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2005年04月23日
オーストラリアの教育を検証する(1)― 落下傘を作ろう!
オーストラリアの教育について、色々とエッセイを書きたいと思い続けていたが、それも叶わずの2年半だった。子供たちのこちらでの学校が始まるまでの間、オーストラリアの教育に関して感じたことを、少しずつ記録しておこうと思う。最近、カオルが私のBLOGを読みたがって、それをずっと阻止しているのだが、子供達が大人になった時に、あの時、ママちゃんはこんな事を感じていたのか、と何かを考えるきっかけになってくれればとも思う。
私自身の経験と、子供の学校での状況を見ていて、
社会に出て自立的に働く大人となるために必要なスキルを身につける
という点において、オーストラリアの教育の方が、日本の教育よりも格段に上だというのが私の考えである。
もちろん、日本の教育にも、システム的に良いものは沢山あって、それを一つ一つ天秤にかけるつもりなど毛頭ない。また、この教育というものは、狭義の「学校教育」だけを指すことができないという点も、私が強調したいことなのだ。つまり、社会全体から受け取る子供たちへの無言のメッセージや、経済活動の格好のターゲットにされる度合いだとか、平均的な親御さんから受ける子供たちへの期待の質の違いだとか、そういう「子供をとりまくあらゆる環境」を、「子供を育てるための教育環境」と定義した場合、オーストラリアの方が、自ら考えて行動して、しかも自分自身をハッピーに生かす人間として成長することができるのではないかと思うのだ。
と、漫然としたことを書いていても仕方がないので、これから何回かに分けて、オーストラリアと日本の教育の違いに関するエピソードを紹介しようと思う。そのエピソードの中から、「何だか遊んでいるだけで、本当に勉強してるんだか何だか」と批判されることの多いオーストラリアの教育について、その根本思想を嗅ぎ取って頂ければと思う。
カオルがメルベンの学校に転校してしばらくたった頃、学校で、落下傘を作ろうということになったらしい。彼女は日本の小学校で作ったことがあると言ったところ、明日はカオルに作り方を教えてもらおうということになった。
さて、ここで日本で落下傘を作るということになったとしよう。低学年なので、多分、その1週間くらい前に、教材費のお知らせなどが届いて、タコ糸、ビニール袋、重石など、一括購入致しますので、いついつまでにお金を持たせてください、となるか、又は、当日に、何センチ程度のタコ糸、これくらいの大きさのゴミ袋1枚、重石のための粘土とフィルムケース1個を持ってくる様に、連絡帳に書かせているだろう。
さて、オーストラリアではどうするか。先生は、明日落下傘を作りますので、各自、必要なものを考えて持ってくる様に、としか言われなかったらしい。で、その結果、子供達は何を持ってきたかというと、それぞれ、色々な大きさ、色々な素材を持ち込んできたというのだ。巨大なシートを持ってきた子、毛糸、ロープ、重石にぬいぐるみ、(カオルが爆笑していたのは、トイストーリー1に出てくる、落下傘で落ちてくる役柄だったソルジャーのおもちゃを持って来た子がいて、そのセンスに皆、大喜び!)もうそれはバラエティに富んでいたらしい。で、それだけだったら、ただのお遊びなのだが、ここからがすごい。
大きなシートを持ってきてしまった子は、それを地上から落とすのが困難で、距離が必要と判断、3階から落としてみたり、大きな重石を持ってきてしまった子は、そのために大きなビニールが必要だとわかり、みんなで大きな落下傘を作ってみたり、長さを調節、素材を変更、もう考えられる限りの工夫を凝らして、何とかゆっくりと落ちる落下傘を作ろうと必死だったそうだ。それだけではない。家の中の素材を持ち出すために、親と交渉しなければならなかった子たちも何人かいて、その交渉がどれほど大変だったか、という話も出たらしい。
このエピソードをカオルが面白おかしく話すのを聞いていて、私の方は「ははーっ」とうなってしまったのだ。これを読んでいる日本の方達は、ちょっと焦った方が良いかも(笑)。日本の子供たちが、当然の様に思考停止させて、単なる教科学習、この学習のねらいはこれだから、これさえ理解しておけば大丈夫、と思っている時に、オーストラリアの子供たちは、朝から晩まで地頭を鍛えられているのだ。日本の学校で、1年に1回のプロジェクト学習、とか、そういう頻度ではなく、いついかなる時でも、どんな教科でも、物事の処理能力が試されている。また、オーストラリアの宿題は、「明日までにこれをやっておきなさい」なんて簡単なものではない。ほとんどの宿題は、プロジェクト形式で、大きな提出日だけ決まっていて、あとは自分で時間配分して、自分自身で同時進行のプロジェクトを整理していかなければならない。それが、日々の課題なのだ。
でも、要するにオーストラリアでの子供たちのやっていることは、自分達の、与えられた又は自分で作り出した課題に対して、どの様な手順で、どの様な時間配分で、どの様な資料にあたり、どの程度の力加減でとりくめば良いのか、そういうものを含めた「生きた=社会人になった時に活きる」学習なのである。
私自身がエンジニアとして、要するにサラリーマンとして働いた経験からすると、与えられた課題をきちんとこなすことは、社会人として最低限必要なスキルである。だから、日本の学校教育では、ここが重要視されるのであろう。しかし、実際の仕事の現場を考えてみると、まさかワークブックを日々消化するだけの仕事なんてあるはずもなく、どんな知識、技術、資料が必要かを瞬時に嗅ぎ分け、時間と力配分を考えつつ、自分の仕事を整理することが、実際の仕事においては必要なスキルである。また「トイストーリーのソルジャー」を持っていくという様なセンスは、与えられた課題のみならず、こういうことをすれば、お客様により喜んで頂けるんじゃないか、という様な付加価値を生み出す可能性を秘めている。何より、どんな仕事でも楽しくやろうじゃないか、というメッセージを、子供たちは常に受け取っているのだ。そう、人生は楽しい、と。
Posted by akemi at 2005年04月23日 23:58
Comments
ブログ再開ですね。
オーストラリアの教育もイギリスの教育も似たような感じだと思いますが、日本にくらべて自由でいいですね。
何か作品を作るときは、必ずどんなものを作るかという計画書みたいなものを作って、それを作るための材料を集めて、すべて整ったところで作り始めるという感じが多かったです。
だから、計画書の時点からクラスメイトや先生のコメントを聞いて改良していったりと、お互い刺激しあいながらの物作りになります。
考えるのが大好きな子供になったのはインター校に行かせたからかもしれません。
マイナス点も無いわけではありませんが、どうも日本の教育は緻密で素晴らしいところもありますが、実用的ではないような気がするのですが、あけんさんはどう感じますか?
Posted by: Junpei at 2005年04月24日 18:02
Junpeiさん、こんにちは!
オーストラリアの教育は、基本的にかつてのマザーランドであったイギリスから来ているのだと思うので、思想的には似ていると思います。
日本の教育は、実社会と乖離しているというよりも、有機的に繋げられて教えられていないので(断片的に切り出された知識の習得に力が入っている)ので、生徒たちにとっても、興味の持ちにくいものになっているのだと思います。例えば、日本のドリルなどをやっていると、子供たちが、「これが大人になった時に、何の役に立つのかさっぱりわからない」と不平不満を言うことが多々あります。その度に、これは大人になった時に、こういう場面でのお金の計算に使うのだ、などと説明すると、なるほどと思う様です。その辺り、多分教科の導入部分になると思うのですが、こういうのは指導要領がどうのこうのではなく、教師の裁量に任されていると思うのですが、そういう部分にセンスの光る先生が、いまの日本には少ないのかもしれないな、ということを感じます。
Posted by: あけん at 2005年04月25日 00:41
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