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2004年12月20日

いつになったら私は自分に自信が持てるのだろう

実はつい先日、ささいなことで涙をポロポロと流してしまった。

普段は優しいはずのダンナも今回ばかりはいい加減にしてくれとばかり、頼むからそんなことでメソメソせんとってくれ、と冷たい態度。何をメソメソしていたかというと、自分では認めたくないけれども、やっぱり自分にもこんな人間の弱さというか、見栄や意地みたいな、人間の人生の本道からは関係のないところの問題である。

きっかけはというと、友人宅におじゃましてお話をしていた時のことだった。アメリカに長く暮らしていた彼らから、アメリカの教育の話を聞いていた。ご本人は、日本のいわゆるトップ大学を卒業して、現在研究者としてこちらにいらっしゃっている。アカデミックという観点から見ると、これ以上ないというトップクラスの人である。彼らは、オーストラリアの教育も日本の教育もアメリカの教育も見てきたが、結論として私たちにはアメリカの教育が一番良いという印象を持っている。ハーバードなんかに行っている人間は、単に頭がいいだけじゃなくて、人間的な魅力の幅がものすごい。やはりアメリカという国は、世界のトップとなるべき国なのだと思わせる魅力のある国なのだという話を聞いた。

私はアメリカへ行ったことがない。そして、私は一流、トップと呼ばれるところに身を置いた経験が一度もない。自分自身、一流になりたかった。一流になって、一流と呼ばれる人たちと話をしてみたい。一流になるには、一流の中に身を置いて切磋琢磨するしかない。でも、一流の中に身を置くには、自分自身も一流でなければならない。

そんな、ニワトリが先か、卵が先か、みたいな話にはじまって、私は卒業した大学も三流だし、就職した会社も業界トップじゃなかったし、今いる大学もトップには程遠いし、オーストラリアはビジネスする上でもトップ国とはいえないし。そんなところで、多少良い成績をとったからといって、井の中の蛙もいいところだ。私は努力することにかけては、多少、才があるのかもと自惚れていた。でも、例えば日本でトップ大学に入る様な人は、もともと頭の作りが違う、そう言ってしまうと、彼らが何か楽に大学に入った様にも聞こえてしまうが、違うのだ。そういうトップになる人たちは、努力においても一流なのだ。つまり、私は努力することにかけても、三流なのだ。

そんなことをダンナの前でブツブツ言いながらポロポロと涙を流した。ダンナは、お前は要するに、ステータスが欲しいのか、他人にカッコよく見られたいのか、アホか、と話にならないとでも言いたげに、私に背を向けてパソコンに向かう。その背中を見ながら、またポロポロとしながら、「でもね達ちゃん。私さー、いつになったら自分を許してあげられるのか、それもわからへんねん。いつまでたっても、自分に自信がないねん。でも、なんで自分に自信がないのか、自分ではホンマはわかってんねん。私は大阪人やから」

ダンナは、あーもう、わけがわからんことをまだ言い出しおった、という感じで振り向きもしない。

「大阪って、もともと商人の町やから、権威がどうの、ステータスがどうの、そういうもんがなんぼのもんやねん、という感覚があるねん。じゃ、何が大事か。お金なんや。要するに、お金かせいで、なんぼのもん、という感覚がある。どんなカッコええこと言うても、一銭にもならん奇麗事言ってても、アホかという感じがあるんや。要するに、金稼いで一人前。今の私は、お金を稼げていない。これが一番、自分に自信をもてない理由。で、稼げる体質にするために、手に職つけるために大学院に行った。それでもまだ、自信が持てない。これから就職活動をしようと思っているのに、ビビッて前に進めない。そんな自分が情けなくって、どこまで行けば自信を持てるのか。いわゆるトップの大学にでも行けば、自信が持てるのか、そんなことばっかり考えてるねん」

ダンナが振り向いて私に言った。「甘えんな。お前はただ、甘えてるだけや。基本にもどれ。お前は何のために大学に行ったんや。博士号とるためか?勉強が趣味なんか?違うやろ。職を手にするために行ったんやろ。そしたら、まず稼げ。就職活動して、面接受けて、全社から不採用通知をもらって、それもまた経験や。昔のお前は違った。インドで会った時のお前やったら、そんなところでメソメソしてないですぐに行動してたやろ。なんか、お前も弱くなったというか、情けなくなったというか。」

そんなこと言わないでよ達ちゃん。もっと泣けてきちゃうから。

大阪育ちの私は、お金稼いでやっと一人前、みたいな感覚が小さい頃からあった。大阪人がお金を話題にすると、他府県の人は誤解をする。お金に卑しい、お金に汚い、世の中お金だけだと思っている人種だと。違う。私にしてみると、例えば東京などの人の方が、お金に対して過剰な感覚を持っている様にも思えてくる。お金は単なる尺度である。そして、どうしてお金が稼げるのか。それは人様のお役に立っているからなのだ。お金を稼げるということは、世の中の、人様の役にたっているということに他ならない。役にも立たないものに対して、人様がお金を出したりはしない。大阪人にとって、お金を稼ぐということは、単に自分でがっぽり儲けて、ということではなくて、人様のお役に立って、なんぼの人間なんや、という感覚が多分に含まれているのだ。つまり、そういう感覚が染みわたっている私にとっては、専業主婦で経済の消費部分にしか携わっていない自分は、一人前でないのだ、という感覚があるのだ。何も、私の考え方が正しいと言っているのではない。他人さまの生き方を批判しているのでもない。ただ、私が、私自身の価値観の中で、一人前でないから、一人前になりたい。真っ当に働いて、税金納めて、人様のお役に少しでもたって。そうじゃないと、死ねないよー。

私は昔から、どんな仕事だろうと、お金を稼ぐことは大変だと思ってきた。色んなアルバイトをしたが、簡単で、楽で、そんなものは一つもなかった。子供を連れて入ったマクドで、お友達のママさんがパートとして働いているのを知ったとき、そしてまた、この前はメルベンの日本食レストランに入ったところ、そこでママさんが働いているのを知ったとき、私の胸はドキドキしてどうしようもなくなった。そして、消費側にしかまわっていない自分が、どうしようもなく食えない人間に思えて、何とも言えない涙を流してしまった。その日本食レストランには、私と同じ様に、ランチに訪れた駐在員夫人たちがたむろしていた。ランチを食べて、デザートも注文して。大声で笑って、楽しそうだった。きっと、そこに居合わせた彼女たちの誰一人として、働いている彼女を羨ましいなどと思ってはいないだろうと思ったのだ。だって彼女たちはいわゆる勝ち組。自分自身、働く心配をする必要がないほど高給とりのダンナがいて、値段も見ないでメニューを注文している。もちろん、彼女たちは私と違って、家庭をもっともっと大切にしている。家はいつもきちんと綺麗にして、晩御飯もきちんと作って、ほんのちょっとの息抜きのランチを、誰にとがめられるはずもない。それでも、私には、そこで働いていた友達のママさんの姿が、まぶしくて正視できないほどだった。きりっと引き締まった顔つき。お客様への気遣い、てきぱきとした仕事の手つき。カラカラと笑う女性たちの横を、目立たない様に、でも無駄のない動きで通り過ぎる。どんな仕事でも、働く人の姿は美しい。お金を頂くということは、大変なことなのだ。そして、キラキラと輝く彼女を見て、初めてとは言え、駐在員夫人として日本食レストランで高級ランチを食べている自分を、歯がゆく見つめるもう一人の自分がいた。私は勝ち組、何が悪い、私は家庭を守るという大役を果たしている、とドーンと胸もはれない、私は汗を流してお金も稼いでもいない。どっちつかずのうじうじの私。ダンナが愛想尽かすのもよく理解できる。

だいたい、貧乏性の私が、大学の休みでヒマになったからロクなことがない。人間、時間ができると、どうでもいいことばかり考える。それも全く生産的でないこと。やっぱり貧乏性は貧乏性らしく、毎日毎日、忙しく過ごさなくっちゃ。


Posted by akemi at 2004年12月20日 01:02

Comments

はじめまして。とても共感できる部分がありましたので思わずメールさせていただいてます。うまく言葉になりませんが、働いていない(収入を得ていない)自分がダメ人間で職場復帰が決まっている友達が眩しく家事もはかどらない日々。復帰する彼女から「アジを開いてフライにした。」と話すのを聞くだけで落ち込みます。仕事と家事がうまくいく人もいるのに・・・と。私は一歳の息子を持つ32歳のものです。出産するまでバリバリと働き、やりたいこと、行きたい場所、多少の現金(笑)と勇気、なんでも自分は持っていると思っていました。産後、なんとか職場に復帰できればと通信教育に申し込みしたもののはかどらず、これもまた落ち込む原因のひとつです。料理も旦那に「生む前はおいしかったのに。」と言われ、悩んだ結論がバーミックスを買おう!とか自分であきれる結論しかだせません。(バーミックスは高いので結局購入をためらっていますし。)
子供がいても働いている女性をみると私も眩しくてしかたありません。そしてそのぶん自分がくすんで見えます。最近、ヘレン・アンデリン著「新・良妻賢母のすすめ」を読み始め少し落ち着きだしました。でも、落ち着いてしまっていいのか?とまた疑問がわくこの頃です。

Posted by: 河路真由美 at 2005年07月10日 02:50

河路さま

コメントありがとうございます。お気持ちとてもよくわかります!社会復帰したいという気持ちがあっても子供が小さい時代の、自分で時間をどうにもできない時の焦る気持ち。おまけに私は子供は沢山欲しいなどと思っていたので、仕事を始めてまた妊娠したらと思うと、余計に何も動けなくなってしまって。(実はネットで始めた仕事も3人目の妊娠悪阻でゼロクリアしてしまいました)

「ハーバードからの贈り物」というお勧めの本があります。ハーバードでは最後の授業時に、各教授から生徒たちへコトバが贈られるそうです。その最後の授業が収録されているのですが、それを企画、編集した女性も、ハーバードのMBAを卒業して、でもその後どうして良いかわからない、というところから、この本の出版を思いついたそうです。何が言いたいかと言うと、私にとって、ハーバードというのは一流の最たるものだったのですが、そこで教えている彼らは、学んでいる彼らは、自信満々で完全無欠のエリートというわけではなく、やはり苦しみも悲しみも自信喪失もする普通の人間だったということです。それを読んで、私は、やはり自分で悩んで苦しんで結論を出さなければならないんだと思いました。それには、やはり自分が本当に欲しいもの(10年後の自分の姿を描いてみる)を洗いなおす作業が必要だと思います。

私は結果的に、家で仕事をすることに落ち着きました。それに至るまでには、何度枕を涙で濡らしたことか(笑)。今となっては笑って言えるんですけれど、苦しかったです。外で働くということが即ちキャリアウーマンの証みたいな幻想が私にはあったのです。

Posted by: akemi at 2005年07月10日 07:32

ありがとうございます!早速、お勧め本を読んでみたいと思います。あけんさんのようなスーパーウーマン・ママに共感のコメント頂けて感激です。泣きそうです(T-T)。
サバサバしたオフィスのキャリアウーマンももちろん素敵ですが、どっしりと生活に根付き悩みながらも夢を抱き続けれるスーパーウマーン・ママはずっと素敵です。もやもやが、晴れてきました。長いスパンで考え、今の私にしかできない仕事(息子を育てる。と、栄養満点でおいしい食事を作る。を努力してみる。)をまずは頑張ります。ずっと今が続くわけではないと10年後の自分が言っている気がしてなりません。

Posted by: 河路真由美 at 2005年07月10日 11:38

河路さま

メッセージありがとうございました。明るく元気にしていれば人生は必ず上向く、そう信じています。手を抜けるところは手を抜くのも賢いママの証だと私は思っているので、時々、お掃除などに手が回らないときも「汚くても死なないっ」と確信犯でもって時々手を抜きます。子供が小さい時は、週一回の歯医者通いが、私にとって唯一一人になれる時間だったのですが、歯のガーという音さえも新鮮で、その時間を楽しみにしていました。今や、朝8時から4時までずーっとフリーです。子育ての時期って長い様で短いかも、です。

Posted by: akemi at 2005年07月13日 22:45

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