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1997年02月01日

教育の流れ

 これからの教育を考えていて、「個性を大切にした教育に切り替えないといけない」という焦りが自分の中で増幅していってどうしようもなくなっている。

しかし、これを実際にどういう形でカリキュラムに組み込んでいくか、という事を考えたところ、自分の頭の中で矛盾が出て、うまく結論が出なくなってし まった。

 「想像力のある子供に」と思った場合、学校教育は何をすべきか。

 想像力の重要性を実感したとしよう。ここで、ママさん達は焦って「右脳教育」の塾に通わせたりするのだ。なんのこっちゃ、なのだ。想像力のある子氓ノするために、学校がカリキュラムを考えて、それを子供に押し付ける。冗談やめて、と言いたュなる。じゃ、学校には何をしてもらいたいのか、子供はどうすれば良いのか、結論が出ずに自分でももてあましている。

 あえて言えるのは「学校はもう子供達を一から教育するぞ、というスタンスを捨てて欲しい」といったところかも知れない。これには賛否両論あると思うのだが、もう学校は何もしてくれるな、環境だけ与えてくれれば良い、なんて思うのだ。「想像力のある子供に育てるため」には、子供のもって生まれたものを尊重すべきなのだ。子供がそのことに目を向ける事が出来る様に、たっぷりの時間的余裕と、「知りたい」と思った時に自分で調べる事のできる様な環 境(道具なども含まれる)を整え、中途半端に「躾てやる」なんて思わずに、 専門教科についての知識を豊富に持ち、常に自分自身の教科知識をブラッシュアップしようという心構えのある先生に、適切なアドバイスをしてもらえればそれで良いと私は思う。

 私はどうして日本の子供達が一様に「三角関数や微分・積分」なんてものを学習しなければならないのか、さっぱりワケがわからない。また、国語の時間に「この話の主題は何ですか?」という問いが必ずあって、それには先生の教科書ガイドの先生版みたいなものに書かれている通りの解答でなければ正解としない、なんていうのは子供の頃からオカシイと思っていた。私自身は敏感に問題の意図を把握して、求められる様な答えを導く術に長けていたので困るこ とはなかったが、授業中に友人が答えている内容を聞き、先生が「違います」と言ったその瞬間、「もしかしたら作者は、友人と同じ様な事を考えていたかも知れない」などと思ったりもした。先生に、「作者に確かめたのですか?」 と一度聞いてみたかった。こんな事をやっていて、読書が好きになるはずはない。同じ本を読んでも、感銘を受ける部分は違う。心に残るフレーズにも違いがあるはずだ。それぞれが、それぞれの立場で、その時の精神状態で、「何か 一つでも」心に込み上げる何かがあれば、その本は読むに値する本であったに違いない。それで良いのに、といつも思っていた。日本の教育は全く色気がない。色気がないという事は、「遊び(余裕)」がないのである。

 話はそれるが、「オリビアを聴きながら」という曲が好きな女性は多い。私もそうなのだが、あの曲の歌詞は人によって解釈が違う様だ。「なんて勝手な女性だ」と憤慨する人もいるらしい。表面的な歌詞だけを読むと、「夜更けの電話、貴方でしょ。話すことなど何もない。〜(略)〜二度とかけて来ないで。 疲れ果てた貴方私の幻を愛したの」となっている。これを、突然の女性側の心変わりに、もっともらしい理由をつけて勝手に文句言っているワガママな女、 ととらえる人もいる。しかし、私にはそうは思えないのだ。この歌詞に至るまでのこの女性の苦しみがちゃんと読み取れるのに、と私は思う。彼の事が好きだからこそ、「本当の私」ではない「幻の私」を見ている彼に、恋愛感情のみならず自尊心の部分まで傷ついて苦しんで、このままでは自分を見失ってしまうかもしれない恐怖と戦い、やっと出した結論だったのだろう、と私は勝手に解釈している。国語の勉強なんて、それぞれが勝手に読み取って、「ふ〜ん、 そんな読み取り方もあるんだなぁ」などと意見交換する程度で良いのではないか。なんて事を思う。

 また、私はとりわけ古典が好きだったのだが、古文のあのレ点、一、二点を使って強引に日本語読みをする漢詩の不自然さだけは納得できなかった。いっそのこと中国語で読んでもらった方が、「押韻」がよくわかって、素敵だと思う位だ。そんな中途半端な事をするなら漢詩は読まなくても良いとも思うし (漢詩自体は好きなのだが....)、歴史上の人物や地名なども、日本語読みで覚えても全く無意味だ。外国の人と話す時に全く意味が通じないで困る事がしばしばだ。本当に日本の教科書を作っている人達はセンスが無い。

  そんな事を聞きに、子供達が毎朝眠い目をこすりながら学校に通い、宿題に追われ、塾にも欠かさず行き、という事を繰り返しているのだ。子供達は、自分にはどういう素質があって、何をするのが好きで、何のために生まれてきたのか、等を考える余裕を無くしている。余裕はまずは時間的余裕から来るような気がする。自分自身が主導で忙しくしているのならば問題ないのだが、「何かに」コントロールされて動いている毎日で、心に余裕を持たせるためには、 「絶対的、時間的な余裕」が必要だと思う。今の子供達はスケジュールびっちりで、ぼんやり空を眺める時間さえも持てないのだ。

Posted by akemi at 1997年02月01日 18:42

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