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2005年02月27日

久しぶりにマジギレ寸前のあけん

荷物のパッキングもそこそこに、気になって仕方がないのは香港での求人情報。

毎日の様に、SAP関連の求人情報をチェックしているが、業務経験者でないと非常に難しいということがわかった。私なんて要するに新卒者扱いであるからして、香港の現在のビザ発給のポリシーに鑑みると、とうていビザがおりるとも思えない。実際問題、既に外国人新卒者のビザ発給は不可能に近く、日本人なら日本での就労経験のみが必要とされる。逆に言うと、就労経験があったら、大学院なんていらん世界で、ぶっちゃけた話、学歴なんて一切関係ない世界。当然か、それがビジネスの世界だ。

ビザ発給のポイントは、日本語のできる香港の人では代替不可能な職かどうか、ということ。つまり、香港人の就労機会を奪ってでも必要な人材と見なされなければならないということ。私なんて十数年前の就労経験持ち出したら、腹抱えて笑われそうだ。おまけに、理工系の大学院出ました、北京語、広東語、上海語はネイティブ、英語、日本語、韓国語も堪能、という香港人、中国人がゴロゴロいる。自分自身、MBAホルダーの一歩手前くらいの位置には居るかしらという薄っぺらな自信が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。思わずもらすため息。ついつい口に出てしまった。

「達ちゃん、ダメや。香港で就労ビザ取得は無理や。」

それを聞いたダンナが嘲笑するかの様にほざいたのである。

「おーおー、いいねーあけん。まだまだモラトリアムは続くかぁ〜」

それを聞いて、久しぶりにマジギレ寸前となったあけんであった。

私だって、マスターとって、そのまま日本に帰るなり、中国大連に飛ぶなり(大連にSAPの研究所が出来て、オーストラリアSAPに勤める友人が、中国に行けば職には困らないぞと言ってくれた)して、キャリア積みたかったのよーっ、こんな、いつ転勤になるかわからない不安定な立場で、結果的に無責任に仕事をやめなければならなくなったりするかもと思えば、就職活動するにも踏ん切りがつかないのよーっ!!

と叫ぶところを理性で押さえたが、自分でも分かってる。そりゃそうだ、ダンナのおかげで大学院にだって行けたんだ。順番を間違っちゃいけない、でも言いたい。私はいつでも、目が眩みそうな制約条件の中で、それらが全て必然であるかの様に振舞ってポジティブに人生を選択してきた。あとちょっとというところで、新しい制約条件が出てくる。もう、そろそろ限界かと思う、踏ん切りつけようとも思う。冷静になろうとも思う。

Remember who you are という本に出てくる、Sara’s Story(邦題は、『ハーバードからの贈り物』の中の、サラの物語。何度読んでも泣ける話なので、是非お読みくださいませ!)を何度も読み返した。私の母はまさにサラの様な人だった。そして、私はサラなのか、それともその子供なのか、何度も自問した。4人の子供、転勤族のダンナ。キャリアを積みたいと思うその気持ちは、何事にも替え難いものなのか。それとも、制約条件の中で、自分の優先順位を再度考えなおし、最大多数の最大幸福を願うのが、私の一番の幸せなのじゃないか。

OLだった時、大先輩の女性の方に言われた言葉がある。彼女はキャリアウーマンを絵に描いた様な方で、ずっと独身であった。私は彼女をとても尊敬していて、彼女の様になりたいと思い続けていた。そして私は、その彼女にとっても可愛がって頂いた。ある日、何を思われたのか、突然、こんな話を私にして下さったのである。

「あけみさん、一番でなくっていいの。結婚もして、子供も生んで、仕事では二番でいいのよ。」

ずっと独身を通した彼女が、20歳そこそこの私に向ける言葉としては、あまりにも重い言葉で、彼女にしてみればリスキーな言葉でもあったに違いない。しかし、それがストレートに伝わると見込んで話して下さったことが、一生忘れられない言葉として、私の中に今も残っている。当時の私は、傍目から見ても一番を狙う意気込みにあふれていたのだろう。

いま、この言葉を思い出したのは、一足飛びに一番になろうとしている自分自身への警鐘だったのかな、とも思う。仕事では二番でも、人生は一等賞。幸せなファミリーと変化に満ち満ちた生活、かわいくて個性的な子供たち。すべてを捨てて仕事に没頭することが、私のプライオリティとは思えない。もっと着実で変化に対応できる仕事の仕方があるだろう。どんな仕事でも一流を目指す心意気があれば、きっと明日は開ける。一番をも狙うサラでいくか!

Posted by akemi at 00:16 | Comments (0)

2005年02月24日

学校、なかなか決まらへんなーっ

アプリケーションを出していた学校からダンナ宛にメールが届いた。

うーん、多少空きはあるらしいが、全員ではない。この際だから、4人の子供を全員違う学校に入れてしまおうかいなーっ、という案も浮上。かねてから日本人学校への編入に憧れていたタカシについては、インターにも空きがありそうで、という何とも皮肉な状況。よしっ、インターと中国語ローカルとどちらがいいですかぁー、というダンナの質問に、思わずインターナショナルスクールに手を上げてしまった彼。誘導質問。既に選択肢が狭められていることに気づかず、自分で選択したかの様に思わせる手法、これをマインドコントロールといふ。

とりあえず、どちらにしても全員の面接がある。カオルについては筆記試験もあるかもしれない。そこで彼女に心境を聞いて見ると、彼女は「落ちるわけない」モードに突入中。カオちゃん落ちるんだったら、誰が受かるねんって感じらしい。何度も書いておくが、彼女は特に成績が目立って良いわけではない(学校では人気者らしいが)。何たる自信。こういう人がいわゆる、鼻持ちならない帰国子女として日本で嫌われてしまうのであろう。

それにして、彼女のこの自信は、日本にずっと居たら絶対に得られなかったものだろうなとしみじみ。実はイギリス系の学校になると、彼女は6年生(日本の学校では4月から6年生の年齢)ではなく、中学一年ということになり、ひとりでバスにのって遠くまで通わないといけない。が、それを恐れる素振りも見せない。あー、はやくオーストラリアドルを香港ドルに替えてね、とそればっかり。自称陶芸家志望な彼女は、ダンナ曰く、まちがいなく証券ウーマンになりそうだとか。あれほどまでにお金に執着できるヒトも珍しい。世の中はお金だと思っている。こんな殊勝な子育てエッセイを書いているあけんの子供だから、さぞかし健やかに育っていると思われている方もいらっしゃるかもしれないが、結果、誰が育てたんやー、というほどにマテリアルガールになっているのである。彼女には、香港の方が似合ってたりして。

Posted by akemi at 23:40 | Comments (0)

2005年02月18日

パッキング開始

昨日、引越し業者さんから梱包材一式が届いた。早速、梱包を始める。

もう全部捨てていきたいと思いつつも、なかなか物が減らない。香港では自転車に乗るチャンスがなさそうだから、全てこちらで処分していく。トランポリン、二段ベッド、タラゴ(エスティマ、我が家の車よん)などなど、大型のものの処分に困る。子供たちの友達に会うたびに、自転車いらんかー、トランポリンいらんかー、と声をかける毎日である。

とりあえず、直ぐに使わなさそうなものから梱包をする。書籍類、写真アルバム、子供の教科書などなど、自分では必要最小限にしたつもりなのに、どう考えても箱が足りない感じ。大学関連の資料その他も、バッサバッサとリサイクル用のごみ箱にぶち込む。さらば、ワタシの青春。でも、不思議と悲しくない。これらのノートや資料の多くは、ほとんど頭に入っている。必要ないものだと心底思えるから心置きなく捨てられる。でもまだまだ就職をあきらめたわけではない。香港で就労ビザがないといっても、方法はいくらでもあるだろう。まだまだSAPコンサルタントとしての夢を捨ててないから、貴重な資料は手元においておく。この資料を紐解く日が来ますようにと、祈るような気持ちで梱包する。

今日は金曜日。明日の土曜校の宿題がまだ出来ていないというのに、子供たちは思いっきり友達と遊んでしまった。ダンナが香港出張中なので、えーいっ、みんなまとめてマクドいっちゃえーっ、と子供たちの友達も引き連れてマクドで夕食。みんな制服着たままだから、どこの学校かすぐにわかる。しばらくして同じ制服を着た子供たちがやってきた。小さい学校だから、絶対どこかで見たことあるのである。それだけで挨拶をし合う気軽さが、私にはたまらなく嬉しい。

メルベンでの生活が楽しければ楽しいほど、次の地への期待もふくらむ。特にカオルは、東京を離れる時に学校の友達と別れるのがいやだといって泣いた。でも今では、日本に帰りたくないと言うほどに、ここでの生活が楽しくなった。だからきっと、次もこんな素敵な出会いが待っているに違いないと思っているのが手に取るようにわかる。

我が家の子供たちは特に勉強が出来るわけではないのだが、カオルに、香港で入学試験を受けなければならないのよ、という話をしたら、「うぉーしっ、やったるでぇーっ」と握りこぶしをあげた。その姿を見て、うげーっと私は驚いてしまった。私はこの2年半、カオルの学校の宿題を一度も見てあげたことがない。彼女に英語の家庭教師をつけたこともない。ただただ、優秀ないいお友達に恵まれたのだ。まわりのお友達の勉強に対する姿勢を見つつ、テクニックを盗んでいった。自分でスケジュールをたてて、時には人知れず徹夜もしていたらしい。そうやってここまで来た。人から誉められたとか、そういうことではない。自分自身で、誰にも頼らずに自分の力だけでここまでやってこれたという自信が、彼女を強くしたのだ。私は心底彼女を尊敬している。彼女には、私が思う「生きる力」が十分に備わっている。これ以上何が必要か。そんな彼女を見て、私もポジティブに生きるしかないよな、と再認識するのであった。

Posted by akemi at 22:04 | Comments (2)

2005年02月15日

大学でrefund

大学をやめなければならない。香港転勤が決まった数日後、退学のための手続きに行く。

といっても私は既にグラジュエートディプロマを修了して、そこからマスターへと切り替えた新入生と見なされるので、退学にはならない。ただ単に、支払った3科目分のお金をリファンドするための申請書を提出すれば良いらしい。しかし、インターナショナルブランチのスタッフが突然、とんでもないことを言い出したのだ。

「アケミ、リファンドしても半分しか戻って来ないの、知ってるわよね?」

えーっ?知らない知らない! と大騒ぎ。彼女曰く、

「将来大学に戻って来る予定があるなら、その時まで保留にすれば、そのまま全額使えるから、その方が良いと思うんだけど、戻って来る予定はある?」

将来、私だけ単身戻って来る可能性もゼロではないかしら、などと想定しつつ、3年後くらいなら、あるかなぁー、と生返事。しかし、彼女は、そこまでは待てないわ、例えば来学期だとか1年先とか、その程度なんだけど、と続ける。うーん、そこで私は突然、とんでもない代替案を提案してしまった。

香港にある提携校にトランスファーできるかしら?

うーん、これはさすがに前例がないらしく、何度もマネジャーに聞きに言って下さったが、どうも結論が出ない。ちょっと書類を預からせてね、結論が出次第、電話するから。あ、ダンナさんが香港に転勤になったっていう証明出せるかしら?

ということで、その証明書も会社の方のお計らいで、即作成して頂けた。それを持って後日出かけるも、

うーん、まだ結論出ないんだけど、香港のどこの大学のどのコースかわかる?

と聞かれる。実は同じコースはないのだが、コンピュータサイエンスの修士があるので、そちらに切り替えられるかしらん、と提案。実はもうSAP以外の他のマスターをとる気はないので、学位目的ではなく、意地でもお金をドブに捨てるもんか、というノリで食い下がる。

待てども暮らせども、電話は一向にかかって来ない。メールでの問い合わせでは、一向にらちがあかないので、今日、再度殴りこみーっ。もう何度通ったかわからないオフィス。私の顔を見ただけで何の案件か分かる状態。電話待ってるんだけどー、とジリジリ責めてみると、彼女がとうとうダイレクトにマネジャーにかけあってくれた。

もどって来た彼女は何やら神妙そうな顔つきで、

「アケミ、今日はあなたにとってのいい日?それとも悪い日?どっち?」

などと聞いてくる。あーん、もうそんなにじらさないでよ、わかんないわよ、そんなこと、バッドニュース?

いきなり彼女がジャーンと笑顔を炸裂させた。

「アケミ、よくやったわねーっ。今日はあなたの人生において最良の日かも(そんな大げさな)。リファンドできますっ! よかったわねーっ!!」

つまり、結論として、全額戻って来るということになったのだ! 確かに後で調べてみたら、コース開始4週間以内のリファンド請求は、半額しか戻ってこない、と Refund Policyに書いてあったのに。でもダンナの転勤というのは、一種、不可抗力と見なされたのだろう。

家に帰宅すると、大学から2通の封書が届いていた。一通は、新入生に向けたオリエンテーションウィークに関する案内。私はまだ学生と見なされていたのだろう。そしてもう一通は、コース修了の証明レター。実はこのレター、卒業式直前に送付されるものなのだが、香港で就職活動するかもしれない、と勝手に思って緊急で発行してもらったものだ。それを見て感慨深いものがあった。グラジュエートディプロマ修了を正式に証明してもらった。マスターではない。このコースを選んだ時の気持ちを思い出した。私はここに永遠に住める人間ではない。私の本分はいつ転勤になるかわからない駐在員の奥さんである。時間の制約があったからこそ、見通しの立たない1年半のコースではなく、時間のかかるパートタイムではなく、1年間のフルタイムコースを選んだ。もし最初から修士を目指していたら、取得するサブジェクトが違うため、私の手元には「中退」という肩書きしか残らなかったはずだ。あぁ、これで良かったんだ。私は私なりの人生を作っていかなければならないんだ。多くの制約条件、与えられた環境の中で、自分なりのポジティブなベストウェイを見つけていかなければならない。そして私は、それを最大限にやりとげたじゃないか。オーストラリアでの生活に悔いはない。

今日、大学に行くためにノースブライトン駅で待っていたときのことだ。学生のときは、英語の分厚い本を目を血走らせて読んでいたためか、誰にも話しかけられることなどなかった。しかし今日、いつもは座らない駅のベンチのど真ん中に座って、しかも、日本語で書かれた香港の賃貸情報誌をボーっと読んでいた。突然、横に座ったオジサマが、どこから来たのか?と話しかけてきた。日本人でここに住んでいるんだけど、来月に香港にお引越しするんですよ、などと話したら、なんとそのオージーのおじさまは、中国や香港に何度も行ったことがあると話し始めた。アジア人という観点から見ると、彼よりも私の方が、はるかに中国に詳しくてもおかしくないはずなのだが、メルベン郊外の電車の駅で、白人のおじさまに英語で中国の情報を聞いている日本人のワタシというシチュエーションが、何となく意味も無く素敵なことに思えて、しばし彼との中国談義に感動。そして彼の口から北京のオリンピックの話が出た。これからの中国はますます発展して面白くなるだろうと、彼は私を鼓舞するかの様にGood Luckと最後に添えて電車に乗り込んでいった。心地よく背中を押される様な感じ。よーし。香港では初日からぶっとばすぞーっ!!

Posted by akemi at 20:25 | Comments (0)

2005年02月13日

Brighton Bay Run

メルベンのBrightonというビーチに近い素敵なサバーブに住んでいるので、何か思い出に残るものをと、毎年、2月に行われる、Brighton Bay Runという5キロマラソンにエントリーしている。

今年で3回目、そして今回が最終回。エントリーはいつも、私と上の三人。昨年までは、子供のちんたらにつきあって30分台だったのだが、今年こそは本気を出して走ってやるぞと決意していた。子供の中で一番運動能力の高いタツミがライバル。私は絶対勝つからねー、というと、タツミも負けないもん、と強気の発言。

しかし。事態は急展開。香港行きが決まったために、全く走りこむこともできず、1年間の運動不足に加え、アトキンスダイエット、引越し準備と、すっかり気持ちはランニングに向かず、それでもエントリーしてしまったため走ることにした。

練習なしで本気出せるのかと思いつつ、走り始めたら、なんと、タツミとタカシがいきなり本気モードで、私のはるか前に走り出てしまった。そんなペースじゃ5キロもたない。必死で私も追いかけて「ペース落とせーっ」と叫ぶのだがなかなか本人たちが見つからない。私までペースを乱されてフーフーといっていると、なんとタカシがいきなり1キロ地点で歩いているではないか。しかも右手で左胸を押さえていかにもしんどそう。

タックンどうした?と聞くと、心臓が痛い、という。ひぇー、こんなところで子供に死なれては困る。タックン、棄権しよう、というのに彼はそれは嫌だという。仕方がないから、彼を見捨てて本気になれるはずもなく、しばらく一緒にゆっくりと歩く。2キロ地点で折り返してきたタツミとすれ違う。本気出す気あるんか!という私はハンディビデオ持参で走っているので、ばっちりとタツミの雄姿を撮影。ついでに情けないタカシの姿もビデオに納める。今年は給水所がないぞ!と怒りながらも、折り返し地点からだんだんと走れる様になったタカシは、時間を気にし始めた。そして4キロ地点でいきなりラストスパートをかける。結果、タツミ30分、私とタカシ35分、カオル36分という結果。それでもそれぞれ昨年よりもタイムを縮めている。タカシと同じくらいの子で、18分でゴールした男の子は、自己ベストを9秒縮めたと表彰台で喜んでいた。トップは16分台。オーストラリアに来て、全員運動不足になってしまって悲しい我がファミリーであった。香港では車を持たないつもりなので、毎日毎日、ガンガン歩くぞぉーっ!

Posted by akemi at 18:58 | Comments (0)

2005年02月11日

International SchoolへのApplication書類を作成中

1ケ月前に仕込んだ豆乳せっけんと廃油せっけんが出来上がった。

忙しいと思いつつ、ついついラッピングしたり、ラベル作成したりと楽しんでしまった。全部で4種類。廃油せっけんは、生ラベンダーとマンダリンの皮入り、ラベンダーのエッセンシャルオイルも入っている。豆乳せっけんは、フレグランスなしのオリジナルと、ラベンダー、ローズウォーター入りのローズの3種類出来た。お気に入りは、ローズ。たっぷりのローズウォーター(こちらでは250円くらいでたっぷり入っているのが買える。もうじゃばじゃば使っちゃう)。

昨日は、2年ぶりに私の最初の英語の先生が我が家へ遊びに来られた。実は彼女はオンラインショップを立ち上げたいということで、ビジネスのご相談。うーん、これから香港行くんだけどなー、と思いながら知っていることを色々お話してみる。多少のお手伝いはできるかもしれないが、まずは、マーケティングリサーチしてみてね、ということで落ち着く。メールがあるからオーストラリアと香港と言っても、あまり不便は感じそうにもない。私にとっても貴重なオージー人脈だよな、としみじみ。

で、今日は、香港にあるインターナショナルスクールに提出する、申し込み用紙やその他のドキュメントの整理にすっかり時間をとられてしまった。とか何とかいって、私はドキュメントを作成するのが趣味なので、こういうことは大好き! ここぞとばかりに仕事の出来るヒトなのよ私、とアピールするかのごとく完璧なドキュメントを作成。いかんせん、肝心の「子供の成績」でアピールできないだけに、違うところで印象を良くしとかなきゃねー。しかし、なんでうちには子供が4人も居るのだ! 提出するドキュメントは一人につき7種類ずつ。そのうち2種類は現時点で準備できないので、5種類×4人分の書類が部屋中に重なり合っている。それをうまくオーガナイズして、一発で分かる様にしなければならない。ケアレスミスの無い様に、二重、三重のチェック。時々、ダンナのサインが必要なところがあるので、彼の側に書類を持っていっては、「○○の申請のためにサインが必要なので、ここにサインと日付は○○日で。4人分のため、4枚お願い致します」などと言いつつ完全に秘書のノリで自分に酔いしれる。って、こんなところイメクラしてる場合じゃないか。

ブツブツと4人もなんでおるんやー、といいつつ何とか作成完了。あとは来週出張するダンナに言付けるだけだ。何とかうまくいきますように。

Posted by akemi at 21:09 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月10日

子供の教育に悩むママなのである

さて、メルベンで最高の教育を受けたと信じている私としては、香港に行っても、その教育を続けさせたいと思うのは、きわめてノーマルな感情であろう。

香港で子供たちが受けられる教育の可能性としては、

1、 地元のローカルスクール(広東語、北京語、英語)
2、 インターナショナルスクール (英語)
3、 日本人学校 (日本語)

ということになろう。メルベンでも公立小学校にぶち込んだ我が家としては、香港のローカル公立校にぶちこんでみたいという欲求も無きにしも非ずなのであるが、いかんせん中国語の能力ゼロで、日本以上に詰め込み教育と聞き及んでいる香港で、まさか平均以下の成績でのほほんと生きている我が家の子供たちが、受け入れて貰えるはずもないだろう。で、自ずと選択肢は、日本人学校かインターか、ということになる。

ここで、子供たちにインタビューしてみると、

カオル 「日本に帰ったら、日本人学校に行けるんだし、せっかく香港なんだから、インターがいい。だって英語忘れちゃいそうだもん」
タカシ 「当然、日本人学校。キッパリ」
タツミ 「ミックンはね、お友達ができれば、にほんごの学校でもえいごの学校でもどちらでもいい」

とのことであった。しかし、オーストラリアで大学院教育を受けてしまった私が母親であるため、日本人学校という選択は、プライオリティ最下位へ。私は日本の大学教育を、全く信じていない。USELESSなものに入るためにすんごい勉強しなきゃなんないんだぞ! 順番が違うだろー。入ってから勉強しなきゃ、このコンペティティブな世界で生き残れないんだぞ、と鼻息が荒い。

タカシ、悪いが諦めてくれ。君が日本語大好きで漢字博士なのも知っている。君のそのパワーは中国語探求へと向けてくれ。

聞いてんだか聞いてないだかわからないが、とりあえず子供たちにカツを入れる。というのは、香港のインターナショナルスクールは、どこも一杯でウェイティングリストも相当なものらしい。問い合わせを入れたダンナが、成績のことまで聞かれたらしい。

やばい。やばすぎる。母親の私は、せっせと自分自身のHD(優)獲得に汗水たらしていたが、子供たちは成績に対する欲求がゼロである。いやいや、親の方も、子供の成績に関する期待感がゼロで、英語が全く知らないレベルから、そこそこ平均点クラスの評価を取ってくるので、常に子供たちは親から誉めちぎられている。まさか、自分たちが、箸にも棒にもかからんレベルとは、思ってもみないだろう。タカシは日本人生徒にありがちな、異様に算数のマークが高い(3年生なのに6年生レベルと全豪標準テストでマークされた)のだが、いかんせん英語のスピーキングとライティングがひどすぎる。カオルとタツミは、社会性には才があるのだが、アカデミックな成績表には、全く目だったところはない。

やばすぎる。こんなんだったら、ぜったい入れない。どーしよー、やっぱり日本人学校かぁ?

とあわてていると、カオルが顔色一つ変えずにこう言った

「もし入る学校なかったら、ママちゃんが家で教えてくれたらいいよー、このホリデーのときみたいに。そっちの方が楽しいかも、ねー、タカシ、タツミ」

ただでは起きん奴等だ。でも嫌だもんね。私だって勉強したいもん。子供を学校にぶちこんでさー!! 

ということで、学校のオフィスの先生に相談したところ、推薦状を書いて頂けることになった。これがどのくらい威力を発揮するものなのか、見当もつかないが、彼女いわく「たぶん、大丈夫だと思うわよ、保証はできないけどね」 神のみぞ知る、か。

Posted by akemi at 21:53 | Comments (0)

2005年02月09日

情報過多が私を苦しめる

メルベンには2年半居たことになる。

今日、引越業者さんが見積もりにいらっしゃったり、あわてて歯の治療に行ったりしている。ここ数日、色々な人と話をする機会が増えた。メルベンを離れる、ということが最大のトピックだったのだが、ばったり街角で出会った友達とカプチーノを飲みながら話をしたり、子供のクラリネットの先生と、普段は用件だけの話なのに、何故か人生についての話で長電話してしまったり、子供の学校の先生や、お世話になったママさん友達と立ち話したり、最後の最後で、やっと、この街にコミットメントし始めた様な気がしている。最後だからと、お互い思っているからなのだろうか。とにかく、勉強も何もしてない完全フリーな立場で過ごすこの時間が、実は一番、英語学習の早道だったんじゃなかったのかな、と思ったりもする。ガリ勉している場合じゃなかったかも知れない。

とにかく、子供たちの学校だけが懸念だ。次に行くのは香港。日本ではない。しかし、多くの情報が日本語でもたらされる。日系スーパーから日系書店、ダイソーまであるらしい。食べ物、生活、何も困りそうにない。何をするにも英語で、未だにフーフー言ってはいるが、自分からアクセスしない限り得られない、ここでの日本に関する情報が、今の私には適度な量だったのかもしれない。あまりの情報量に、消化不良気味である。

つい数ケ月前、私はこんなことで涙を流していた。メルベンでビジネスを学ぶ意味はあるのか?(実はこの問いは、某サブジェクトのパーソナルジャーナルにも書いてしまった!)その時の私だったら、武者震いしているはずだ。香港こそ、旬のビジネスを体感できるはずだと。今、ジリジリと実感し始めていること、それは、メルベンというのは、私が思っていた以上に田舎だったということだ。人間の幸せというベクトルがある。人間らしい暮らしという尺度もある。そういうものにおいては、ここ、メルベンは最高点に限りなく近い。でも、私は昨年、確かに熱くなっていた。どんな環境でも、自分を奮い立たせて、自分をインプルーブさせる方向にもっていくことが出来た。目指すものはもう少しで手にできそうだった。ところが何だ、このザマは。ビジネスの世界で生きていくんじゃなかったのか、それなのに、日本語の商業主義的情報群が、これほどまでにエネルギーを消耗させるものだったのか、とフラフラになっている。理由はわかっている。自分の焦点が定まっていないからだ。でも仕方がない。すむところ、子供の学校、そんなもの全てをsettleしてから、自分自身のメルベンを総括せねばなるまい。

Posted by akemi at 20:47 | Comments (0)

2005年02月06日

I love Melbourne, I love Australia

人間というのは懲りない生き物だ。今の幸せが永遠に続くかの様な錯覚をいつも持ってしまう。

時々、乗り越えられそうにもない辛いことがあっても、その次に訪れる平和な日に感じる、「あぁこれが幸せというのだ、かけがえのないものなのだ、今を生きるのだ」という思いを、しばらくしてまた忘れてしまうのだ。何気ない風景が、これほどまでに有難かったのかと、後になって気づくのだ。

後悔したくなかったから、この2年半、私は全速力で毎日を送っていた。久しぶりに後悔のない年月だった。最初の半年は、初めての英語圏での生活で、泣いたり笑ったり感動したりと、色々と忙しかった。生活に慣れ始めて、自己流に英語を勉強し始めたが全く上達せず、ハッキーを預けてまでフルタイムの英語コースに入った。周りの若いアジアからの留学生(彼らの多くは有名大学を狙う受験生でもあった)の流れにのっているうちに、進学準備コースに潜り込んでしまった。それから一直線に受験生生活。そして大学院生になった。グラジュエートディプロマを取得。そして、修士取得まで、あと3科目を残すだけだった。今月末から、私にとっての最後のタームが始まる。卒業。そして、就職活動、のはずだった。

人生には優先順位がある。私にとってのトッププライオリティは家族である。誰が決めたのでもなく、私が決めたのだ。でも、昨年一年間、私は自分自身の勉強をトッププライオリティにおいていた。この10余年の間で、この一年間だけだった。だからもうこれ以上ない充実感がある。私の本分は、家族の幸せを支える、明るく元気で逞しい奥さんでありママさんであるのだ。そのことをしっかりと再認識した一週間だった。

メルボルンを離れる日が来ることは、最初からわかっていた。書きたいことのほとんどを書けぬまま、でもその日はもうすぐ来てしまう。感傷に浸る時間もないほど、毎日を忙しく過ごしている。それよりも、新しい生活、そして新しい出会いが待っているのだ。

I love Melbourne, I love Australia. 私たち家族にとって、オーストラリアは特別な国だった。子供たちに、日本では得られない様な、素晴らしい価値観を見せてくれた。将来、日本とは違う価値観が世の中には存在するという認識が、彼らを救ってくれるのだと、心から信じている。

Posted by akemi at 20:26 | Comments (0)