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1997年09月01日

けんかもできない

 最近、タカシがケンカをするようになった。家の中での姉弟ゲンカで慣らされているせいか、公園に行っても、おもちゃの取り合いでケンカになる。いや、正確に言うと「ケンカになりそうになって止められる」という状況が続いているのだ。そして私はとても残念に思ってしまう。どうしてケンカの一つも充分にさせてやれないのか。

 2、3歳の子供のケンカなんてたかが知れている。おもちゃを取ったの取らないの、 あれは俺のだ、いや僕が見つけた、そんな些細なことで取り合いになりケンカが始まる。私はそれをいつ燉」れたところで傍観しているのだが、即、相手のママさんに制止され、中途半端に終わる。お互い蜍モォするのだが、私は「また、何の学びもなかった」とがっかりしながらも、相手のママさんに謝ってしまう。

 少し前、タカシよりも1歳程大きな男の子とケンカになりかけた時は、相手が大きいこともあってケンカさせてもらうようにお願いした。相手のママさんに「うちの子は構わないですから」と言って暗にケンカさせても良いことを伝えると、そのママさんは子供さんの持っているスコップを取り上げて「やるなら素手でおやり!」と言いはなった途端、そのお兄ちゃんは大泣きになってケンカにならなくなった。それでも、 砂場で泣き叫びながら掴み合いをする姿は、生きるのに必死な感じがして、少し目頭が熱くなった。そして、マトモにぶつかることができたのはこれ1回限りであった。

 公園でのタカシの評価はハッキリわかれる。「たくましい」などと評価してくれるママさんもあるが、虫などを好んで見つけては見せまわっている姿を一部のママさん達に毛嫌いされている。滑り台などは、子供は二人、三人と繋がって同時に滑ったり、 先に降りた子の後ろから追突してみたりと、色々と子供なりに遊びを開発するのだが、 そんな中にもママさんが入り込んでくるのだ。

 「あ、ごめ〜ん、ちょっと通してぇ〜、うちの子、一人ですべれないの〜」

 と言いながら、滑り台の上で立ち往生している子供のところへママさんがかけつける。子供2、3人をとびこえて行くのだ。そして子供と一緒に滑り降りてくる。そういう光景を見ると、「放っておいたら、そのうち後ろから誰かに突つかれて滑ってくるし、それが無理だと思えば自分で階段から降りてくるだろうに」などと思う。ちょっとくらい後ろの子に迷惑をかけたっていいじゃないか、そんなのお互い様だ、と思うのだが、そうはいかないらしい。そんな事を考えている間に、間の悪いことにそのママさんにタカシが追突した。

 「いたぁ〜い!!!!」

 タカシを毛嫌いするグループの一員であるママさんの声が公園に響きわたった。まずい。私は「子供の領域に入り込むなぁ!」などと思いながらもそのママさんに謝りに行ってしまう。

 そして子供が追い越そうとすると、

 「順番よっ、順番」

 などと声を荒げる。あなたさっき、順番抜かしといてよう言うわ。と心の中でいつも突っ込んでしまう。

 子供が他の子とおもちゃの取り合いになる。好きなだけ取り合いしたらいい、と思うが、またママさんがかけつけて「そんなことしないの」「貸してあげたらいいじゃない、ケチ」などと子供に言っておきながら、「ごめんね、そのブーブー、この子のお気に入りだから」とママさんが取り返しにくるのだ。そして子供達は何かあると相手に言わずに自分のママや、相手のママに訴えに来るようになる。おもちゃの取り合いをして、それを咎めたところ子供が大泣きして、それ以降ずっと泣きやまずに困り果てたママさんが、友人達に話しているのを聞いた。

 「大泣きした後だと、ちょっとした事でも泣きだして困る」

 「わかるよ、とまんなくなっちゃうのよね。いいかげんにしてって言いたくなる」

 子供達の涙は叱られたからではない様な気がする。もしかすると思いをとげることができなかった欲求不満の涙かも知れない。おもちゃを取られた涙でも、取り返せなかった涙でもなく、取り合いの状況で「思いっきり感情をぶつけることができなかった」という行き場のない涙だったかも知れない。そしてそれは、他の子供ではなく、 子供の社会に存在するはずのない「大人の手」によって常に制止されてしまうのだ。 自分があのおもちゃでどれほど遊びたかったという事、自分のおもちゃを人にとられるのがどれほど不愉快なことかは、誰にも理解されず、「仲良く遊びなさい」」「いじわるしないの」「いつまで泣いてんの」と言葉だけで冷ややかに言われ、挙句の果てには鉄拳さえ飛ぶ。私はそういう姿を一日のうちに何度も見て、何度も目を背けてしまう。公園にこだまする子供達の泣き声だけがほんの少しの救いとさえ思う。せめて思いっきり泣くことだけは許してあげて欲しい。

 公園には子供の社会というものは存在しないのだ。常にお砂場の周りをママさん達が取り囲み、そのママさん全員が裁判官として目を光らせている。少しでも不穏な動きがあると、ママさん達が介入してくるのだ。まるで毎日が授業参観の様だ。私はそんな息苦しい遊び方をしてもらいたくないと思っているので、最近は少し離れたところで本を読んだりしている。時々、視線だけは子供達に向けるのだが、よっぽどがない限り彼等には近づかない。用事があれば子供の方から寄ってくる。その時だけ全身全霊で子供の声に耳を傾ける様にしている。私の背中から「私は、俺は、信頼されている」と感じ取ってもらえれば、と思う。

 幼稚園に入れば、小学校、中学校に入れば、それぞれ先生の目が光っている。子供達はいつケンカすればいいのだろうか。折角、試行錯誤が許される期間なのに、既に 「失敗は許されない」という圧力をママ達がかけている様な気がして、何とかならないかといつも思う。そして一番気になるのは、「子供の躾のため」との名目で叱りつけるその本音の部分は、「周りのママさんから浮きたくない」という大人側の勝手な価値観がベースになっているという事だ。

 公園、ここはけんかもできない場所なのだ。

Posted by akemi at 1997年09月01日 18:42

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