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2004年01月10日
ブスのいないオーストラリア
私自身、外見にかなりのコンプレックスがあるということを何度かエッセイにも書いたのだが、これは、生まれ育った場所が日本だったからなのだ、ということに気づいたのは、オーストラリアに来てすぐのことだった。
ここ、メルベンに来て気づいたのは、「ここにはブスがいない」ということだった。ブス、外見的に不細工ということなのだが、なぜか全く見かけない。日本に居た時には、相当数見かけた、私と同じ考えの女性たち。「私はブスで、だから大手ふって町を歩けない」とでも言いたげに、地味な服普A丸まった背中、ブスはお洒落を許されていないのだ、そんな雰囲気さえ漂う。
私は大阪育ちだから、余計にそうなのかもしれない。お笑いのネタによくブスが登場する。社会の迷惑だと言われる。生きてちゃいけないのかな、私みたいなブス、と思ったこともあった。町を歩くと「35点」と言われたこともある。当然、100点満点のうちの35点なんだろうが、家に帰って号泣していると決まって母が、「そういうことをいう奴に限って、男前は居ない」と慰めてくれたが、「35点レベル」と烙印を押された事実が、もみ消されることはなかった。
うちのダンナのブスの定義は極めて分かりやすい。要するに自分をブスだと思って磨きをかけるのを否定した人がブスなのだというのだ。まさに私がそのタイプ。美容院でお洒落な髪型に挑戦することも、派手な色の服を着ることも、化粧品にお金をかけることもできなかった。私には許されないことだと思っていた。でも、それって誰が許すのか? 今思うと実に奇妙な考えだったと思うのだが、社会全体から何とも言えないプレッシャーをかけられて、自由に振舞えないと思っていた。日本では、多分、今も同じではないかと思う。私の様に「許されないお洒落」から目を背けつつ、何とか細々と生きていこうと思っている女性が、全体の何%かは居るのかもしれない。
ブスというのは、実は内面の問題だったのだ、と気づいたのは、オーストラリアの女性を見てからだった。ご存知かも知れないが、こちらは、本当に服装も自由なのだ。冬だろうが夏だろうが、ノースリーブの人、コートの人、裸足の人、バレエのレオタード姿の子供など、もう色んな服装の人が混在している。誰も他の人の服装を見て、指差して笑ったりしない。そういうことに興味すらなさそうだ。特に女性は、老いも若きも、子供さえも、ヘソ出しルック(上のシャツとボトムの間の肌を見せる!)を楽しんでいる。日本だったら、あれはモデル並みの美女しか許されねーよなっ、と思ってしまうのだが、こちらは、どんなに太っていようが、そんなことはお構いなしで、ボンっとハラを出している。それを見てダンナは目を細めるのだ。「いーよなー、カワイイーよなー。あけんもやったら?」などと言う。うぇー、私があんなのやったら社会の迷惑だよー、と思っていたのだが、何も社会に迷惑なんかかからへんやんか、と気づいた。
また、ここオーストラリアでは、女の子は一様に「素敵なレディ」になることを夢見る。ずっと女性的な服装を否定しつつ生きてきた私から見ると、うらやましい限りだ。小さな時から、セクシーな服装を楽しんだり、イベントの時には、ママ自らが率先して小さなレディにお化粧をしてあげる。日本だったら、非行の始まり、なんて思われてすぐに否定されてしまいそうだが、そうやって子供たちは、いつの日か、立派なレディになることを夢見つつ、まっすぐに女性として育つ。彼女たちは、男性に依存しつつ生きるということを考えていない。素敵なレディになることは、いい男を獲得する上で必要なことかもしれないが、それだけが目的ではない。自分自身を好きになる、素敵な女性になる、そして強く自立した人間にもなっていくのだ。だから、彼女たちは一応に姿勢がいい。内面的に隠れて生きたいと思っていないのだ。まっすぐに立って、堂々と生きている。それが、私の感じたオーストラリア女性なのだ。その結果、ブスが全く居ないのだ! 普段、学校の送り迎えなどをしている時のママさんは、それこそ日本のおばさんと同じ様に、気取らない服装をしているが、一度、夜にお出かけとなると、いきなりレディに大変身してしまう。肌の露出したドレス、ばっちりと完璧な化粧。そういう姿を普段から見慣れている子供たちが、私も大人になったら、ママみたいにカッコヨクお出かけしたい、と思っても不思議ではない。
日本では、自分自身を自由に表現しつつ生きてはいけない。何か、他の人と違う部分が目にとまると、とたんに総攻撃にあってしまう様な部分がある。それが怖くて、窮屈な思いをしている人が沢山いるのではないか。自分では気づいていなくても、もしかしたら、知らず知らずに自分自身を狭い枠の中に押し込め、日本の社会にうまく適応しつつ生きているかも知れない。でも、それが本来のあなたの姿ではないかもしれない。オーストラリアでの生活の様に、これほどまでに自由な社会に生きていたら、あなたはもっと違う格好をしているかもしれない。かく言う私も、背の高いオーストラリア女性がうらやましくって、今ではすっごく高いヒールの靴を履いている。ローウェストのジーパンを履いているから、時々、背中から肌をちらちら見せているが、お構いなしだ。
私は本当に、この国にずっと住みたい。子供たちをこちらでずっと育てたい。その方が、本当に素敵な人間になりそうだと思うからだ。日本では自由に自分を表現できない。何とも言えない社会からのプレッシャー。そして、社会的弱者を嘲笑うお笑いの世界に象徴される様に、出る杭を徹底的に叩いて(自分が叩かれる側にま樒ない様にと気を配りつつ)、何となく社会秩序(といわれるもの)をかろうじて守っている様な、そういう異様な文化を形成しているのが、日本。外から見る日本は、かようにも窮屈に見えるのだ。
Posted by akemi at 2004年01月10日 18:42
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