2冊目に読んだ本に、化粧品にお金をかける必要はない、と書いているにも関わらず、化粧水ごときの値段を高いと思ってはいけない、安い化粧水はそれなり、高い化粧品を使う心のゆとりみたいなことを説いてらっしゃったので、私の脳裏にメラメラと戦いの炎がーっ。

高価な化粧水をたっぷりとコットンに含ませるなんて芸当、10年たってもできそうにありません。

バシャバシャとたっぷり使いたいなら安価なものに限る。たっぷりのカット綿を朝晩に使い捨てなんて、私には出来ない。

たっぷりの化粧水、ビタミンCも必要、3分以内のカット綿パック。

手作りしてやろうじゃないの。ということでビタミンC配合(って緑茶)、保湿成分たっぷり(蜂蜜)、うっとりするような香り(ローズ+ベルガモット)で出来上がったのが以下のレシピ。

あけんのオリジナル化粧水

ローズ茶を煮出して、そこに抹茶も投入
コーヒーフィルターなどで濾す(私は手ぬぐいで濾したわよーっ)
暖めなおして蜂蜜投入
冷めたところにベルガモット精油
これをスプレー容器に入れてすぐに使えるようにしておく。

使わない分は冷蔵庫保管。

これをたっぷりティッシュに含ませ顔面すべてを覆う。その上からとどめのスプレー。3分弱でティッシュをとって、お好みのクリーム系でしっかりとカバー。私の場合はオーストラリアで大量買いのプラセンタクリーム(安いやつよ)。ちなみにベジタリアンの外国の方にうっかり「プラセンタクリーム使ってる」と言っちゃーいけません。かなりショッキングな響きらしいです。そりゃそうか。

ところで発見。私は何でも香港の水道水で煮炊きしていたのだけど、ご飯を炊くのに一度ミネラルウォーターを使ってみて分かった。真っ白に炊き上がったのだ(汗)。今でもご飯とコーヒー以外は水道水なのだけど、この化粧水は水道水でなくミネラルウォーターで作っているので(精製水がべストなのかな?使ったことなし)、自分としてかなりグレードアップ。安いのでバシャバシャ使えるので、朝晩かかさずたっぷり使っているのだ。

偽薬反応(プラシボー効果とも言う。ビタミン剤をその病気に効くと偽って飲ませても、症状が改善する場合がある。メンタル効果を狙う)。高い化粧品を使っているというイメージを加味したい場合は、ボトルをお洒落なものにすると直良し。ローズ茶と蜂蜜の香りが結構ゴージャスに思える今日このごろである。

Posted by akemi at 16:20 | Comments (0)

2006年01月07日

時代は小池徹平

だろ、やっぱり。

紅白歌合戦で、マイク転倒のアクシデントの中、相方のウェンツくんと目くばせをして元気いっぱい笑顔で歌う彼を、NHKのカメラが大写し。

この瞬間。

日本全国で300万人ほどファン数がアーップしたと思ふ。

日本のカルチャーに疎い(というか全く知らない)私が、彼のことを事前に知っているはずもなく、オヤジ気質の私が若い男にキャーと言うはずもないのだが、しかし。

彼はカワイイ。めちゃくちゃカワイイのである。

うちのカオルも12歳にして「もうオトコはコリゴリ(原因、うちのダンナ+3人のオトコ)」と言い、男の話題のカケラもない。しかし、そんなオヤジ気質のカオルまでが徹平くんに対してはまんざらでもなさそうであった。

場所はコーズウェイベイ。ベッカムの大写し広告を見ながら「ベッカムってあんまり男前でもないな」などと思っていたら突然カオルが「ベッカムってハンサムに見えないんだけど」などと言い出した。私と感覚が全く同じね、カオ。

「むかしはめっちゃ美しい顔だと思ったけどねー。ベッカムだったら徹平ちゃんの方がいいよねっ」

などと思わず本音を口走るとカオのリアクションが意外。

「うんっ!(ハート)」

か、かおーっ。「うんっ」の後にハートがついてんでーっ。
オヤジ気質の私たち親子がハマるくらいだから、きっと世の中のオヤジ諸氏が「うむ。彼はカワイイかもしれへん」と父性を刺激されているに違いない。

もうね、彼にはマサミチ(体操の)お兄さん的な健全さとポジティブオーラが出まくりなのよ。

私も今年はポジティブオーラを出しまくるぞーっ!!

追記:とうとう「Hey!Hey!Hey!」なんぞ見てしまった(兄貴に録画してもらったDVDに入ってたのよーっ。今まで気づかなかった私ってアホーッ)。もちろんWaT部分のみなのだが、うなっちゃったよ全く。徹平クンの可愛さは相変わらずだけど(真面目で純粋なところがまた良い)、ウェンツくんの芸人魂、すごいっ。オヤジの私は彼の中にものすごいプロフェッショナルを感じて関心することしきりであった。ウェンツくんの方がいいかも、というとカオが「そうぉ?なんか彼はキツイ気がするなー。私はテッペーくんの方がいい」などと言っていた。ほーっほっほっ。ウェンツくんの良さが分からないなんてカオもまだまだガキねーっ。

Posted by akemi at 18:56 | Comments (0) | TrackBack

2006年01月03日

「力」とラベリングの日本

日本から香港に戻って、今日「紅白歌合戦」を見た。

と言っても、私の兄に録画してもらったものをスキャンして面白そうなところだけをピックアップして30分ほどで見ただけなのだが、久しぶりにテレビなんか見ちゃって嬉しい私である。

ゴリエちゃん最高。彼女だけで3回も見ちゃった。
倖田嬢、初めて見たけどすごいっ。今年目指すならあのボディーかしら(恥知らず)。
天堂よしみさん、すごかった。感動しすぎで号泣しちゃいました。

久しぶりに日本に帰って見て感じることは多々あったのだが、その中でも、何にでも「力」を語尾につけた名詞化用語を多用(結婚力、論理力、対人力などなど)することと、数的裏づけの乏しい単純なラベリングで人間を類型して論ずる傾向(負け犬、下流などなど)にはしばし閉口。前者の「力」の意味は、多分、活力ではなく能力を意味するのだと思うのだが、定義が不明瞭なままに何となく納得できてしまう錯覚に陥る。しかし、例えば「結婚力」などと語ったときに、それは「結婚する能力」的な語感を与えてしまうので、「結婚=善」だとか「既婚=能力アリ」的な恣意を読者に与えているような気がしてならない。

窮屈だな。全く。

もういいかげんメディアもキャッチーな話題ばかりを探さないで、もっとコトの本質に迫るような深いことを語れよ。

「ゆとり教育」に対する批判もすごい。私は基本的に寺脇研さんの物の考え方に賛同しているが、結果的に家庭の果たす役割がクローズアップされて、激しい二極分化が起こってしまったような印象(教育に関心のある親とそうでない親)は否めない。

私は日本の高等教育(大学教育)が変わらない限り日本はどうしようもないと思っているクチなので、子供たちは出来れば日本から離れたところで高等教育を受けて欲しいと思ってはいる。しかし実際は、子供たちが自分で決めることなので自分の価値観を押し付ける気持ちもない。失敗しても後悔しても自分で決めたことにゴーして、自分で結果を受け入れていくしかない。

私が日本の大学が嫌いな理由はいくつかあるが、特に

1、日本の大学教授は「自分たちは教育者ではなく研究者である」という感覚がしみついていて、学生への教育にパッションを感じたり、時間を割いたりしない。
2、課題で出典なしに、他人の著書のコピーをしても「優」が取れるような、国際的感覚で言うと信じられないようなことが日本の大学の現場にはある。
3、勉強しないで卒業できる。

の三点が特に論外だと思っている。よくそれで「○○学士」なんて授与されるよな。

日本とオーストラリアの両方で高等教育を受けた経験からすると、オーストラリアの教授の質には驚いた。課題の採点も実に丁寧、生徒からの質問に時間をたっぷりと取って下さるし、授業が実にパッショネート。黒板に向かって一人ブツブツなんて教授など一人も居ない。「我々は教育者である」という認識が徹底していて教育者としてプロフェッショナルであろうとする。しかし日本の大学で教鞭を取っているかなりの人たちが、教育者としてよりも研究者としての自分のキャリアアップに意識が向いているのが露骨に分かる状態。

大体、論理的思考、コミュニケーション、段取り、質問、交渉などなど、実際の仕事で必要とされる能力を、日本の大学では全く必要とされない。しかしオーストラリアの大学では、プロジェクトやグループワークや、プレゼンテーション、アサイメントなどを通して実に多くのこと(前述の論理的思考など)を学ぶ。高校(前半)までの教育が、アジア人からするとのんびりしている様に映るのは、このような点数に表れない、脳を多面的に磨くことに主眼を置いているためではないかと思う。親の方も大学(それと大学入学前の2年間くらいは一気に大変になるらしいが)に入るとかなり勉強をしなければならないことがわかっているので、それまではあまり机にかじりつくことを強要しない。しかしアジア人の親はそういう年齢でも自宅や塾で必死に学ばせようとするので、高校まではアジア人が成績上位を占めることが多々あるが、それがずっと続くわけではない。

確かに私もアジア系の人たちの(平均的)優秀さには感心する。でも欧米系で優秀な人たちを見ると、ちょっと格が違うというか、アジア的優秀さも凌駕する「すべてにおいてトップレベル」みたいな人たちが居るのだ。私が学んでいた時に鳥肌が立つほど優秀な学生が二人居て、一人はアイリッシュの女性、もう一人はオージーの男性だった。二人に共通しているのは、何かに突出している、のではなく、すべてにおいて突出している、という点だ。

アサイメントのクリエティビティ、リーディングの確かさやその吸収力、文章の構成力、論理的な整合性をはじめ、課題に対するパッション、プレゼンテーションにおいても、声の出し方、聴衆を飽きさせない構成、身振り手振りまでがプロフェッショナル。プロジェクトにおいては、プロジェクトの遅延部分をカバーしつつリーダシップも取る、人一倍睡眠時間も削っていながら愚痴一つ言わない。ミーティングをしても時間を全く無駄にせず、建設的な話だけをポンポンと進めて、さっと切り上げる。特にアイリッシュの女性とは一緒に居る時間が長い時期があったので、かなり刺激を受けたのだが、彼女の考える完成度(や仕事におけるプロフェッショナル度)というのは、「目指す」のではなく「プロとして当然のレベル」という認識であることがありありと感じられたのだ。

私がいつまでもキラキラを目指してしまうのは、そんな周りをも感動させる彼らの様な域に、いつか達したいという気持ちが強くあるからなのだ。そして彼らの幼少の頃を勝手に想像してみると、それは「晩の遅くまで塾通い、机にかじりついた青春」でないことだけは確かだと思ってしまう。私が子供を塾に追い立てないのも、勉強は自分で必要と思った時にいくらでも吸収することができるけれども、こういった多面的な能力は、一朝一夕に身につかないということが身にしみてわかっているからだ。目に見えた点数で子供の成長を計ることはたやすい。寺脇研さんも、そういった目に見えない部分の重要性に気がついて、それをしっかりと脳の柔らかいうちに多面的に身に着けていくべきだと思っていたに違いない。点数として測定することができないために、結果が出るまでに批判だけが増大していってしまった。残念でならない。しかし実際には、いや本当の問題点は、教育の現場に「今日本で必要とされる人材を育成できる教育者がいない」ということなのだろう。

日本に居る間、私はかなりウェットな気分にもなり、自分の人生すべてを愛する家族や親戚などのために使うべきなのじゃないか、それが結局自分にとっても後悔のない人生なんじゃないかと思ったりした。

香港に向かう飛行機の中でも、目の前の風景がぼやけてしまうほどに何度もウルウルとなってしまったのだが、香港に着いた途端に、私の目はパキンと乾いてしまった。

なんてぇ街だ。

乾くだけではなく、涙で美しく洗われたはずの私の気持ちまでもが、パキパキとドライアップしてすっかり攻撃モードに逆戻り。今年は、いつも通りハートは熱く、しかし自分の中の偏向性を認識して、立体的に自分をインプルーブさせようと思っている。立体的にというのは、脳の一部分だけではなく、内面も外側も、勉強も仕事も遊びもガンガンやるのだ。今までは勉強ばっかり仕事ばっかりで、そういう時は、それ以外のことに目を向けることが即ち「逃げ」みたいに思ってしまっていたのだけれど、それが逃げではなく「幅」になるのかな、などと思うようになってきたので、食わず嫌いをなくして、ガンガン遊ぶのだ!(って時間があるのだらうか。)

Posted by akemi at 01:04 | Comments (0) | TrackBack