« 無くて七癖 | Main | 子供が幼くいられるということ »

1999年10月20日

キレる子供とキレない子供

 何故、キレてしまう子供とそうならない子供がいるのかについてずっと考えていた。

漫然と家庭環境だとか抑圧されているとそうなるとか、マスコミが色々と言っているが、どうも納得できないことがあった。

 自分の経験から言うと「キレない子供」っていうのはいない。じゃ、問題があるのは本当に「キレること」なのか、というとそうじゃないんじゃないかと思えてきた。キレるキレないが問題なんではなく、キレた時に自分でリカバリーできる手段を持っている(知っている)か否か、という部分がキーになるのではないかとふと思ったのだが、それにはキッカケがあったのだ。

 昨日フことだったBタカシが時間をかけてブロックで何やら立派なものを作っていたのだが、それを自分で間違ってこわしてしまった。そこで、一瞬爆発して(キレてしまった)のだが、その直後いきなり

 「もいっかい、つくろーね」

 と独り言を言いながらちゃんともう一度最初から作り始めたのだ。それを見て「ひょえ〜」と死ぬほど驚いてしまったのだ。シチュエ ーションとしては、私が長文のメールを書いてさぁ送信、と思ったところでいきなりブレーカーが落ちてファイルが復帰できない、というのとあまり変わらない。そこで、「しゃぁないなぁ、もいっかい最初から書こっか」となるかどうかを考えてみた。自分でも「やれやれ書き直すか」程度ですむ時と、「もうイヤ!もう絶対何もできない(びぇ〜ん)」と暴れまわって、気持ちの切り替えが全くできない時と色々あるのに気付いた。

 どうして、タカシは、自分で「もいっかいやってみよう」と気持ちの切り替えができたのか。というのは、いつもそうやってできるとは限らないからだ。今回は何故そうならなかったのか。実は「大好きなメニューの朝ご飯」をたらふく食べた直後(笑)だったのだ と合点がいった。つまり、いっぱい食べて「満たされている」状態だったのだ。

 お腹が減っている時、眠い時、何かの栄養素に欠けている時など、 何でもいいのだが、「何か満たされない感じ」があると、どうもリカバリーできない傾向があるのではないかと思う。で、よくマスコ ミに登場する「(一線を超えて)キレてしまう子供たち」というのは、自分の中で、キレた時にちゃんとリカバリーできた経験というのが極めて少ないんじゃないだろうか、と思えてきたのだ。つまり 「慢性的欲求不満状態」であったのかもしれない。

 こういう「やってやろう」という意欲というのは、かなり条件の揃った中でしかできない部分がある。子供が小さい時はなるべく、 そういう「満足感」の中でトライする環境を整えてあげることが大事なんじゃないか、と思えてきたのだ。そういう経験というか「うまいことリカバリーできたイメージ」を沢山もっていると、現在、 自分がなぜリカバリーできずにキレっぱなしなのか、「あぁ、今俺は腹が減ってるんだな」とかその原因を自分で特定して対処できる 様になるんじゃないかとも思う。

 こういうことを言うと相当過保護的かとも思うが、「小さい時」 に限定された特殊な過保護状態(親がある程度欲求不満に陥らない様に対処)というのは必要だと思ったのだ。たっぷりの睡眠をとり、毎日美味しいご飯をたらふく食べ、思いっきり外で遊び、そういうストレスのない状態で、少しずつのチャレンジを成功させていく。 大きくなるにつれて、少しずつ「欲求不満」の度合なんて黙っていても増えてきてしまうのだから(人間関係も広がるし)、その中で、 小さい時の「よくわからないが漫然とした(自分はうまく乗り越えられる)という自信」をベースにして、またまた一つずつ成功経験を増やしていった人が、いわゆる「健全に生きられる人」となっていくのではないかと思う。

 キレて問題のある中学生というのは、先の「もういっかいやってみようと言ったタカシの心境」というものをあまり感じたことがないんじゃないか、と思ったのだ。これは、難しいおつかいを頼まれたカオルが、「うん、やってみる」と言った時の心境にも通じる。きっと自分はやれる、と信じられる心境になるには、小さい時にはそれなりにいくつかの条件が必要になるのではないか、精神的にも、物質的にも満たされた(客観的に満たしている様にみえるということではなくって、本人が満足している)時を周りが考えてやらないとなぁ、と思ったりもする。

 例えば神戸の中学生の場合、自分の中のフツフツという感情が、もう「対処不可能な段階にある」と自分で思ってしまったのではないだろうか。自分ではもうどうすることもできない、対処できない、コントロールできない、という心境だ。

 モンテソーリ教育というのが幼児教育であるのは、そこのところじゃないかなとも思えてきた。つまり、小さい時、成功経験を増やして自分がやれると実感できた子供は、そのまま普通の小学校に入っても、それなりに外界と折り合いをつけなければならない状況に陥っても、自ら対処できる芽を持っているのではないか。自分は乗り切れるという自信、それはもうやっぱり小さい時にしかできない (というのは、大きくなったらそういう「満たされた環境」を親が 作り出してあげることができなくなってしまう)のだなぁ、と思っ たところだ。

 普通の幼稚園で一番気になるのは、「新しい何かを覚える楽しみとそれをやり遂げた成功経験」は増えると思うのだが、逆に、それを時間内に終わらせることができない子供達にとっては、「新たな欲求不満の種を増やすこと」にもなりえる点だ。私にも経験があるのだが、心の底にいつまでも「あぁあれは納得のいかない作品であった」という感情を残す。それが周りから時間を断たれてしまったことだとか、好きでもないことを延々とやらされた恨みみたいなも の(笑)は、結構残っている。果たしてそれが3、4歳の子供に必要なことなのだろうか。

Posted by akemi at 1999年10月20日 18:42

Trackback Pings

TrackBack URL for this entry:
http://www.bergamot.com/mt/mt-tb.cgi/872

Comments

Post a comment

Thanks for signing in, . Now you can comment. (sign out)

(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)


Remember me?