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2005年05月01日

オーストラリアの教育を検証する(2)― コミュニケーション能力

オーストラリア人のコミュニケーション能力が高いということをここで書いてみようと思ったのだが、さて、コミュニケーション能力の定義というのは何かというと、うーん、自分でも困ってしまうのだ。私自身の定義というのはあるのだが、これが世間一般に言われるコミュニケーション能力の定義と同じなのかと思うと、どうも自信がない。ということで調べてみる。

ご存知の方も多いと思うが、英語版のグーグルで何かの定義を調べたいときは、

www.google.com にて、

define:communication skill

などと、頭にdefine: としたものをキーにして検索をかけると出てくる。何度となく検索をかけているうちに、偶然に見つけたテクだ。(ちなみに、フレーズで調べたいことは、”communication skills” とくくればOK。あまりにも初歩のTipsでごめん)

“Communication skill is the basic trait required in nurturing relationships, building a good business and in every aspect of human interactions” (Wikipedia, 2005).

さて、日本語での定義はというと、色々と探してみたのだが、下記サイトの定義が一番、私にとって的確だと思えるので紹介してみると、

「コミュニケーション能力とは、人間だけが使うことの出来るお互いの共通の記号・象徴 = 普段無意識に使う言葉や身振りなどのメッセージを使ってお互いが理解し、影響を与え、問題を解決する、などの目的を達成したり、健全な対人関係を築き上げたり維持していくための知識や能力をいう」 (江口, 2003)

とのことである。要するに、お互いのインターラクション(影響を与え合うこと)を試みる行動であって、その能力が高いということは、お互いにとっての「ポジティブな結果」を引き出すことができるということであろう。

コミュニケーション能力ということが言われる様になったのは、多分ビジネスをする現場で求められる様になった(というか、明言化されるようになった)からではないかと思うのだが、日本の教育の現場でも重要視される様にはなってきたものの、なかなかそれを身に付けるための方法論が、確立されていない様にも思う。もちろん、人前でスピーチをする、ディベートを取り入れるなど、教育現場の方たちは、色々な工夫をしてらっしゃるのだが、結果はいまひとつ。私も自分自身が、その能力に長けているわけではないので、どうすればいいのかしらと思ったりもしていたのだが、オーストラリアに来てしばらくして、あー、と思ったことがあった。コミュニケーション能力って、何やら難しいことの様に思っていたのだけれど、要するにこの能力のベースにあるものというのは、何も難しいことではない、と気づいたのだ。

ここからの話は、ビジネス上で必須のコミュニケーション能力を身に付けるためのノウハウ、という高度な話ではない。もっと根本的なところ、対人関係に恐怖を抱き、傷ついたり傷つけたり、相手との距離をはかりかねて、結局何のアクションも起こせない、というレベルで悩む人が多い、という日本の現実と、メルベンでの人達の生活を見比べた時に気づく、決定的な違いについて書いてみたいのだ。

英語が話せない一番の理由は、インプットとアウトプットが少なすぎる、ということにつきる。コミュニケーション能力のベースも、これと同じことが言えるんじゃないかと思うのだ。要するに「人なれの度合い」の違いに起因するんじゃないかと思うのだ。というのは、オーストラリアでは、そりゃもー、朝から晩まで、どこに行こうと、誰に会おうと、見ず知らずの人だろうが、隣り合わせた、同じ場所に居合わせたというだけで、あぁこうも話題がつきないわねー、と言うほどにしゃべりまくりなのだ。スーパーに行く。このお客さんは、レジのお姉さんと友達なのねー、と思ってみていたら、結局、どのお客さんに対しても、今日何があったとか、さっきこんなことがあった、とか色々な話をしているのだ。それだけではない。年がら年中、バーベキューやったり何かにつけて家族や親戚が集まっては、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃパーティー三昧。もちろん子供だろうとあちこち登場させられる。レジになれべば子供だって、大人顔負けに世間話をして帰るのだ。チケット売り場に並んでいたら、前後左右で他人同士が世間話。

この現象を客観的に評すならば、娯楽の少ないオーストラリアでは、こういう人間付き合いが最大の娯楽である、と言えるかもしれない。ディズニーランドもない、朝から晩まで刺激的なテレビ番組のオンパレードというわけでもない。コミック雑誌も全然ない。第一、子供たちがテレビの前でじっと座っているより、やんちゃに遊ぶ方が大好き。親の方も勉強なんかせんでもええ、とにかくオージールールのフッティができなきゃあかんで、みたいなお国柄であるからして、朝から晩まで、ありとあらゆる場面で、人間同士があちこちでインターラクションおこしまくっているのである。慣れるはずである。場数が勝負であるからして。

で、片や日本の環境はというと、朝起きて、家族全員におはようと言ったのか言わないのかわからないうちにテレビを見ながら朝ごはんも食べたんだか何だか。気づいたらいないから、あー学校に行ったのね。学校行ったら先生が一方的に話す。帰って来るや否や、塾に行かなきゃ。MP3プレーヤーを耳にして黙って電車に乗る。時々携帯メールを送る。コンビニで立ち読みしながら何も言わずに弁当を差し出して買う。ありがとうも言わずにコンビニを後にして帰路につく。家に帰ったら「ただいま」も言わずに自分の部屋に直行してネットサーフィン。こいつムカつくと激しく汚い言葉をガンガンと掲示板に書き込んでほんの少しの優越感。

って状況で、コミュニケーション能力がつくわけないやんか。場数踏まなすぎ。どこで練習するつもりか、と考えるとかなり哀しくなってきてしまう。そんなんだから、時々まともにコミュニケーションをとろうとして近づいてくるおじさんに、「うっせーんだよ」とか言っていきなり暴行してしまったりんじゃないかしら。小さいうちから、色々な場面で、子供たちも話をさせてあげなきゃと思うんだけど、話もしないで事足りる、という状況があまりにも多すぎて、機会が少なくなってしまっているのが日本の現実なんだろう。
ところで、ここ香港はというと、日本よりも狭い場所に多くの人がいるため、あらゆるインターアクションの機会がある。見たところ、おしゃべりなお国柄なのか、それとも社会のシステムの違いなのか、私みたいな外国人でも、何かと話をさせられる状況が多い。ここ香港に、個人的な友人がいるわけでもないのに、何やらあちこちで声を出しているのだ。何だかすっごーい下町に住んでいる気分で、ワクワクと毎日が楽しいのである。

コミュニケーション能力というと、何やら特殊技能の様に思ってしまうのだが、これも場数の問題で(というのは数をこなすと、相手の反応とかを学ぶ機会が格段に増えて、相手の顔色だとか、言葉尻だとか、そういうものから感じ取る機会も増える)、まずは小さいうちから人なれさせていくということが、日本の教育に必要なんじゃないかと思うのだ。しかしそれができない現実ということも、私は充分にわかっているのだ。ちょっと話しかけただけで、相手に殴られて私は死んじゃうかもしれないという恐怖感が、東京に居た時の私にはあった。そんなリスクをおかしてまで、コミュニケーションをとろうとは思わない。どうして日本はこんな国になってしまったのか。私みたいなただの主婦が、わかるわけもないか。


Reference

江口 恭子. 2003, コミュニケーションについて (2), [Online. Internet.] Available:
   http://www.sla.or.jp/seminar/lifeplanseminar22.html, Accessed 30 April, 2005

Wikipedia. 2005, Communication Skill, [Online. Internet.] Available:
  http://en.wikipedia.org/wiki/Communication_skill, Accessed 30 April, 2005

Posted by akemi at 2005年05月01日 00:53

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