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2002年12月20日
リーダー(本の音読)
オーストラリアの教育は、それぞれの子供たちの個性を尊重している、とよく言われるのだが、それがどうやって実現できるのか、日本の教育を受けてきた私にとっては、一番興味のある部分であった。
まず最初に驚いたのは、うちのタカシとカオルが、コンバインドクラス(違う学年の子供たちを一緒のクラスにする)に入ったことだった。最初のうちは気がつかなかったのだが、クラスの名前を表す数字、例えばタカシは 1/2Aで、カオルは3/4Tというクラスの意味がよくわからなかった。後になって、それが学年を意味するのだとわかり、当時1年生だったタカシは2年生と合同のクラスに、カオルは4年カと合同のクラスに入っていたことになる。
そこで思ったのは、算数とかはどうやっているのだろうか、ということだった。そろそろ学校にも慣れてきたかな、と思ったある日、タカシが英語で掛け算をとなえているのを聞いて驚いた。日本では小学校1年生で九九はやらない。なのに、彼は、2×12=24、なんてのを英語で言っているのだ!じょ、冗談じゃないわよー、のんびりとオーストラリアでチンタラやればいいわ、と思ったにもかかわらず、ここに来て、一年生のタカシに九九のフォローをやらなきゃいけないのぉー?
頭の中がパニックになりそうになったその日、今度はカオルが持ち帰って来た宿題に、今度は頭が爆発しそうになった。算数。しかも、全てが文章題。もちろん、英語。私は今までの人生で一度もお目にかかったことのない様な英単語を前にして、これをカオルがやるのは不可能だと思った。誰よー、算数は日本が一番進んでて、海外でたら皆、優等生よー、なんて言ったのはー!!!
しかし、タカシの先生は、私に告げた。貴方の子供はインテリジェントだ。どんどん与えれば、どんどん吸収する。だから、私は彼にどんどんと課題を与えているのだ、と。
それを聞いて、私はちょっと待って、と思ったのだ。私は、うちの子には、無理な勉強をさせようと思っていない。好奇心は育てたい。でも上から、これをやりなさいと押し付けられて、それはどうかと思ったのだ。そして、それは算数だけではなかった。
オーストラリアの小学校の子供たちは、毎日「リーダー」と呼ばれる宿題の本を持ち帰る。プレップの時から始まり、最初はママさんに読んでもらっているのだが、そのうちに自分で読む様になる。その持ち帰る本は、その子の読む力によって、レベルが違う。カオルの個人面談の時に先生に、平均的な4年生の読むリーダーのレベルを聞いたところ、先生は、「トップクラスの子供は、これを読んでいる。多くの子供は、このあたりのレベルの本を読んでいる」と教えてくださった。トップの子と平均の子には、ものすごい差があった。本の厚さも全く違った。
リーダーの宿題のやり方はこうだ。フォルダに本のリストが貼り付けてあって、そのリストに書かれてある本の何冊か(通常は、1〜3冊)を持ち帰る。毎日読む度に、家庭でママさんが、そのリストにチェックを入れていく。各レベルの本を順次読んでいくのだが、時々、先生と一緒に読んで、先生が本の内容について質問をして、子供がそれに答えていくと、先生がそれを聞いて、この子はこのレベルをクリアしたと思うと、次のレベルのリーダーが渡されていくのだ。
教育熱心な先生にあたってしまったタカシのリーダーは、私が思わず同情してしまうほど、大変なものであった。毎日の様に4冊くらいの本がどんどん渡されていく。彼は疑うことも知らず、それを毎日毎日読み続けていった。そんなある日、他のクラスの先生が私にこう告げた。「タカシ、すっごいがんばっているのよ。担任の先生に聞いてみなさい」それを聞いて、私は、そんなにがんばらせてどうするのだ、と少々懐疑的になっていった。先生の期待は嬉しいが、彼はそれに応えるのに素直すぎる。
ほどなく彼のリーダーのレベルがどんどん上がって行った。各レベルも、数冊読めば、2段飛ばしで次のレベルに移る、という様になってしまった。実は、彼は学校で一言も英語で話そうとしないらしい。カオルもタツミも友達とそれなりに話をしている様なのに。しかし、そんなタカシだが、リーディング能力だけは、どんどん伸びて行ってしまった。
それを見て、私は色々と考えた。私の手の内にいれば、タカシはのんびりと出来たかもしれない。でも、未だに本もろくに読めずにいただろう。多少、彼は背伸びをしていたかもしれない。しかし、この子はそれに応えると見抜いた先生の眼力を、私は感謝しなければならないと思った。私では見抜けなかった。少なくとも、今では、私は彼のリーダーのお守りをすることはなくなった。彼が毎日自分でどんどん読める様になったからだ。
タカシの担任の先生は、例えば彼が読むことに興味も覚えず、習得に時間がかかりそうだと思えば、それはそれで、ゆっくりとした時間を与えてくれただろうと思う。しかし、能力があると思った子供は、その旬の時期に、どんどんと与えましょうという考え方を知って、あぁ、これが日本の教育に欠けている部分なのだな、と思ったのだ。落ちこぼれがいないのは結構だが、やる気のある子をどんどん伸ばそう、そういう発想を、日本の学校で感じたことは一度もなかった。
Posted by akemi at 2002年12月20日 18:42
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