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2005年06月29日

Quo Vadis from England

注文して待つこと3週間。はるばる英国からやってきたのはシステム手帳。

私はショッピングにもブランドものにも興味がない。一つ気に入ると、それをずーっと使い続けてしまう。だから選ぶ時にはかなり探し回る時間が必要になってしまう。

私がモノを選ぶときのポイントは、

シンプルで飽きが来ないもの
使いやすい(実用性に優れた)もの

だけである。だからOLの時に買ったサザビーのシステム手帳を16年間も使い続けていた。あの形、薄手で格好良かった。当時、女性が持って充分に機能的で、大きすぎないあの形は、他では決して見つけることが出来なかった。そう言えば、A4版の資料を入れられるOLが持てるカバンも当時ほとんどなかった。探して探して伯母がプレゼントしてくれた某日本人女性デザイナーによるカバンを見たときは、本当に嬉しかった。今でもまだ持っている。

ずっと大事にしていたシステム手帳を、昨年モナシュ大学の図書館で紛失してしまった。何度も図書館に電話をかけたけれども出て来なかった。当然だ。メルボルン中探したって、あんなにシンプルで素敵な手帳は売ってないはず。どんなに高級なものでも勝てないスマートさがあったのだ。だから日本に一時帰国する時があったら、真っ先にサザビーに行くはずだったのだ。でもふと不安になってきた。あの手帳が17年前と同じ形のあの手帳が、今でも手に入るのだろうか、と。

そこから私はネットで色々な手帳を調べ始めた。調べていくうちに、サザビーにこだわる必要はないかもと思い始めてきた。そんな中でひょんなことで見つけた、この手帳のブランド Quo Vadisに、私の食指が動いた。私が求める手帳の条件に合う様に思えた。シンプルで飽きが来ない、薄くて女性が持ってもお洒落、手帳を閉じるパッチンという帯だけは絶対に許せなかったのだが、それがないタイプがあった。いいやん、これ。早速注文してしまった。デフォルトで入っているのが2006年の手帳なので、2005年度版の手帳をエキストラで注文した。レザーのラベンダー色。それが手元に今日届いたのだ。

待って待って来たものだったので、感慨もひとしおだった。想像していたラベンダー色とは違っていたが、よりシックな色に思えた。かなり長いこと、サザビーの手帳を忘れられずにいたのだけれど、今日からは心機一転、またがんばれそうだと思っている。

でも、これ注文した後に気づいたのだが、日本にも「クオバディスジャパン」というページがあって、英国のよりももっともっと種類が豊富。海外に発送してもらえるかはわからないんだけど、少なくとも英国サイトよりは見やすい作りになっていた。ショック。香港のサイトも探したんだけど見つけられなかったので、手元に届いた今とはなっては、もういっか、という感じ。

さて、これから予定を書き込みますか!

***

で今回のエントリーは終わったのだが、その後大変なことを発見してしまった。2005年度版と2006年度版の一冊ずつをオーダーしたのだが、我が家にやってきたのは、Ital B 2006、Italnote 2006と、2冊とも来年度の分だったのである!まず今年の分がないと使えないし、来年度の分も2冊も必要ない。大急ぎで証拠写真付きで、オーダー確認メールに返信する形でクレームをつけた。あっという間に返事が来て、

こんなエラーをするなんてごめんなさい、だけど2005年度版はもう売り切れで、私たちができるのは、その分の商品代と郵送費をリファンドすることだけです。

と書かれていた。ううう、来年まで封印かい。おまけに今日はタカシが部屋に鍵を持ち込んだままロックしてしまうし(明日は鍵屋さん呼ばないといけない。ううう、出費だぁ〜!!!)、忙しいだけでホントに冴えない一日だったわー。

Posted by akemi at 20:47 | Comments (0) | TrackBack

2005年06月28日

片時も忘れないで欲しい

士気を猛烈に鼓舞する文章の数々。その中に唐突に現れたこの文章。自分としては何となくわかっていた気になっていたが、現実はそんな甘っちょろいもんじゃない、そう感じたことがあった。

彼女はまだ23歳。南米の国から来たミセスである。そして香港で現役のモデルをしている。明日英国に帰ってしまう友人と同じく、彼女も私と一緒に普通語を学ぶクラスメートだった。

毎日の様にクラスの後に仕事場へ急いでいた。仕事の打ち合わせやショーの現場に向かうのだ。有名ブランドの名前もあった。彼女はいつも底抜けに明るく、授業中にも思いっきり派手なジョークで授業を盛り上げていた。ゴージャスな身体のラインに男ならずともドキドキさせられてしまった。インテリジェンスを絵に描いた様なイギリス人女性が意外なほどに普通語の覚えが悪く、こちらも心配してしまうほどだったのだが、この美女は外見から受ける印象とは全く違って、自宅で予習復習もかかさず、単語の覚えが良いことに感心していた。いつも私の目の前に座り、自分の娘といってもいいくらいの歳の彼女を、惚れ惚れと見ていた。

ある日、彼女が新しいクライアントのところに、今までの仕事の実績を見せるために一冊のアルバムを持っていくというので、それを見せてもらったことがあった。実際に彼女が仕事をしているところの写真を見て、私は言葉を失った。アルバムの中の彼女は、一分のスキもないプロフェッショナルなモデルそのものであった。

実際、彼女と話をすると、インテリジェンスとは対極にあるような話し方をする。外見だけで生きてきたのかなと最初は思っていた。いいなー、あれだけ美しく生まれたら座っているだけでお金になるんだなとも思った。でも、彼女を知れば知るほど、彼女がそんな薄っぺらい人間ではないということがよくわかってきた。そしてそのアルバムの中の彼女は、求められるものを完璧にクリエイトするプロであった。ある写真では、実際の彼女からは想像もできないほどの挑発的な表情をしたものもあった。背中全体にタトゥーを施されている写真もあった。フェイクだよね、どれくらい時間がかかるの?と聞くと、そのタツゥーをするだけで一日じっとしていないといけないらしい。モデルという職業が私達の想像を超えた、厳しい仕事であるということが彼女のアルバムを見ていてよくわかった。

「確かにお金はいいけど、私ははやくモデルの仕事をやめたいの。」

感激しまくる私達を制止するかの様に、彼女は自分の感情を吐露し始めた。彼女は現在、香港の某大学にアプライしているらしい。インタビューを受けたがまだ結果は出ない。母国で学んでいたジャーナリズムをこちらでも続けて学びたい。香港でモデルをやっていて、香港人は私を白く塗り替える(撮影の際に、彼女の褐色の肌に白い化粧品を塗りつけるらしい)ことがある、私はこの肌の色が気に入っているのに、彼らは私をロボットの様に扱う。信じがたいほどの肉体労働なの。もうやめたい。私はインテリジェンスな仕事がしたいのよ。だってモデルなんて永遠にできる仕事じゃないもの。

そしてそれから私と二人きりになってから、彼女の顔はどんどんとこわばっていった。彼女は既にモデルの仕事をしてから15年たっている(つまり8歳から仕事をしている)。母国では、彼女の様に容姿が美しい女の子が、同じ様にモデル職を目指す。しかしそれは相当な競争率を勝ち抜かねばならないらしい。そしてその幼いモデルの子供が一人で一家、いやそれ以上の親戚一同を食べさせているということが少なからずあるそうだ。そうやって彼女も家族を養ってきたのだ。貧しい国、貧しい人達。ひどい世界。彼女は自分の幼い時の記憶を思い出すのも嫌という風に、首を横に振った。

もういいだろう。家族のために自分の全てを使ってお金を作ってきた。もうその呪縛から解き放たれてもいいだろう。そう彼女は思っている様だった。

モデルをやめたいと彼女が言った時、「もったいない」と叫んでしまった自分の薄っぺらさが哀しい。彼女よりももっともっと多くの年月を生きてきたのに、私には見えてない世界がありすぎる。普通語の覚えが良いことの理由がわかった気がした。彼女にとっては、モデルとして脚光を浴びることよりも、お金を稼ぐことよりも、もっと欲しいものがあったのだ。誰の命令も受けず、静かに自分のインテリジェンスを磨く。お金を稼げてもロボットの様に扱われるショーの現場に、彼女の夢はないのだ。

「片時も忘れないで欲しい。
どんなにあがこうと、どんなに苦しんでいる気分に浸ろうと、僕達は圧倒的に恵まれている存在であることを。」(杉村太郎, 2004)

Reference

杉村太郎. 2004, アツイ コトバ, 中経出版、東京

Posted by akemi at 00:51 | Comments (0) | TrackBack

2005年06月22日

香港就職活動最前線

現在、健康工房の漢方茶を飲みながら書いている。症状を伝えると、それに合ったお茶を勧めてもらえるのだ。お茶を受け取りながら「お腹空いてる?」と聞かれたので、ちょっとね、と答えると、必ず少し食べてから飲んでねと言われた。空腹時に飲んじゃいけないのか。なんだか効きそうだなー。(多分軽い風邪だと思うのだが、偏頭痛もあるので思考力低下中)

私と同じく普通語のレッスンを頑張ってきた英国人女性が、とうとう帰国するらしい。彼女はアカウンティングの仕事をやめて、香港に職を求めてやってきた。その分野でのキャリアは3年。インタビューを受けた会社は4社(系列会社も含めるとそれ以上)、一社につきインタビューは数回ずつ。毎日の様に授業の後にインタビューが入っていた。会社名を聞くと、こちらの手が震えるほどの世界的に有名なバンキングの会社ばかり。彼女の就職活動の経過を聞くのが、私の日課のようになっていた。彼女を通して、私も香港での就職活動を横から見ていた様なものだった。

もうすぐ彼女のタイムリミットが来る。観光ビザで入国している関係上、そのビザの切れる期限内に就職を決めたかったという気持ちはよくわかる。でも、まだ決まっていない。再入国したらいいと思うのだが、彼女はもう香港で就職するのは難しいと思い始めた様だ。そこで、彼女の salary expectationsを聞いてみた。どうも法外な要求をしていないかと気になったのだ。彼女は現在、高級住宅街にあるサービスドアパートメントに住んでいて、就職後もそのエリアに住みたいと言っていたので、もしや香港で就職する現状を知らないのかもと思ったのだ。案の定、彼女の提示していた額はキャリア3年の人が提示すべき相場からはかけ離れていた。もちろん、ロンドンでの収入を考えれば当然なのだろうが、香港で同額を要求できるのは、相当な、例えばマネジャー職でもない限り無理だろう。私なんて一時本気で職を探していたときなどは、15年前の年収の半分(!)という覚悟でレジュメを書いていた。(結局、そのレジュメはどこにも提出されず。多分、提出してもどこにも引っかからず、だろう)。

厳しいのはよくわかる。彼女は北京語も広東語もできない。現在ビギナーレベルで勉強しているくらいだから、ビジネスレベルであるはずもない。彼女の売りは、ロンドンでの3年間のキャリアと英語のみ、である。

さて一方、香港の現役ビジネスマンを見てみると、要するにホワイトカラー職においては、当然のごとく英語がビジネスの公用語であるからして、英語、広東語、北京語が流暢というビジネスマンは、more than enough in Hong Kong(香港にはうじゃうじゃいる)なのである。おまけに彼らの多くは、自費でMBAを取得していたりする。彼女の強みは何だ。彼女のキャリアも英語も、ここ香港ではありきたりにしか映らない。哀しい。彼女は若くて有能だ。自ら普通語の勉強もしている。やる気はある。でも充分な収入が保証された職にありつくことが、ここではいかに難しいか、翻って自分自身を鑑みると、これはもう不可能であるということがよくわかる。何度も言うが、とりあえず何でも良いから職を見つける、という話ではない。自分自身のキャリアアップにつながる職を、中国ブーストを目前に控えた香港で掴むということが難しいのである。何故難しいかというと、彼女にも私にも共通した一つの大きなウィークポイント「キャリア不足」に尽きる。三年というのはあまりにもキャリアがなさすぎたと彼女は言うのだ。

おまけに彼女はこうも付け加えた。彼女の友人はここで働いているが、朝の7時から深夜まで働いているそうだ。彼の就眠時間は毎日5時間をきっているらしい。ペイは少なく仕事はハード。いくらエネルギーに満ちたマーケットだと言っても、二の足を踏む気持ちはよくわかる。

卵が先か、鶏が先か

これから、香港(対中国)でキャリアを積めたら、これはイギリスに帰っても特別なキャリアとして認知されるだろうし、でもそのキャリアを積むためには(職にありつくには)、自分自身のキャリアがなければ無理だし。どうすりゃいいんだ全く、という感じで、彼女は母国に戻ってキャリアを積む決心をしたようだ。彼女曰く、イギリスに戻れば職は簡単に見つかるらしい。そうだね。お互い現実を知らなきゃだめだったんだよね。

さて今度は私の分野である、香港におけるIT職の求人がどうかという話なのであるが、求人情報を見る限り、かなり沢山ある。しかし某掲示板にサウジ在住の方が、ひょんなことで訪れた香港が気に入り、自分の8年のキャリアを生かしてIT職につけるなら香港に行きたいというメッセージを投げたところ、それに対する反応がかなり厳しいものだったのを見て驚いてしまった。

ソフトウェア技術者なんて掃いて捨てるほど居るから、カーネルの設計できるくらい特殊技能がないと無理じゃないの?
という人がいれば

香港にカーネルの設計をやるような仕事はないぞ

という反応があったり、

140社超に履歴書を送ったがリプライがあったのは10社以下、インタビューを受けたのはそのうちの2社のみ。職を得るまでに4ヶ月もかかってしまったよ。

という話があって、こちらも冷や汗流しながら読んでいたのだが、最後にこんな投稿があった。

就職活動をした結果わかったことなんだけど、employerが本当に欲しがっている人材は、SAP, ERP, データモデラー&ウェアハウスのスペシャリストだよ

という投稿に握り拳を上げるもキャリア不足は否めず。

そしてこんな投稿も。

香港の会社の90%は中小企業なんだ。そんな会社が本当にERPなどのソフトが必要なのか大いに疑問なんだけど。

という投稿に

同意するよ。ROI(投資対効果)なんて大きな組織でなきゃ出ないだろー。

というリプライ。

すっかり蚊帳の外の気分

やっぱり家で日本のマーケットに向けて仕事した方が良さそうだ。

Posted by akemi at 15:08 | Comments (0) | TrackBack

2005年06月11日

香港アマさん考

子供たちの学校が始まってから、私は色々な人と話をするチャンスに恵まれた。同じ様にスクールバスを待つ人達。その多くはアマと呼ばれるお手伝いさんである。もちろん「アマさんを雇い入れる側」の人達(つまり駐在員婦人)と話をすることも多い(といっても私以外に日本人は居ない)。私たちは同じ時間同じ場所で子供を待つ立場にあって、彼女たちと交わすちょっとした会話を、私は毎日楽しみにしていた。

日本人からは「アマさん」と呼ばれる人たちのことを、香港人が英語で指すと必ず「maid」と言うし、英語圏の人達は必ず「helper」と呼ぶ。うちのアパートの掲示板には必ず「servant」というショッキングな表現が使われている。個人的にはヘルパーというのが日本的な「お手伝いさん」という感覚に近く、私も英語を話す人には必ず「ヘルパー」と呼ぶことにしている。ちなみに当然のことながら我が家にヘルパーは居ない。

ヘルパーというと裕福な家庭で働くお手伝いさんをイメージするのだが、香港のそれは、完全に社会システムの中に組み込まれた存在なのである。日本ではダブルインカムの子育て家庭を支えるシステムとして、保育園や学童保育、江戸川区では保育ママさんなど、そういうものが存在するのであるが、ここ香港には、そういったものはほとんどない。これらの全ての代替を、安い海外からの労働力に頼っているのである。それでこの香港は回っているのである。だから、所得の大小に関わらず、ヘルパーを雇い入れるというのは、あまりにもありふれた光景なのである。

働き盛りの家庭だけではない。リタイヤした老夫婦家庭や何らかの障害を持つ人の家庭で働くヘルパーも多く存在する。彼女たちは、老夫婦のショッピングにつきあったりするのであるが、バスから降りるときも、見ているこちらの目頭が熱くなるほど、優しくエスコートしているのをよく見かける。実の娘でもしてくれないかもしれない。暖かく身体を支えてくれて、思いっきりの笑顔で楽しい話題を提供しながら、ゆっくりと歩いている。私の様に人様の世話になるのはまっぴらと思う様な人でも、お金を払ってプロとして接してくれる彼女たちの存在は、老いてから自分の身体を自由に動かせなくなったとき、心底ありがたいと思うだろう。介護を必要とする家庭でも、たった一人のプロの存在が、家庭全体のストレスを軽減するのは明らかだ。だからそんなヘルパーの存在を、この香港で否定などできるはずもない。

そんな中、ある駐在員婦人と知り合った。English Speaking Countryから来た彼女は、おもむろに「貴女のところにヘルパーは居るの?」と聞いてきた。いないわよ、と言うと、しばらく間をあけて、ちょっとこれは誰かに言わないとやってられないわ、とでも言いたげにため息をつきながら、

うちのヘルパーは、母国に生まれたばかりの子供を置いて来ているのね、それで、毎日朝から晩まで子供のことを思い出すらしく、いつ見てもメソメソと泣いているのよ。でも、私に何ができるっていうの?もううんざりだから、新しいヘルパーを探しているのだけど、そう簡単に見つからないのよ。本当に、貴女の様に、ヘルパーが居ない方が楽かもしれないって思うわ。でも私にはまだ小さな子供がいるから、どうしてもヘルパーは必要だし。もうどうしていいやら、毎日、家の中が鬱々としていてイヤになるわ。

それを聞いて、私は答えた。

えー、それは大変ね。それにしても、それはちょっと問題ね。何のためにお金払ってるんだか。早くいい人が見つかるといいね。

その話をカオルにしたところ、彼女は言った。

「泣いちゃダメだよね。仕事なんだから」

そうだよねーっ、カオ。見えないところで泣くのは勝手だけど、仕事場で泣くというのはプロ意識がなさすぎ。

私はそう答えた。そう、この話は「プロ意識の欠如したあるヘルパーの話」で終わるはずだった。少なくとも香港で暮らす駐在員婦人としては、話題としては面白いけど、所詮他人事だしという感じであった。

その話を聞いてから、私は下品な週刊誌を覗き込むかの様に、その「いつもメソメソと泣いているらしい」ヘルパーさんのことを気にする様になった。そして、その彼女を一目見て、私は涙が止まらなくなった。

その彼女は美しい人だった。派手ではないが毎日きちんと髪の毛を編みこみにしている。ブランドものであるはずもないが、彼女の身なりはきちんとしていた。大学も出ているだろう。結婚して子供に恵まれた。でもその子供を抱くことはできない。泣いちゃいけないことは彼女だってわかっている、でも止められない涙というものが存在することを私は忘れていた。貧しさのために、家族から離れて働くことを余儀なくされた。いま私が子供から2年はなれて海外に出稼ぎしなければならないとなった時、私は涙を見せずにいられるか。そして彼女の足元には、何の不自由もなく育つ雇い主の子供が居る。その子供を抱く自分。自分自身の子供は抱けないのに。

そして私は頭の中がぐしゃぐしゃになっていった。何をどう考えても納得できない。どういう理由で私は衣食住にたる生活ができているのか。もっと言えば、彼女たちは海外に出て働くだけのスキルがあるだけ恵まれているのかもしれない。その場から動くこともできず食事もできず死を待つだけの人も数えられないほど居るこの世の中で、ほんのほんの一握りの恵まれた状況に居る自分が、どうしてそこに至ったかの理由がわからない。いや本当は理由などないのだ。

だから私はどこに立って何を見ればいいのかがわからなくなった。私ひとりの力で世の中がどうにかなるなどと思うほど若くも青くもない。どうしていいかわからない私は、ただただ一分一秒を無駄に垂れ流すことなく全力で生き切るのだ、周りの誰にも流されず自分の価値観で必死に前を向いて生きるのだ、と毎日をがむしゃらに生きている。

ヘルパーの中には、朝からハイテンションな人がいる。傍から見れば、能天気に見えているかもしれない。私も彼女たちと一緒に能天気で、朝からハイテンションでいる。明るい彼女たちと、色々な世間話もする様になった。日中、横断歩道の対岸に彼女たちを見つけて、派手に手を振り合うことも多くなった。しかし能天気に見える彼女たちが、何の苦悩もない人達であるわけはない。いかにも人生悩んでいます、毎日毎日が辛いですという人だけが人生苦しいわけではない。いや本当は、能天気に見える彼らこそが、人生の苦悩を知り抜いていて、全てを知っていながら、どうにもならない現状を、自分自身を鼓舞しながらテンションを上げて、せめて笑って前向きに生きようとしているのだ。

そんな日々を過ごしていたある日、ヘルパーさんたちの中でひときわハイテンションの彼女が近づいてきて、

「いつも声をかけてくれてありがとう」

と私に話しかけたのだ。驚いて振り向いた彼女の顔は、いつもの能天気な表情とは違った、成熟した大人の女性の顔だった。そしてその瞬間、今まで見えていなかった風景がはっきりと見えてしまった。駐在員婦人と呼ばれる人達と、ヘルパーさん達の間には、何のコミュニケーションもなかったのだ。それはまるで厳しく守られてきた不文律でもあるかの様に、当然の風景としてそこにあった。

私は少し狼狽した。でも彼女たちは分かってくれていたのだ。彼女たちも私のハイテンションの意味を充分に理解していてくれたのだろう。

私は神など信じない。世の中のあらゆる事柄を、ある一側面から切り取って、これが真理ですと解き明かしている様に見えるが、ひとたび、その軸をずらすだけで見えるこの世の中の不条理を、何も説明できていない。私と彼女たちを隔てているものが何なのか、説明などできない。私が自分自身で努力して勝ち取った場所ではない。彼女たちが日頃の行いが悪くてヘルパーとして雇われる側に居るわけではない。雇う側と雇われる側がこの世に存在しているということを、(経済格差云々というドライな次元ではなく)誰も説明などできない。

私は神も宗教も信じない。でも、国籍も環境も全て違う私たちが、「同じ時代を必死に生きる同志」として認め合い、目と目を見合わせて笑いあったあの一瞬だけは、手ごたえを持った「信じられるもの」として私の心の中に深く残っている。神は信じていないが、「徳」というものはあると思っている。

母国に子供を残してきたという彼女は、日に日に力強く変わっていった。雇い主の子供と一緒に手に手をとって大きな声で歌をうたっていた。それはまるで自分の子供に向けるべき愛情すべてを、この目の前の子供に注いでみようと決心したようにも見えた。その歌声を背中で聞きながら、心の中で私は、がんばれがんばれ、と叫んでいた。信じてないはずの神が貴女を見ている、そう伝えたかった。明るく過ごしていれば、人生は必ず上向く。強くなればなるほど、同じ強さを持つ人の心の奥深さがわかる。

歌い終わった彼女は、その子供と目と目を見合わせて笑いあった。

あなたが笑うと、私も嬉しい。

Posted by akemi at 00:17 | Comments (0) | TrackBack

2005年06月06日

先に広東語を学ぶべからず

英語を話せる、という修飾語がつくのかどうかはわからないが、先生曰く、いま普通語の先生が香港ですっごく不足しているらしい。そのため、私の先生は殺人的スケジュールをこなしている。先生は私達3人のクラスをとても気に入っていてくれて(あまりにも個性的すぎ)色々と話をして下さるのだが、その中で、絶対に勧められない学習パターンというのが

広東語を習得してから普通語を学ぶ

というものらしい。絶対に、

普通語を学んでから広東語にトライ

の方が断然イージーらしい。難易度のみならず、広東語のクセから普通語に移行するのは、難しいを通り越して不可能!!な域であるらしい。先生自ら普通語から広東語を覚えるのに苦労はなかったそうなのだが、多くの香港人が、普通語を学ぶのに困難をきたしているという。これって、ピアノからエレクトーンへの転向は簡単だけど、反対は難しい、っていう様なもんかなー?

実は先日先生に、普通語と広東語のコースと両方学ぶのは経済的にも時間的にも無理だから、テキストだけ別に買えないかなー、などと聞いていたところ、先生に、

「私はお勧めできないなー。絶対ミクスチャーになっちゃうから」

と言われてテキストの話はそれっきりになったのだけど、家に帰ってきてから、メルベンで買った広東語のテキストとCDがあったことを思い出して、買い物くらいは出来なきゃねー、なんて数字を必死で覚えようとしていた。(子供たちはアパートの卓球場でなんちゃって卓球をやっていて、私はそれを見ているフリして広東語学習に精を出していたのだ)

でね、それから数日後、量詞を勉強していた時に、20個の椅子がありますと言いたくって、ずっと、イーシー、イーシーと言っていたら、先生が「違う、シー、シーだって、イーはいらないんだってば」と言うので、違うよ、先生、私が言いたいのは、「twenty」なんだけどー、と言うと先生突然絶叫、

アケミー、広東語勉強したでしょー、あんなにやっちゃだめだって!!!イーは広東語!!!

う、うっげー、すんごいミクスチャー。イー(広東語のニ、普通語だと一)シー(普通語の十)!!!

先生はいつも言うのだ。例の広東語ネイティブオージーボーイがいかに、ひどい普通語を話しているかということを。あなたもそんなのになっちゃうわよーっ、と言われてしまい、広東語は当分封印なのであった。

Posted by akemi at 17:53 | Comments (0)

2005年06月04日

五嶋みどり!!!

毎日MTRの駅に出入りしている私が今まで気づかなかったのだから、きっとこの広告は今朝 available になったに違いない。

全身麻酔による一括治療を何度も勧められながら、ほとんどないと言われている麻酔の事故を恐れて、私は今日もハッキーを歯医者へ連れて行った。幼い彼の手を引いて地下道を歩いていた私の目の前に、MIDORIの文字が浮かび上がった。瞬間、絶叫しそうになった!! 五嶋みどりが香港に来るぅ〜!!!

地下道にデカデカと張り出された広告には、彼女のコンサートが某所某日に行われるという情報と、そのチケット料金が示されていた。えぇ〜!!!なに?この破格の値段!信じられないっ、と思いながらチケット入手のための情報をメモした。チケットの価格がどうのこうの言う以前に、チケットが手に入るのか!!というレベルの世界的ヴァイオリニストなのだ。我が家には彼女のCDが何枚もある。(因みに、Midori, Perlman, Yo-yo maが私の、というより実はダンナの三大 Favorite Artists なのだ! 私が一番好きなのはパールマンだけどねーっ。ヨーヨーマはもちろん、Before “Libertango” からのファンよっ)

ダンナに言うと、もう二つ返事で「一番いい席とれやーっ」という声が返ってきた。

ということで、早速オンラインのチケット予約サイトにアクセス。うっげーっ、席あいてるぅ!! ネット予約の座席表を見る限りでは、どうやら席の多くは電話予約用にまわされている様だったので、電話予約に変えようかとも思ったのだが、それでも一番良いエリアの席も沢山あいていたので、このまま予約を続行、席を確保したのだ!!

ダンナに日程を確認すると、「え???」って、な、なに、そのリアクション。もしかしたら出張でも入ってるぅ? 

うーん、そんな気が。ちょっと確認してみなあかんなーっ。

実に13年ぶりになるコンサート鑑賞なのであるが(でもMidoriは初めてよーっ)、このままお流れになっちゃったら哀しすぎるのである。(予約しちゃったのに!!)

Posted by akemi at 22:23 | Comments (0) | TrackBack

2005年06月02日

为什么中国茶甜? (なぜ中国茶は甘いのか?)

と授業で質問をしたところ、みんな、えー?甘くないよー、ウーロン茶とか飲んでみたことある?甘くないだろ、とか言うのだが、違う違う私が言いたいのは

昨天、你给我茶, didn’t you? It’s 很甜 and 我买 a bottle of 中国茶 在超级市场, but it was so 甜! 甜! That’s why 我想中国茶甜!!

(昨日、先生に中国茶を頂いたじゃないですか。それがね、とっても甘かったの。でね、私よくスーパーマーケットで中国茶のボトルを買うんだけど、それがもー甘いのなんのって。だから私はてっきり中国茶って甘いんだと思ったわけなんですけど。)

とすっごいブロークン普通語(英語まじり)で聞いてみたわけなのだが。私が言っている「中国茶のボトル」というのは、鶏の骨がなんちゃらー、とか菊がどうしたー、とかいう名前のペットボトル入りのお茶のことなのだけど、これがもー甘い、甘い。でも健康そうに見えるので、比較的、荷物の少ない日に一本ずつ試して飲んでいるのだ。

先生に頂いたお茶というのは、彼女がいつも授業に持ち込んでいる中国茶のことで、頑丈なプラスチックで出来ているラブリーなチャイニーズテイストの携帯用ボトルに入ってある。でね、そのボトルの中身が外から見えるんだけど、そりゃもう色々と入っているのだが、ぱっと見ただけでも花やら茶葉やらナツメやら。興味津々で色々と聞いていたところ、彼女が私達に1パックずつ分けて下さったのだ。彼女は中国出身なので、そのパックも中国でお母さんが大量に仕入れて来られるとかで、香港で買えるかはわからないなー、ということだった。実は、彼女のお茶を見て、既に私自身もスーパーで似たようなものを買ってみたりしていたのだ。

chinese-tea1.jpg chinese-tea2.jpg chinese-tea3.jpg

(これは私がスーパーで買ったものよ)  (先生に頂いたもの)    (お湯を注いだところ)

そして、その両方ともに「氷砂糖」が入っていたのだ。なんで砂糖入れるのー? と聞いてみたかったのだ。

あー、と納得したかの様に彼女は説明してくださったのだ。彼女なりの答えは、

ナツメなどのフルーツ系のものなど既に甘い成分が入っているために、もともと甘いということと、

そこに入っている種子の類のものは中からとっても苦い成分が出てくる(これが健康の元だとか)のだけれど、その苦さを消すために甘いものを入れている

ということであった。彼女の認識では氷砂糖はそれ自身がヘルシーであるとのこと。うーん、なるほど。でも私が衝撃を受けたのは、その飲み方だ。普通、日本茶だと、大体、ニ煎目くらいで茶葉を捨ててしまうのだが、このお茶は、ニ煎、三煎目となる方が味が良いらしく、それも先生曰く、うーんこの茶葉は今日で二日目、とか、日をまたいでも使われてしまう。おまけにニ煎目とかになるほどに、中の有効成分が染み出してきて良いのだとか。衝撃的。確かにスーパーで買ったものは10パック入りで28ドルと決して安くなかったのだが、1パックで三日も飲めば安すぎるよな。

衝撃はまだ続く。昨日このお茶を飲んだときは、熱々のお湯を注いで入れていたので、クーラーの効いた部屋で飲んでいたにもかかわらず全身が熱くなってきて、汗をかいてしまった。私はそのお湯の温度が原因だと思っていたのだが、昨日から入れておいたお茶を今朝飲んだ時にも直後に身体が熱くなってきて(お茶は冷たいのよーっ!!)、で今も飲んでいるんだけど、お茶自体は冷たいにもかかわらず飲めばその直後に、身体の内面からぼわーっと熱くなってきてしまうのだ。

な、なにこれっ、もしかして媚薬???

ってそういう熱ではなくってぇー、生姜湯飲んだみたいに身体がポカポカポカポカとまったくもー暑い香港でなんでこんなに熱くならなあかんねん、みたいな状態になってしまうのだ。何が原因かはわからないんだけど、体内が熱くなるって、もしかしたら脂肪分が燃焼しやすくなってるってことぉ?と密かにダイエット効果を期待している私である(因みに、このお茶は何に良いのか、ダイエット効果はあるのか、という話は全く聞けず。彼女自身もお母さまに持たされるまま飲んでいるとか)

実は私、咖啡中毒なのよー、という話をしたら、だめよだめよカルシウムなくなっちゃうわよ(鉄分じゃないのか?)という話も出てきたので、これを機会と中国茶フリークに切り換えようかと思っている。Saecoちゃん(コーヒーメーカー)の出番が少なくなると、ちょっと可哀想なんだけどね。

Posted by akemi at 16:06 | Comments (0) | TrackBack