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2005年04月24日
キャリアプランを練る
アプリケーションを出している学校からの感触は悪くなく、待てば入れるのかなという憶測のもとに、自宅待機をし続ける我が家である。経験上、急がば回れ。焦って不本意なところに入ると、あとでどっぷり後悔するのが目に見えている。この学校に落ちた時の対策は立ててあるので、ゆっくり待つ。自宅で遊んでいるわけではない。毎日、英語と日本語を、それぞれの子供たちが自律的にやっている。異文化観察というのも、大事な社会勉強なので、香港観光も欠かせない。今回も子供たちは、家探しから、引越しの段取り、引越し後に必要な作業その他を、しっかりと見届けていたので、そんな細々した作業も、将来の役に立てばいいなと心から願うのだ。
引越しが終わり、そろそろ自分自身のメルベンを総括すべく、ごそごそとネットサーフィンをしている私である。そう、ダンナの稼ぎをつぎ込んで、周囲への迷惑も顧みず、ただひたすら、わき目もふらずに突進してしまった昨年一年の、落とし前をつけなければならないのだ。
落とし前をつける方法はただ一つ、お金を稼ぐことだ。大学院の授業料をペイしつつ、将来に繋がる何かを今から始めなければ、自分自身のあの一年を自己否定しなければならなくなってしまう。毎日毎日、そう、ここ3ヶ月ほど、www.jobsdb.comの香港での仕事を見続けていたが、それを見ていて現実的にならざるを得ないなと思ってきた。就業ビザをアプライするということは、フルタイムの仕事であるということ。そして、ITのフルタイムの仕事というのは、
able to work under pressure and long hours
willing to travel
なのである。あー思い出した。客先で人質になっていたあの頃を。あの生活を子持ちの私ができるはずないよなーっ。要するに、残業、休日出勤、出張も厭わず、しっかり働いてもらいまっせー、ということである。それがイヤ、9時5時で帰れる仕事がいいわ、ということであれば、その程度の仕事(稼ぎもキャリアもその程度)しかないのである。パートタイムのお手伝いさんに来て頂いて、やりくり出来ないかと考えつつも、昨年一年間の子供に対する不義理を思い出したりもした。結局、彼らへのアテンションが不足していたために、日本語も英語も中途半端な一年を過ごさせてしまった。母親失格。いや、そんなことよりも、自分自身、まだまだ子供たちに対してコミットメントしたいという欲求があるのだ。お手伝いさんに来て頂いて、家事全てを任せてしまうのは、一生そういう暮らしができるわけではない我が家にとっては、マイナス要因が多すぎる。自分の洗濯ものは自分でたたむなど、家族の一員として何らかの役割を担うということが、我が家では大事なことなのだ。学校落ちたっていい。でも、私勉強するひと、ママ(又はお手伝いさん)家事をするひと、なんて考えを起こしたら、それはもう、我が家の子ではなーいっ、出ていってくれーっ、
と思うくらい情けないことなのだ。
平日昼間のミッドレベルは、アマさん(お手伝いさん)と私しかいない。Tシャツにズボン。私はどこから見てもアマさんスタイル。子供を遊ばせながら見上げる高層アパートでは、丁寧に裏側まで手を伸ばして窓拭きをするアマさんが見える。哀しくて涙が出る。彼女たちが気の毒なのではない。自分が情けなくって仕方がないのだ。彼女たちほどのプロ意識で家事をしているのでもない。テキトーな掃除をして、変わり映えのない食事をつくり、時々中途半端にネットサーフィン。仕事の種を見つけると言って、今日も何の行動も起こせない自分が腹立たしい。
と自虐的になっても仕方がない。建設的に物事を考えよう。
まず自分の価値観として、子供のホリデーにも、週末にも、夕方も、ずっと仕事をしていて、全てをアマさんに任せるということは出来ない。私自身は徹夜をしてでも、病気の時、ホリデーには、子供たちと一緒に居たいという欲求がある。ダンナの転勤に左右されないもの。それでも自分自身を少しずつでも研鑽できるもの。
大学院でのプロジェクトでパートナーだった友人は、会社にアプライして、組織の単なる一員となるよりも、自分自身で大きな仕事を作りたいと言っていた。そして彼はその大きな、そして確実な第一歩を踏み出したのだ。SAPに関するオンライン書籍を出版したのだ。いま、その書籍が私のPCにも入っている。膨大なページ数。人間の人生は、結果だけが全てなのだ。結果だけが真実なのだ。やろうと思っていた、という言い訳は、何の意味も持たない。ただただ、現実に形にしたものだけが、感動や賞賛に値するものなのだ。そうだよな。香港で仕事をするというと、就労ビザをとってお勤めすることが王道(即ち、自分の能力の証明)の様に思っていたけれど、もっともっと邪念を捨てて自分の将来を考えていくと、どんどんと物事が整理されていくのだ。自分の中にあった、浅はかなスケベ心に気づく。頭の良さは生き方の問題、いつも父が言っていた。世間に対して肩書きをアピールしても仕方がないのだ。ただただ自分の信じる道を、淡々と着実に歩めば、将来は開けるのだという確信に満ちた気持ちが、やっとのことで自分の心に宿った気がした。ダンナが言った。「失敗しても、お前、失うものないやん」その通りだ。駐妻という気楽な状況が、私にとっては追い風なのだ。今日、私は自分にとって、一つの大きな決断を下したのだ。
Posted by akemi at 2005年04月24日 23:26
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