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2005年05月22日

「物事への取り組み方」という視点

私は長い間、人生の成功は「何を選択したか」によって決まると思ってきた。簡単に言うと、私が就職活動をしていた学生当時に、例えば文学部国文科なんかの女子学生は、かなり厳しいだろうなとか、理系それもバイオテクノロジーなんかの学生は、それこそ就職に有利だとか、そういうことが往々にしてあると思っていた。

メルベンでSAPを専攻した時、実は心の中では密かに「勝ったぜ」と思っていた。オラクルでもない、マイクロソフトでもない、Eコマースでもない。完全に食いっぱぐれのないメインストリームに乗っかったぜ、と思っていた。だから人生においては、何を選ぶかが非常に重要なファクターであると思っていたし、子供にも、本当に好きなことでしか人間は頑張れないから、今のうちから将来何で食っていくかを考えておけ、と言い続けていた。

でも、ずっと心の中で解せないこともあった。昔にインタビューをした、モンテッソーリ幼稚園の園長先生の言葉「高いものは高い」という話も、自分の経験上、そういう人が実際に居るということも知っていた。(因みに、この「高いものは高い」というのは、例えば前職で教育とは門外漢であった人が、異動などで教育関係の役人になったりしても、すぐにパパッと理解して的確に対応できる人がいる、という話で、要するに人間としての質、能力その他もろもろの高い人というのは、どこの国、どこの分野に行っても高い質を保つことができるというお話があった)例えば、日本で子供の学校の校長先生だった方は、私は個人的に大ファンであったのだが、彼は例えばサラリーマンになっても、政治家になっても必ず頭角を現すであろうと確信できる様な、高い何かを持っていた。もしその彼が、諸事情で家業を継がなければならないということになっても、きっとその与えられた場所で、彼は一定水準以上のアウトプットを出すのであろうと想像できるのであった。彼にとっては、何を選んだか、ということは、あまり重要ではないのかもしれないとも思ったのだ。

話を自分のことに戻すと、実際のところ、私は何を選んでも良かったのだ。それがたとえ、時流にのっかっていなかったとしても、信じた何かを執拗に、他の人にはないエネルギーでコミットメントし続けたら、その先には何かが見える。それに向かって、またクレイジーに突き進めば、他の人には出せ得ない何らかのアウトプットが出せるのだ。要は、どれだけ真剣に継続して、徹底的に結果を出すことにこだわることが重要なのではないかと思うのだ。そうすれば、必ず何らかの結果は出る。その結果は、もちろん億万長者、というのではないかもしれない。でも、必ず結果は目に見えて出るのだ。オラクルを選んでも、デザインを選んでも、何を選んだかは重要でないかもしれない。それについて執拗に取り組む覚悟があれば、与えられた何かであっても一向に構わないと思う様になってきた。

人生に選択肢などほとんど無かった昔の人達が、与えられた環境の中で、どんな悪条件であっても、好きでも何でもなかった職業でも、とにかく地べたはいつくばってでも、大きな何かを手にいれるのだと信じて突き進んだ。人生はやるかやらないか、それだけだ。何を選ぶかで決まるのではないのだ、とこの歳になって思う様になってきた。

そう思うと、子供に教えたいことの一つに、「物事への取り組み方」という視点を加えるべきかなと思ってきたのだ。今までは、この子は何に向いているのかな、何の素質があるのかな、そういうことを親として見極めてあげたいと思ってきたのだが、そういうことは日々の子育てのさじ加減をするのに、きわめて重要ではあっても、それで終わりということではない。何かをする。例えば簡単なところで宿題など。私は宿題でもって、成績を上げて欲しいと思っているわけではない。でも、おちゃらけて人生終わっちゃダメなのだ。どんな小さいことでも、命かけるのだーっ、というテンションでやれば、得られるものは膨大だ。与えられた環境を嘆いていても仕方がない、そこで見える何かに全エネルギーを注いで結果を出すのだ。

Posted by akemi at 2005年05月22日 23:53

Comments

こっちは日本語で書いてみます。
おっしゃる通りだと思います。
たぶん「高いものは高い」は、やっぱり
「highness is higher」とかかな?
「highness」とか「higher」って、人間的な
尊敬すべきものを指す時に使うみたいですね。
精神世界でも「HigherMind」は人間の心の中に
存在する神性、善良さの意味だったりしますし。
肩書きとかは確かに関係なく、人間として
一本筋の通った人はどこにいっても成功する
ような気がします。けど、そこに到達するには
並大抵の苦労も必要で、また何かをする活力って
人間の闇の部分があってこそ、って気もします。
私も今、マレーシアでマレー語で歌を歌ったり
して、現地の人からいろんなものをもらって
ますが、その裏にはやはり人生の苦しみだったり、
傷だったりがあって、それが見えないところで
働いているような気が(最近は)してます。
私の場合は、何をやるかと言うより、どれだけ
世の中を信用できるかと思っています。

Posted by: mm_ug at 2005年05月27日 02:50

mm_ugさんへ

コメントありがとうございます!

確かに世の中を美しいものと思って見るのと、色眼鏡で見るのとは見え方が違うんだろうな、と思います。私の場合は子供が居るので、子供の視点というものに触れる機会が多いのですが、世の中をポジティブに見るか、ネガティブに見るかというのは、多分に環境によるものが多い気がしています。(要するに周りの大人の視点に左右される)

オーストラリアというところは、朝から晩までどこに行っても世の中が美しい、人間は素晴らしい、というメッセージで溢れていたので(特に私が住んでいたエリアでは)、「どれだけ信用できるか」ということを意識することなく、思いっきり信用している状態が続いていました。(子供たちもそうだと思います) mm_ugさんのコメントを拝見して、ハッと気づいたのですが、香港では、日本と同じ様に、「世の中を美しいものとして見る」ということに、多少のエネルギーが必要なのかもと思ったりもします。

Posted by: あけん at 2005年05月28日 09:01

 
 コメント、ありがとうございます。お子さんの
話とかは興味深く、拝見させて頂いてます。

>「どれだけ信用できるか」ということを
>意識することなく、思いっきり信用している
>状態が続いていました。

 ああ! これはたぶん、土地の霊とか”気”も
関係してると思います。そういった場所は、
良い気が流れているので、ただいるだけでポジティブ
になれる。そういうのって、住むのに最高な場所
やと思います!!

 たとえば、マレーシアの東海岸のカパス島では、
私もそうでした。なんにもないところなんですけど、
なぜか全く退屈しません。これは私の考えなんです
けど、「退屈する」ってのは、やる事がないのでは
なく、いい気がそこでは流れてないから、気が
停滞して、人間の中の気もインプット、アウトプット
が働かず、渇きを覚える(それこそ水が流れて
こないように)という事だと。

 オーストラリアはヒーラーも多いし、そういった
方がたまにシンガポールに来てたりします(
マレーシアはオーストラリア人多いですよ)。

 ちなみに香港とかは風水がさかんなので、こういう
話って割と一般的なのでは??
 

Posted by: mm_ug at 2005年05月28日 18:52

mm_ugさんへ

なるほど。良い「気」が流れていたのですね。

実は私はもっと単純なことを考えていて、オーストラリアには「ポジティブの連鎖」があるのかな、と。つまり、朝出かける時に、目の前の車に道を譲ろうとしたら、反対ににっこりと譲ってもらえて、今日一日気持ちよく過ごせそうと思って、また近所の子供たちに元気よく挨拶をして、今度はその子供たちが学校でうきうきとすごして、なんていう連鎖が蔓延しているのだと思っていました(笑)。

ダンナが言っていたのは、会社の同僚の香港の方達はとても風水を気にしていて、本来ならば窓に向かって仕事をするべきなのですが、あいにくその部署の机は窓向きじゃないそうなんです。で、何とか風水的に良くするために、机の上に皆さん「緑」を置いてらっしゃるとか。で、私もマネして(私の机は窓向きなんですが、裏手というかマンションの工事が見える位置にあるので)、フラワーマーケットで緑を買ってきて、ウォータープラントにして置いてみたんですが、いい感じなんですよ!何というか、空気が澄んでいる様に見えるというか。結構影響されますよね。

Posted by: あけん at 2005年05月30日 23:35

お約束したので、ちょっとばかり...
気が向いたときにでも読んでくださいませ。

>> ポジティブの連鎖

あると思います。
けど、こういった連鎖が働くのは、ある程度、
自己の中にそういうものを受け入れる部分がないと
できません。

気が入ってくるのは、電話みたいなもので、片一方から
無理矢理気を送って、相手に混入するとかはできません。
(厳密に話すと、もう少し複雑なのですが)
相手もその受話器を取ったから、入ってくるわけで
あって、そういった感じで、心の中で共通項がないと、
コネクトできないんです。

風水とかも大事ではありますが、最終的に決定付ける
のは、本人の心であり、人間をどれだけ求めてるかに
よります。悪い波動を受けるのは、だいたい「心に
抑圧してる感情があって、しかしながらそれをないもの
のように扱っている」パターンが多いかな。
つまり悪い勧誘の電話をとらないと言いながら、
それを強く意識してたり、あるいはそういった勧誘の
電話がかかってくると、嫌いだと言いながら取って、
その相手を罵倒する機会を伺ってるみたいなパターンも
あります。

あと、性格が大丈夫でも人を避けていきてる人も
やっぱりよどみやすい。何も(他人から)入ってこない
から、結果としてうちからよどむって感じかな。

ネガティブな感情を持ってるかどうかは関係ありません。
(怒りとか恨みとか)
感じてるのに感じてないフリしてたりとかが、そういう
歪みが気の悪循環を生むような気がします。だから、
最近は、怒るときは怒るようにして、気が済んだら、
すっと流すようにしてます。

Posted by: mm_ug at 2005年06月13日 23:58

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