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2005年08月29日

食えない「あけん」のプライベート

日本を離れて3年。もともとテレビを見ない私は、今の環境を困ったと思ったことがない。メルベンにはもともと日本語の放送などなかったし(毎日30分のNHKニュースはあったが、ほとんど見ず)、香港にはケーブルTVにNHKのチャンネルがあるのだが契約してない。誰も見ないからだ。

私の日本に関するニュースソースはもっぱら、asahi.comだったり、IT関係のビジネスニュースサイトくらいなのだが、必要な場合は、都度検索をかけるので、大体のメジャーなトピックはカバーできていると思うのだが、日本のテレビ番組などでどういう報道がなされているのか、多くの日本人がその問題に対してどういう意見を持っているのか、というニュースの「温度」が全くわからない。

たまたま24時間テレビの100キロマラソンがスタートを切ったというニュースを見つけた。今年は高齢の某弁護士が登場、という話が出ていたのだが、24時間テレビのスケジュールもその弁護士の方のことも全く知らなかったので、検索してみた。ライバルの弁護士氏のことなども書かれていたりしたのだが、あるサイトに「100キロマラソンに完走して、そのライバルに肩車された」という記述を見つけた。日本版Wikipediaである。私がたまたまそのページを見たのは、日本時間の9時前。そこから日本テレビにアクセスして事実確認をしたら、やはり感動の完走場面についてのレポートがあった。それを見て私は非常に感銘を受けてしまった。

完走にではない。

いや勿論、それは非常に感動的な場面であっただろう。バックグラウンドストーリーを読めば彼の生き方には感銘を覚える。しかし日本に居てテレビにかじりついているわけではない私からすると、事実しか浮かび上がってこない。日本全国を包まれているであろう「感動の嵐」が、自分自身とリンクしない。温度が分からない。だからその「感動」は私のものではない。

私が「感銘」を受けたのは、ニュースサイトにまだ出ていない「完走」というニュースを、どのサイトよりも早く(実際には日テレと同時くらいだったのだろうが)Wikipediaに文章を追加した人がいるという事実だ。日本全国で人々が感動をしているのと同時に、その事実を歴史の一ページにきちんと「文章で」加えた人がいるという事実。

この事実は、信じがたいほどに私を武者震いさせた。何という時代。大前研一氏が「インターネット革命」を世に出したのは、今から実に10年前。今さらインターネットが革命だ、と騒ぎ立てたいわけではない。BLOG元年と言われた年を経て、ネットの世界はどこへ行くのか。

ここ数ヶ月、私はずっと自分のBLOGの退路を探し続けていた。人間というものはいつ死と直面するかわからない。自分の子供たちが「ママちゃんは、あの時、あの時代、何を考えて、何を想って生きてきたのか、自分たちをどう思っていたのか」そういうことを伝えられずに死ぬのかもしれない。何かのヒントになるかもしれない、そう思って記してきたこともある。時には自分の中で消化し切れないものを吐き出すことで整理できたことが沢山ある。私にとってはある種のライティングセラピーみたいなものであったのだろう。

しかし、もともとの天邪鬼な性格が災いしてか、色々な人のBLOGを読んでみて複雑な思いがわき上がってきた。それは特に作家の方だとか起業家だとか、そういう人たちのブログに対して、複雑な思いがあるのである。

著書を読んだことはなかったのだが、ある有名な作家のブログを読んでいた。その人の生活は普通でない部分も多くあったが、信じがたいほどに普通でもあった。優秀で恐ろしいまでの洞察力を持っているであろうその人のブログには、悩みだとか自信のなさだとか、時にはこちらが心配になってしまうほどの無知さをも曝け出していた。楽屋裏を見てしまった様だった。私はプロの仕事というものにとても感動する。友人のモデルの女性が一日かけて準備をしたものを、数秒の撮影にかける。見ている人はその一瞬から彼女の一日の苦労を嗅ぎ取ることはできない。さも簡単にパチンととりましたという雰囲気しか見えない。でもそこがプロなのだ。

昔は成功した起業家のことは、インタビュー記事や本人の著者など、そういったものでしか伝わってこなかった。人々はその記事の行間を必死で読み取ろうとし、どこが普通と違うのか感じ取ろうと思った。しかし、今現在、自分と同じ時間を生きている経営者が、自分と同じ様に悩み、苦しみ、時には情けないことを吐露したりしているのを見ると、またまた楽屋裏を見てしまった様な気がして複雑な思いにかられる。自分自身が悩んでいて助けが欲しい時には、そういうメッセージは自分を安心させる。そして甘やかしてしまう。

私って本当に勝手な生き物だ。

人間には表と裏があって、オンとオフがあって、陰陽があって、ハレとケがある。全てを曝け出してオールヌードが一番色気があるのか、というとそうではない。

ここ最近、世の中の流れの早さに驚くことが多くなった。その驚きは時には「震撼」に近い恐怖感をも伴った。見なければ、知らなければ、世の中は平和に澱みなく流れていく様に思えたが、実際には上流から滝つぼに水が流れ落ちるが如く、ドタンバタンと流れていく。それも24時間365日止まらずに。私が寝ている間にも、BLOGで心情を吐露している間にも。

ネットの上に情報が溢れ、それを整理するポータルや、売買するオンラインショップ、各種手続きもネットを通じて出来る時代になった。個人のBLOGや日記サイトが増殖し続ける。10年後の状況が読めない。

ネットの世界は、そして人間の生活は、いったいどこへ向かって行くのか。

ただ言えることは、「私」がブログで日記風のエントリーを続けることに違和感を感じ始めているということだけだ。世の中のBLOGについて言っているのではない。今でも私は色々な方のBLOGから、有益な情報や、色々な考え方を学び、自分自身の糧にしていっている。しかし、「私自身」のライティングセラピーは、もう自分で食えないと思ってきたのだ。つまり私は自分のプライベートに興味がなくなってきたのだ。自分自身の価値観やライフスタイル、優先順位に決着がついた。リーチ。もう自分の考え方にリーチがついた。もう手は変えないと思う。これからは「オモテ」から見える一点のために、見えない裏を磨こうと思う。

それが私のささやかな「美学」かな?(笑)

それでも書きたいことはある。外から見える日本だとか、そういうものについては、エッセイ風にこれからも書き加えていこうとは思っている。

Posted by akemi at 10:45 | Comments (3) | TrackBack

2005年08月25日

あなたは8月25日付の「らいおんはーと」を読んだか

第201号を数える今回の小泉内閣メールマガジンは、小泉首相がダイレクトに郵政民営化が改革の根幹を成すものであると語っている。

有権者の方々は是非とも御一読頂きたい。

書かれている内容は至極当然のことであるけれども、現役の首相がここまで分かりやすく本質の部分を文章に残しているという点で、歴史上に残るメッセージだと私は思っている。

「国民全体の利益を考えるのが政治家」と彼は言う。

「会社全体、そして株主、地域社会、その会社に関わる全ての人々(ステークホルダー)の利益を考えるのが経営者」というのと似ている。カルロス・ゴーン氏のやったことは何だ。一部のその会社の既得権益を守ろうとしている人たちを擁護したわけではない。会社全体の利益のために、返り血をもろともせず改革を推進して行った。結果はご覧の通りである。

郵政民営化に反対している人たちの論旨を一つ一つ吟味していって欲しい。彼らは選挙に足を向けない人たちを完全にバカにしている。

政治家の中には堂々と「地方に中央の金を持ってくる。それが私の使命です」と声高に叫ぶヒトもいる。都会で満員電車に揺られながら必死で真面目に働くサラリーマンの税金を、都会のサラリーマンに還元しないと言っているも同然。

彼らのアジテーションに負けるな。ホリエモンが「世の中に金で買えないものはない」と言っていると批判している政治家もいる。冷静に考えてみて欲しい。経済界に生きている人たちが「愛は金では買えない」なんてレベルの低い話をすると思うか!!資本主義のルールを言っているのだ。「金」は資本主義の根幹を成す尺度である。郵政民営化に反対している人たちの信条は何だ?彼ら自身が既得権益にしがみつきたいのである。票が欲しいのだ。本音を言えば、彼らなりの政治家としての使命がある、それを信じているというのは分かる。目の前の世の中の流れから切り捨てられそうな弱者を守りたい、そう思っているのかもしれない。しかし本当の弱者は誰だ!今現在裕福に暮らしているお年寄りでもサラリーマンでもない。選挙に行く術のない子供たちなのである。

今回の改革が成功しても、今日明日の幸せにつながるわけではない。10年後、20年後の日本をどうしていくかという話なのである。いま香港にいてよくわかるのは、世界は日本ではなく、明らかに中国に向いている。日本から優秀な人材が流出して、潤沢な個人資産さえも海外に流出して行っているのだ。子供たちには今よりも高い税率が課せられ、税金を納めるのがアホらしいと感じる様になるだろう。このままでいいのかニッポン。目を覚ませニッポン。大人ならば子供の未来を守れないまでも、「あの時代の大人たちは、しっかりと日本の将来を考えて大きな決断を下した」と思ってもらえる様にしっかりと今の時代を生きるのだ。

郵政民営化を主軸にした構造改革に反対ならば、反対の意思を選挙で表明するのだ。そして賛成ならば、選挙に行くのだ。あなた自身が悩みぬいて自分の考えを表明して欲しい。選挙権を持つ全てのヒトが投票所に足を運ぶことを願っている。これこそが小泉首相の言う

民意に問う

ということなのである。あなたの意見を今こそ表明して欲しい。自分自身の頭で考えて自分だけの結論を出すのだ。

Posted by akemi at 09:34 | Comments (4) | TrackBack

2005年08月22日

オーストラリアドルの小切手

香港に行くことが決まり、払い込んだ授業料を取り戻すべく奮闘した話(大学でRefund)は以前書いたのだが、そのリファンドは当然のごとく小切手で支払われることになっていた。

メルベンを離れることが決まっていたので、メルベンの住所に送ってもらうわけにもいかず、大阪の実家に送ってもらうことにした。その小切手は、その後無事実家に届き、さぁ換金というところで大問題が発生したのだ。私は香港、小切手は大阪。受取人は私のフルネームが書かれているので大繧ナ代理で受け取ってもらうことは不可能。仕方がないので香港での住所が決まってから、香港に送ってもらうことにしたのだ。

小切手は無事私の手元に届き、本人と小切手がワンセットになっているのだから、これで何の障壁もないと思い、早速銀行へと向かったのは今から約4ヶ月前の話。何はなくとも銀行口座。これがないと小切手の受け取りも何もないわよねーっ、とダンナの机の上に無造作に置かれた、賃貸契約書の写しや、ダンナの就労証明(ダンナが銀行口座を作るときに会社で発行してもらったものの様)などを「しめしめ」と握り締め、婚姻証明(メルベンの領事館で発行してもらったもの:英文)、パスポート、香港IDカードなどなど。とにかく、住所とダンナの会社とダンナと私の関係が証明できりゃー何とかなるわな、と家から近そうなH銀行に飛び込み、口座開設をお願いした。

でね、H銀行口座を作るのに、何の問題もなかったのだが、ダンナの就労証明なんかを持って行ったために、口座の利用説明のとき、「〜のサービスがご利用頂けます。あ、残念ながらinvestmentはご利用になれません。なぜなら、ご主人さまがXXXXXでらっしゃいますからねーっ」とニヤリとされたので、あー、こりゃもうオフショア(って私は香港に居るからオンショア??)投資とかやっちゃおうという勢いも削がれる(って資金もないか)。

しかし、衝撃の告白が。「いやー、残念ながら外貨小切手をこの口座に入れるためには、口座開設から6ヶ月のご実績がないとダメなんですよーっ」なんでやーっ、誰が決めたんやー!!私の○十万が宙に浮く〜!!!

家に帰った私は、日本のC銀行に電話をかけてみた。事情を説明したところ、今回のところは特別に書類をお送りしますので、それにご記入頂いて、それから小切手と一緒にご返送下さい、と言って頂けたので、その指示に従って、受け取った書類に返送したのだが、しかし。

私の小切手が「オーストラリアドル」だったので、これまた他の書類がいるとか何とかで、再度仕切りなおしになってしまったのだ。これらをチンタラやっている間に4ヶ月経ってしまったのである。

さて、小切手というものは6ヶ月以内に換金しないと受け取れなくなってしまう。小切手の発行日から起算すると、9月初旬には切れてしまう。うっげー!!どうすんねん。H銀行の口座開設からまだ4ヶ月。うーん、うーん。何とか奥の手はないかと思ったところで、今度はC銀行香港に小切手を何とかできないかと相談しに行った。C銀行日本に口座があるからである。これで何とかしてもらえないかしら。

C銀行香港とC銀行日本って何の関係もなさそうだった。担当者のべっぴんな彼女は言った。「香港から日本のC銀行のアカウントにはアクセスできないので、どうしようもないんです。ただ、こちらに口座を作って頂ければ、300香港ドルの手数料で小切手は処理できますけれど、どうなさいますか?」ということだった。こちらはもう、手数料がいくらかかろうとも、このままでは○十万がただの紙切れになっちゃうところなんだから、Go aheadなのである。あー、ギリギリセーフ。何とか間に合った。

あー、もう何だか銀行のカードばっかり増えるわねー、あっちこっちの国にいろいろな口座があって、もう私管理しきれないでー、と思っていたのだが、よく考えてみると、

H銀行香港 
C銀行香港

に私の名前の銀行口座があるということであるがな。もしかして、この二つに銀行口座作りたい日本人って、いっぱいいるのかもしれない。しかし。資産運用するにも、運用する資産なんてどこにあるんや!!うちは5人が私立(4人のコドモと私の語学学校)なんだから減る一方やんか!!

Posted by akemi at 18:17 | Comments (6) | TrackBack

2005年08月17日

Waku-Waku in Hong Kong

香港に来てからというもの、私のワクワクが止まったことがない。

メルベンでの生活とはまた違う。正直言うと、メルベンをドライブしていた時のこと、子供たちの学校の友達のこと、そういうことを思い出すと今でも涙が出ちゃう。しみじみと人間の本当の幸せがあそこにはある、と実は思っている。

でもそれは、期間限定のビジターだからの視点だったのかもしれない。だから私は、この香港でビジター然として、家のドアを出た瞬間から始まるワクワクを止めようとしない。

私は学生でバックパッカーだった頃、4回ほど香港に来ている。それは、香港大阪間のタイ航空1年間オープンチケットが、当時のレートで1万円台で買えたからなのだ。アルバイトして貯めたお金で、韓国まで船で、そこから台湾、香港と格安チケットで乗りついで、初めて香港に着いた時から、その「1年間オープン」のチケットを買って日本に帰り、次の大学の休みには、また香港を基点にして、タイ、インド、ネパール、台湾、中国、などなどを訪れ、また帰りに1年間オープンを買う、ということを繰り返していた。私にとっての香港は「旅の始まりの街」。その気持ちを今でも忘れられないでいる。

香港では「ラッキー」という日本人のバックパッカーが集まるところを常宿にしていた。実は場所によっては日本人の集まるところが苦手(タイのバンコクにある日本人に有名な安宿は、とんでもないところだった。すぐにカオサンロードの西洋人の多いところに移ったのだが。何がとんでもないって?あそこには人生に夢も希望も目的もなく、ただただ堕落して日々を消費するだけの「日本人」たちがたむろしていたからだ。そんな彼らに「女の子が一人でインドになど行くな」と延々と説教された。そんな人ばかりではもちろんないのだが。)だったりするのだが、ここには、旅で出会ったバックパッカー仲間の誰かがいつも居て、韓国で出会った友達、インドで会った人、そんな仲間たちの誰かが居て、そんな仲間から、また他のバックパッカーの噂を耳にしたり、とそういうことが出来たのだ。仲間たちの多くは、大学を休学して1年間という長い間旅している人が多く、そういう人たちは、あちこちで色々な人に出会っている。そこで色々なエピソードを提供してくれるのだ。そういう仲間たちと過ごすラッキーの夜は、本当に楽しかった。お正月をそこで迎えた時もある。日本風のおせちとはいかないので、スーパーで買ってきた惣菜なんかを持ち寄って、乾杯なんかもしたな。

そんな私だったので、重慶マンションの火事は、本当にショックな出来事だった。私と同じ様なバックパッカー達が、当時そこに居たのだろうと思うと居てもたってもいられなくなった。

九龍城(塞)にも上がった。屋上から見えた飛行機は、とてつもなくデカく圧巻だった。無法地帯と言われたそこも、実際には「普通の人たちの生活」があり、そこからスーツを着て出勤していく人さえ見られた。水道管から水が吹き出ていたり、電気が切れていたり、そんな風景を見ながら階段を上がっている時は、さすがに「無法地帯と言われるだけある」とは思ったが、そこに私はたまらない「エネルギー」を感じた。

当時の飛行場は、その九龍城近くにあり、その密集したビルがある大都会の真ん中に突っ込んで行くかの様に着陸する風景は感動的だった。初めて台湾から香港に着いたのは夜で、美しいイルミネーションを間近に見ながら、旋回しながら飛行場に突っ込む姿に、多くの欧米人たちが拍手喝采。私もそのムードに押されて一緒に拍手をした。感動的だった。

香港の方に言わせると、昔の飛行場はimpressiveだった、今でもmissだ、と。でも私にだってわかっている。現実的には、飛行場を移転せずにそのまま操業を続けることなど無理だったろう。

ラッキーの仲間とジャズも聴きに行った。ビヤピッチャーだけで粘れるんだぜ、とか言って、みんなでピッチャー一つ注文して、通いつめた。日本では高くて手が出なかった「ビックマック」を初めて食べたのも香港だった。劇的に安かった。

この3月、香港に着いて真っ先に行きたいところは、ネイザンロードや上海街、テンプルストリートのあたりだった。子供4人連れて「裕華」の看板を見たときは、ワクワクどきどきを通りこして、切なくて心臓が爆発しそうだった。重慶マンションには当時なかった大型スクリーンがあり、時代の流れを感じさせた。就職直前にも私は香港に居て、ここでスーツを何着も買ったなー、などとすっかり忘れていた記憶も蘇る。

週に二日夜にCauseway Bayにも通う様になった。子供の習い事(武道よっ)のためなのだが、深夜9時すぎてバス待ちの行列に並んだりする様になった。子供たちの目が輝く。「ママちゃん、信じられる?もうすぐ10時だよ!でもまだこんなに人が沢山いるんだよ。昼間みたいだよね。メルベンのシティだったらもう真っ暗で、お店も開いてなかったりするのに。信じられない!」空を見上げながらカオルが叫ぶ。空はネオンで昼間の様に明るい。香港の人にとっては、まだ夜はこれからなんだよ。10時過ぎてからのエスカレーターから見える景色も最高。ビジネスを終えた欧米人たちがグラスを傾ける。お洒落すぎるっ。

子供たちは香港の街角にゴミが落ちていないことを、いつも感心して見ている。「香港って街がキレイだよね。」ほおばっているオニギリのご飯粒をこぼさない様にしながら、タツミが言う。落としたら1500ドルだよね、って良く見てるねーっ(笑)

この街は「元気でワクワクだったバックパッカー時代の自分」、を否応なしに思い出させてくれる。無意識でもテンションが上がる街なのだ。

Posted by akemi at 01:20 | Comments (0) | TrackBack

2005年08月16日

White Band@Hong Kong

打ち水も百万人のキャンドルナイトもなかなか参加できなかった私なのだが、今回はちょっと真剣モード。

「戦争反対」と声高に叫ぶ人たちをナイーブな反応と思っていた時期もあった。学生時代の苦い経験で、アクティビストには距離を置くクセがついた。でも色々と自分なりに調べたり考えたりして紆余曲折したら、七転八倒するほどに考えつくした人々の出した結論が「声を上げる」ことなのだ、ということが分かる様になった。デモに参加している人たちの中には、もちろんナイーブな反応の人もいるだろうが、多くのことを理解した上での結果が、そういう動きになったのだということがしみじみ分かる様になった。


私自身が常に思っている「納得できない」感じを何とかしたい。
日本以上に国間の経済格差を実感しているここ香港で出来ることはないか。

貧困に苦しむ人たちを踏みつけて私たちは生きている。自分たちが強者に属していると思うなら、強者なりの責任がある。ナイーブな反応だと笑うなら笑え。

なかなか盛り上がらないこの香港で、ホワイトバンドを身に付けようと思う。

Posted by akemi at 16:34 | Comments (0) | TrackBack

シャトルシェフの意外な活躍

我が家の調理器具は何でもデカイ。しかも使い方も変わっている(らしい)。

例えば深底ホットプレート(深さ7センチ、一辺40センチ)。我が家はこれを第四のコンロと呼び、焼き物、煮込み料理など何でも使う。餃子やハンバーグの焼付けはもちろん、チャーハン、焼そば、ミートソースなどを台所で作成するのに使う。(ハンバーグ、餃子、お好み焼きの時は、これだけではなく、コンロに2つのフライパンを置き、3つ同時に焼く)決して「焼き焼きパーティ」をしているわけではない。(ちなみに、このプレート上で玉ねぎを炒めている現場を友人に目撃されたことがあり、その友人に「エラいねー、そうやってまとめて炒めておいて冷凍しておくんだー!」と言われてしまったのだが、実はその玉ねぎ、その夕食のミートソース一回分だったのだけど。まとめて炒める時は玉ねぎ5キロよっ。1時間近くかかるが、もちろんカオルの仕事である)

我が家で一番デカイのは、何といってもハンバーグの種を混ぜるためのボール。直径35センチ也。これも一回り小さいボールでハンバーグを混ぜていたカオルが「あー、もう小さすぎてボロボロ落ちちゃう」と言われ、渋々購入。収納に困るサイズである(特に香港にて)。

ダッチオーブンも台所で使う。特に揚げ物に使うと非常に安定が良いため、倒れる心配がない。一度にたくさん揚げられる。これで鶏の蒸し焼きすると美味しい。

我が家の調理器具から絶対にはずせないのが、シャトルシェフと圧力鍋。圧力鍋は煮物、玄米の炊飯(香港では玄米買えないがな。無農薬なんて高いだろうなーっ!!)、シチューその他、何でもOKなのだが、シャトルシェフが塞がっている時の代替的色彩が強い。

で、シャトルシェフである。これ、香港でもよく見かけるのだが、最初に10分程度煮込んでおけば、そのまま保温器に入れてスロークッカー的に使えるものだ。最初はアウトドア用の保温器として使うつもりだったのだが、そのうち煮込み料理全てをこれで済ませる様になってしまった。でも煮崩れがないし、ガス代節約だし、絶対焦がさないし、良いことばかり。しかし難点は、時間が必要ということなのだ。つまり煮込み料理をする時は、朝に全てを仕掛けておく必要がある。午後になって「あぁ、おでんが食べたい」と言っても後の祭り。シチューもしかり。そんな時には圧力鍋が登場するのだが、シャトルシェフの上品な煮込み料理の味に及ばず。時間ってすごい。食べ物って冷える時に味を含んでいるそうで、それが絶妙の味になる。

あー、もう前置きが長くなったなー。ということで常にシャトルシェフの中には何やかやが入っていて、なかなか棚にしまうということがないのだが、たまたま鍋を洗い上げたタイミングと、大豆が蒸しあがったタイミングが同じだったその時である。納豆にすべき大豆を混ぜ混ぜしながら、香港ではどうやって保温するのが良いのであろうかと考えていた。やはりクーラーボックスに熱湯入りのペットボトルと一緒に突っ込もうかとか考えていたところにシャトルシェフである。(ちなみに大豆の量は1キロ)そりゃー試してみるべきよねー。

ということで、おもむろに大豆のシャトルシェフに突っ込み(蒸しあがったばかりでかなり熱い)、そのまま何もせずに朝まで放置プレイ。

これが大成功。今までに無い美しく均等な糸の引き具合!!時間もいつもよりも短め(というか香港の夜が暑いのか!?)。ということで、これからはヨーグルトもこれで作れそうだと(って言うより、常温放置で充分ヨーグルトになりそうな気候だよな!!)思っている。といっても常に使用中のシャトルシェフ。もう一つ特大サイズが欲しいなーっ。

Posted by akemi at 09:16 | Comments (2) | TrackBack

2005年08月10日

Discovery!!!!

あー、もう良かった!無事着陸できて、本当に良かった!!

私はいつも二台のPCを使って作業をしている。一台目のデスクトップは、リナックスとWindows XPがインストールされている。デフォルトでWindowsが立ち上がる設定にしてあるのだが、このWindows上にTRADOS7をインストールしている。で、このマシンをメインの翻訳作業に使っているのであるが、もう一台のラップトップでは、語彙の確認などのためWindows Explorerのウィンドウが幾つも並んでいる。また、Planhoodという韓国のプロジェクト管理ソフトも使っていて、プロジェクトのスケジュールをアップしたり、プロモーションのアイデアを共有したり、ということをやっている。が、この2週間、このラップトップ上にもう一つの大事なウィンドウが追加されたのだ。それが、nasa.govが配信している、Nasa TV画面なのであった。

これをデスクトップ上においていると、通常はのんびりしたnasaの様子だとか、管制塔(っていうのか?)のモニター画面が映ったりしているのだが、時々音声も入ってきて、地上とディスカバリー間の交信の様子も、そのまま配信されていたのであった。で、普段は小さいウィンドウで見ている私も、音声が入ると、突然そのウィンドウをダブルクリックしては、画面全体に表示させて、事の推移を見守る、そういう時間を過ごしていた。特に昨日は、第一回目の着陸を見送った際の緊迫した様子だとか、今日はtwo opportunities 明日がfour opportunitiesあって、と頭を抱えながら説明する彼の様子を、私は胸が張り裂けんばかりのドキドキ感でもって眺めていたのである。2年半前の事故の様子、今回も同様の損傷があること、日本人を含め宇宙飛行士の方達がそれを修理したこと、そういうことをコドモたちに伝えると、子供たちもテレビをCNNに合わせて、固唾を呑んで見守っていたのである。(でもそのCNNは時々、日本の解散、総選挙の話題を度々持ち出したのであるが)

今日も、PC上にはその画面が置かれ続けていたのであるが、1回目、2回目のランディングを見合わせたというニュースまで見届けたところで外出予定があり、出かけてしまった(涙)。家に帰ってCNNを見たら、post-landingになっていて、うげぇー、結局一番いいところを見れなかった私たちってアホーっ!ショックで声も出ない、けれども無事に着陸できて、本当に良かった。

Nasaの今後(問題が解決するまでは当面次回打ち上げは凍結)については賛否両論あるのだろうけれど、とにかくこの2週間、映像を通して彼らと共に私は居たのだ。ただただ、無事の帰還をみんなで喜ぼう!

Posted by akemi at 02:23 | Comments (0) | TrackBack

2005年08月06日

Hong Kong style home-party & Chinese Mah-jong

うちにはちょくちょくダンナのゲストが来られるのだが、今回はいつもと違う! なんと二十名余の方が我がアパートに来られるということで、さすがの私もどうなることやらという感じなのであった。

オーストラリアでは、ゲストのおもてなしは、庭でBBQというワザが使えたのであったが、香港ではそうはいかない。といっても、しつこい様だが料理上手でもないので、普段作りなれたものを数種類並べるというスタンスを通している。あんまり頑張ると、楽しみなはずの時間が苦痛になってしまう。今回も思ったのだが、楽しい雰囲気があれば、食べ物はどうでもよい(と勝手に思っている)。

私なんて「そぼろご飯」とか、そういう簡単なものでも平気でディナーで出しちゃうのだ。これが日本食なのよーっ、という心意気なのだ。だって美味しいディナーだったら、お金出したらどこでも食べられる。日本食だって、香港には高級料亭がある。高級料亭と張り合っちゃダメなのだ。私が逆の立場だったら、フツーの中国の家庭料理ってどんなの?って知りたい。だから、私は気張らないのだ。

デザートくらいは出来合いのものと思っていたら、カオルがせっかくなんだから手作りしようよ、というので彼女におまかせしていたら、プリンとルシアンクッキーを作ってくれた。特にプリンは、彼女が大好きな「ためしてガッテン」に出てくる「ガッテンプリン(強火4分、消火8分、という簡単な蒸し方で、絶対にスの入らないなめらかプリンが出来る)」で、これを一度食べると、香港の某有名ミルクプリンを買いに行く必要がなくなるのである。

ところで、今回初めて「中国麻雀」をやったのである。私は小さい頃から、麻雀やら花札などを仕込まれたクチで、かれこれ数年やっていないとはいえ、まぁまぁついていけるんじゃないかと思っていたのだが、いやはや、すごかった。実は先日、麻雀パイを買いに行ったら点棒がついてなかったので、「スティックがないけど」とクレームをつけたら、それはジャパニーズスタイルだよと言われてしまった(点棒ないんか)。おまけにヤクも違うらしいし、捨てハイはまさしく「捨て」てしまうので(つまりきれいに並べたりしないで、ボンと捨てる)、ちゃんと見てないと、誰が何を捨てたのかがじぇんじぇんわからない。おまけに。

信じられないスピードである。

完全に右脳だけでやっているスピード。パッと一瞬見ただけでポンポンと捨てる、目の前で腕が錯綜としている。最初のうちは英語だったのが、そのうち皆さん、広東語だとか普通語とかになってきて、もう私ついていけましぇーん状態。展開が早い上に、今までで見たこともないようなすんごい手でロンなわけで。リーチもないし。あわあわ、と言っている間に勝負ついちゃったで全く。

いやぁ。香港や中国の方のエネルギーを見ました。すごすぎる。あの中で麻雀だけでも渡り合えたら相当カッコイイだろうな(一歩間違うと極道か!)。麻雀のウデも磨かねばならぬ。

ところで、我が家にゲストが来ると必ずレシピを聞かれるものがある。いつも同じなのだ。それは野菜サラダのドレッシング。いつも作る我が家の定番なのだが、必ずこれだけ聞かれるのだ。が、しかし。

Soy sauce, vinegar and vegetable oil. That’s it!!

っていうレシピを言うのが哀しすぎる。簡単すぎるからだ。で、いつも、ええ??それだけ??(That’s it??)となるのだが、それだけなのよーっ。もちろん日によって、オリーブ油だったり、植物油にゴマ油まぜて、とかビネガーがワインビネガーだったり、レモン足したりとかするんだけど、ベースはこれだけなのだ!!(配合は、醤油2、酢2、油1)これをベイビーリーブズに、必ず動物性のもののソテー(ベーコンだったり、チキンだったり、何でも可)と、最後にスプリングオニオン(青ネギ)をたっぷりかけて、シェイクしたドレッシングをドボドボっと。

他のメニューのレシピは聞かれなかったなーっ(笑)。ちなみに感触としては、純日本風の煮物などはウケない。シンプルなもの、例えばフライ(鶏竜田揚げ、トンカツ、エビフライ、チキンフライなどなど)や手巻き寿司、お味噌汁(豆腐とワカメだけ)、おでんなどなどの定番メニューはまぁまぁかしら。あと、麻雀したりカードゲームしたりと色々とイベントがあったので、お箸を使うものよりも、手でポイっとつまめるもののが食べやすかったというのもあるだろうな。

ふむふむ。次回までにもっとブラッシュアップしておくぞ!(って料理のウデじゃなくって、麻雀のウデね)

ということで、全ての仕事をストップしてたので今晩からまたPCの前に張り付きますです。

Posted by akemi at 23:52 | Comments (0) | TrackBack