« 親が「親バカ」にならないで、誰が「親バカ」になるのか | Main | 「人に迷惑」をかけるのが、そんなにイケナイ事なのか »

1997年06月01日

子供を本気で許せない時

 子供を本気で許せない時  というのは今の私にはあまりない。友人・知人は皆、私を「甘い親」だと思っている。私は子供を心底憎たらしいと思った事はないし、だからこそ、 「許せない」と思うこともない。しかし、私にとっては、ここ数年でやっと得た感情で、専業主婦状態が続いて誰に対しても「格好つけてもしゃーない」と思って、初めてたどり着いた一種「境地」の様なものなのだ。

 実は結婚してダンナを許せないと思った事が一度ある。結婚退職してすぐソウルへ渡り、「主婦のプロ」になるべく、日々忙しくしていた。自分に厳しく、ダンナにつくすことが自分の使命だと思い、それこそK死に専業主婦をつとめようとしていた。そんなある日の事だった。原因は忘れた。忘れたくらいだから「しょうもない事だった」のだろうと今では思うが、当時は「あぁ、私はどうしてこんな人と結婚してしまったのだろう」と後悔して涙がポロポロこぼれた。

 要は、ダンナの何気ない一言で、私への世間の評価が下がったという事だった。常に自分に厳しく、それで評価を得てきた自分が、自分自身の努力や失敗とは関係のない事が原因で、評価が下がるという事が、死ぬほど許せなかった。「どうして、この人は私の足をひっぱるのだ!」などと思ったのだ。

 何故、今ごろになってそういう話を持ち出すのか、というと、先日何気なく見てしまった「ふたりっこ」というドラマのシーンに、以前の自分を見てしまったからだ。当時の記憶がありありとよみがえり、最初は「なんやこの女」と思っていたのが、「あぁ、わかる」と「この脚本家はよくわかっている」などと思い始め、走馬灯の様に数年前の自分が目の前に映し出された。

 この「ふたりっこ」のお姉さんの方が化粧品の販売をしていて、それを昔の恋人のデパートに置いてもらう様に頼んだが断わられる、というシーンがあった。そこで、「体裁のよくない自分のダンナ」が、自分のために昔の恋人のところに行って「土下座して商品を置いてもらうように頼んだ」と知り、 「どうして私の足をひっぱるのよ!」と泣き崩れるのだ。最初、「なんやこの女、なんでこの男と結婚したんや!」とか「結局、愛情なんてなかった」 「プライドばっかりの嫌な女」などとヤジをとばしていた(笑)のだが、そういうしている間に、「ダンナが許せない!」と思い泣き崩れた当時の私を思いだし、愕然としてしまった。

 何故許せないのか。

 いつも他人の目が気になる(つまり良く思われたい、評価されたい)という気持ちと、自分自身に対する過剰なプライドがそうさせたのだ、と今の私は分析している。他人の評価が自分の存在を裏付ける唯一の指標で、中途半端なプライドは、自分の社会的地位がないと成立しない。つまり自分自身に対する絶対的な自信、裸一貫でも剥げることのない自信から出ている「プライド」ではなく、仮面の上に辛うじて成り立っている「プライド」しか持たなかった私は、ちょっとした事で、自分の存在自体も見失う可能性を持っており、それを本能的に感じ取って「許せない」と思っていたのだと思う。

 専業主婦になって、色々と大騒ぎしても誰も相手にしてくれない状況が続くと、「はて?」と思ってくる。私を鼻息の荒い人間にしていたのは、一体何だったのか? だんだん会社のためだけに生きていたOL時代の頃の話が「遠い昔」の事になってくる。世の中は私のことなんて忘れている(ちと大 げさか!)。

 こうなってくると、もう悟るしかないのだ。自信や幸せは、自分の内面に見い出さないと生きていけない。そして、それを感じ取れば、第三者の評価は必要なくなってしまうのだ。つまり、自分に本当に自信があれば、「わぁ わぁ」言う必要なんてない。私は、ソフトバンクの孫社長をテレビなどで見る度に、どうしてあんな穏やかな話し方ができるのかなぁ、などと感心してしまうのだが、自分に自信があれば、きゃぁきゃぁ虚勢を張る必要なんてないのだ。見る人が見ればわかる。自分自身を評価し、買っているからこそ、 平静でいられるのだ。能ある鷹は爪など見せる必要はない。

 えらく話が飛躍してしまったが、等身大の自分と向き合う事が出来る様になると、自分以外の人がどう評価しようと関係なくなってくる。つまり「自分以外の人のせいで自分の評価が下がる事」に対して、「許せない」という強い衝動を感じなくなってくるのだ。

 子供を叱る時に、「俺の顔に泥を塗りやがって」という様な事を言う父親がいる。この台詞を聞いた子供が、「親父は俺よりも世間体が大事なんだ!」と思うのは当然だ。後から慌てて、「お前のためを思って言っているんだ」 などと言っても、もう遅い。この父親は、子供の事を本気で「許せない」と思うのだ。自分以外、例えば奥さんや子供のことで、自分自身の評価が下がることを最も恐れる。そして、そんな事があれば心底許せないと思う。

 最近、懸念しているのは、プライドが高くて、勿論能力もあるキャリア・ ウーマンの人などが子供を生み、育て、その中で「子供のせいで自分の評価が下がる事もある」という現実に遭遇した時、尋常でいられるだろうか、という事だ。私はOL時代の自分自身が極端に視野の狭い、特別にどうしようもない人間なのだと思っていたのだが、最近になって、当時の私を彷彿とさせる様な女性をネットワーク上で見かける様になり、単なる極端な例だと思えなくなってきたのだ。

 等身大の自分を見つめ、バランス感覚を持つ、という事は本当に難しい事 なのかも知れない。

Posted by akemi at 1997年06月01日 18:42

Trackback Pings

TrackBack URL for this entry:
http://www.bergamot.com/mt/mt-tb.cgi/862

Comments

Post a comment

Thanks for signing in, . Now you can comment. (sign out)

(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)


Remember me?