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2003年06月22日

語学学校で何を学ぶか

 英語は最終的には独学なんだろうと思いながらも、語学学校への憧れが萎えることはなかった。

それは、韓国に居たとき、1年間延世大学の語学堂で習ったことが、私の成功体験になってしまっていたからだ。学校に行けば、韓国に居たときの様に、日常会話も生活に困らないレベルになり、新聞も何なく読める様になるはずだ、そういう考えが頭から離れなかった。

 オーストラリアに来てからの半年、時々個人レッスンを受けてはいたが、私の英語は全く上達しなかった。毎日の様に英語の世界にさらされているにも関わらず、今日も聞けなかった、今日も伝わらなかった、と失敗ばかりが積み重なり、私の焦る気持ちも最高潮に達した時だった。ダメもとでウェイティングを入れていた保育園から、入園許可が出たのだ。

 そしてハッキーが週5日の保育園通いになり、私は決心をした。子供を保育園に預けて、おせんべ食べてテレビ見ているわけにはいかない。その場で家から通える範囲の語学学校を調べた。私が行けるのは、某大学付属の語学学校と、TAFE(高等専門学校)付属の語学学校だった。最初はネームバリューにひかれて、大学付属の学校に行こうかと思ったのだが、授業がとびとびで、日によっては終了時間が5時近くになるということを知り、子供のお迎えに間に合わないことがわかり、断念。そして、TAFE付属の語学学校に通うことにした。

 ここでは朝9時〜1時まで、一日4時間、週5日授業がある。1時に終わってハッキーを迎えに行けば、彼の負担も軽いし、3時半のお迎えまで家事もできる。これは楽勝だと思った。

 韓国に居た時、当時子供はいなかったが、妊婦でもあった私が、続けられないほど授業が大変だと感じたことはなかった。勿論、宿題もあったが、それも余裕に感じられた。だから、子供が4人になったといっても、みんな学校やら保育園やら行っていて、実質フリーな私にとっては、特に無謀な道とも思えなかった。しかし、それが、かなり無謀な道だったのだと、今ではしみじみと思うのだ。

 私はこちらの語学学校でも、韓国語と同じ様に、テキストがあって、そのダイアログを覚えたり、新しい単語を覚えたり、とそういう様に授業が進められると思っていた。しかし、授業は全く私の想像したものと違っていたのだ。

 まず初めに授業は、2時間×2コマとなっている。1時間×4コマではない。かなり長い時間集中しなければならない上に、休み時間は10分間だけ。トイレ行って、おにぎりほおばるくらいが関の山。

 第一、先生の話すスピードは完全にナチュラルスピード!(私は長らく、アルクのCD教材なんかのスピードがナチュラルスピードだと思っていたのだが、ありゃー、完全にお粥英語よねー、と感じられるほど、実際に比べると遅いものが多い)それについていくための集中力だけで、一日ヘトヘトになる。

 第二に、テキストを使わずに、新聞などを利用する。従って、政治欄などの話についていくために、常日頃からニュースやら新聞などを読み込んでおかないと、全くついていけない。ニュース聞けて、新聞読めたら、こんなところに来ーへんがなー、とつっこみつつ、何とかしがみついていっている。

 第三に、2週間に一冊100ページ以上の本を読み、ブックレビュー(ライティング)を完成させて、人前でプレゼンテーションしなければならない。つまり、毎日の宿題に、プラス、毎日10ページ程度の読書をしなければならない。

 第四に、エッセイライティングが毎週最低1本は入る。その他にも、短いプレゼンテーションがあるので、その下準備で図書館に入り浸らなければならなくなる。もしくは、インターネットでネットサーフィンにいそしむ。

 第五に、毎日の様にグループディスカッションがある。時にはディベートもあって、相手を説得しなければならないこともある。そんな英語力があれば、こんなところ来んがなー、と思いながら、言葉少ないながらも、くらいついていく。

 という感じなのだ。誰が文法教えてくれる、どこで新しい言い回しを教えてくれるのだーっ!!と思いつつ、語彙力は新聞で補え、文法はライティングでチェックしろ、ガンガン読め、バリバリ話せーっ、という感じで、ここは、英語地獄の特訓??(そこまでいかないか)みたいな体育会系のノリに、少なくとも私はなっている。(というのは、そのクラスの人たちは、みんな、かなりベラベラしゃべっているので、あまり大変そうに見えないのだ。私一人が大変なのかしら?)

 そんな中、私にとっては一生忘れられない授業を経験した。それは、エッセイを書くための方法論を2時間で学ぶという授業だった。アクティビティの多い授業の中、その2時間だけは、珍しくレクチャー中心だった。そして、その2時間が、私のライティングを根底から変えてくれた。そして、そのスキルは、2時間で学べるものなのだ、ということを知り、私は黙っていられなくなった。今、日本のどこの大学で、英文エッセイの書き方を教えてくれるというのか。授業にすれば2時間で理解できる、その典型的なエッセイのフォーマットを、日本のどこの大学でも教えてはくれないだろう。こんなに役立つスキルを、どうして誰も教えてくれなかったのか。

 子供が手を離れたと感じたからか、私は日本の小学校教育よりも、大学教育を、変革しなければならないと思う様になってしまった。実際、何の勉強もしない大学生に、国は年間いくら使っているのか。それならば、もっと意味のある勉強を、彼らに提供すべきではないか。そしてそれは、生き残りをかけた大学にとって、十分に差別化できる材料の一つであると確信する私がいた。

Posted by akemi at 2003年06月22日 18:42

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