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1997年08月25日

青春

 これは「青春」としか言いようがない。

 答えの出ない事について何時間も話し合った。

 恋の悩みを打ち明けられて、くさい台詞を真顔で吐いた。

 死にそうに泣きたい気持ちをこらえて、笑顔をつくった事もあった。

 自分に酔いしれていたかもしれないが、毎日が哲学の日々であった。

 これは「青春」としか言いようがない。

 「となりのトトロ」のビデオで「耳をすませば」の予告編を見ているうちに、どうしてもこのビデオが見たくて見たくてたまらなくなった。雨のやんだちょっとの時間を利用して、子供達を連れてレンタルビデオ屋さんノ出かけていった。 カオルは「ティモンとプンバ」「くまのプーさん」を借りた。タカシは最後まで「ウルトラマン」の列から離れようとしなかったが、「借りる?プーさん借りたけど」と聞くと、「そっちでいいや」とでも言いたげに、その場を離れた。私は今日ばかりはディズニーの事を忘れて、すぐにでも「耳をすませば」のビデオを 見ようと、黙ってビデオをセットしたところ、カオルとタカシのブーイングにあい、残念に思いながら夕食準備にとりかかった。最近、外遊びが過ぎていたので、 ビデオを真剣に見るのは久しぶりだった。

 夕食準備が整い、ビデオの前に腰を降ろした時には、既に2本のビデオを見終わっていた。残るは「耳をすませば」だけであったので、タカシが早速セットをした。二人を横に置いて、私も本腰を入れて見ることにした。見ている間、私の胸はずっとドキドキだった。時々、「キューン」と胸が鳴り、その度に一人赤面して、そんな自分が恥ずかしくて、それを打ち消すために「ったくもぅ〜」と叫んでは膝を手で叩いたり、ほっぺに手をやって「きゃぁ、やだぁ、これだから、もう」と全く意味のない言葉を吐いたりした。その度にカオルとタカシが不審そ うな目で私の方を見た。これは「青春」としか言いようがない。切なくて仕方がない。人生すべてが青春だ、と言い切る人もいるが、中学生の青春と、中高年の青春は、全く質が違う様な気がしてならないのだ。見えない中で色々模索する自分自身は、人生の中でも最も「感受性の豊かな時期」に置かれている。それが中学生の青春なのだ。人間には何かを考える「旬」の時期があり、その時期でしか味わえない感情があることを思い出した。「多感な時期」と書くと単なる普通名詞で終わってしまいそうだが、もっともっと深くて輝かしい何かがあったなぁ。 「青春」といういかにも「コッパズカシイ」言葉がふさわしい。

 図書館、自転車、駅、お弁当、放課後、団地、夕焼け

 貸出カード、蔵書印

 そんなものが全て「あぁ、わかる」の青春のヒトコマだ。「耳をすませば」の中に出てくるアイテム全てが切ない。

 主人公の「雫(しずく)」とバイオリン職人を目指すクラスの違う同級生「聖司」とのシンプルなラブストーリーの中に出てくる台詞のひとつひとつが、肉声で迫ってくる。ユーミンの歌の様に、誰もが一つや二つ持っている思い出とシンクロしてしまう。あの時期、どうしてあんなに純粋になれたのか。どうしてあんなに必死になり、思いきり泣けたのか。どうしてあんなに疑うこともせずに、人を信じ、素直な言葉を言えたのか。

 ラストシーン近く、少しでも早く雫に会いたいと思った聖司が、雫の家の下で「雫、 出てこぉい」と心で念じる。すると早朝にもかかわらず、雫が窓から顔を出す。聖司 はそのことを

 「奇蹟だ。すごいよ、俺達」

 と言う。私はもうどうしようもなくなってしまう。腰がふにゃふにゃになって恥ずかしくて死にそうになりながらも涙がボトボトとこぼれてしまう。

 こんなロマンチックな事を平気で言われると、素直になるしかないじゃないかぁ〜! わぁ〜っとうっぷして泣きたい。どうして私はコブつきなのか!(ウソウソ)心はすっ かり中学生、切なさで死にそうになっている。もういっかいやりたい、中学生の青春〜!!!

 私は神戸の事件について決してホームページに書き込むことはしないと決めていた。このことについてマスコミやその他のメディアが何をか言うこと自体、違和感があった。 何を言っても犯人を喜ばせることにしかならないと思っていたからだ。しかし、「耳を すませば」を見終わって一番最初に思ったのは、「あの容疑者の中学生の青春は雫たちとは違う次元にあったのだろうか」という事だった。

 私は決して親から「勉強しなさい」と言われた事はなかった。学校の通信簿を親に見せるのは楽しいことであったし(自分の評価を知るという事は本来興味深いことであると思う)、それを親が見てどんなコメントをするのかも知りたいことだった。母も父も通信簿を見て「もっと勉強しなきゃ」と言うことはなく、「へぇ〜」と純粋な好奇心だけで見てくれていた。それに私は成績が極端に悪い、という事はなかった。私はそれほど勉強をした覚えはないのだが、それなりに成績は良く、塾へ通っていたこともあったが、その塾の先生との懇談に母が行って帰ってきた時は、「もう優秀すぎて、こちらが 困るって言われちゃったわ」と母が言っていたくらいだった(しかしそれが通用するのは中学までだったが.....)。塾の帰り道、バス停で友達と何時間も立ち話をした。放課後、友達から悩みを打ち明けられて、夕焼けを見ながら二人で落ち込んでみたり、友達の自慢話を延々と聞かせられた挙句、コンプレックスの塊と化して家でヒステリックに泣いたりもした。家の中は散らかし放題だったのに、学校の掃除当番は大好きで、特に黒板を濡れ雑巾で拭くととても奇麗になるのが好きで、雑巾がけを率先してやった。友達と同じ人を好きになって、誰にも気付かれずに卒業した自分を思いっきり誉めたくなったりもした。「太宰の子を産みたい」と親友が突然口走った時、本能的に拒否反応が出て 「一生太宰治は読まない」と決心したり、アホみたいだった。「人間失格」「斜陽」の 文庫本を父の本棚に見つけた時、父が突然「人間臭い存在」に思えた事も一因だった。その反面「20歳の原点」という本を読んでしまい(まさに、しまった、という感じ)、 突然「斜に構えて」いた時期もあった。あぁ、そんなこんなも全部ひっくるめて、私の 「青春」で、その「青春」には常に自分以外の他者(=個性的な友人)の存在があった。 私が心理学を志した最大の理由が「人間が好き」ということで、その芽は中学時代に出ていた様に思う。

 人を殺し、首を切り、校門前に置く

 そういう事は想像もできない世界だった。「死にたいくらい辛いこと」も「殺したい ほど憎いこと」も「放火したいほど嫌なこと」もあった。しかし現実の行為として「想像」はできなかった。「ええい、腹いせに自殺してやる!」「アイツいっぺん死んでくれへんか!」「明日の持久走、嫌だから誰か放火してくれ」と思うことは思ったが、「自分が手首を切る姿」「ヤツが交通事故に遭う姿」「学校がメラメラと燃える光景」をリアリティを持って想像するまでには至らなかった。

 何故だろう。

 何かが抑止力として働いた、という事ではなかった。親が悲しむからやめよう、でもなかった。ただ、何か、生きていればもっと楽しいワクワクしたものがあるに違いない、それを見てみたい、という漫然とした気持ちがあった様な気がするだけだ。楽しいこと、それは何も「アイドル歌手になって脚光を浴びる」という様な事ではなくって、友達とカーテンで遊んでいたら、カーテンに穴があいているのを見つけ、そこからだったら、好きなあの子を思いきり見つめることができる、という事を発見した時のドキドキだとか、席替えをしたら窓際の席になって、窓の外の景色が気持ちよく映った、とか、そういうたわいもないことであった。人生には辛いことも悲しいこともいっぱいあるのだが、その反面、どうしようもない程ドキドキワクワクする場面もある。その度に「人間っていいな」と思うのだ。

 私は、クラブ活動も途中でやめたりして、放課後は毎日毎日、友達と思いきり遊び、思いきり青臭い話題で盛り上がっていた。母にそんな毎日を咎められたことはない。それよりも、私は毎日帰宅すると聞かれもしないのに、一日の出来事を最初から最後まで母に話してしまうのだった。私の一日は「しゃべりまくり、聞きまくり」の会話だけでなりたっていた。時々、この「生産性のない日々」自体、自己嫌悪の材料になって悩んだりもしたのだが、今思うと、この一見無駄な友達とのダラダラ時間、夜寝る前の物思いに耽る時間、 そんなものが一番尊い時間だった様な気がする。

 大人は子供たちから、この「一見無意味なダラダラ時間」を奪ってはいけない。

 今の中学生はどうしてあんなに忙しいのだろうか。

Posted by akemi at 1997年08月25日 18:42

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