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2004年05月19日
アロマなミスト
起床が夜中の12時という生活にも慣れた。朝6時からは普通のママさんと同じく忙しい朝の風景が待っているのだ。
バタバタと家中を走り回り、朝ごはん食べなさーいっ、ランチボックス入れなさーいっ、制服着替えなさーいっ、靴はいて車乗ってーっ、と叫びながら、あちこちに散らばっている服を拾い集めて洗濯機に突っ込む。ちょっとのヒマをみつけて朝から掃除機もかける。あー、私、着替えてない、お化粧してない、と気づいてバタバタと自分の身支度。子供たちを送って、家に戻る。リンゴ一個と自分のランチボックスをカバンにつめる。ミルクたっぷりコーヒーをドリンクボトルに詰める。完璧。
これまたいつもと同じ様に、何故か駅まで走ってしまう。十分に間に合う時間でもだ。駅について電車待ちの時間にもリーディングとハイライトペン片手にリンゴをかじる。これが私の朝食。電車の中でもひたすらリーディング。時々ポストイットも貼ったり、ペンで書き込んだりと忙しい。
気づいたらフリンダースストリート駅。
あわてて資料をカバンにつっこみ、電車からあわただしく降りる。走る。何故かいつも走ってしまう私。ホームから改札までの地下通路にさしかかった時に、あーっ!!今日は水曜日だったんだー、と気づく。遅い、遅すぎる。いつものことなのに、何故か忘れてしまう。今日は水曜日。稲垣吾郎ちゃんの日なのに!
私が稲垣吾郎ちゃんと呼ぶその人は、いつも水曜日の朝に、駅地下でアコーディオンを演奏している。この場所は、常にアマチュアミュージシャンの誰かが演奏する場所として有名なのだが、この水曜日だけは、いつもと違う雰囲気が漂う。そのアコーディオンを奏でる稲垣クンは、アメリカとかそういうパーっとした国の人ではなく、多分、落ち着いたヨーロッパの方の出身の人ではないかと思うのだが、彼の奏でるアコーディオンがたまらなく切ない音色を奏でているのだ。彼はリッチマンではないのだろうが、いつもきちんとした服装をしている。コーデュロイのジャケットを脱ぐこともせず、通りすがる人たちに視線を合わせることなく、ただただそこでアコーディオンを演奏しているのだ。
彼は、ミュージシャンというよりアーティストで、世俗のどーたらこーたらとは関係のなく、まさに数百年前からそこにいるんではないかという様な、普遍的な芸術家としての美しさを保っているのだ。簡単に言ってしまえば、私はその稲垣クンの大ファンなのであるが、ファンとして、何とか彼の音楽を評価していると告げたいのだが、それを示す方法は一つしかない、ドネーション(お金)だ。彼の周辺には、いくらかの小銭があつまっている。もちろん、そのためにあそこで演奏しているのだと思う。だから、いくらかでもお渡ししたいなと思う。しかし、しかしだ。私は常に忙しくして、何振りかまわずリンゴ齧りながらペンとリーディングと戦い、バタバタしつつ通りすぎる毎日で、小銭を用意している精神的時間的余裕がない。彼の前で立ち止まって、お財布を取り出せば良いのだろうが、何故かそれができない。
私も彼に視線を合わせない様に、全身耳になったかの様に、私ももてる感覚器官全てを彼の方向に集中させつつ、その場を通り過ぎる。周りに居るメルベンの人たちの様に、今日もいつもと同じ様に、私は特に何も変わらず、といった風に彼の横を通りすぎる。でも心のでは必死で、いつでも涙が出そうになるのをこらえながら地下から地上への階段を上がる。目の前に広がるメルベンシティのスクランブル交差点。いつもの様に元気よくかけぬける。来週こそと思う。でも毎週何もできないでいる。
大学で勉強していると、だんだんと頭の中がドライアップしていくのがわかる。もともとウェットな性格の私は、その乾いていく感覚が快感でたまらない。いまにもパキパキと音をたてそうなくらい乾いている思考空間が、水曜日の朝だけは、なぜか香りを伴ったミストでうめつくされていく様な感覚に陥る。大学につくころには、いつもの乾きを取り戻す程度の湿り気なのだが、時々、あちら側にいる人たちに対して(ビジネスをする人たちとは、また違うベクトルにあるのだが)、何とも言えない渇望感を抱いてしまうことも少なくない。
私は人一倍、ウェットな感受性を持っていると自分でわかっているので、外界と一線を隠すほどのエネルギーでもって芸術する人たちに引き寄せられてはならないのだ、と小さい頃から自分自身にブレーキをかけてきた。実は映画も見れない。映画を見たら、どんな映画でもフラフラになってしまう。現実との区別がつかなくなって実生活に支障をきたすほどに感情に影響を与えてしまうのだ。小説の類も大学生の時から読むのをやめた。「20歳の原点」(小説ではないが)を読んでフラフラになって自分でもダメだと思ったのだ。それ以来、ビジネス書などを読むことはあっても、小説はぜんぜん読んでいない。
以前、教育に関するメールマガジンを発行していたことがあった。月1回で当時はずっと続けたいと思っていた。休刊したのはこのフラフラが原因なのだ。毎回毎回、色んな人にインタビューを試みた。MDに録音して編集、発行、というプロセスを経るのだが、その編集の段階で、どんどんとフラフラになっていってしまうのだ。相手の言っていることの意味がわからない、これはどういうことなのか、もっと深い意味があるのではないか、と思いだして、自分の中で消化できなくなってきてしまった。消化できないうちに次のインタビューにとりかかれない、でも知りたい、あの言葉の本当の意味を、と一日中四六時中何をしても考えてしまう。実生活に支障、リタイヤ。最悪。私はやはり書くことを自分の生業にはできない、と結論を出した。だから今、パキパキと乾ききったビジネスやらITの世界で、その中においてのウェットな部分を引き受ける覚悟ができたのだ。芸術家や文筆家ほどにはどっぷりと深みにはまれない(ビジネスというのは、常に現実との兼ね合いがベースであるからして)、しかし、その中の人間の軋轢やら拒否感やらを直視することに対してポジティブでいられるのだ。そして、ビジネスの世界でも時々得られる「感動」みたいなものを、もう一度感じてみたいと心底思うのだ。周りを感動させるほどの仕事を、いつの日かできるようになるのかなぁ。
Posted by akemi at 2004年05月19日 00:17
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その日。 私はいつもの様に元気よく電車をかけおりて、いつもの様にフリンダースストリート駅の地下を潜ろうとしたその時だった。... [Read More]
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