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1996年06月10日

良き音楽との出会いを

月曜日といえば、私の一番楽しみにしているドラマ「ロング バケーション」がある日だ。

私はインターネットに接続できる様になってテレビをほとんど見なくなった。見るのは、このドラマと土曜日の「がらがらニッぽん」くらいなのだ。あとは夕方に1時間程、幼児番組の音を聞きながら夕食準備をするのと、朝にダンナが時々「やじうまワイド」を見るだけだ。

テレビを見なくなって困ったことは全くない。ゼロだ。先日、カオルがテレビにミルクをこぼして故障させてしまった時も、全く動じなかった。無くても困らないと思ったからだ。

私の興味の対象は、インターネット経由でも情報が手に入るし、もニもと女性雑誌には興味のない人だから、そのテの話題に枯渇しても困らない。それよりも、テレビを見なくなって、日常的に家でかけているCDの影響で、何故だかヴァイオリンに興味が沸いてしまい、三十路の手習いでやってみたいとさえ思ったりする。

私はもともとピアノをやっていたので、楽器の中で一番美しいのはピアノだとばかり思っていた。しかし、最近一日に10回以上、PERLMANのCDを聞くうちに、人間の肉声に近いのはヴァイオリンなのだ!と気付き、掃除をしながらウルウル聞き入っている。時々、カオルが「コメコメ(米米クラブ)して!」とリクエストするのだがそれを振り切って一人悦に入っている。私は相変わらず視野が狭い上に凝り性だ。

ところで、最近、私は自分とピアノとの関係を振り返る事がある。それはドラマ「ロンバケ」でキムタク扮する主人公のセナくんが音大卒のピアニスト志望の青年である事から思い出したのだ。私も一時音大を目指した事があり、それをやめた経緯を何度となくトレースして一つの結論を得たことがある。「自分の才能のなさに気付くチャンスをのがすと不幸になる」というものだ。私自身は才能がなかったので、結局は音大にいかなくて良かったと思っているのだが、それにはある一人のピアノ教師との軋轢があったのだ。

私は4歳でピアノを始めたらしい。自分の記憶は全くないのだが、テーブルの上でピアノを弾くまねをしていた私を見て、母が「あけみちゃん、ピアノやりたい?」と聞いたら「うん」と答えたらしい。そして当時24万円(多分かなりの高額だったと思う)のピアノをローンで買ってくれた。私の母は疎開先がピアノの先生宅だったのに、その息子さんが意地悪でピアノを触らせてもらえなかった、と言って一緒にレッスンを始めた。

幼稚園の先生の経験があるその先生は、本当に素敵な先生で、「音楽は音を楽しむもの」を実践している先生だった。優しくて、子供の興味、好み、性格全てを熟知して、それぞれに合った指導をしてくれた。子供ながらに感動したのは、その先生の発表会の選曲がスバらしかったのだ。例えばとにかくガンガンとかっこよく弾きたい子には、その欲求を満足させる、ちょっと難しい曲を考えてくれて、それよりも間違えずに丁寧に弾きたい、という子には、情緒豊かで難易度のそれほどでもない名曲を選んでくれた。みんなその発表会(クリスマス会といった)を楽しみにしていて、発表会の当日には、ピアノだけでなく色々なイベントを用意してくれて、私の胸はワクワクしっぱなしだった。

中学生になって、その先生に「専門の先生につきなさい」と言われて音大卒の先生についたのだが、私にとっては鬼門の様な先生だった。どうして、こう面白くなさそうにピアノを弾けるのか疑問だった。先生自身は身体が弱く、「この曲を2回続けて弾くと、身体がダメになる」とかいうお嬢様先生で、「なんや、この純粋培養お嬢」とか思っていた。楽譜通りに弾くことを第一義として、技術的な事しか注意されなかった。全く面白くなかった。私は普段は全く宿題の曲を練習しないで、CMソングやアニメの主題歌をクラシックアレンジしたり、短調の曲を長調に変えて遊ぶピアノ・オタクの様な少女だったので、全く宿題は練習不足でいつも先生に溜息をつかれていた。嫌だった。本当にレッスンに行くのが嫌になってしまったのだ。あまりにもテクニック重視の先生に嫌気がさして、「私はショパンとドビュッシー以外は弾きません」と断言して、それ以外の曲は練習せずに、ますます嫌われてしまった。

今思うに、その先生は「音大に行かせることを目的としたレッスン」をしていたのだと思う。どんどん、その先生との関係が悪化していった時に、先生が、「有名なピアニストの人は弟子をとる時に、身体や骨格、手の形などを見て弟子をとるの。だから、向かない人はどんなに練習しても駄目。生まれながらにピアニストとして成功する人は決まっている。練習したくないなら今度から来なくてもいい」と言われて、絶縁状態になった。私はその日以来、クラシックと決別したのだ。

レッスンをやめてピアノに触らなくなったかと言うとそうではないのだ。「好きでもない曲を弾かなくてもいい!」という自由は何ものにもかえ難い幸せだった。それからは、自分の好きな曲を好きなだけ弾いて、ずっと遊んでしまった。大学に入ってしばらくしてから、久しぶりにクラシックの楽譜を取り出して弾いた時は涙が止まらなかった。以前楽に弾けていた曲が、全く弾けなかったのだ。あんなにバカにしていたクラシックの曲が弾きたくてたまらない。私は当時の先生を恨んでしまった。あの先生でなかったら、私はもっとクラシックを弾いていたかも知れない。Dクラスの曲を初見で弾けたかも知れない。大学時代は本当にその先生の事を思い出すと、怒りがこみ上げてきて、「趣味で弾こうとする人の気持ちを萎えさせる権利は誰にもないはずだ!」と思ったりしたものだ。

そして、今、実は私はその先生に感謝しているのだ。あの時あの先生が正直に言ってくれなかったら、私はきっと音大を目指し、クラシックから足を洗う機会をのがしていたに違いない。方向転換できる時期を逸し、惨めにピアノにしがみついてしまっていたかもしれない。好きな音楽が嫌いになり、「ロンバケ」のシンジ君の様に、「好きなはずのピアノの前に座ると不思議な事に吐き気がする」様になってたかもしれない。私にとって、音楽とは「音を楽しむ」以外のなにものでもないのだ。義務でも仕事でもなく、単なる楽しみになって、今自由に音楽を楽しめる様になった。大学で臨床心理を目指しながらも、その現実を直視して甘ちゃんの自分には無理だと思った瞬間、「音楽心理」に転向したのは、暗示的だったのかも知れない。そして、その音楽心理の研究のために使ったコンピュータが私の方向を再び変えてしまったのだ。世の中の現象には偶然など一つもなく、全て必然なのではないか、などと思う時もある。

Posted by akemi at 1996年06月10日 21:43

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